16話 夢現
どこか、意識はぼんやりとしている。
「あざみ」
名前を呼ばれた。あざみは、ぼんやりとした頭で考える。
この声は誰だ、そうだ、聞き覚えがある。これは、姉の声。
「なんでしょう?」
あざみは名前を呼ばれて、まるで、決められていたかのように口が動いた。
ここはどこか。夜の城のテラスだ。
そしてこの会話。記憶にある。
ならば、これは、夢だ。
「まだ、主は見つかっていないのね?」
果たしていつだったか、そこまでは覚えていないが、確かに記憶にある。
確か、自分はこう返したはずだ。
「『別に要りませんよ、マスターなんて』」
すると、透き通った薄紫の髪が綺麗な姉は、困ったような顔をして、こう言った。
「悪くないものよ……。いいえ、とても素敵なことだわ、主がいるって」
「わかりませんね。お姉さまの言葉でも、どうも実感できません。マスターなんて居ても自由が制限されるだけじゃありませんか」
そういうと、姉は困ったように笑う。
(今なら、わかりますよ、お姉さま)
エーポスは、貴重な存在。言わばアルトそのものだ。そして、アルトは他の機体とは一線を画す。
軍事的に大きな意義をもたらす存在でもある。
と、なれば、生活はまるでお姫様扱いだ。さすがに王女に狼藉を働けば牢屋に入れられることになろうが、王女に頭を下げずとも、何も言われず、傍若無人な振る舞いをしても許される。
見た目どおりの小娘ではなく、長い時を生きた彼女らは、王であっても無視できない。
無論、姉妹たちの中に進んで狼藉するような者も居ないが、それだけの立場がある。
(本来の全力を出し切るという、あるべき姿に戻れる喜び、対等に接してくれること、戦闘になれば、それ以上に使ってくれること)
だが、エーポスはアルトを動かすために存在しているのだ。
今だからこそわかる。エーポスは、主と共にあることこそがもっとも自然な姿だと。
故に、あざみは喜びを感じていられる。
「貴方にも、いつか見つかるわ。パートナーが」
「いりませんよ、そんなの」
「見つければわかるわ。私も、今はすごく楽しいから――」
姉は笑った。果たして、何故笑っているのか、あざみにはわからなかった。
姉のパートナーは六十年もすれば死んでしまうことだろう。なのに、笑っている。
(私も……、見つけましたよ、お姉さま。今が、すっごく楽しいです)
だが、今ならば姉の気持ちがわかる。コテツという主に出会えたのは、この生の中で最高の出来事だ。
隔絶した操縦士としての能力と、不器用な人となり。
それでも、不器用なりにあざみと上手く付き合っていこうという姿勢が、嬉しい。
この世では、そう。たった一人、その操縦士だけが、エーポスと対等でいられるのだ。
「見つけたら、離さないでね?」
その時のあざみは仏頂面をしていたが、今は内心で微笑んだ。
(はい、もちろんです――)
そうして、ふっと、目が覚めた。
「……ん」
朝日が眩しい、目覚め。
城の一室で、あざみは目が覚めた。
ここは、あざみに与えられた部屋だ。コテツと同じ部屋に寝泊りしようと思ったのだが、それは当の主に丁重にお断りされたので、仕方ない。
ぼうっとした頭のまま、どうにか身を起こすと、あざみは眠い目を擦る。
「夢、見てた気が……」
呟きながらも、あざみはベッドから降りた。所詮、夢は夢、忘れて当然のことだ。
何故か胸が温かいのは気になったが。
しかし、とにもかくにもだからといってどうということも無い、あざみはクローゼットから服を取り出した。
それらをベッドに乗せて、あざみはまずはパジャマのボタンを外す。
するり、と服が体を離れ、それもベッドに置かれる。ズボンのほうも同じように、だ。
そして、屈みこむようにして下着を脱いだ所で、あざみは姿見のほうを見た。
「特に、異常無し、ですね。健康的です」
そこには、健康的な肢体が映っているだけだ。妙な腫れや痣も無ければ、変に青くも無い。
「性的魅力は、そこそこだと思うんですけど……」
あるべき膨らみはちゃんとある。
どちらかと言えば肉付きのいい大人の女性というより、スレンダーな年頃の少女の風体だが。
「ご主人様の好みはどっちなんでしょう」
これで、守備範囲は十二歳以下の少女だ、といわれた暁には手に負えない、と思いつつもあざみはブラウスに短いスカートと、いつもの格好へと着替えた。
そして、定期的に使用人が変えに来る桶に溜まった水を使って、歯を磨き、顔を洗う。
使っている歯ブラシと歯磨き粉は、工学以外にはあまり頓着しなかった初代エトランジェがせめてこれだけはと定着させたものだ。
他にも、エトランジェが定着させたものは、いくつかある。
「さて、身だしなみも大丈夫ですね」
今一度鏡を見て、胸元のリボンの位置を整え、にっこりとあざみは笑った。
(ああ、でも少し位お化粧をした方がいいでしょうか。けど、ご主人様そういうの好きじゃなさそうに見えますし)
化粧の香りに顔をしかめそうなタイプだ、とあざみは思考し、頭を振った。
(あーもう、男の人のことなんて気にしたことも無かったからわかりませんっ……!!)
考えを振り払うように、あざみは動き出す。
まずは部屋の外へ、そして当然のようにコテツの部屋へと向かう。
コテツの部屋とあざみの部屋はそう、遠くない、というよりかは近くにあざみが引っ越した。
私情半分だが、エーポスとその主はできるだけ傍にいるべきだという意見は、誰が聞いてももっともなものである。
(ともかく、ご主人様を起こしにいきましょう。こういうことは、日常から、ですよね)
うきうきとした気分で、コテツの部屋の前に立ち、そして、ノックもせずに扉を開けた。
いつもの部屋、無表情で仏頂面で、私生活でこれといって特筆すべきことも無い主の、何の変哲も無い部屋だった。
「ご主人様ーっ、朝ですよー!」
だが。
その部屋からは返事が返ってくるどころか――。
「……あれ?」
誰もいない。
きょろきょろと辺りを見回す。いない。
ベッドの布団をめくる、いない。
ベッドの上に寝転がってみる、いない。
枕に顔をうずめ、まだ残るぬくもりを堪能してみる、いない。
「――いません」
主のベッドの中、仰向けに布団の端を両手で握り、まるでまさに寝ようとしているような体制で、あざみは呟いた。
ぬくもりが残っているということは、布団を出てさほど時間が経っていないということだ。
不可解である。この時間、コテツは起きてはいても外には出ないし、今日は訓練が早いという話も聞いていない。
だが、いない。
「別に隠れてるとかないですよね、ご主人様ー?」
その不可解さを解するために、あざみは不本意ながら立ち上がった。
徐に部屋を出て、廊下を歩き始める。
歩きながら、あざみは首をかしげた。
(……うーん、どこいったんでしょう、あの人。あー、でも気が向いたからってふらっといなくならないとも限らない気がしますし……、っと、危ない、通り過ぎる所でした)
そうして、思考に沈んでいると、思わず目的地を通り過ぎる所であった。
すぐさまブレーキをかけて、あざみは右手に見える扉の前に立つ。
そして、次に開いたのは。
「……あざみ? 一体何かしら」
「ご主人様がいないんですけどっ!」
王女の執務室の扉である。
ドアを乱雑に開けるなり、あざみは言った。
対するアマルベルガは、ペンを持った体勢のまま、半眼であざみを見つめている。
そして、数秒の時間を置いて、やっと謎の衝撃から立ち直ったアマルベルガは口を開いた。
「……コテツなら、ギルドへ登録に行ったわ。軍人なら、当然でしょう?」
呆れたような声に、あざみは驚愕のあまり表情を凍らせる。
たとえ突如眼前に大規模魔術が出現しても、こうはならない。
「え? ちょ、ちょ、ちょ、すとっぷ。待ってください」
「何かしら?」
「行った? ご主人様が? 外に? つまり、もう城にいない?」
「そうよ」
「き、聞いてませんよ! そんなの!!」
ばん、と机を叩くが、王女は涼しい顔。
「言ってないんでしょうね。コテツがわざわざ一緒に来いなんて言うと思う?」
「ないですね」
「……そこ、即答するのね」
「ないです」
「まあ、とにかくそういうこと。リーゼロッテを付けておいたから、心配はないわ」
そして、王女の言葉の中でリーゼロッテ、と聞き、思わずあざみは耳を振るわせた。
それは安心できる要素ではない。
「え、いや、大有りですよそれ」
「なにかしら」
「ありますって! あの巨乳怖いです! 女狐です! ご主人様の貞操のため私追いかけますから、後よろしくお願いします!」
こうしてはいられない、と脱兎の如く走り出そうとするあざみだったが、アマルベルガに止められる。
「貴方はディステルガイスト使用の手続きがあるでしょう?」
そう、そうなのだ。
実は今日のあざみの予定は、書類を書いては提出することだ。
ディステルガイストを自由に使えるようにするには、それなりの手順が必要なのだ。
思わず、あざみは足を止めた。
「ぐ、ぐぐ」
そして、そんなあざみの弱みに付け込むように、アマルベルガは言う。
「自分の乗機が使えるかどうかの作業をほっぽり出すパートナーを見たらコテツは……、まあ、何も言わないんでしょうけど、内心役に立たないクズ女だと思うに違いないわ」
「ぐぐぐぐぐぐ……」
今にも走らんとしていた足は地面に縫い付けられたようでもあった。
葛藤するあざみ。
そして。
「……ご主人様、あざみは職務を全うしますっ……!!」
悲壮感たっぷりに、彼女は言ったのだった。
想定外に筆が進んだので、フライングで一話更新。
今から書き溜め作業に入ります。
まあ、今回のコンセプトは『緩め』なので、もしかしたら書き溜め無しで更新するかもしれません。