178話 逃避
「ん……、あれ、いない」
目を覚ますと、コテツがいない。昨日の晩はこっそりとベッドに忍び込んでやったのに、だ。
攻められると滅法弱いカーペンターだが、攻めるのは好きなカーペンターである。
そこには、無茶はしてこないだろうというコテツへの信頼感も少なからずあるが。
「……まだちょっと寝ててもいいよね」
目を瞑る。思い浮かべるのは、先ほどまで隣で寝ていたはずの男のことだ。
(操縦士は、タイプじゃないはずだったんだけどな……)
まだ、彼の残り香の付いたままの布団で、カーペンターは身を縮こまらせる。
(タイプじゃないって、思おうとしていただけなのかな)
彼女が遠い昔、好意を抱いた男は、操縦士だった。
「お姉さま。あの子の調子はいかがですか?」
遠い昔、カーペンターはまだ、城に住んでいた。
「おーう、よく来たねぇ! バッチリさ! いつでも出れるよ!!」
「ありがとうございます。お姉さまが調整してくれると、調子がいいんです」
当時は城で、アルトを整備していたのだ。
エーポスはアルトに誇りを持った者が多く、普通の整備士に見せたがらないこともある。
だが、いかに自動修復を持つアルトといえども、適度に整備と調整をした方が性能を発揮できる、というのがカーペンターの見解だ。
普通の整備士に見せたがらないエーポスも、姉であるカーペンターにならば、機体を見せてくれる。
「助かりますよ、アリア義姉さん」
そう口にしたのは、妹の隣に立つ男だった。
軍服に身を包む、灰色がかった短髪の真面目そうな男だ。
「気にすんない! 私もこんなことしかできないからね。これだけは頼ってよ!」
「こんなことしか、だなんてお姉さま。姉さん以上にアルトに詳しい人なんていないでしょう?」
「その通りですよ、アリア義姉さん。あなたのおかげで俺たちは、安心して戦える」
軍服の男、ディーン・ダゴマイヤーはカーペンターを義姉と呼ぶ。
それは、目の前に立つ、妹のアイリーン・ダゴマイヤーと彼が、結婚しているからだ。
カーペンター自身が、妹の旦那なら義弟だと名と姉と呼ぶことを許した。
「……照れるねぇ」
そして、カーペンターはそんなディーンのことが、好きだった。
「自信を持ってくださいよ、義姉さん」
だからと言ってどうする気もない。
略奪愛に興味はない。カーペンターは妹の幸せを、祈っている。
ただただ、何もかも遅かっただけだ。
ディーンはアルトの操縦士だからこそカーペンターに会う機会があった。
会った時には既に彼はアルト乗りで、アイリーンの操縦士だったのだ。
「私がどれ程のものかってのはさておいて……、できるだけのことはしたよ」
できるだけのことはした。正にそうだ。
心血を注いで、寝ずに作業した。隅から隅まで点検して、調整した。
カーペンターには、それしかできないから。
「助かります、お姉さま」
クレイ・コンストラクターは戦闘用ではない。彼女らと、肩を並べては戦えない。
だから、後方でできるだけのことをするために、彼女はアルトを、SHを研究している。
それが、酷く歯がゆい時もある。
「早く終わらせて帰っといで。また、整備したげるからさ! 無事でね」
好いた男をどうするつもりもない。ただ、無事に帰って来てくれればいい。
彼のことも、妹のことも好きなのだ。両方の幸せを祈っている。
「では、行ってきます義姉さん」
「すぐにまた会いましょう、お姉さま」
笑って機体に乗り込む二人をカーペンターは見送った。
「またね」
二人は帰ってこなかった。
(学習しないね! 私も!!)
ベッドの上で、苦笑する。
(どうしよっかな、今回は。今回も人のもの、かな。まだ決まってないみたいだけど)
妹たちだけでも三人だ。
(隣に立つには、やっぱ私じゃ不足かなぁ)
戦えない。他の姉妹の中で、カーペンターは異質で、浮いている。
戦い続ける彼には、不釣合いだろうか。
(たまに整備に訪れて。その時にお茶に誘って、お話して。それだけでも、私は……)
と、考えた辺りで唐突に彼女は首を横に振った。
(ってなんで私が惚れてる感じで話進んじゃってるのかなー? ナイナイ! 惚れてるとかないから! ないよ? ……ほんとだよ?)
カーペンターは戦えない。
他の姉妹と肩を並べて戦えない。
だからこそ、よき姉であろうとしてきた。
戦えないからこそ、他の姉妹に優しく接し、幸せを祈る。
それが、カーペンターという女性だ。
(SHのことで話が合う友達! ……おっぱい、見られたけど)
変なことを思い出して、顔を赤くするカーペンター。
(でも彼は戦う人だ。そして私は待つことしかできない人)
カーペンターは、コテツの隣に立つことはできない。
(そして彼も、また、戦場で……)
自分で考えておきながら、途端に不安になった。
ベッドからもぞもぞと抜け出して、簡単に身支度を済ませると彼女は外に出た。
(どこだろ……)
そして、目的の人物を捜すと、宿の庭に、すぐにそれは見つかった。
宿に、子供たちの人だかりができている。
その中心にいるのが、子供を一人背に乗せて腕立てをするコテツと、その隣で同じように腕立てするゴーレムだ。
カーペンターはその人だかりに近づくと、おもむろにコテツの背に腰を下ろした。
「重いぞ、カーペンター」
「酷っ! 女の子に重いなんて銃殺刑だよ!」
「……なんだと」
「ごめん、冗談。こういう冗談は通じないんだね」
「冗談か。しかし、少なくとも確実に、身長130に満たない子供と比べると成人女性は重量があるはずだ、カーペンター」
「露骨に気を使った表現に!」
しかし、重いと言いつつも、コテツの動きは変わらない。
「何やってんの?」
「ゴーレムにせがまれて、とりあえず軍隊式の訓練を」
「そ、そうなんだ」
そんなことを言いながら、カーペンターは背から降りる。
子供もなんとはなしに背を降りて、コテツが立ち上がった。
「ところでだが。ゴーレムに腕立ては効果があるのか?」
「ないと思うよ」
それまでやたら必死に腕立てしていたゴーレムが、激しくショックを受けていた。
両手を広げ、驚きを表現した後、崩れ落ちるように膝を突く。
「まあ、そんなことより」
それを後目にカーペンターがコテツの首に腕を回した。
「コテツさん、ぎゅー」
「どうした、カーペンター」
抱きついて、体重をかけても揺らがない。
そんな姿に、どこか安心を覚える。
「なんでもなーい!」
「いや、だが。子供たちが見ている」
「ぐへへ、そんなこと言っても体は正直だぜ奥さん!」
「君は俺のいったいなんなんだ」
唐突なそれに、子供たちは一様に色めき立つ。
一部、顔を手で覆いながらも指の隙間からしっかり見ている子もいる。
「コテツさんも、ね? ぎゅー。 さん、はい」
「ぎゅー」
低く重い声が響く。
「素直!」
満足したカーペンターは腕を離す。
「えー、これでおわりー?」
子供たちから不満の声が挙がるが、カーペンターは気にした様子もない。
「続きはおうちで!」
親指を立ててご満悦のカーペンターに、ゴーレムだけがその手を向けて楽しげに応える。
「さて、帰ろっか」
「もうかえっちゃうの!?」
子供たちから不満の声が上がり、カーペンターは苦笑した。
「ごめんねー、忙しいんだ。お姉さんはまた来るからさ」
「……お兄ちゃんは?」
「あー、お兄ちゃんねぇ……、お兄ちゃんはー」
困ったような表情で、カーペンターはコテツを見た。
コテツは今回特別に誘っただけだ。
今後もどうかと言われれば、答えに詰まることになる。
「君が誘ってくれるなら」
「ほんと!?」
「ああ」
「ほんとに!?」
「ああ」
「ほんとにほんと!?」
「……ああ」
「ありがとー! ご褒美に好きなとこ触っていいよ!」
その言葉に再び子供たちが色めき立つも、コテツの声は冷静だった。
「それは、大丈夫なのか?」
「むう……、大丈夫だよ。いきなりじゃなければ」
不意打ちでなければ、先日の失態はない。
来るのがわかっていれば、照れようもないではないか。
「私を何歳だと思ってるのさ」
「知らん」
「だよね」
「どちらにせよ、後にしてくれ。どこに触れるか慎重に吟味を重ねる」
「大事になった!」
カーペンターはおののいた表情を見せたが、すぐにけろっと表情を直した。
「グンゼさんも来れるといいね」
「身の回りのことが片づいたらまた来る、だそうだ」
「そうなんだ。じゃあまた、皆で遊べるかもねぇ」
カーペンターが言うと、子供たちが大げさに喜んでみせる。
「ところで、もしかしてもう行っちゃったの?」
「ああ。先ほどな」
「おおう! 寝過ごしてお別れし損ねた!」
「何人か、見送りに行った……、ちょうど帰ってきたようだな」
コテツは、村の出口の方向を見る。
すると、子供が二人、こちらに駆け寄ってきている。
「……ふむ」
だが、遊んでくれた旅人を見送ってきたにしては、駆け寄る二人の必死さが、異常だ。
怪訝そうな顔をするカーペンターに向かって子供たちは叫んだ。
「カーペンターおねえちゃん! たすけて!」
ただ事ではない。
そう判断したカーペンターもまた、子供たちに駆け寄る。
「どうしたの……!?」
「グンゼのにいちゃんが、ヘンなヤツらにつれてかれた!」
その言葉はカーペンターにとって衝撃的で、一瞬の思考を止めるのに十分だった。
「っ、なんで……!」
驚くカーペンターを後目にコテツが問う。
「落ち着いてくれ。敵はどんな相手だった」
「うんとね! SHがご!」
「五機か……」
コテツが考え込むと、子供の一人がカーペンターに向けて言う。
「おねえちゃん、なんとかしてよ! アルトって、すごいんでしょ!?」
悪気はない、ただ必死で助けを求めるだけのその言葉。
楽しく遊んでくれた旅人を助けたいだけの言葉だ。
「っ……」
だが、その言葉が、痛く胸に刺さった。
「あはは、ごめんね……? お姉ちゃん、弱くてさ」
絞り出すような力のない笑い。
「カーペンター。城に通信を送れ。相手は五機、思うに、中途半端な戦力では被害が広がるだけだ。城までディステルガイストを取りに戻る」
今だけは、甘えを許さない、その切り裂くような言葉が救いだった。
「う、うん。でも……」
王家にはエトランジェを呼び出す魔術がある。
取り回しは非常に悪く、準備が必要でそう簡単に使えるものではなく、更に、特別高くもないアマルベルガの魔術の才では使ったあと寝込む必要すらあるらしい。
そこまでのリスクを冒して助けてくれるかどうか。そしてよしんばそれを使ってディステルガイストを回収し、全速力で向かったとして――、到底間に合うとは思えない。
(いつも、こう、だ。危ない目に合うのは、私じゃ、ない)
いつも、後方で安閑としている。それが自分だ、とカーペンターは評する。
(だから、逃げ出した――)
コテツが、カーペンターに向かって城にいるのが珍しいと言ったとき、彼女ははぐらかした。
本当は、申し訳なくて、一緒にいるのが怖くて、逃げ出しただけなのだ。
アカデミーに逃げ込んだ。関わりを断つように逃げ出した。
誰も責めないことはわかっているのに、責められることが怖かった。
エーポスで、アルトを所有しているのに、戦えない自分がどうしようもなく、疎ましくて。
研究に没頭して。なるべく、王都には戻らないようにして。
「カーペンター、君は……」
何も気にしないように振る舞うのが、普通になってしまった。
「そうだね、すぐに女王様に通信して――、どうしたの?」
じっと見つめるコテツの視線に、思わず目を逸らす。
「……気が変わった。クレイ・コンストラクターを出せ」
「へ? や、通信の為には出さなきゃだけど……」
言われるがままクレイ・コンストラクターを呼び出す。
そして、二人乗り込み、カーペンターが通信を送ろうとしたその瞬間。
クレイ・コンストラクターは動き出した。
「ちょ、ちょっと! どうしたのいきなり!」
「ディステルガイストを取りに戻っても間に合わん。たとえアマルベルガの許可が出て、魔術による呼び出しに成功したとしても」
「もしかして、……行く気?」
無言。それは肯定だった。
「私は作業機だよ?」
「言ったぞ。作業機は嫌いじゃない」
「武器なんて積んでないよ」
「問題ない。素手でも勝つ」
「でも、私、実戦なんて初めてだよ?」
「俺は初めてじゃない。どうにかする」
「ダメだよ!」
「何がだ」
取り合わないコテツに、ついにカーペンターは声を荒げた。
「私は戦闘用じゃないの! 戦えないんだよ!? 確かにグンゼさんは助けたいけど、私の役目はそうじゃない。エトランジェを失う訳にはいかない。任せるしかないんだよ!」
まるで自分に言い聞かせるようだ、と思った。
「そうか」
短く、コテツは呟いた。
そして、ハッチが開く。
「ちょ、ちょ? どしたの!?」
「ここからは俺一人で行く」
「それこそ無茶だよ!」
「どうにかする」
コテツは、意思を曲げない。
「……なんで」
「目の前に戦場がある。戦いたいから戦う。戦うのに、他に何も要らない」
「わかんないよ」
「剣があるから戦うのか。剣が無ければ、どんな理不尽にも膝を突き、諾々と従うのか」
違う、と言いかけて、カーペンターは呑み込んだ。
違うはずだ。何か戦う理由があるから人は剣を取るのだ。
だが、カーペンターこそが、それを実行していない。だから、言葉には出せなかった。
「何か事情を持っているとは思っていた。当初は踏み込んでまで助けるつもりはなかったが……、グンゼは悪い人間ではないのだろうと思う。だから俺は、グンゼのために戦いたい」
「私だって、私だって……!」
その先は言葉にできない。
「では、俺は行く」
止めようとした瞬間には、コテツは機体を飛び出していた。
走り出すコテツの影は、簡単に小さくなっていく。
(追いかける……? でも、捕まえるにしたって暴れたら危ないし……)
人が乗っていない状態のクレイ・コンストラクターの性能で安全にコテツが捕まえられるか、微妙なところだ。
(いや、でも、ある意味チャンス?)
グンゼという重要性も分からない人物が危ない、というだけでは女王は動かせなかったかもしれないが、エトランジェが単独でSHに向かっていったとすれば動かざるを得ないはずだ。
意地でも呼び戻そうとするだろう。そうすれば、コテツはディステルガイストを回収して戦闘に向かうことができる。
「それが、最善……」
カーペンターは、コンソールを操作し、通信を行なおうとして、最後のその人差し指を押し込む操作を、思い留まった。
「私……」
そろそろクライマックスです。
カーペンターについて。
出した当初から書きたかったので数十話越し……、くらいのストーリー参加となりました。
……長かった。当初の予定通り乙女っぷりを発揮しているのでその点においては満足です。
ヒロインについて2
量よりも質、私に扱い切れる技量があるかないかかな、と思います。
努力します。