176話 カーテンの向こう側
「大丈夫か?」
朝目覚めて。夢ならいいなと思ったが、どうやら夢じゃなかったらしい。
起きて、顔を洗い、着替え、食事を済ませた頃には、気分が急下降した。
「あー……、はい……」
まだ残る額の痛みも、簡単に思い出せる唇の感触も、夢ではなかったと伝えている。
そして、思い出したがために、頬が熱くなった。
「ご、ごめんね?」
「謝る必要はない」
「そ、そっか。あの、ほら、昨日は気が動転してて……」
「そうだな。そういうこともあるだろう」
露骨に気を遣われている。逆に心に痛かった。
「ま、まあ、その。昨日のことは、忘れてよ」
「了解した」
あっさりと頷くコテツ。
「むう……」
それはそれで、面白くない。
「どうした」
「なんでもないよ。それより、今日こそ掘るから。ね?」
「そうだな」
二人、部屋を出て木造の狭い階段を降りる。
玄関まで出ると、受付の女将がにやにやと笑っていた。
「昨日はお楽しみだったみたいだねぇ……」
「違うからね!?」
カーペンターに引っ張られ、逃げるように外へ。
「行くよ行くよ! 掘るかんね!」
今は誰にも会いたくないカーペンターは全力で坑道に向かった。
そして、昨日までと同じように、コテツの数歩後ろを歩き、コテツの背を眺めていた。
コテツは、時折襲いかかる魔物を薙払いながら、進んでいく。
その肩にはいつの間にか、昨日のゴーレムの姿があった。
(確かに、頼りにはなるなぁ……)
腕っ節はとにかく強い。
不意打ちにも簡単に対応できて、一緒にいてここまで安心できる相手もいない。
(顔は悪くないけど、表情がないのが減点かな?)
などと考えてカーペンターは首を横に振った。
(な、何考えてるんだろ。別に私と彼はなんにもないし!)
昨日は、そう、動転してしまっただけだ。
いきなり裸を見られたから、うまく頭が回らなかったのだ。
(で、でも……、キス、しちゃったんだよね……?)
さすがにキスで子供ができるとまでは思っていなかったが、しかし、粘膜の接触と割り切れないほどにはカーペンターも女だ。
そして、その懊悩をつゆとも知らず、コテツは進み続ける。
その背中に、妙に腹が立った。
(あんなことがあったんだから、もうちょっとくらいさぁ……)
忘れて、と口にした、カーペンターの言葉を忠実に実行しているだけなのだが、それがどうにも腹立たしい。
「コテツさん、コテツさん。なんだか今日は暑いねぇ!」
「なんだ」
コテツが振り返ると共に、カーペンターはツナギのファスナーを下ろした。
その割れ目から、白い肌、谷間が覗く。
「……君は。それで昨日大騒ぎしたのを忘れたのか」
どきっとするとか、顔を赤くするより先にコテツは呆れたように窘めた。
「み、見られるのと見せるのは違うもん!」
顔を赤くして、カーペンターは声を荒げる。
「そうか。行くぞ」
相手にされていない。やはり、腹が立つ。
何とかこの朴念仁を焦らせてやれないものか、とカーペンターは考え始めた。
それを他所にコテツはずんずんと歩を進めていく。
(はー、私のことなんで正直どーでもいーんだなぁー)
どうにか一泡吹かせてやりたい。が、どうにも一筋縄ではいかないようだ。
目標は動揺か赤面である。
(服の上から胸を触らせるくらいじゃ足りないのかなぁ)
などと考えていると、注意が散漫になってしまった。
上後方から迫るバットの気配に気が付かなかったのだ。
耳障りで高い鳴き声に振り向いた時には至近距離。
「ヤバっ……! 噛まれ……」
反射的に仰け反って背後に倒れ込みそうになるが、それでも逃げ切れない。
そう思った瞬間、倒れ込みかけたカーペンターのその背を、支える腕があった。
「大丈夫か」
左腕でその背を支え、右手の剣がバットを切り払った。
「あ、ご、ごめん」
考え事に集中しすぎていた、カーペンターの過失だ。
「いい。今日の俺は君の護衛だからな」
その言葉は少し意外だった。注意が散漫になっていたことを叱られるかと思ったが、コテツが言ったのはそれだけで。
あとは、至近距離で真剣に見つめられただけだ。
(意外と、優しい)
コテツの評価に、カーペンターはそう付け加えた。
「さて、ここだよここ!」
「なるほど、広いな」
しばらく歩くと、広い部屋に出る。
カーペンターは徐に、クレイコンストラクターを呼び出した。
「おっし掘るぞー!」
カーペンターは手際よく装甲を上って操縦席に辿り着き、コテツもまたそれに続く。
「で、本題なんだけどさ」
「なんだ」
「何にか見える?」
問われ、コテツは目を凝らした。
すると、壁面に白い靄がかかる。
「魔力が見えるな。壁面だ。目的の鉱物か?」
「ビンゴ!」
叫んで、カーペンターは手を叩いた。
「やった! 想像通り! 濃いとこわかる?」
「少し待て。マップに書き込む」
コテツはコンソールに指で触れ、壁面を立体的に表現したマップに赤い線を書き込んだ。
「よっしゃ! やっぱり目で見えるってわりと便利っぽい!」
これで魔力の濃度などの細かい変化で、何が埋まってるかまで見えたら完璧だ。
「掘るよー。コントロール回してね」
クレイ・コンストラクターがカーペンターの意思で動き出す。
その手の中には掘削用ドリルが現れ、マップの赤い線に沿うように掘り出し始めた。
そこから数分が経過し、目的のものが掘り出される。
「採れたー!」
鈍い色の塊を空間にしまい込み、二人は機体を降りて地面に立つ。
「やったね! 持ち帰って調べないとだけど、結構いいのが採れたと思うよ!」
「そうか。それは何よりだな」
「もっと嬉しそうにしてよ!」
「やったな」
「全然嬉しそうじゃねぇ!」
コテツは微動だにせず、無表情のままだった。
「うーぬー……、あれ?」
そんなコテツを不満げに見つめていたカーペンターだが、不意に足場が揺れだしたことに気が付いた。
ぱらぱらと、天井からも土が落ちる。
「カーペンター。機体に戻るぞ」
背筋に氷を差し込むような声。コテツが動き出す。
彼は即座にカーペンターを抱きかかえると、膝を突いたクレイ・コンストラクターを駆けのぼり、操縦席に着いた。
「え?」
上手く状況が呑み込めない中。
激しい轟音と、凄まじい揺れが巻き起こった。
「あわわ!」
体と共に、SHの視界が激しく揺れる。
そんな中でも機体の姿勢制御に努めるコテツはさすがと呼ぶべきか。
「じ、地震?」
「分からん。だが、どちらにせよ……、出口がなくなったぞ」
言われて、カーペンターは目を剥いた。
もう、入ってきた場所がどこなのか分からないほど跡形もなく。
前方のほぼすべてが土砂で埋められていた。
「もしかして、落盤事故?」
「そうだな。だが、機体が埋まらなかっただけ、ましだろう」
機体は自由に動く。ただし、帰る道が完全に埋まってしまっている。
「あー……、そっか……。どうしよ?」
「救助はあるのか?」
「どうだろ……。何日か帰らなければ宿の方で気が付くと思うけど」
だが、どちらにせよ時間がかかる。
魔物の出る坑道内で作業を行うとなれば、それなりの準備も必要だろう。
「食料は、あるけど……」
「そうか、ならば待てばいいのか」
特に動揺した様子もなく、簡単にコテツは言った。
「れ、冷静だね……」
どれくらいの時間、ここに閉じ込められるか分からないのに、コテツはいつもと変わらない。
もしかしたら救助なんて来なくて緩やかに餓死していくかもしれないのだ。
(私の方が年上なのに)
カーペンターはそんな風に構えてはいられない。
「救助のあてがあり、食料の心配がない。特に問題を感じない。念のために機体の中で待つべきだろう」
そうして、コテツは操縦席に深く腰掛けた。
その背にはあまりにいつも通りだ。
それ以降、ずっとコテツは前方を見つめていた。
会話もなく、無言で、ずっとだ。
(もしかして、怒ってる?)
背後から、彼の表情を窺うことはできなかった。
もしかすると、彼の顔を見ても表情はわからなかったかもしれないが。
コックピットという狭い空間の中、微妙な距離で二人きりなのが尚更気まずく。
「ご、ごめんね?」
沈黙に耐え切れず、カーペンターはそう、口にした。
「何の謝罪だ」
短く冷たい声がコックピットに響く。
思えば、カーペンターは昨日から失敗続きだ。
コテツに随分醜態を見せた。呆れるのも、無理からぬことだろう。
「お、怒ってる? ごめんね?」
「悪いが、何の謝罪だかわからん」
「それは、あのう……、昨日から迷惑かけ通しで。こんなことになっちゃうし。と、というかアレだよね、基本常に迷惑そうにしてたよね! こりゃ気が利かなかったなぁ、ははは。……ごめん」
「……」
コテツからの返事はなく、彼は黙り込んでいる。
「お、降りるね! 私は外でも大丈夫だから!」
気まずいやら申し訳ないやらで、その場を離れようとするが、コテツはハッチを開いてはくれなかった。
代わりに、ぽつりと呟く。
「君のことは、もっと強い女性だと思っていた」
胸元に氷でも差し込まれたように、ずぶりと、その言葉は突き刺さる。
「あ……、え、うん。……ごめんね? あはは」
力なく笑うカーペンター。
コテツは振り向きもしない。
「すまないが、未だに何の謝罪だかわかっていない。謝罪されるようなことは何一つない」
「で、でも!」
謝罪すら受け取ってもらえない。だがせめて、と食い下がるカーペンターを遮ってコテツは言った。
「俺は人の心の機微に疎い。こういうことでもなければ、表面上のことしかわからん。そして、俺がアルトに乗り続ける以上、きっと君とは長い付き合いになる。そういう意味では、君の本質に触れられたこの旅は俺にとっても有意義なものなのだろう」
「えっと……?」
「どうやら君は努めて明朗だが、その実繊細な女性らしい。なるほど、確かに大雑把なだけではSHの研究や整備は務まらない。大胆でありながら繊細さを併せ持つくらいでなければ」
今度は、カーペンターが黙り込んだ。
(つまり、その。さっきまでのは全然怒ってなくて、ついでにさっき言ってたのは皮肉でも嫌味でもなくて、ただの素?)
言葉選びが下手すぎる。嫌味にしか聞こえない言葉もちらほらあった。
「……まさか、違うのか?」
自信なさげな声。さっきまでと同じ冷たい声に、今回はなんとなく感情が感じ取れた気がした。
「……違わない、かも?」
「そうか。ならいい」
今度は安堵と喜び。
それを聞いて、カーペンターは大きく息を吐いた。
「どうした」
「あー……、や、情けないなぁってね。お姉さんの方が年上なのに、余裕がなくって」
「そうか」
カーペンターの言葉に、コテツは短く答えると唐突に機体を動かした。
崩れた土砂と岩盤の折り重なるそれに向かい、掘削用のドリルを突き入れる。
「ど、どうしたの?」
やることも言うことも唐突すぎてついていけない。
そんなカーペンターにコテツが答える。
「君はこの環境によって情緒不安定になっているだけだ。早く帰るぞ」
「え、う、うん」
手際よくコテツは掘削を進めていく。
「……上手いね」
「言ったはずだ。解体業をやっていたこともあると」
少し硬い岩盤を、掘削用ドリルが貫いた。
「解体・撤去の相手は選ばん」
そんなコテツを、背後からカーペンターは見つめていた。
またやってきた無言は、そこから感じる真剣さが心地よかった。
「ずるいなぁ……」
カーペンターはSHが好きだ。
ほかのエーポスと違って、自分のアルトが、ではなくSHが好きなのだ。
自分の力を十分に活かす事ができる。それがこの分野だ。
それと共に、操縦士も好きだ。
整備、開発、研究。SHは操縦士なしでは成立しない。
操縦士は、操縦が上手ければ上手いほどいい。
そして、彼女の愛するSHを一緒に愛してくれる、大事にしてくれる人間がいい。
真剣に、集中して作業を続けるコテツの背中を、カーペンターはずっと見つめていた。
(かっこいいなぁ……、もう)
良い子の皆は崩落に巻き込まれたらできるだけ大人しく救助を待とう!
下手にいじって二次的な崩落を起こしたら目も当てられないぞ!