170話 雪の降る夜に
北の小国、レグレザール。
雪が降りしきる夜に、レグレザールの姫、リヴィエラ・バニエール・オルレアンは中庭にうごめく人影を見た。
(こんな時間に、何?)
自室から見える中庭を通ったのはいったい何者か。
見回りの兵士という可能性は早々に消えた。
そう言った兵士であれば明かりを持って動くはずである。
(もしかして、賊……?)
思いついた可能性に、リヴィエラは怯えた。
そして、二つあるベッド、自分のものではない方の持ち主を揺すって目を覚ませる。
「オリアナ……、起きて、オリアナ……」
妹のオリアナである。
彼女は眠そうに眼を擦って身を起こした。
「なぁに……?」
「中庭に人影を見たの。賊かもしれない」
「えー……? 兵士さんじゃなくて……?」
寝ぼけたように言う妹に、声を強めて、リヴィエラは言った。
「明かりをつけてないの……! 兵士さんなら変じゃない……!!」
「うー、じゃあ、誰?」
「それがわからないから……、どうしようオリアナ」
「どうしよう、って言われても……」
リヴィエラは栗色の髪を持つ、十四歳の少女だ。外見的な優しげな雰囲気のまま、事実優しく育ち、極寒の地にあって植物を育てることを好む。
そして、オリアナはそれよりも二つ幼い天真爛漫な少女に過ぎない。
こういった事態に冷静に対処できるほどの経験はなかった。
「……謎の人影なんて、十四年生きて一度もなかったし。いったい何なのかしら」
とにかく、大人に相談しようとリヴィエラは扉へと目を向けた。
その時。
「謎の人影、というのはもしかして、僕のことかな――?」
声が響いた。
どきりとして振り返る。
いつの間にか開け放たれた窓。風でカーテンがはためき、その男が姿を現した。
貴公子じみた、金髪の優男が、窓の縁にいる。
「やぁ、こんばんは」
そして、そんな彼は、まるで旧友に出会ったかのような気軽さで部屋へと侵入してきたのだ。
「だ、誰……?」
「うーん? 僕はエミール。エミール・ディー。旅人さ」
「何が目的ですか……? わ、私達を人質に?」
怯えながらも妹の手前、恐怖を堪えて問いかける。
オリアナもまた、ベッドの上で怯えていた。
「いやこれがね。道に迷ったんだよね。適当にぶらぶらしてたらここに出ちゃったわけさ。で、聞きたい。ソムニウムはどっちかな?」
「ふ、ふざけているのですか? ソムニウムははるか東です……、何が目的なんですか……!」
「いやいやいや、本当なんだ。ソムニウムに行きたいんだけどこれがどうもうまく行かなくてね」
そう言ってエミール・ディーと名乗った男はわざとらしく肩を竦めた。
リヴィエラは、ずっとその男の腰元を見つめていた。彼の腰元に剣が見える。
あれで自分たちを脅すつもりだろうか。
そう思っていると、エミールはその視線に気づいたらしい。
「ああ、これかい?」
言って、彼は剣を抜き放つ。
思わず身構えるが、彼はそれを指さすだけだった。
「一緒に旅をしたらお金をくれた親切な人がいてね。そのお金で買ったんだ。格好いいだろう?」
今の所は、それを使うつもりはないように思える。
だが、軽薄そうで信用ならない、得体のしれない男だ。
目的は金だろうか。なんにせよ妹だけは守らねばならない。
守らねばならない理由がある。
「エミールさん……、でいいでしょうか」
「うん。別にいいよ。特に、呼び捨てでも構わないけど」
「人質は、私だけにしてもらえないでしょうか……。妹だけは、どうか。どうせ近いうちに死する定めなのです、せめて、少しでもお慈悲を……。私は、どうなっても構いませんから」
「お姉ちゃん……」
どうせ、自分たち姉妹に残された時間は長くはない。
だが、絶対に両方死んでしまう訳にはいかないし、せめて少しでも、オリアナには生きていて欲しい。
「人質? うーん? いや、それはよく分からないんだけどさ。近々死ぬのかい? 君たち」
「それも知らずにこの国に?」
「知らないねぇ」
なんと無鉄砲なことだろうか。いや、だからこそ賊などが務まるのか。
「この国には魔物が住んでいるのです。極めて、強大な」
「へぇ」
「いつからか住んでいたそれは余りに強く、倒すこと叶わず、この地に住み着きました」
「それで?」
「以来、生贄を要求したのです。王家に生まれた女子を寄越せと。今年が前の生贄より十年。約束の時期です」
「で、君たちは化け物に食べられて死ぬと」
「……そうです」
「やったじゃないか」
その言葉に、思わずリヴィエラは目を見開いた。
「あれ? 何か外したこと言ったかな?」
男は不思議そうに首を捻っている。
「皮肉ですか、それは……!」
「うーん? 国のために死ぬのは本望とか、そういうあれじゃないのかい?」
「……確かに、国のために死ねるのは本望です」
「じゃあ、やっぱりだ。やったじゃないか、おめでとう……、アレ? やっぱり違う?」
今度はオリアナが睨んでいることに気が付いたらしい。
「んん? 別に死にたくないのかい? もしかして」
馬鹿にしているのだろうか、そんなことを聞いてくる。
「決まっているじゃないですか……、そんなの。まだ私達、二十年も生きていないんですよ?」
やりたいことも、見たいものもたくさんある。だが、それは永劫叶わない。
覚悟は決めてあった。
だが、それを、何でもないことかのように、目の前の男は言うのだ。
「じゃあ、抗えよ」
「抗えって……、あなたは知らないから言えるんです……! 最初から死ぬことを定められた人生を」
「ハハハ、馬鹿だなぁ。関係ないだろう、そんなこと」
男は、馬鹿にしたように笑う。リヴィエラは、強く拳を握りこんだ。
「あなたに何がわかるんです! ずっとずっと、十四歳になったら死ぬと言われ続けてきたんですよ!? 周りの子が無邪気に遊んでるのに……、恋をしたり、成長していく中、私は死ぬんです……。最初から、幸せなれないことが決まってるんです」
「だからどうでもいいだろう、十四歳で死ぬとかそんなのは。そうだ、君は人が何のために生まれてくるか知ってるかい?」
意味の解らない問いだった。
だが、元来素直なリヴィエラは普通に答えてしまう。
「幸せになるため、ですか?」
「違うなァ」
「じゃあ、次の世代に何かを残すためですか?」
「それも違う」
「じゃあ、いったい何なんです?」
あっけらかんと、男は言い放つ。
「――死ぬためさ」
月を背に、そう言った男はただ笑っていた。
「死ぬ、ため……?」
「そうさ。死ぬんだよ人間は、どう頑張っても。早いか遅いか、それだけだ。だから君が十四で死のうが大した問題じゃあ、ない」
「いつか、死ぬ……。で、でも、後の世に遺したものとか、子供とかが……」
「はっは、馬鹿だなァ、それこそどうでもいいだろう? お金だって栄光だって死んだら連れていけないんだ」
彼は続けた。
「死んだら関係ない。それこそ全部残して死にゆくんだからさ」
そう言いながら大仰に彼は両腕を広げた。
「どんな顔して死ねるか、それが全てなんだよ。最初っから僕たちは死に向かって歩いているんだかね」
どうでもいいことの様に軽薄に告げられる言葉はしかし、リヴィエラには重く広がった。オリアナもどうやらそうらしい。
いつも明るい彼女が、神妙な顔をして、彼の言葉を待っている。
「どうせなら、その旅路は愉快な方が良い」
「あなたも、そうなんですか?」
「そうさ、だから今、人探し中な訳さ。彼は強くってね。戦っていると楽しいんだ。でも僕も彼も、まだまだ強くなれる。だから、だから戦う。戦って、戦って、強くなって、そして彼が何物も抗えぬジャガノートと化したとき」
まるで、それは夢見る少年のようだった。
それ程に純粋に、迷いなく真っ直ぐに。
「彼に殺されて、僕は最高の死を迎えるんだ」
彼は死を語る。
「で、君たちはどうだい? 座して望まぬ死を待つなんて、生きることすら放棄していないかい? ちゃんと笑って死ねる? お兄さんは心配だなァ」
「だったらどうしろって言うんですか……!」
誰も、望んでこんなことをしているのではない。
だが、他に方法がなかったのだ。
強大な魔物に対抗できず、従うしかなかった。
そして、もし下手に刺激すれば無為に被害が広がるかもしれなかった。
「抗いなよ。死ぬまで。そして笑って死ぬといい」
そう口にすると、彼は二人に背を向けた。
「ふぅーむ、柄にもないことを喋った気がするね。まあ、行き先を聞いたお礼かな」
そう言って彼は窓の縁に足をかける。
「行き先が分かってよかった。東か、助かったよ」
そして、彼は窓から飛び降りた。
窓に駆け寄り外を見ると、走っていく人影が見える。
「抗う……」
リヴィエラは、ずっとその背を見つめ続けていた。
巨大な洞窟。
冷気が漂い、肌を突き刺す地。
その地に、その魔物はいた。
それは、白き巨大な蛇であった。
金に輝く瞳孔の細い瞳は闇を見通している。
永き時を経て、その魔物は知性を得た。
その末に悟ったのである。
好き放題に暴れて食えば、いつの日か倒される日が来る。
人は弱いが、小賢しく数が多い。
ならば、取引をして維持に必要な分を得た方がいいのではないかと。
人も家畜を育て食らう。
それは、狩りをするより高率や安定性がいいからだろう。
白蛇ガラハと呼ばれる蛇は、そうしてこの安定した供給を手に入れた。
白蛇が食するのは、十年に一度、この国の姫だけでよい。
本来であれば村や町を丸ごと食するガラハだが、それは肉を食べているのではなく、魔力を食しているのだ。
潤沢な魔力を持つこの国の王の血筋、その姫を食べれば十数年は問題ない。
それ故に、この状況はガラハにとって理想的だった。
この洞窟に訪れるのは、十年に一度、姫とそれを連れた従者だけ。
ここ百年の間は、ずっとそうだった。
「何の用だ、人間。約束の時まではまだあるぞ」
訪れた人影に向けて、ガラハは言い放った。
低い男の声が洞窟内に木霊する。
蛇に睨まれた、来訪者はしかし、肩をこわばらせる事すらなく。
自然体でこう言った。
「道に迷った。つかぬ事を聞こう、東はどっちかな?」
SHと言ったか、人間たちの扱う兵器を降りて地面に立つ男は、そのようなとぼけたことを口にしたのだ。
「……馬鹿な男だ」
「心外だなァ。いきなり初対面で馬鹿にされるとはびっくりだ」
「知らなかった、というわけでもあるまい」
どれほどの魔力を持つかわからないが、前菜程度にはなるだろう。
ガラハは悪意を持って男を睨み付けた。
「恨んでくれるなよ、人間」
「はっは、それより、ところでなんだけどさ」
男は笑ったまま、真っ直ぐにガラハを見返した。
下から睨め上げるような視線に、ガラハは一瞬動きを止める。
「この二束三文の駄剣に、ボロボロの機体。前にはでかい蛇。この状況――」
言いながら、彼は腰の剣を抜き放った。
口元だけは、笑っている。
「――なんともまァ、物語の勇者的だと思わないかい?」
約束の日が来た。
リヴィエラは、今日、遂に白蛇に食われることとなる。
「……すまない。本当にすまない」
洞窟の前。父であるレグレザール王が、沈痛な面持ちで呟いた。
妹も、隣で黙っている。
そんな中、リヴィエラだけが笑顔を見せた。
「今にして思えば。死が確定しているからとはいえ、何不自由なく過ごしました。お花も木も、私のわがままで育てました。……私は、幸せでした」
そう口にしたリヴィエラの懐には、毒を塗った短剣が忍ばされていた。
それが彼女の精一杯の抵抗である。
逃げることはできなかった。全てを見捨てて逃げたなら、死ぬまで後悔し続ける。
笑って死ぬことなどできやしない。
だから、せめて一矢報いるために、短剣を用意した。
蛇なら丸呑みだ。内側から突き立ててやりたい。
今一度胸元の感触を確かめて、彼女は父に背を向けた。
「では、行ってまいります」
二人、洞窟の中へと入っていく。
ひんやりとした空気を感じるが、誂えたこの日のための衣装は厚く、寒さはあまり感じなかった。
身を包むものは厚い方が死ににくいと判断してのことであり、気温については僥倖である。
「……オリアナ、足元に気を付けて」
「うん……」
カンテラを持って前へと進む。
そうして、しばらく歩くと、奥に光が見えた。
大きい洞窟だが、洞窟の奥は更に広い空間となっており天井には氷が張っている。
月明かりや、陽光などが氷に阻まれ弱まって照らす、神秘的な場所だ。
その広間へと出る。中には、白い巨大な蛇が横たわっていた。
胴体の直径がリヴィエラを超える程の巨体。呑み込まれるならば一瞬か。
そんな巨大な口も、横たわったまま半開きになっている――。
妙だ。そう思った瞬間、リヴィエラは気づいた。
蛇の頭部に、剣が突き立っている。
「……え?」
横たわるガラハは何も言わず、何も動かず。
死んでいる。
傷だらけで、数本SH用のブレードも突き刺さっている。
いったい誰が、と考えると、リヴィエラは不意に昨日の不思議な男を思いだした。
そう言えば、頭部に突き立つあの剣は彼が見せてくれた剣ではあるまいか。
彼女は蛇の頭に駆け寄ると、頭部の剣の柄に手をかけた。
「お姉ちゃん、危ないよ……?」
妹の制止も聞かず、リヴィエラはその手に力を込めた。
「んっ……!」
その剣は堅く突き刺さっており、中々抜けずにいたが、体重をかけて引っ張ると、遂に一気に引き抜けた。
「きゃあっ!」
尻餅を突き、手を放れた剣が硬質な音を立てて地面を転がる。
「お姉ちゃんっ、大丈夫?」
「う、うん……」
立ち上がって、彼女は剣を拾い直した。
「あ……、その剣」
怯えていた妹も気が付いたらしい。
装飾もほとんどない、どこでも買えるような剣。
だが、こんなタイミングで全く同じ別のものを見る訳がない。
何となく、確信があった。
「オリアナ、いきましょ?」
妹を見て、微笑むと彼女は踵を返す。
「うん」
どこにでもあるような駄剣を大事そうに抱えて、彼女は自分たちの家路についた。
以降、王家の傍らには常に、お守り程度の意味しかない、二束三文の駄剣の姿があったという。
晴れ渡った白き大地。
「さて……、どっちに行けばいいのかな?」
機体から降りた男がきょろきょろと辺りを見回している。
「まァ、いいか。そのうち会えるさ」
あてどもなく、男は再び歩き出す。
「僕と彼は、運命だからね」