166話 優しさの半分は血と硝煙。
ペンが紙面を擦る音だけが響くアマルベルガの執務室。
呼んで以来終始無言のアマルベルガの後ろに、コテツは控えていた。
その間ずっとアマルベルガは不機嫌そうにむくれていたのだが、コテツはそれに気付かなかった。
そのコテツと言えば、外から漏れ聞こえる鳥の鳴き声を聞きながらぼんやりと立ち尽くしている。
「ねぇ、コテツ」
やがて、アマルベルガが耐えきれなくなって口を開いた。
「なんだ」
「何か思わない? この状況」
「特に何も」
コテツは至極真面目な顔で彼はそう口にする。
「……随分、あの吸血鬼の子と仲がいいみたいじゃない」
「そうだな、関係は良好だ」
「その上で、何か思わない?」
「特には」
「……そう」
まあ、端的に言ってしまえばただの嫉妬である。
コテツに他意はないのだろうが、こうもあっさりと他の女と仲良くなられては立つ瀬がない。
(というか告白したわけでもないのに女房気取りって……、冷静になると恥ずかしくなってきたわ)
頬を朱に染めながら彼女は言う。
「じゃあ、なんだと思って私の背後にずっと立っていたの?」
「む……? 昨日の今日だからな、今日は訓練も止めて休めという意味だろう」
アマルベルガの問いに、茶化すでもなくコテツは言った。
見事に、勘違いしている。
「君は優しいからな」
「う……」
信頼が胸に痛く、そしてとても気恥ずかしかった。
今更、不機嫌である、などとアピールは無理たった。
「……そうよ。あなた、中々休まないじゃない」
「そうか。すまん」
「べ、別にいいのよ。私が勝手にやったことだわ」
罪悪感が胸をちくちくとつつく中、アマルベルガはかろうじて平静を装う。
「アミィ」
「へっ?」
「手が止まっているが、大丈夫か」
しかし、アマルベルガは平静を装っているその実、何も手についていなかった。
手は止まり、ペンは宙に浮いたままだ。
(……私がこんななのに、何でこの人はこうも冷静なのかしら。不公平だわ)
そう思うと、先ほどの不機嫌さが少しだけ帰ってきた。
少しだけ眉間にしわを寄せ、小さくため息。
「疲れちゃうわね」
「疲れているのか」
ぽつりと小さく呟いた言葉だったが、コテツはそれをしっかりと聞いていたらしい。
「いえ、大丈夫よ、そういう意味の……」
そういう意味の疲れではないと言おうとして、彼女は途中で止めることにした。
口から出てくるのは、まったく反対の言葉だ。
「そうね、ちょっと疲れているわ」
「やはりか」
「だから、あなたも私に優しくするといいと思うの」
激しく私情を挟みつつ彼女はそう言った。
(どういう反応をするかしら)
期待がなかったと言えば嘘になる。
しかしまあ、コテツのことだから、という思いも確かにあった。
「優しく、か。分かった」
そんな中、想定より幾分素直に彼は頷く。
そして、彼はアマルベルガにこう聞いた。
「では、何を殲滅すればいい」
真顔で、物騒なことを聞く。
やはり彼は彼だ。それ以外にいいようがない。
「……やめなさい」
「む、だが俺にできることなど他にほとんどないぞ」
「優しさが斜め上すぎるわ。そう言うのは無しで」
頭痛でもするかのようにこめかみを押さえてアマルベルガは言った。
「ふむ、ではどうすればいい」
「……何か違うわね」
考えていた思惑とずれを感じ、彼女は首を傾げる。
「何がだ」
「なんかこう、もっとさりげなくというか……、これじゃあ私がお願いしたみたいになるじゃない。それよりももっと自主性を重んじた、ほら、わかるでしょ?」
「わからん」
即答で言い切るコテツに、言い聞かせるように彼女は言った。
「あなたはそう言う人だったわ。要するに、自分で考えて行動して欲しいの」
「だが、それでは君の望む行為は難しいぞ」
「ねぇ、ノエルがいるでしょう? あの子、あなたの事を思って色々してると思うのだけど。結構的外れな事も多いんじゃないかしら。それって、心の底から迷惑?」
「困りはするが、そこまでではない」
「それでいいのよ。考えて、自分のためを思って何かをしてくれたら。結果がどうあれ、思いやって頑張ってくれるのは嬉しいのよ」
「ふむ」
納得したのだろうか。相づちを一つ打ってコテツは黙り込む。
「了解した」
「別に他の人にアドバイスを求めても構わないわ。でも過程も大事でしょう? いきなり答え合わせをしては、勉強にならないわ」
「上手く行くか分からんが、やってみよう」
戦闘の時と違って弱気な事を言うコテツに、アマルベルガは微笑みかけた。
「大丈夫よ。あなたが私にしてくれることなら、多分、何でも嬉しいから」
「アマルベルガ様にしてさしあげられること、ですか」
コテツが最初に助言を求めたのはメイド長だった。
「ああ、何かあれば教えてくれ」
もっともアマルベルガの側にいる時間が長いのは彼女に他ならない。
最近のアマルベルガの様子を見て、何かないかとコテツは彼女に聞いていた。
「最近は……、そうですね、少し、疲れていらっしゃるようですが」
「やはりか」
「あまり寝ておられないようです。現状を思えば仕方がないとはいえ、少々度が過ぎるかと」
「なるほど。だが、執務においては力になれる事がないな……」
手伝ってやることはできないし、できることと言えば敵を殲滅するくらいだが、それも断られた。
「しかし、そろそろ休んでもらわなければ体調を崩してしまうところまで来ています」
「そこまで忙しいのか?」
「そういう時期でもありますので。ただ、一日程度でしたら、余裕を作ることは可能ではないかと思います」
しかし、と彼女は続けた。
「生来生真面目な方で、こういった状況となると、素直に休んでもらえないのです」
「……なるほど」
「ですが、コテツ様の言葉なら聞いていただけるかもしれません」
コテツはその言葉に対し、考え込む姿勢を見せる。
「俺の言葉だからといって、聞くとは思えんが。だが、やってみよう」
「私も協力致します」
「よろしく頼む。俺は、彼女を休ませる方策を考える」
素直に彼女が休むとは思えない。
だが、彼女はコテツに考えろと言ったのである。簡単に諦めていては何も始まらない、
コテツは、メイド長に背を向け、部屋に向けて歩き出した。
執務中のアマルベルガ。その背後に、コテツは今日も控えていた。
一言も発さないのに、背に突き刺さる視線が何とも痛く、誤魔化すようにアマルベルガはペンを走らせる。
(……どうしたのかしら)
微動だにせず、コテツは立ち続ける。
非常にリアクションが取りにくかった。
しかし、そんな折、ついにコテツが声を上げる。
「アマルベルガ、少し立ってくれ」
「別にいいけれど、どうして?」
特に拒否する理由もないのでアマルベルガは椅子を引きながら立ち上がる。
「そのまま、前を向いていてくれ」
彼女は不可解な要求を不審に思いながらも、言われた通りにする。
その瞬間だった。
「……え? え?」
後ろから、抱きしめられている。
首元に回された手と、密着した体から、彼の体温を感じる。
「アマルベルガ」
耳元で、コテツが囁く。
「な、なに?」
思わず、上ずった声が上がる。
(前を向いてろって、正面からは恥ずかしいからってことなの!? どういうことなの!?)
心臓が激しく跳ねる。顔が真っ赤なのが、触れることも見ることもなくわかる。
彼の声が彼女の鼓膜を振るわせた。
「寝ろ」
「え」
そして、コテツの腕に力が篭る。
極めて円滑に、きゅっとアマルベルガは締め落とされたのだった。
目が覚める。なぜか、光が酷く眩しかった。
「ん……」
「目が覚めたか」
そのよく聞き知る声に、アマルベルガの意識は一息に覚醒した。
「コテツ?」
「そうだ」
そして、見れば寝ていたのは自分の寝室である。
そう、そう言えば自分は、突如コテツに後ろから抱きすくめられ……。
思い出して、少し頬が熱くなる。
(そう、抱きしめられて……)
ぐいっと首を絞められてあっさり気絶したのである。
「……何やってるのよ」
唐突に冷静になるアマルベルガ。
この男がいきなりそんなロマンティックな事をするわけがなかった。
(仕事に戻らないと……)
そして、呆れると同時、アマルベルガはすぐさましなけれなばらないことに思い当たり、身を起こそうとして――。
それは叶わなかった。
コテツに肩を掴まれ、押し倒されたからだ。
「え……?」
真剣な瞳で、コテツにのぞき込まれ、また、心臓が早鐘を打ち始める。
(もしかして、そういう、そういうことなの……?)
アマルベルガも、コテツを見上げ返す。
熱っぽい目で見上げるコテツの真剣な顔は、いつもの三割増しで格好良く見えた。
(もっと、時間とかムードとかあると思うんだけど……、でもこの人だしね)
そして、この流れに不満はあるも、変な納得を覚え、彼女はこう口にした。
「優しく、してね……」
「そのつもりだ」
力強く、コテツが肯定する。
これは本気だ、とアマルベルガがついに覚悟を決める。
生唾を呑み込み、手を強く握りこむ。
そして。
コテツは彼女の肩から手を離し、ベッドの横に直立する体勢に戻ったのだった。
「え?」
「む?」
思わず身を起こそうとするアマルベルガ。
そして再び、コテツはそれを押しとどめた。
「ねえ、コテツ」
「なんだ」
「これはいったいどういう状況なの?」
「なるほど、説明が不十分か」
不十分もなにも全く説明してないじゃない、という言葉は飲み込む事にした。
そして、彼はしれっと言う。
「働きすぎだ。寝ろ」
簡潔な二言。
そこでやっと、彼女は大体の事情を把握した。
「えっと……」
「安心しろ。メイド長の支援により、この一日くらいなら休んでも問題ない」
「でも、少しでも……」
「知ったことではない。今日の俺は君の睡眠を妨害する全てと戦うと決めた」
「いったい何と戦ってるのよ、あなた」
「君の睡眠を――」
先ほどと同じ言葉を紡ごうとしたところに、どたどたと騒がしい足音と、楽しげな鼻歌が聞こえてきた。
「ふんふーん。ヨハンナちゃんは今日も楽しいお掃除ー! 昨日も掃除、明日も掃除! 18連勤……、ここからが本当の地獄だ……!」
コテツが、部屋の外に向かって歩き出す。
「少し待っていろ」
開く扉。コテツが廊下に出た。
静かに扉が閉まると同時、こちらからはコテツの姿が確認できなくなる。
「止まれ」
が、何をしているかは簡単に想像が付いた。
「ふんふー……、えっ」
「声を出すな。足音を立てずに速やかにこの場を立ち去れ。さもなければ、発砲も辞さない」
哀れ、ヨハンナは今頃額に銃を押しつけられているのだろう。
「ちょ、え?」
「動くな、声を上げるな。肯定なら瞬きを二回」
廊下から聞こえる女性の声がぴたりと止まる。
「それでいい。ゆっくりと足音を立てないように戻るんだ」
その声を最後に、音は聞こえなくなり、やがてコテツが部屋へと戻ってくる。
「起きていたのか」
「そりゃぁ、ね……? あなた、ヨハンナに後で謝っておいてね?」
「む? 了解」
分かっていない顔でコテツはあっさりと了承した。
「そう言えば、話の途中だったな」
そうして、コテツは割ともうどうでもよくなった話を口にする。
「君の睡眠を妨げる全てとだ」
「あー、うん……、なるほどね? それがあなたなりの優しさと」
「ああ」
「そう。私が言っても、曲げてくれない?」
「優しさは時に厳しいものでもあると聞いた。本人の要望に応えるだけのものでももないとも」
入れ知恵したのはメイド長辺りだろうか。
確かに、働きすぎている感はあるが、体調管理はしっかりとしているつもりだと言うのに。
だが、それと同時に。
(嬉しいのも確かよねぇ……)
自分の言葉があったからとは言え、彼が自発的に自分を思って何かしてくれているのは、少々強引だが嬉しい。
(別にぜんぜん夜食でも作ってきてくれるだけでもいいのに)
しかしながら、少しばかり過激すぎる気もする。
ヨハンナなら大丈夫感があるが、他のメイドだったら失禁と同時にトラウマを残しかねない。
「コテツ」
「なんだ」
「とりあえず大人しく寝るわ」
「それはよかった」
「代わりにお願いがあるの」
「応えよう。何を排除すればいい」
「なんでそう物騒な方向に行くの」
ため息をつきながら、アマルベルガは言った。
「ちょっとこっちに来なさい」
言われるがまま、コテツはベッドのすぐそばまで歩み寄る。
アマルベルガは寝返りを打って、コテツの方を向いた。
「座って」
その言葉の通りに、コテツはベッドに腰掛けた。
そしてアマルベルガが、その手を取る。
「手、握ってて」
「む、だがそれでは、脅威を排除できん」
「女王の部屋なんて早々人も来ないわよ。それにね、あなた、私の安眠を妨げる全てと戦ってくれるんでしょう?」
「ああ。だが、そのために――」
「人が寝てる横で立ってられたら寝にくいのよ」
「……そうか」
「銃をこめかみにもっていこうとするのやめて」
ぴたりとコテツの動きが止まる。
「とりあえず、私の安眠を守ってくれるなら、そのままでいて」
「君の言う通りにしよう」
「それと、こっち向かないこと」
言いながら、彼女はコテツの手を手繰り寄せた。
「何故だ」
「女の寝顔をジロジロ見るのはマナー違反だからよ」
「そうだったのか。了解した」
コテツはそこから微動だにしない。
(まったく興味を示してくれないのも複雑ね……)
手繰り寄せた手、その指先にキスをする。
「おやすみなさい」
「ああ、ゆっくりと休め」
その言葉と共に、アマルベルガは瞳を閉じた。
ぼんやりとした意識の中、目が覚める。
自分の部屋。いつの間に寝ていたのだろうか。
「ん……」
「起きたか」
意識がはっきりしない中、コテツの声が聞こえた。
「……コテツ?」
「どうした」
好きな人の名を呼ぶ。その響きは寝起きには何とも甘美で、脳が蕩けた気がした。
しかし、どうしてここにコテツがいるのだろうか。
「……コテツ」
心当たりがないまま身を起こす。
意識は半覚醒のまま、どうにもコテツが目の前にいる理由がわからず。
(あ……、夢ね、これ)
そう考えたアマルベルガは、徐にコテツに抱き付いた。
「ん……」
感じる体のぬくもりが心地よくて、更なる眠りを誘う。
「……アミィ」
呼ばれる声が耳朶を叩き、意識は更に蕩けていく。
「ねぇ……、コテツ」
「なんだ」
「もっと」
「何がだ」
「もっと私を見て」
ずいぶんと恥ずかしいことを言っているが――。
夢だから、いいかと。
「目を、離さないで」
ぎゅっと、更に力を籠めて抱きしめる。
そして、眠気は再び最高潮に達し――。
「了解。できるだけ、君を見ていよう」
そんな声を耳にしながら、彼女は意識を落としたのだった。
翌日、目が覚めて自分が寝ぼけてしたこと、言ったことを思い返し、真っ赤な顔で枕を叩くアマルベルガの姿があったという。
発売日も近いので、二本くらいしか完成してませんが、告知もかねて。
と、いうことで、11月29日発売の異世界エース第一巻は、まず巻末に設定資料集が付きます。
計十ページです。
次に、巻末書下ろし書きました。
ページギリギリってところまで頑張りました。
コテツ過去編、「鋼の残響音」です。
ちなみに今回コテツが乗るのはシバラクではなく完全新規機体になります。
それが、こちら。
ラフなうえに描きかけで申し訳ないですが、概要は以下の通り。
Ra-09 チェストストライカー
極めて高い機動力を持ち、中、近距離戦で進化を発揮する。
基本武装は外付けの武装に頼る。
基本的にはアサルトライフルやプラズマカッターを装備している。
バランスよくまとまった高性能エース機。
と、いうのは仮の姿。
その実態は腕一本を使用して放つ内蔵兵装、通称レールバンカー運用のためだけに製造された変態エース機。
電磁誘導式、腕一本を連結した中で加速して放たれる長大な杭の初速は光速を突破する上、連射が可能。
高速で杭が出入りし、秒間10発のパイルを発射できるが五秒で腕が自壊する。
対バリアコーティングによるバリア無効。一点の破壊力なら最高峰。
エース機でも直撃すれば撃墜は免れない。
変態向け。
と、いう感じです。
よければ書店でお手に取ってみてください。