165話 明るい光の中で。
結局、つつがなくディスタルド領の引き継ぎは終わった。
ディカルドの仕事はこれからなのだろうが、もうコテツの領分ではない。
「エトランジェ様」
廊下で声をかけられ、振り向く。
背後に立っていたのはディカルドだった。
「どうした」
「どう、と言うこともないのですが、あなたにお礼がしたくて」
「なんの礼だ」
再び廊下を歩き始めたコテツの隣に、ディカルドが付く。
「あの街で、してくれたこと全般に、ですよ。生憎お金ももうあまり持っていないのですが……」
「特に必要ない」
言い切って歩き続けるコテツに、ディカルドがあまりにも捨てられた子犬のような顔をするものだから、コテツは彼の方を見ないで口にした。
「食事でも行くか。場所と支払いは任せる」
「は、はい!」
ディカルドは、嬉しそうに目を潤ませている。
まるで大型犬か何かのようだ。
「エトランジェ様はこの辺りになにか行きつけの店などは!」
「大通りに面した店だ」
「そうなのですか。いいなぁ、行ってみたいなぁ」
隣を歩くディカルドには、今一つ落ち着きがない。
(……苦手だな)
心中苦々しく思いながら、コテツは歩みを続けた。
「ところで、あの吸血鬼の方はどうなったのでしょうか」
「さてな。彼女の存在は何かと都合が悪い。吸血鬼の女性など最初からいなかった。そういうことだ」
「そう……、ですか」
貴族の屋敷に幽閉されていた吸血鬼。絶滅しかけている種族であることに加え、亜人の一種であること。貴族が幽閉を行なっていたこと。
非常に立場が複雑である。保護するのも、公式に放逐するのも面倒だ。
そしてそんな面倒事を背負い込む余裕は城にはない。
「それでは、失礼します」
ディカルドが、その場を離れ、コテツは自室の扉に手をかけた。
吸血鬼など、最初からどこにもいなかった。
それが結論だ。この世界は、亜人に優しくない。
コテツは無言で扉を開いた。
「やぁ、良い朝だね」
「アンリエット……、今はもう昼だ」
銀髪の少女が、コテツのベッドから身を起こした状態でコテツを見つめていた。
「ああ、これは参ったね。獄中生活が長くて、体内時計がおかしくなっているようだ」
時計もなく、朝も昼も分からない牢獄では、眠くなれば寝るくらいのものであって、起きる時間もその時次第というものだ。
「生活習慣からどうにかしないとね」
そう言って彼女はベッドから降りた。
彼女は、間違いなくアンリエットだ。
吸血鬼は、いなかったことになっている。
城は吸血鬼を保護も放逐もしていない。
エトランジェが、巻き込まれた少女を一人保護しただけだ。
ただし、事件に巻き込まれたショックにより、記憶を失ってしまった少女がすべてを思い出し落ち着くまで、エトランジェが預かっていることになっている。
無論、目の前の彼女に思い出さなければいけない忘れてしまった記憶などないので、彼女がすべてを思い出す日は永遠に来ない。
思い出すのはアマルベルガとの会話だ。
『吸血鬼? 馬鹿ね、そんなのいるわけないじゃない。姿に見合わぬ怪力? ほら、うちにはターニャがいるでしょう』
そう呟いた彼女は目を合わせようとしなかった。
『実は年上? ずいぶん若く見えるのね。あなたもそうだし意外といるんじゃない?』
決して目を合わせずに明後日の方向を見たまま口にする彼女は、そういう方向で押し通すつもりらしい。
『牙? ええ、チャームポイントの八重歯ね。可愛いんじゃない?』
大分アマルベルガも苦しげだ。
『血を飲む? 貴族の美容法としてはそれなりにありがちね』
『……それでいいのか』
『じゃあ聞くけど。首を落とせば死ぬし、心臓を撃ち抜けば死ぬし、脳を破壊すれば死ぬし、大量に出血させれば死ぬし、首を絞めれば死ぬのよ。どの辺りが人と違うのかしら』
『あまり変わらんな』
『……そこで納得するのもどうかと思うわ』
以上が彼女と交わされた会話だ。
公的な扱いで言えば、彼女はただの少女でしかない。
そんな会話を思い出しているコテツに、ふと彼女は溢した。
「ああ……、それにしても喉が渇いたよ」
「そうか。水を持って来よう」
動き出そうとするコテツに、掌を向けて彼女は制止する。
「いや、違う。そっちじゃないんだ。貴方の血が、飲みたいな」
今はゴシックロリータ風の服に身を包み、その上からコテツの軍服を羽織った彼女が愛らしく首をかしげる。
「……友人の血は吸わないんじゃなかったのか」
「うん、それが問題だったんだ。私は貴方の血を飲んでしまったんだよ。貴方を食糧にしてしまった。これは私にとって土台を揺るがすような出来事なんだよ」
言って、彼女は一歩前に出る。
「貴方は私の大切な人だ。食糧じゃあない。なのに私は貴方の血を吸ってしまったんだ。吸血する相手の選別は私にとって、貴方が今日の夕飯をどうしようかと考えるのと変わらない。今日の夕飯はソテー、明日はムニエル、なんて、大切な人の扱いじゃないんだよ」
緊急時だったから仕方ないとコテツは思うのだが、それでは納得できないのだろう。
あるいは、必要だったと納得できたとしても、感情を抑えきれていない。
「発生してしまった矛盾を解決するために、私は一つ方策を思いついた」
背伸びしてコテツの首元へ手を伸ばす彼女に、彼は前かがみになった。
「私はこれから生涯、貴方の血だけを吸って生きることにする」
アンリエットが、コテツの首に手を当てる。
「永遠に、貴方だけを。これからずっと、貴方だけから、生きる力をもらう」
そして、彼女はコテツの首筋にキスをした。
「それはまるで、愛のようだね?」
アンリエットが、コテツの首筋を噛む。
「……ん」
首から漏れ出る血液を彼女が吸いあげる。
首を這う舌の感触が生暖かい。
「好きにさせてくれるんだね……。貴方は、いったい何がしたいんだろう」
首を噛まれたまま、コテツは考える。
「類似例に干渉することで起こる結果を、自分にも適用できないか考えた」
アンリエットとコテツは境遇が似ている。
そんな中、彼女が何か道を見出せるなら、同じようにすれば自分も道を見出せるのではないかと。そういうことを考えている。
「もっとわかりやすくならないかな。貴方は基本的にわかりやすいんだけれどね……、んっ……」
言われてコテツは脳裏で言葉を選ぶ。
「端的過ぎて、逆に難しいことがあるよ……?」
つまるところ、コテツは彼女をどうしたいのか。
「俺は、そうだな……」
自答の結果、コテツは簡単な言葉を口に出した。
「君を幸せにしたいんだ」
アンリエットが、驚いた顔をして、首から口を離す。
「……貴方は、本当に。なんというか、様々なものを端折った上にさらに端折りすぎた説明なんだと思うけれど」
恥ずかしげに彼女は顔を俯かせた。
「まあ何にせよ、そういう風に言ってくれることは、嬉しいよ」
そして、再び上げた顔には笑みが浮かんでいる。
「貴方に、何を返せるかな、私は」
「気にするな。俺は君をテストケースとして利用しているだけだ。君が上手く行けば、ひいては俺のためになる」
「もう少しわかりやすく言うと?」
「ふむ。そうだな」
考えて、可能な限り簡潔にした言葉を返す。
「君の幸せが俺の幸せだ」
「……貴方はあまり端折らない方がいいね。多分。それとも、本当に口説かれちゃってるのかな」
察したような声。
「ふむ?」
「そこでわからないって声を出されちゃうとね……。まあ、大体わかった。似てるから、参考になるかもってことだろう?」
「ああ」
どうやらあまりにも色々と置いてけぼりにしたコテツの発言を、どうにか読み取ってくれたようだ。
「まあ、でも、うん。そうだね……、つまりあれだ。君に倣って言うならば、こういうことだ」
彼女が、耳元でささやく。
「一緒に幸せになろう――」
そして彼女は、今一度コテツの首筋に口づけをした。
というわけで、今回も終了です。
前回のInteruptが三本しか書けなかったので次は大目に行きたいです。
ついでに、今回アマルベルガクラスのコテツ通訳じゃないと翻訳できないワードが飛び出しましたね。
原文「君を幸せにしたいんだ」
和訳「私は現在生きる道を模索しておりますが、五里霧中と言った状況でありまして、何か指標を得たいと思っております。それにあたり、似た境遇の貴方をテストケースとして干渉していくことで今後の参考にしようと思います。さしあたっては、貴方を幸せにしてみようと思います」
原文「君の幸せが俺の幸せだ」
和訳「先のテストケースの件が上手く行き、それを私のケースに適用することができた場合、結果的にひいては私の幸せになるのではないかと思います」