163話 カラミティ
初めて、麻薬の取引に関わったのは14歳の時だった。
なんとなく、父が後ろめたいことをやっているのは気付いていた。
彼は、酷く怯えていたのだ。
必要性の薄い格納庫も、屋敷内の過剰な戦力も、怯えていたからだ。
だが、父はあっさりと死んだ。
麻薬中毒者の男が、街を視察中だった父を刺した。
錯乱した男の勢いはすさまじく、止めようとした護衛を振り切って、あっさりとナイフを突き立てたと言う。
結局、父はそのまま死んだ。
この時まだ、ディカルドは父の裏の顔を確かめた訳ではなかった。
だから、このままディカルド何も知らないままただの領主になる、はずだった。
仕事を引き継ぐ書類の中に混じっていた取引の詳細。
それを見るまでは。
『どういうことだ!』
そう、彼は叫んだ。呼び立てたマクスウェルにだ。
『父君の仕事です。そしてこれから、あなた様の仕事になります』
この時ディカルドは突っぱねた。
『ふざけるな! 領主である僕がこの街を腐敗させる手助けなどできるわけがない!』
この時は確かに思っていたのだ、受け継いだ街を、領を、立派に守ってみせると。
『それは困りましたね。……どうしてもやっていただかなければならないので!』
圧倒的な膂力で首を掴まれ、ディカルドは壁に叩きつけられていた。
『うぁっ! ……あっ、が……、はぁ……、はぁ……』
首が締まって息ができなくなってきた辺りで、マクスウェルは凄んで見せた。
『協力するか死ぬか、お好きな方を。死にたくなければ首を縦に』
酷く息苦しくて、視界が霞む。酸素が足りないのか、涙で滲んでいるのかも判然としない。
『面倒なので三秒以内にお願いします。三秒を超えたら……、首を折ります』
ずっとディカルドは、この男のことを職務に忠実な男だと思っていた。
『どうします?』
だが、彼が忠実なのは、欲望に過ぎなかったのだ。
「……僕は」
ディカルドは固く瞑っていた目を開き、思い出していた情景を脳の隅に追いやる。
「さて、ディカルド」
招かれた、いや、呼び出された城の一室。
机を挟んでアマルベルガがいる。
(僕とそう年も変わらない……)
ディカルド以上に政敵も多かったはずだ。
酷く難しい立場に彼女は立っていた。
だが、彼女は真っ直ぐに立っている。
それが、まるでディカルドの全ての罪をつまびらかにしているようで、彼は奥歯を噛みしめた。
「あなたの罪は重いわ。わかっているわね」
国で禁止された薬物を無断で購入し、街にばら撒いた。
非合法の組織との関わりもある。
ディカルドは、重く頷いた。
「極刑に処すことになる。それもわかっているわね」
再度、頷く。覚悟はあった。
無念ではある。だが、それほどのことをした。
唇を噛みしめて、アマルベルガを見る。
だが、その後に続いた言葉は、予想外のものだった。
「それなんだけど。生きてみたくない?」
「は?」
「うちは慢性的に人手不足。あなたを殺すとあなたの街を統治するのが大変になる。そして、割とあなたの手腕は悪くない」
何という好条件か。
すぐさま飛びつきたくなるような話だったが、しかしディカルドは口を開けなかった。
自分が生きている事は、許されるのだろうか。
そんな彼に、アマルベルガは言った。
「ただし。領主も伯爵もやめてもらうわ。公的には死んだことになる。そして、裏方で指示だけ飛ばすことになるの」
家は取り潰しになるのだろう。爵位もなくなる。
その上で代理か何かを立てて指示だけを行う、それは即ち。
「何をしてもあなたの功績にはならない。どんな善政を敷こうが、どんな活躍をしようが。たとえ、国難をたった一人で解決したのだとしても、あなたの名前は歴史に残らない」
アマルベルガの視線が、冷たくディカルドを貫いた。
「あなたのしたことすべては、別の誰かの手柄になる。あなたは死んでも報われない」
それでもいいかと、彼女は視線で問うてきた。
今後の人生の手柄すべてが、他の誰かのものになる。
誰にも認められることはない。
「生きたい?」
唾を呑み込んで、彼は周りを見た。
王女の背後に控えるように、コテツが。
その隣に立ち会うように、吸血鬼が立っている。
「僕は」
吸血鬼の彼女と、視線が交錯した――。
「……生きなければ」
自分に言い聞かせるような言葉だった。
逃げるな、と心の中で呟く。
「死ぬなら、もっと早く死ぬべきだったんでしょう」
何が、自分は恐ろしかったのだろうか。
あんなにも死が恐ろしくて、マクスウェルに従ったというのに、罪に押しつぶされ、死にたいと願う。
「生きてしまった。他人の命を踏み台にしてしまった。これで何も成し遂げなければ……、死んでも死にきれない……!」
拳を強く握って、ディカルドは肩を震わせた。
「死んで詫びないなら、楽に死なせてはあげないわよ?」
「……勝って死にます。それまで、戦い続けます。その人の様に」
そう言ってディカルドはコテツを見つめた。
ずっと羨ましかったのだ。自我を持ち続けられるその強さが。
「そう、じゃあ、コテツから何かある?」
アマルベルガが微笑んだ。
「特にない。彼が死ぬまで戦い続けるつもりならば、彼は俺の戦友だ」
「わかったわ。じゃあディカルド。あなたは今日から家名を捨てて私に仕えなさい」
「謹んで、お仕え致します」
「では、最初の命令を与えましょう」
そう言ってアマルベルガはコテツへと視線を向けた。
「コテツを貸すわ。街には詳しいんでしょう? 叩き出しなさい」
「ずいぶん困ったことになってるみてぇですな」
「はっは、我が主は今頃、というところでしょうね」
郊外のリベンティオの屋敷に、マクスウェルはいた。
「……あんたも、でしょうよ」
不遜に机に脚を乗せたリベンティオを見下ろしながら、マクスウェルは呟いた。
「これはまた、異なことを。なにも問題ありませんよ。少しすれば我が主の代わりが来る。それまで身を潜めて、待つだけですよ」
「警戒は強まってるでしょうが」
「隠れる必要性は増しますね。しかし、それだけのことです。後は一人になったところで脅して、元通り。人間は弱いですからね。実際、ディカルド様でなくても良かったのですよ。元より、駄目だったら早い所殺して次を待つ予定だったんですから」
「そううまく行くのかね」
「行くんですよ、これが。困っちゃいますねぇ。女王は馬鹿ではないのですよ。だから、効率的な手を打ってくるでしょう。頭を挿げ替える以上のことはしてこない」
自信ありげに彼はそう言った。
「この街の兵士の多くは私の息がかかっている。事を構えれば、この街の過剰な戦力と戦わなければならない。一息にこの街を手中に収める戦力を割く余裕はないはずです。よしんば攻めてきたとしても、簡単にこの街は落とせません」
「自信満々……、でも果たしてそうでしょうかねぇ」
「そうなのですよ。街の作りもそうなっている、いえ、そうしました。並の城塞都市ならば凌ぐ程度に」
それは、リベンティオもわかっていた。
攻めにくい、複雑な道や、各地の詰所。どれも怖がりで、常に怯えていた先代領主が造ったものだ。
徹底的に進軍が鈍るようにつくられた防衛向けの街だ。
「しばらくは持ちこたえますよ。ですが、国内情勢を鑑みれば、そんな内患はお断りでしょう。望むのは短期決着か、小康状態の継続です」
よって、女王は軍を率いて攻めては来ない、と。
「なるほどねェ……、しかしアンタ、こういうことは考えてないのかい?」
「なんです」
「もしかすると、とんでもなく強いエトランジェが簡単に想定を超えてきちまう、とか」
「それはないでしょう」
リベンティオの言葉を、マクスウェルは笑って流した。
「何を馬鹿な。所詮人間ですよ。人間ごとき、一人で何ができると言うのです。吸血鬼一人捕まえるだけで、徒党を組まねばならないような者ですよ?」
「ふぅん……? まあ、実際戦ってる所を見た訳じゃあないんでしょうがねぇ……」
「とかく、それで決着です。引き続き麻薬取引は続けられ、私の懐が潤う」
「さいで……、まあ俺は……」
言いかけた所に、マクスウェルがかぶせてくる。
「ところで、前来た時より数段調度品が減ったようですが」
「……ああ、それはだな」
説明しようと口を開きかけたその瞬間。
唐突に姿が消えたと思ったら、胸倉を掴み上げられていた。
片手で軽々と大の男を持ち上げる身体能力をまざまざとマクスウェルは見せつけている。
「……降ろしてくれやーしないでしょーかね」
「降ろしませんよ。退場なんてもっての外」
マクスウェルが降ろさない、と言ったのはもう一つの意味だろう。
この勝負から降ろさないと、彼は言っている。
「麻薬の売人は続けてもらいます」
ぐっと更に力が籠り、息苦しさを感じた。
「まだまだ金が必要なのですよ。私の復讐には。気高い吸血鬼を人間の分際で召使などと貶めた罪を知らしめ、償わせねばなりませんので」
「……もうご本人はご存命じゃないでしょうがね」
「知ったことではない! ここで金を溜め、ゆくゆくはこの国を掌握して見せる……! そして最後は吸血鬼の気高さを世に思老い知らせてやる! 邪魔をするならば、容赦はしない」
息苦しく、薄れそうになる意識で、リベンティオはぼんやりと考える。
(変なプライドと、亡くした一族の誇りが厄介な感じで混じりあってやがる。しかもそれが……、不可能じゃないと思って)
現状で国家転覆の夢は、現実的ではない。
今マクスウェルがやろうとしていることは、普通人間が選ばない手段である。
なぜならば、今の調子で金を集めたとして、八十年経っても十全な金は手に入らないだろう。
これでは、人間は目的を達成する前に死んでしまう。そのために、他の案を探す。
だが、マクスウェルは違うのだ。
二百年でも三百年でもかければいいと考えている。吸血鬼であるが故に、時間の間隔が人間とは致命的にズレている。
「アンタに逆らうつもりはありませんや……、離してもらえやすかね」
ぱっと手が離れて、リベンティオは尻餅を突いた。
「じゃあ、アンタに一つだけ。忠告しておきましょうかね」
立ち上がりながら後頭部を掻いて、彼は告げる。
「人間、見えてない場所の方が多い。見下してばっかりいると、上が全然見えてないってもんでしょうよ」
「いったい何を言っているのですか人間など、見下されるべき――」
天を指さし、その先をマクスウェルが視線で追った。
「遺跡で罠探してるんじゃあねえんだ! 上の方が危ないぜ!!」
刹那、鈍い輝きが天井を走る。
マクスウェルの視力なら見えただろうか。
リベンティオには早すぎて見えなかったが、あれは。
――刀だ。
屋根が、吹き飛ぶ。
「……なあ、アンタ、うちの屋根に恨みでもあるんで? 直したばっかりなんですがね」
『他意はない』
ディステルガイストではない、もう一つの白黒の機体。
あれは、シバラクと言ったか。
マクスウェルが固まり、慄く中、先ほどまで屋根があった場所から、機体の腕を伝ってコテツと、もう一人の吸血鬼が降りてくる。
「さて野郎ども! ずらかるぞ!!」
リベンティオは迷わず走り出した。
これで仕事は終わりだ。協力の代わりに見逃してくれるのだからこの機を逃す手はない。
「できるだけ遠くにだ! できれば二度とこのエトランジェ殿と関わらないような場所にな!」
蛇足編スタート。どうやら逃げられなかったようです。