161話 名前
(あざみの到着が遅れている。援護に向かうか……?)
気配を感じるように、あざみの位置取りを察したコテツは、まだ彼女が格納庫に到達していないことに気付いていた。
どうせコテツとあざみが揃っていれば、ディステルガイストは呼び出して、動かすことができる。
それならば、あざみの下に直接向かっても構わない。
「いたぞ! 奴を止めろ!!」
だが、そうは行かなかった。
コテツを見つけた屋敷の兵士、七人が立ちはだかる。
「邪魔だな」
迷わずに接近すると、コテツは彼らをバルディッシュで薙払った。
当たったのは二、三人だが、他の兵士も慌てて横へと逃げる。
散り散りになる兵士には目もくれず、コテツは走った。
「強いね……、実は貴方、吸血鬼なんじゃないかい?」
「人間だ。多分な。流石に、生身でSHには勝てんぞ」
背後からの地響き。
『止まれ!』
SHが来ている。
「流石に吸血鬼でもSHには勝てないよ」
「そうか」
走りながらコテツは考える。
(このままあざみの下まで逃げ切るか? それとも)
背後に着弾する魔術を速度を上げて避けながら、コテツは言った。
「格納庫に使えるSHはあると思うか?」
「私だったら全員出撃だ」
「だろうな」
格納庫の方が近いのは確かだ。
SHがあれば反撃できる。SHがあれば、だが。
あざみの下までたどり着ければ確実だが、距離がありすぎた。
下に兵士たちがいるためか、相手はSHを走らせようとしない。
だが、ここを離れればそうも言ってられないだろう。そしてSHが走れば流石に振り切れない。
(時間を稼いであざみの到着を待つ方に賭けるか……)
コテツは、速度を上げて格納庫を目指す。
「少し揺れるぞ」
「うん……」
彼女はしっかりと体を預けてくれている。
コテツはそのまま駆け抜けると、格納庫に到達した。
即座にコテツは扉横の操作盤を叩いて、SH用の扉を閉める。
整備員達は既に避難が済んでいるようで、格納庫内には誰もいなかった。
整備員は、どうやらこの屋敷の裏の顔とは関わりがないようだ。
開いたままのSH用の扉をそのままに避難してしまったのだろう。
「……やはり全て出払っているか」
見渡しても、SHの姿はない。そこに、ディステルガイストが立っているだけだ。
(袋小路だな。一旦身をひそめ、内側に誘い込む。引き込んで、隙を突いて外に逃げるか)
コテツはこれからの算段を立てた。袋小路のように見えて、だが、流石にSH用の格納庫だ。
扉が閉まりきった今、向こうはすぐには中に侵入できない。
少しの時間稼ぎにはなる。
「あれは……?」
力なく、吸血鬼がディステルガイストを指さした。
「あれはアルトだ。俺の乗機だが……、俺のエーポスがいない」
動いていれば頼もしい相棒も、今この時ばかりは、役に立たない木偶の坊だ。
(逃げ切れるかは、賭けになるが……)
ちらりと、コテツは腕の中の彼女を見た。
(どうにかして見せよう)
コテツが扉を睨み付け、動き出そうとしたその時。
「動かせるかもしれない」
彼女は言った。
「何?」
アルトはエーポスとパイロットが揃って初めてスペックを発揮する。
そして、パイロット不在でもひどく緩慢に動くことができるが、エーポスなしでは動かない。
重要な基幹部品がごっそり抜き取られたようなものだ。
「アレに乗っているということは、サブAIは知っているかい?」
「ああ、知っている」
「サブAIの役目が、エーポスが万一死んだときの保険だということは?」
「さわり程度は」
「私はあれを、一度動かしたことがある」
彼女が身じろぎし、コテツはそれに応えて彼女を地に降ろした。
「エーポスが死んだアルトに魔力にものを言わせ、無理やりに接続した。吸血鬼にしかできない荒業さ」
アルトのサブAIの役目は記録だ。
エーポスを、パイロットを、その軌跡を記録する。
そして、もしもエーポスがいなくなれば、代わりの人間に、その記録を転写することで簡易的にエーポスを創り出すことができる。
ただし。転写された人間の脳が保たない。常人では一回の戦闘が終わる前に廃人となる。
「危険ではないのか」
「強引な起動だ。転写も行わない。死なない代わりにものすごく効率が悪くてね、起動時間はかなり短いよ」
「行けるのか」
その問いに、言いにくそうに彼女は目を伏せた。
「……いや、だが参ったことに、魔力が足りない。しかも、エーポスの生きているアルトを動かすのは前代未聞だ。うまく行くかは、わからない」
「飲むか」
コテツは迷わずに言った。徐に、袖を捲った。
だが、目を伏せたまま動かない彼女に、今度は、軍服の襟を開けて見せた。
「首の方がいいのか?」
「……違う」
ゆっくりと、震える手で彼女が手を伸ばした。
「……貴方は私の友人だ。友人なんだよ」
「知っている」
「でも、わかってない。吸血鬼にとって吸血は食事だ。誰が友を食べる。貴方は食糧じゃない。貴方を食糧にしたくない」
彼女の細い指が、コテツの首筋に触れた。
背後でSHが扉を叩く轟音が、どこか遠く響く。
「凄く、今、血が飲みたい。渇いている。はしたなく、浅ましく求めてしまうと思う。貴方は私を軽蔑するかもしれない。上手く、止まれないかもしれない。そんな時は、殴ってでも止めてほしい」
「早くしろ」
躊躇いがちに、だが、彼女も他に方法がないことを理解しているのか、顔を近づけてくる。
そう、彼女が提案したときから既に、彼女はこうするしかないことをわかっていたのだろう。
だが、彼女自身がそれを許せないでいる。
葛藤の中、意を決して彼女はコテツの首元に伸ばした手に力を込めて、自らの顔を近づけた。
コテツは彼女を支えるように抱き留める。
「友人、私は……」
そして。
彼女が牙を突き立てる。
首筋に鈍い痛みが走り、血が流れ出す。
「……ん、ふ……」
ごくり、とすぐ傍で喉を鳴らす音が聞こえた。
「ちゅ……、ぁ」
ちゅうちゅうと首に吸い付かれ、魔力を吸われている実感を得る。
疲労感が溜まっていく。
「友人……!」
彼女は、泣いていた。
「友人……っ!!」
涙を流しながら、彼女は首筋を丁寧に舐めとる。
「すまない、止まらない……、止まらないんだ……!」
彼女の手に力が籠った。
弱々しかった彼女の手は、爪が食い込むほどに強く。
「美味しいんだっ……。貴方を食糧にするなんて嫌なのに。美味しくて、止まらない……!」
口を離そうとしてはまた引き寄せられるように、血を吸う。
まるで、啄むように、彼女はコテツの首筋に口づけをした。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
謝りながら、彼女は少女の様に泣きじゃくる。
「ごめんなさい、友人……!」
「友人じゃない」
コテツが、短く声を発する。
彼女が、悲しげにコテツを見つめた。
「あ……」
そんな彼女にかぶせるように、コテツは告げた。
「コテツだ」
「こて、つ……?」
「そうだ。コテツ・モチヅキだ」
「貴方の……、名前……」
「これからはそう呼べ」
そして、彼は彼女を呼ぶ。
「アンリエット――」
初めて呼ぶ彼女の名は、名は体を表すと言うかのように、可憐に響いた。
「……あぁ。私は、呪われてしまうと言ったのに……。貴方は、本当に……」
「呪いが降りかかるのは君だろう」
コテツに名を渡したくせに、呼ばせなかったのは。きっと、呼ばれたら未練が増えるからだ。
「アンリエット。まだ死にたいか」
「……貴方は、ズルいね。これは、呪いだ。私を現世に縛り付ける呪縛だ」
今一度、彼女はコテツの首筋にキスをした。
「名前を呼ばれる度に。……酷く甘くて、ちょっとだけ苦しい呪いだ。もっと」
耳元で囁く様に彼女は告げた。
「もっと強く抱きしめて欲しい。……苦しいくらい」
リクエストに応え、コテツが力を込めた。
華奢な体を手折ってしまいそうなほど、強く抱き留める。
「ちゅ、ちゅ……、ん、ふ……」
そして彼女は、コテツの名前を呼んだ。
「コテツ……っ。コテツ……、コテツっ……!」
貪るように、彼女はコテツの首筋に吸い付いた。
「貴方のせいだ……! 貴方のせいで私は……、貴方と共に、空が見たい……!!」
あざみとではないディステルガイストの複座は、どこか変な感じがした。
「行けるか?」
「一応。だが、稼働時間が不味いかもしれない」
「どれくらいだ」
「……最初の行動開始から十九秒だ。あれだけ好き放題吸っておいて、すまない」
エーポスが存命中であること、あるいはディステルガイストの個体差として。
酷く短い稼働時間が示される。
「十九秒か」
「ギリギリまで距離を稼ぐぐらいは――」
レーダーに表示されているのは五の敵機。
手持ちの時間は十九秒。
コテツは、操縦桿を握り直し、呟いた。
「――上等だ」
もう五リットルくらい吸ってもいいと思います。