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異世界エース  作者: 兄二
12,Under The Moonlight
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160話 熱



 今日は、足音がない。

 目が覚めてから、どれくらい経ったろうか。

 硬く冷たい、慣れ親しんだ床の感触が、心を蝕む。


「……やはり、来ないか。だろうね」


 ぽつりと呟いた言葉が、牢に空しく反射した。

 彼女がそこから、空にほど近い魔力を動かせば、牢屋のランプに火が灯る。

 視界に入ったのは、青空の絵だ。

 彼には言わなかったが、あまりうまい絵ではないと思う。

 綺麗すぎるのだ。晴れ渡った空は綺麗すぎて、わざとらしさを感じる。

 綺麗な空を描こうとしすぎて、不自然さが残っていた。

 だが、それを彼に言うのは無粋というものだろう。

 それに、これが丁度いいとも思う。


(本物の空は、眩しすぎるからね)


 待ち人の彼は、急速に吸血鬼の心に入り込んでいた。

 随分久方ぶりの人との触れ合いは、猛毒のようでありながら、麻薬のような中毒性を持っている。

 わかっていたのだ、こうなることは。

 でも、今日ですら彼を心待ちにしている。


(でも、それだけではない気もする)


 なんとなく、こんなにも早く彼を心に踏み入れさせてしまったのは久方ぶりの人との会話であるから、というだけではないように思えた。


(恋だなんて冗談で言ったけど、もしかすると私は彼のような男が好みだったのか……?)


 考えて、それはないと彼女は断じた。


(私の初恋は優しく、気が遣える完璧な叔父様に憧れていた訳で、似ても似つかない。不器用すぎる、謎の物好き)


 だが、彼と話していると何故だが落ち着く。


(優しいわけでもない。冷酷でもない。端的な物言いが多く、芸術面の造形はないに等しい)


 牢の中、彼女は一人呟いた。


「綺麗に死ねると思ったんだけどなぁ……」


 死ぬことへの恐怖を、空虚と退屈で塗り固めていた。

 それが、剥がれてきている。


(あんなに来るとは、思わなかったな)


 楽しかったのだ。思い出したのだ。空の下、絵を描いて、家族と笑う日々を。

 もうないものだと言うのに。例えここから出ても手に入らないから見切りを付けたのに。


(最後は喧嘩別れか。私にお似合いと言えばお似合いかもしれない)


 彼に手を差し出された時、本当は血が飲みたいという欲求以上の者を感じていた。

 あの瞬間、渇きなど忘れていた。血を欲していた事など彼方まで置き去りにしていたのだ。

 ただひたすらに。

 あの手に縋り付きたかった。縋り付いて体温を貪りたかった。


(酷い男だよ)


 だが、そうしてどうなるというのか。

 自分は吸血鬼だ。そう、人と相容れる存在ではない。彼とは相いれない。

 牢越しのこの距離が、彼と自分の距離。

 もし外に出られたとしても、この手は空っぽだ。


「ふふ……」


 たった一人、喜ぶことも悲しむこともないのなら、それはこの硬く冷たい牢と変わらない。


(もう私は生きてはいないんだね。そして、死ねてすらいない)


 早く魔力が尽きればいいと、彼女はランプを燃やし続けた。

 視線の先には、下手糞な青空が広がっている。

















 屋敷の廊下を、コテツが歩く。


(昨日は行けなかった、か)


 吸血鬼の下へと向かえなかったことを思い出しながら、コテツはディカルドの下を目指していた。


(だが、既に彼女が気になる理由は発覚した。もう彼女に会う必要もない)


 既に、理由を理解し、コテツの中でその行動は合理的の枠に収まっている。

 後は思うままに動くだけでいい。


(話も合うわけだな……、俺と彼女は――)

「どうされました、エトランジェ殿」


 思考は、ディカルドの声で打ち消された。


「話がある」


 そう言ってコテツは、彼の部屋へと入り込む。


「今、執事にお茶を……」

「いや、必要ない」


 呼び鈴を鳴らそうとするディカルドをコテツは手で制した。


「単刀直入に聞こう」


 椅子にすら座らせず、シンプルな調度でまとめられた部屋の中、コテツは問う。

 一撃で突き抉るような。


「君は麻薬取引に関与しているな?」


 そういう言葉だった。

 衝撃を受けたように、ディカルドは固まってしまう。


「証拠は……。証拠はあるんですか」


 絞り出すような、弱々しい声が放たれた。


「昨日の晩。録音させてもらったぞ」


 その言葉にディカルドは驚いた顔で、口を開けてコテツを見つめる。

 やがて彼は、唇を噛みしめ、拳を震えさせた。


「……流石です」


 酷く苦しげな声。

 だがそれは、救いを求め手を伸ばすようでもあり、全てを決意したような男の声音だった。


「僕は……。僕は」


 意を決して、彼は息を吸い込んだ。


「僕は――」

「ディカルド様」


 だがそれは、唐突に挟まれた声によって遮られた。

 ノックもなく開かれた扉。

 壮年の執事が中へと入ってきて、ディカルドの後ろに付く。


「ディカルド様、公務のことで少しお話が」

「ああ……、マックス。……わかった」


 力なくディカルドが呟いた瞬間。

 電流が走るように、コテツの脳に何かが引っかかった。


「待て。その執事の名前はマックスというのか」


 マックスというのはニックネームだ。それに似た名を、どこかで聞いた気がしたのだ。


「これは、申し遅れました。私、マクスウェル・ディーハイドと申します」


 コテツはある言葉を思い出していた。

 吸血鬼の口にした言葉。


『実際はマクスウェル・ディーハイドという執事が陣頭指揮を執っていたようだがね。してやられたよ』


 彼女が捕まったのは、ディカルドの祖父の代。


「なるほど。君がか」


 目の前にいるのは、壮年の執事。年齢が上手くかみ合わない。

 ディカルドの祖父が吸血鬼狩りができる程若いころから仕えて壮年である。

 結婚年齢によっては問題ないかもしれないが、しかし、偶然の同名など、あり得るだろうか。


「君が吸血鬼だな――」


 偶然の一致と言うには、都合がよすぎる。


「……なんのことやら」

「思うに、君は伯爵の祖父の代で捕えられた吸血鬼だ。君は、この家に仕えることによって牢を出た」


 自分が吸血鬼ならば、吸血鬼の嫌がる戦法を考えることなど容易いだろう。


「それから長年、君はこの家に仕え、そして今では麻薬取引の中心に収まっている」

「マックス……、マクスウェル。聞いたか。聞いたかあの言葉を。ついに僕たちの悪事も終わりだ」


 ディカルドが、熱に浮かされたような顔で呟く。


「そうです。麻薬密売の大本は、僕達だ」

「君自身はそれを望んでいない。違うか」

「……望んではいないが、それでもやったのは僕です。僕は、悪党だ。僕は、裁きが欲しい」

「無論だ。無罪放免にはならん。だが、そこはアマルベルガが決める」


 そこで、それまで微笑みを浮かべるだけだったマクスウェルが、ついに言葉を発した。


「いけませんね。ディカルド様」


 一歩前に出る。


「せっかくここまで来たのです。富を得て、三代続いた。まだですよ、これからまだ、私の世界は大きくなる」

「もう終わりにするんだ、マクスウェル。僕は、ここまでだ」


 決然と、ディカルドは言った。

 だが、マクスウェルは、そう簡単に諦めてはくれなかったのだ。


「そうですか。残念です……、ディカルド様」


 呟いて、彼は肩を落とした。

 そして。


「あなたは割と嫌いではありませんでしたよ。あなたは、肥え太った父と祖父とは違って」


 瞬間、マクスウェルの手に火が灯る。

 コテツが、即座に銃を抜き、マクスウェルに向かって射撃を行う。

 だが、それは背後の壁を穿つことになった。

 目を見開いたマクスウェルは、突如としてその場から消えた。


「後ろか」


 コテツはディカルドを押し飛ばし、自らも逆方向に跳んだ。

 背後に高速で移動したマクスウェルが手を振るった。

 だが、その手から放たれた炎が、絨毯を焼く。


「私は吸血鬼。魔力の申し子。申し訳ありませんが、あなたたちには死んでいただきます。シナリオはこう。麻薬中毒患者がついにいよいよ末期に達し、余人には理解できない域に至った彼は、屋敷に火を放つ。哀れディカルド伯爵と、その場に居合わせたエトランジェは……、煙に巻かれて息絶えてしまった」


 大仰な動きで、彼は告げる。

 絨毯は燃え広がり、激しく煙が上がる。


「……御託が長いぞ」


 その時、コテツが掌より少し大きい程度の筒を地面へと叩きつけた。

 破裂。光が辺りを包み込む。

 スタングレネードだ。


「あっ!? ……目が、チカチカする。これは……?」

「後にしろ。逃げるぞ」


 そのスタングレネードはコテツの知る物より光が弱く、人間の視力程度では眩しいだけだが。


「ぐ……あ、ああああ、目が、……何を。ぐ……」


 戦闘のために強化した視力が仇となる。

 コテツはドアを蹴破り、走り出した。


「ご主人様! ご無事で……」


 扉の横で待機していたあざみがコテツを追って走る。


「ディカルドを頼む。格納庫で合流するぞ」


 そのあざみの声にかぶせ、コテツは言った。


「え、ご主人様は……」

「俺は行くところがある」


 コテツは、あざみたちとは逆方向に走り出した。

 背後から、熱気を感じる。魔術の炎であったせいだろうか。燃え移るのが早い気がした。

 だが、そんなことには構わず、コテツは走り、自らの部屋に飛び込んだ。

 即座に、壁のレンガを押し込み、見えない通路に飛び込む。


(俺が彼女に感じていたのはシンパシーだった。それで、俺はどうする)


 それは意味のない自答だった。

 既にこの先の何をするかなど決まりきっている。

 手の中にずしりと重たい感触。

 唐突に、バルディッシュが現れる。


(まったく、便利なものだ)


 コテツはそれを強く握ると、通路の突当りに到達したその瞬間、勢いよく振りぬいた。

 激しい轟音と、火花が散る。酷く耳障りな音と、驚いた顔の吸血鬼が印象的だった。


「……驚いた。何を」

「火事だ。逃げるぞ」


 事実だけを簡潔に告げる。

 コテツはそのまま、手枷を繋ぐ鎖に向かってバルディッシュを振るった。

 鎖が砕け、彼女の手が自由になる。

 だが、彼女は動こうとしなかった。


「死因が焼死か。これは意外だね」

「逃げると言ったぞ」

「御免だね。私は、十分生きたろう」

「自分から死は選ばないのではなかったか」

「……やはり、君は嗜虐主義者だ」


 それでも動こうとしない彼女の手を、コテツは引いて無理やりに立ち上がらせた。


「逃げるぞ。絶対にだ。無理やりにでも、連れていく」

「どうして、貴方は……」


 力なく、彼女はコテツを見上げていた。


「私など、放っておけばいいのに。何故……?」

「俺はわかったぞ」


 コテツは告げる。いつもの声で。

 気が付いたことを、自分で確認するように。


「俺が君に感じていたのはシンパシーだ」

「シンパシー? 私と君にいったい何があるんだ」


 ふらつき今にも倒れてしまいそうな体でコテツから離れようとする彼女を、コテツは引き寄せた。

 息も触れそうな距離で上から彼女を覗き込み、彼は言う。


「――俺と君は、似ているんだ」


 彼女は、驚いた顔をしていた。


「俺は、エトランジェだ。もともと碌なものを持っていなかったが、この世界に来て何もかもなくなった。戦う理由すら失った。錆びついて、朽ちていこうと考えたこともある」


 異世界から呼び出されるということはそういうことだ。すべてのしがらみが途切れ、自分以外のすべてを取り上げられる。


「……私と、同じだ」


 似ているのだ。コテツと彼女は。

 異世界に呼び出され、ゼロからのスタートを余儀なくされたコテツ。

 何もかも失って、空虚なゴールへ向かう彼女。


「そうだ。俺は君にシンパシーを感じている。だから、俺は君の手を離さない」


 強く、手を握る。

 彼女は、握り返しては来ない。怯えるように、手を震わせるだけだ。


「君は、俺なんだ。だから、こうして潰えることを認めない。俺はまだ、俺を見捨ててはいない。だから、君の手を離さない」


 彼女がそうだからと言って、コテツが同じ道をたどるとは限らないだろう。

 だがそれでも、コテツはそれを認められない。

 似た人の命すら救えずに、いったい何故自らの未来を救えると言うのか。


「俺のためだ。俺の身勝手に過ぎん。その上で君は、連れていく。俺のために生きてくれ」


 彼女は、震えた声を出した。


「私は、どうしたらいい……」

「君が手を握り返してくれるのなら。俺は嬉しいのだと思う」


 ぐっと、コテツは彼女の腰に回した手に力を籠めた。


「君は一人ではないぞ。少なくとも。がらんどうでもない。不足かもしれんがな」


 ぎゅっと、彼女の手に、力が籠る。

 コテツは吸血鬼の特徴を一つ思い出した。

 吸血鬼は、招かれなければ家にとて入れないのだ。

 手を引かないと一歩すら踏み出せないなら。


(……それでもいい)


 牢屋から、外へ。


「それに、人生意外とどうにでもなるものだ」


 コテツは、そのまま彼女を抱え上げると、走り出した。


「この俺ですら、未だに一人ではないのだからな――」


 薄暗い闇を駆け抜ける。

 突き抜ければ、光の差し込む部屋に出た。


「……やはり貴方は、嗜虐主義者だ。せっかく覚悟を決めて、恐怖を忘れて、未練を捨てたのに」

「捨てきれていなかったのだろう。目を逸らしていただけに過ぎない」


 熱気が酷い。随分と火が回ったようだ。

 コテツは、部屋の窓から飛び出した。


「また、死に損なってしまったね」

「楽に死ねると思わないことだ」

「責任は取ってもらえるのかな?」

「可能な限り君の要望には応えよう」


 格納庫へとコテツはひた走った。


「あぁ……、空が青いね。それに貴方はすごく暖かい」


 彼女の腕が、コテツを強く抱きしめる。


「今は、これで十分かな……」


クライマックス入ります。


コテツのアレはほぼ告白と言っても過言ではないと思います。

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