158話 長方形の空
その日も、牢へと向かったコテツ。
今日は、何故か牢内の明かりが消えていた。
違和感を覚えつつも、接近したコテツに、いつもの彼女の声が届く。
「友人かい?」
「ああ」
答えた途端に牢内の明かりが灯り、周囲が明るく照らされる。
「どうしたんだ?」
光は消さないと言っていたはずだが、調子でも悪いのかもしれないと、コテツは彼女を見た。
「昨日は寝てしまったからね。できるだけ、無駄な体力は使わないようにしようと思って」
「そうか。だが実を言えば今日はもう夜も遅い。無理をすることはないぞ」
「残念だが、それは私には通用しないな。昼夜の間隔などとっくにないからね。寝たい時に寝て起きたい時に起きる。今は寝起きだよ」
「そうか」
そう短く返事するとコテツは今日の手荷物である紙袋から、とある物を取り出した。
「それは、なんだい?」
「少し、見てくれ」
それは、絵だった。晴れ渡った青空の描かれた、絵である。
「すまんが、この牢に窓を設置することはできん」
「それで、これを?」
「ああ」
一辺50cmもないくらいの長方形の額縁を、コテツは格子の隙間から差し込んで立てかけた。
「本物を見せてやれなくてすまないが」
「……いや、綺麗な空だね。心が安らぐよ」
そう言って彼女は微笑んだ。気を遣ったのかもしれない。
「さて、今日はどうするんだい?」
今日のコテツの手に盤も駒もない。
コテツはその場に座り込んで言った。
「話がしたい」
「話か。別にいいけれど、できれば貴方の話も聞きたいな」
何か、掴みかけているような気がしているのだ。
なぜ、目の前の彼女がこんなにも気になるのか。
「君の話は駄目か?」
「私の話? もうだいぶしたと思うんだけどな……、まあ、君が聞きたいというのなら構わないが、そうだ。交代で自分の話をするというのはどうかな?」
自分には何もない、がらんどうだと話す彼女に、何を見たのか。
コテツは彼女に、何がしたいのか。
「それで構わない」
「じゃあ、私から。何を聞きたい?」
「君は絵を描くと言ったな。どんな絵だ?」
「絵か。人物を描くが好きだったな。でも、何でもよかった。人でも、物でも、風景でも。移り変わっていく何かを、留めて残しておきたかったんだ。もうきっと駄目だけどね、もし手が動くなら、最後の友を残しておきたかったかな……」
そう言って彼女は言葉を止めた。
「こんなところでいいかな。さ、今度は私の番だ。貴方の出身地は?」
「出身は、日本だ」
言ってもわからないだろうと思いつつも、コテツは告げた。
「ううむ、どこだろう……。聞いたことがないな」
「君がここに来てから地図もいくらか書き換わっているだろう」
異世界から来たエトランジェであることも、コテツは言うつもりはなかった。
面倒だったというのが一つ。エトランジェという肩書が鬱陶しかったのが、もう一つだ。
今この場の肩書は、ただの一人の軍人でいい。
「なるほどね。どんなところだい?」
「そうだな。狭い中に、人が大量に住んでいる印象と言えばいいか。あとは、せっかちな人間が多いようだ。だが、治安はいい方で比較的平和だった」
「いいところ、なのかな?」
「実を言えば、あまり日本に住んでいたことがない。転戦に次ぐ転戦でな」
「そうなのかい? そういえば、貴方は軍人だったね。今のソムニウムはそんなにひどいのかな?」
「いや、そうでもない。少し問題もあるが、表面上は平和だ。今はこの国に世話になっているが、前は所属が別だった」
外のことが気になるのだろうか。
自分のことを語るより、聞いている方が、彼女は楽しそうにする。
「そうか……、しかし、貴方は優秀な軍人なんだね」
「なぜそう思う?」
「ソムニウムに来たのはそんなに昔ではないんだろう? 他国から来た身で伯爵にご招待とは、なかなかそうは行かない」
「招待されたとは限らんぞ」
「ここにつながる部屋がどこだか忘れたのかい?」
「そういえばそうだな」
コテツの部屋は上等な客間だ。
「強いのかい? あんまり小賢しく立ち回るのが巧いようには見えないし、智謀に長けているとは、正直チェスの成績からして思えない」
「平凡な兵士ではないつもりだ」
「そうかそうか。私も鼻が高いというものだね。最後の友人が将来の大英雄とは」
実に楽しそうに彼女は言った。
「それは言い過ぎだな」
「そうかな? 人生なんてわからないと思うけれど? なまじ寿命が長いだけに腰の重い私たちより、貴方たちの方が激動の人生を歩む。誇ってもいいと思うんだ。人生など、長い分薄まっては意味がない」
「そんなものか」
「ああ。牢に繋がれるだけの数十年なんて無駄この上ないね」
そう彼女は苦笑する。
震えた肩に呼応するように鎖が鳴った。
「次は君の番だ。君は結婚歴は?」
意外そうな顔をして、彼女は固まった。
珍しい表情だ。
「いきなり変にプライベートな質問になったね。結婚したことはないよ。元々吸血鬼は個体数が減りつつあってね」
「そういう方面でちょっとした悩みを抱えていてな。参考までに、だ。では、恋愛は」
「小さい頃に少し、かな。後見人の叔父がいたんだ。外見上若い美男子ばかりの吸血鬼の中、これがなかなかどうして、ロマンスグレーのいい男でね。まあ、淡い初恋さ」
「どうなった?」
「聞くのかい……、それ」
「わからん」
「……どうなるもなにも、子供の言うことと流されて、自然消滅したよ。向こうは結婚していたし」
露骨に気分を下降させて彼女は言う。
「デリカシーがないって貴方は言われない?」
「よく言われる」
「やっぱりね。まあ、ともかく私の恋愛はそれきり。吸血鬼自体減っていて、他の生き物とはいささか寿命が違いすぎた」
「個体数の減少に危機感は?」
「なまじ寿命が長いだけにね、危機感が薄くなるんだ。そのうち結婚して子を産まねばとは思うけれど、そのうちとはいつなのか。死を意識して初めて危機感を覚える。もう手遅れなのにね」
「吸血鬼の寿命とはどれくらいなんだ?」
「血族による差や個体差もあるけど、ちゃんと血を飲んでれば千年生きたりもする。更に寿命を長くするような術もあるようだけど、伝説の類だね」
随分と、永きを生きるようだ。
同じ時を生きる友人はもういないと言う。
だが、コテツは彼女と同じほどの時を生きる者を知っている。
そして、それを紹介できることもだ。
「今度は、私の番だ。貴方の子供時代はどんなふうだった?」
「俺の子供時代か。あまり変わらんぞ。愛想のない、いけ好かない子供だった。それでも……、今よりはマシだったが」
「ふぅん? なるほど、友人はいた?」
「最初は、とある老人と戦場を漁って廃品を売って生計を立てていた。彼は今思えば俺の保護者だったが、友人でもあった」
目を閉じて、当時を思い浮かべる。
「その老人が死んだあと、しばらくして現れた小さな解体会社の面々に拾われた。年上の同僚たちばかりだったが、一人、取締役の娘が同年代だった。彼女と俺は、友人だったのだろう」
そう、コテツが戦場跡でジャンク屋として生計を立てていた時、拾った状態の良いDFを修理していた、というのはアマルベルガとルイスにも話した通りだ。
そうして、老人が死んでしばらくの時が経ち、コテツの操るDFが噂になっていたのだ。
どちらかと言えばオカルト方面でだ。戦場で死んだ亡霊であるとかそういった話が広まっていたらしい。
DFによってコテツが不用意に近づくものを威嚇し追い返していたのもある。
そこにやってきたのが解体会社の面々であった。戦場跡の瓦礫などを撤去するためにやってきたという。
「解体会社?」
「建造物に限らず、人型作業機械によってあらゆるものを解体撤去する仕事だ」
そこで彼らとも一戦交えるも、コテツは彼らに捕縛されたのである。
コクピットから引きずり出され、その若さに驚かれ、更にその年齢に似つかわしくないまでの操縦技能を買われ、コテツはその会社で働くことになった。
最終的には、その会社も今はない。火星の侵攻によって仲間たちは全滅してしまったのだが、今話すようなことでもないだろう。
「逆に、君の少女時代はどうだった?」
「ふむ、さっき言った通り、叔父に恋する乙女だったよ。今思えば赤面ものだね。ただ、あの時ばかりは私も無邪気で、絵を描いて、妹と遊んで、父と母の待つ家に勇んで帰る、そんな少女時代だった」
失ったものを想い、遠い目をする。それは、人だろうが吸血鬼だろうが変わらないようだ。
「なんだか……、恥ずかしいな」
恥ずかしげに言う彼女は、もし手が自由なら頬でも掻いていたことだろう。
「じゃあ今度は私から。恋人がいたことは? あるいは、人を好きになったことは?」
「恋人は……、いた試しがないな。人を好きになったことは……、今の所はないのだと思う」
「ふうむ、あまり面白くないね」
「まだ、これからだ」
「ふふ、そうか。うむ、頑張るといい」
「では、こちらから聞くが、君は芸術・学問はどうだ?」
「まず長いことこの生活だから最新のことはさっぱり。その前提で、芸術は絵の他に歌と詩かな。この中で言えば絵は特異なつもりだし、歌ならきっと美声を聞かせてあげられる。詩は少し苦手だな。教養はある方だと思う。歴史には詳しいよ。算術は普通にできるけど学者みたいには無理かな。化学は、SHとかなんで動いてるのかさっぱりさ」
しばらく、こんなやり取りが続く。
二人きりの情報交換は酷く捗ったが、しかし、不意に吸血鬼は言葉を止めた。
「どうした、君の番だぞ」
「……いや」
じっ、と彼女はコテツを見てくる。
真剣に、それでいてどこか優しげに。
だが、その実、どこか迷っているようでもあった。
そんな彼女は、しばらくコテツを見つめ続けた後、不意にこう呟いた。
「アンリエット。……アンリエット・バルニエール」
「なんだそれは」
「……私の名さ。でも、呼んではいけないよ。呪われてしまうからね」
そう言って彼女は喉を鳴らすように笑う。
「そうか」
「ただ、貴方に預けておきたいと思ったんだ。できることなら覚えていて欲しい。私が死んだあとも、できるだけ、長く、永く」
「了解した」
コテツは頷く。
「ありがとう。これでもう思い残すこともないなぁ……。そう思うと、少し眠くなってきてしまった」
彼女の体から力が抜けていくのが、外側からでもわかる。
「寝るといい。また、来る」
「……ああ、そうだね。またおいで。私の友人」
それきり、彼女は寝息を立て始めた。
コテツは気を使って立ち上がると、静かにその場を後にした。
「それで、ここが本拠地か」
「あ、ああ……、少なくとも、フードの男はここに入って行った」
先日殴り倒し、無理やり雇った男たちが郊外の屋敷の前にいる。
「は、入ったあとのことは保証できねぇ。俺達はここまででいいよな! な!?」
「ふむ……、そうだな。もう、いいぞ」
「あ、ああ、じゃあな!」
男たちが、走り去っていく。
コテツは、その大きな扉へと向き直る。
「正攻法で入れればいいがな」
「どーでしょーねー」
コテツが、扉の呼び鈴を鳴らす。
「ここの主に会いに来た。できれば通してほしい」
呼び鈴を鳴らしつつ言うと、扉がゆっくりと開いていった。
「こちらへ」
中から黒服の男が現れ、中へと招く。
その言葉に油断なくコテツは屋敷の内部へと入っていく。
「主が、お会いになるそうです」
「そうか」
「大丈夫なんですかね、罠とか」
「どうにかする」
「わお安心」
嫌に静かな屋敷を歩き、コテツたちは一際広い部屋に通される。
部屋の壁際には、一糸乱れず黒服の男達がならんで立っている。
部屋の中心は大きな机と椅子。
その椅子には、鋭い視線をサングラスで隠した、赤毛の男がいた。
「……最近、俺たちのことを嗅ぎ回っているようじゃないか、兄弟」
詰め襟のような襟の立った黒い衣服に、金糸で様々な装飾を施している。
「ああ、聞きたいことがあってな」
「言っておくがな、お前達がここを嗅ぎつけたんじゃない。誘い出されたんだ。そこの所、分かってるか?」
「そうだな。小心者は少しつつけば反応してくれて、助かる」
「ふぅーむ……、面白い事を言う御仁だ。殺すのが、勿体ない」
瞬間、男達が一斉に銃を構えた。
「あざみ」
「あいあいさー!」
コテツは動じることもなく、前を見据える。
男は不意に、コテツが自分ではなく、自分の奥の窓を見つめていることに気が付いた。
思わず、ばっと振り向く。
男と、それは目が合った。
煌々と夜を照らすその瞳。
白黒の巨人。
「エトランジェ……!? っ、撃てッ!!」
「あざみ」
「はいっ」
引き金が引かれる瞬間、コテツは左腕であざみを抱えて走り出した。
まっすぐ向かってくるコテツに、赤毛の男は椅子を蹴立てて立ち上がると横に退避する。
コテツは男に目もくれず、勢いのままその机を蹴り飛ばした。
勢いよく机が滑り、盾にするようにコテツは前傾姿勢で地を舐めるように疾駆する。
目くらまし程度に蹴り飛ばした机は幸運にも、防弾仕様だったらしい。
銃弾を滑る机が止め、いいだけ距離を稼いだ後、コテツは窓に向かって跳び蹴りを放った。
窓が割れる。
空いていた右手であざみの頭を抱え込むようにし、飛び散る破片の中を突っ切る。
大勢が見守る中、コテツはディステルガイストの手に着地した。
「あざみ、怪我はないか」
「おかげさまで」
手を伝って、コテツはコクピット内部へ。
「SHを出せ、あいつを止めろ!」
赤毛の男が放ったセリフを、集音マイクが捉えた。
「させるつもりはない」
瞬間、腰元から刀がせり出し、刃が閃く。
横一線。
圧倒的な暴力と化した刃が屋敷の屋根を根こそぎ奪い取った。
男たちが力なく随分と風通しと見晴らしの良くなった部屋で、男たちは力なくディステルガイストを見上げている。
その一人、尻餅を突いて点を見上げる赤毛の男を、機械の巨人が掴み取った。
「……さて、君に聞きたいことがある」
コテツの過去編とかやりたいけどまったくもって話数がかかりすぎる件。
少年時代からスティグマダイバー撃破までやったら完全に長編一本になるのはもちろん、ハイライトでも結構アレな感じな……。
と、それはともかく。
現在正に書き足し中ですがそろそろ折り返し地点ですね。二、三話もすればクライマックスじゃないかなと思います。




