155話 中毒
「ご主人様ー、街に来てなにするんですかー。もう疲れましたよう」
不平を口にするあざみに、コテツはにべもなく返した。
「そもそも君について来いと言った覚えはない。疲れているなら戻って休んでいろ」
「うぐっ、やさしいような冷たいような言葉が突き刺さります。負けませんよ、地の果てまで着いていきますからね」
あざみと言葉を交わしながら、市街をコテツは油断なく見つめる。
「で、ほんとになにするんですか?」
「この街の麻薬の取引が気になる」
「え、今回は普通に帰るんじゃないんですか?」
「調査は行うつもりだ。ただで帰るつもりはない」
「うーん、何かあったんですか?」
「ただの勘だ」
コテツは短く口にする。
いまだにコテツは吸血鬼のことをあざみに伝えていない。
(自分でも不条理なのはわかっているが……)
なんとなく、その方がいいと思ったのだが、それに、伝えたところで何になるというのか。
この件はコテツの胸の中にしまっておいても問題ない。
もしかするとアマルベルガに伝える必要性が出てくるかもしれないが、それまでだ。
「勘ですか……、まあ、いいすけど」
不満そうなあざみを後ろに、ふと一点に視点を集中した。
「見つけたぞ」
「え、なんですか?」
「当たっているかどうかはわからんが、中毒者だ」
老いた男をコテツは早足で追い始める。
「え、え? わかるんですか?」
「瞳孔が散大していた」
コテツは、老いた男に向かって近づくとそのまま声をかけた。
「すまない、この辺りで鍛冶屋を探しているのだが……」
「鍛冶屋? はいはい、向こうの通り出て右に曲がって三本目の路地に入ればいい」
「参ったな、そこは既に行ったのだが……」
「んん? まあ、入り組んでるからな。見ない顔だし、余所者か?」
「任務でこちらにな。それで、悪いのだが案内してもらえないだろうか」
言うと、男は面倒くさそうに手を振った。
「なんであんたのためにんなこと……」
「礼はする」
言った瞬間、目の色が変わる。
「いくらだ?」
何分薬というものは金がかかる。
餌があれば、すぐに食いつく。
「これでどうだ?」
コテツは、指を三本立てた。
「悪くない。こっちだ」
男が歩き出す。
コテツとあざみはその背を追った。
「そんなに変には見えませんけど……」
「いや、当たりだ。臭いが染み着いている」
「確かにちょっと鼻に付きますけど、これがそうなんですか」
聞こえないように声を潜める二人には気付かず、どんどんと彼は前を歩いていった。
「ああ、そうだ。ここらで薬を売っているところを知らないか?」
気負いなく、コテツは問う。
「薬、魔術系なら……」
「いや、そっちじゃない」
「漢方か?」
「とぼけなくてもいい。君が日常的に使用している薬物の方だ」
「さて、何のことだか」
背後から、男の表情を伺い知ることはできない。
だが、当然警戒はしているだろう。
「普段は王都勤めでな。あそこはそう言ったことに厳しくていけない。せっかく任務でこちらに来たんだ。羽を伸ばしたいんだが」
「軍人さんがそんなこと言っていいのかい」
「兵士とて人間だ。楽しみは欲しい」
「ごもっとも。でも、んな美人さん連れてんだから十分楽しんでるんじゃないの?」
「キメてヤると具合がいいんだ」
むしろ、ストレスのたまる軍人だからこそ、そう言ったものに手を出す者もいる。
コテツのいた世界でもそれはあった。
閉鎖された社会である戦艦内に誰かが持ち込めば蔓延するまで数日かからないこともある。
「なるほどね。だが、悪いな。さすがに軍人さんに情報を売ったとありゃあんたがどういう人間であれ、俺が殺されるかもしれんのよ」
軍服を着ていたのは失策だったようだ。
そもそもの所、今回はただの下見のつもりだったのだが、こうもあっさりと中毒者が見つかってしまったのだからもう遅い。
「そうか。残念だな」
ただし、この下見のおかげである程度街の中は把握した。
あの地点から鍛冶屋に行くまで、途中に人通りの少ない路地を通ることは。
既に確認済みだった。
「嫌でも答えてもらうぞ」
背後から、コテツは迷いなくその腕で男の首を締め上げる。
「ぐっ、な、なにを……?」
驚いて目を剥く男の耳元でコテツは無慈悲に告げた。
「情報を寄越すか死ぬか選べ」
「ぞ、ぞんな……、あ……、ぐ、言えない」
「いいか、俺は軍人だ。薬物常習者を捕まえようとして反撃に会い、やむを得ず殺してしまったとして……、何の問題がある」
ぎり、とコテツの腕に力がこもる。
「ま、まで……、話す、話す」
男が力なくコテツの腕を叩く。
「話せ」
「ず、少し、ゆるめて、くれ……」
コテツの腕が少し弛む。
同時に、男が逃げようと暴れ出した。
瞬間、男の首をコテツの手が鷲掴みにした。
そして、その体を持ち上げるとともに、手近な壁へと男を打ち付ける。
「殺すか」
短く、呟く。
「ま、待て……、謝るっ……」
「言ったはずだ。死ぬか話すか選べと。逃げる選択肢はなかったはずだが」
再び、コテツの手に力が籠もると、男は涙を流しながら焦った様に叫んだ。
「夜だ、夜の四番通り! いつも俺はそこで買ってるっ……!」
「嘘ではないな?」
「嘘じゃないっ……、信じて……」
指に再び力が篭もり男が足をばたつかせるも、酸素が足りなくなったのか力を失っていく。
そして、気絶寸前の所で、コテツはぱっと手を離した。
男が尻餅をついてコテツを見上げる。
「行くぞ」
「はいはい。行きますよー」
何事もなかったかのように去っていく背を、男がぼんやりと見送っていた。
二日目。
冷たく湿った石造りの床に足音が響く。
「……二度と会うことはないだろうと言ったつもりなのだけどね」
「それに同意した覚えはない」
「……よほど、私の無様な姿が気に入ったと見える」
コテツは、再び吸血鬼の前に立っていた。
「話がしたい」
「麻薬の事なら、貴方の役に立てる様なことはないよ。全部話した」
「君の出身地、趣味、特技、略歴を話せ」
「なぜ、そんなことを……」
「君には関係のない話だ」
「私の話なんだがね……」
呆れたように彼女はコテツを見た。
「私の出身地は、王都をずっと南に行ったところの森だよ。昔はあそこに吸血鬼の集落があった」
「そうか」
「今はもうないのだろうがね」
自嘲気味に彼女は笑う。
「趣味は、絵を描くこと。景色を見て、それを描くのが好きだった」
そして今度は、懐かしむように彼女は遠くを見つめた。
「ああ、私にもそう言う時期があったんだな。最近は、まるでここで生まれ育った様に思えてきたよ」
「家族構成は」
「父と母、そして妹がいた」
「どんな家族だった」
「月並みだが、父は厳しくも優しく、誇り高かった。母はそんな父をけなげに支え続けていた。妹は甘えたがりなきらいがあったが、その分誰からも好かれていた」
そこまで呟いて、厭味ったらしく彼女はコテツを半眼で見つめた。
「なるほど、わかった」
「何がだ」
「貴方は嗜虐主義者だ」
「なぜそう思う」
「私にこんなことを思い出させるなど随分底意地が悪いと思うよ」
「そうか」
「だが、それでも話してしまう我が身が憎いね。楽しいんだ、人との会話は」
コテツは彼女をじっと見つめる。
コテツは、彼女に興味があった。
有体に言ってしまえば、酷く気になるのだ。
そして、何故気になるのか、それすら、気になる。
「では質問の方向性を変えよう。君は、強いのか?」
「場合による、だろうか。今は長らく、食事をしていない。魔力が足りなくてね。そこらの小娘にも劣るよ」
「食事というのは」
「お察しの通りさ。君たちの食べるようなものは私にとっては嗜好品のようなものだ。その体に流れる魔力を啜れば生命活動は維持される。逆もまた然りだがね」
言葉にして、彼女は身じろぎし、手枷からつながる鎖を鳴らす。
「だが、それほど血を吸わなくても問題ないのか?」
「最低限の生命維持だけにすればね。最近はほとんど動いていないんだ。関節が固まってしまっているかもね。まあそれでも少しずつ魔力は消費されるんだが……」
そういって彼女は視線を照明に向けた。
橙色の照明は揺らめきつつ牢内を照らす。
「あれが見えるかい? 実はあれは私のなけなしの魔力を吸って点いているんだ」
「消せばいい」
「簡単に言ってくれるね。私は、気が触れてしまうよ」
「吸血鬼は夜目が効くものではないのか?」
自身のなけなしの知識を元に聞くが、彼女は首を横に振った。
「言ったろう。小娘以下だって。魔力を通さなければそんなものだ」
聞く限りだと、能力のほとんどが魔力に依存するようである。
そして、吸血を行わない限り魔力は回復しないようだ。
「何か望みはないのか」
唐突に、コテツは聞く。
「ないな。特には。ああ、でも、窓が欲しいかな。長いこと、この景色しか見ていないんだ。死ぬ前に、空が見たいな」
「そうか」
彼女は酷くこじんまりとした願望を口にした。
コテツはそんな言葉を聞いてから、彼女の元を後にする事に決めた。
「今日はこのくらいにしておく」
「なにがしたいのかよく分からないけど、満足したかい?」
そんな問いに、コテツははっきりと答えた。
「また来る」
その晩、コテツはベニー・マクファーレンという哀れな売人から話を聞くことに成功したが、結局有用な情報が手に入ることはなかった。