143話 Selfish
「ぉおぉおぉおお!? ちょっと待てコテツ!! 待てぃ!」
「待てん」
コテツが走る。戸惑うルイスの手を掴み。
彼らは今、民家の屋根の上をひた走っていた。
家と家の隙間を飛び越え、最短ルートを突っ切ろうとしている。
「弾、弾来てる!」
「知らん」
背後を、雷撃が駆け抜けた。
「撃て! 奴を止めろ!!」
「ザトー様は失敗したのか!? くそ、速い!」
右に見える大通りから放たれる魔術群を、コテツ達は速度を上げて避ける。
「動く先を狙え!」
「とは言え、こう巧く緩急をつけられては……!」
ひたすらに繰り出される砲火を潜り抜けながら、コテツは真剣に前を見続けていた。
(ああ、もう、コイツはよ……)
その背を眺めるルイスの瞳に浮かんだのは、嫉妬と羨望だった。
(自分で決めて、戦えるんだもんなぁ)
目の前を走る男は、戦うべきときに戦うことができる男だった。それだけの話だ。
(アタシは、カッコわりぃなぁ……)
そんな考え事をしていると、鼻先を火球が掠めていった。
「って危ねぇ!! 危ねぇってオイ!」
油断したら死ぬ。ルイスは気を引き締め直し、走る足に力を入れる。
そして、魔術飛び交う地帯を潜り抜けることに成功する。
しかし。
「おい、でけぇのがいる! 迂回したほうがいい!」
大型の魔物が、大通りに立っていた。
「ブランサンジュか。つくづく縁のある」
白く巨大な狒々が、こちらを見て笑っている。
「このまま抜けるぞ」
「おい!!」
完全に、捕捉されている。
しかし、コテツは速度を緩めずに突撃した。
「おい、バカ!」
ブランサンジュが走るコテツに視線を向けた。
そして、拳を振り上げる。
獣の咆哮。瞬間、コテツが速度を上げた。
続いて、ひしゃげる様な轟音。
ルイスの背後の屋根が巨大な、人一人分ほどもある拳相手に、無惨に砕ける。
素人目に見ても当たれば最後だ。
全身をくまなく砕かれた挙げ句に地面に激突する事となるだろう。
再度の咆哮。
「ルイス」
「なんだよ、っておわっ」
速度をわずかに緩めたコテツに、手を引き寄せられ、戸惑うと共に、体が浮遊感を覚えて更に動揺する。
どうやら、コテツに抱え上げられたらしい。
そして、コテツが跳ぶ。
続けて、轟音。
直下を、拳が駆け抜けて行った。
嫌な汗が背筋を流れる。
拳を背後に、着地。
屋根を引き剥がしながら、拳が引かれる。
癇癪を起こすように、白き狒々が吼える。
そして、もう一度振り下ろさんと、拳が振り上げられる。
それを横目で見たコテツが、不意にルイスの手を離した。
「え?」
動揺と共に速度が落ち、ぐいぐいコテツに引き離される。
「嘘だろ!」
見放された。そう思って、心臓がくっと縮こまるような気がした。
胸の奥が鷲掴みにされるような不安。
「少し待っていろ」
コテツが、ぽつりと呟いた。
拳が、コテツの元へと振り下ろされる。
そして、コテツはそれを見て何を思ったか、急に停止する。
「何やってんだ!! 危ない!」
叫んだ瞬間、コテツが再び跳んだ。
今度は、腕の真上へ、ブランサンジュへと向かって。
狒々は、その行動に驚きの声を上げた。
コテツが、その腕の上を走り出す。
「君を倒すための武器もある、身体強化の援護も受けている」
ブランサンジュが、もう一方の腕を振り上げた。
「コテツ!」
「今回は勝つ」
コテツが、大きく跳んだ。
拳が、コテツが先ほどまでいた腕の上をすり抜けていく。
そして、ブランサンジュの頭上で落下を始めたコテツは、その長大なバルディッシュを構えていた。
落ちていくコテツが、ブランサンジュの頭と重なる。
断末魔すら、許さない。
無慈悲に下ろされた鉄槌が、まるで堅い石を砕くような音を立てて、ブランサンジュの頭を砕き割る。
「生身で大型に勝ちやがった……!」
ブランサンジュが力を失い、少しずつ倒れていく。
生身、単騎魔術なしでの大型の魔物の討伐は、快挙と言ってもいいだろう。
だが、倒れゆくブランサンジュの肩に立つコテツは、それを誇る様子もなく、前を見つめていた。
その視線の先では、体長2メートル程の怪鳥が、コテツへと向かってまっすぐに飛翔していた。
コテツが、腰の大剣へと手を伸ばした。
また、コテツは自分でどうにかしてしまうだろうか。
恐れず、焦らず、冷静に対処するだろうか。
見かけ上は危機的だが、きっと、コテツなら上手くやるだろう。
(そうやって、黙って見ているつもりなのかよアタシは……!)
コテツに手を離されて、酷く焦り、不安を覚えたのは、自分が何もできないからだ。
足を引っ張るだけの能なしだったから、本当に見捨てられたのかと思った。
目的も目標も、夢も希望もなく生きる、無価値な自分を捨てられてしまうように思った。
コテツの目前まで、怪鳥が迫る。
「ああぁ、もう知るか!!」
力一杯両頬を平手で叩いたルイスが、跳躍した。
強化された脚力によって押し出された体は、まっすぐに怪鳥に向かって飛んでいく。
「王族ナメんなぁあああッ!」
そして、ルイスは飛翔する怪鳥の横面向けて、勢い任せの拳を放った。
「燃えろバカ!」
拳に魔力が収束し、適当すぎる詠唱を、王族の潤沢な魔力が強引に魔術に組み上げる。
ルイスの殴った先が、爆発した。
半ば魔術と呼べるかも怪しい、魔力の塊が炸裂したに近い一撃は、しかし、確かな威力を持って突き刺さった。
怪鳥が甲高い耳障りな悲鳴を上げ、錐揉み落ちていく。
ルイスは、そうして地面に激突した怪鳥の隣へと着地を果たした。
「最悪だ、厄日だ、最低だバカ野郎……」
そして、倒れゆくブランサンジュから飛び降りたコテツが、ルイスの隣に立った。
そして、彼は涙目で前を睨むルイスをちらりと見て短く声をかける。
「ナイスキル、新兵」
「……クソッタレ、何がルーキーだ」
そんなコテツへとルイスは悪態を一つ。
そして、涙目のまま、歯を剥いて微笑んだ。
「最高だよバカ野郎! よろしく頼むぜ隊長さんよ!」
空元気というか、ほぼ自棄である。
「任せろ。正面突破はいつものことだ」
そして、コテツが右手に持ったバルディッシュを横に薙ぐ。
左手には、大剣。
そして、前方には、敵の集団が立っている。
「少し離れて、後ろからついて来い」
「あいよ了解!」
コテツが駆け出す。
対する敵は、まず、接近前に魔術を放ってきた。
放たれたのは水流。数人で放つ魔術の類だ。
数人で魔力を流し込み続ける事で、継続的に水流を放つことができる。
押し流す様な勢いで、棒状に放射される水流を、コテツはその大剣で受けた。
「押し切れ!」
敵が叫ぶ。
だが、コテツの勢いは止まらない。
「消防車両の放水は、暴徒鎮圧などに役立つ場合も確かにあるが」
避けもせずに突っ切って、放たれる根本で、コテツが剣を払う。
「些か、勢いが弱すぎるように思う」
吹き出る水が止まり、水飛沫が舞う。
そして、敵へと迫ったコテツは、今度はバルディッシュを振るった。
ぞんざいに振るわれたそれが、敵を薙ぎ払う。
まるで子供が癇癪を起こしたときの人形のように、哀れに吹き飛んでいく。
「事象を確定、形状、槍。燃焼、爆破。王家の名の下に執行する!」
そんなコテツの背後。
ルイスの手元に、炎の槍が生まれる。
「おっ……、らぁ!!」
大きく仰け反って、投擲。
炎の槍が敵に突き刺さり、爆発する。
(剣術は習ってる、護身術程度だが、ないよかマシ。体はそこそこ鍛えてる。強化魔術でそこらの兵士よか強い。見かけ上は冷静で、魔術もちゃんと使えてる! 大丈夫、いける!!)
コテツの背に隠れていれば、魔術を放つだけでいいと、自分に言い聞かせた。
「リブート! 再度の執行を!」
再び、手の中に槍が宿る。
そして、また投げる。
爆発が起き、また敵を薙ぎ倒す。
コテツはと言えば、敵の魔術は大剣で受け、敵陣でバルディッシュを振り回して軽々と人を吹き飛ばしている。
二、三十人は居た集団はあっさりと綻んでいた。
「あー……、やっぱり鬱陶しいですねぇ」
「全く進みませんね」
あざみ達は、依然として戦闘を続けていた。
雪崩のような砲火を浴びせつつも、しかし、人垣がなくなる様子がない。
「でも」
ぽつりと、ソフィアが漏らした。
「近い」
「ですね」
あざみに、当初の苛立ちや焦りが無いのは、分かっているからだ。
主が近い。今尚、凄まじい速度で近づき続けている。
すぐにコテツはここへ辿り着き、アマルベルガのもとへ駆けつけるだろう。
「ほら、来ましたよ」
あざみが呟くと同時、敵集団の後方が、派手に弾けた。
冗談みたいに、人が飛んで舞う。
思わず、敵兵すら一様に背後のその、台風の中心点を振り返った。
嵐のように周囲全てを吹き飛ばして、彼は来る。
魔術に耐性のある鎧も、ただの鉄の塊になす術もない。
人垣が割れる。
「ご主人様!!」
まっすぐに、駆け抜けてくる。
「あざみっ!」
コテツが、目前で走りながら両手の武器を投げ捨てた。
そして、両手を広げたあざみと、コテツの距離が零となり。
あざみを抱きしめて尚速度を緩めないコテツは、前方へと跳躍する。
二人は、崖の向こうへ。
一瞬の浮遊感、今に自由落下が始まる寸前、二人の声が重なる。
「来い、ディステルガイストッ!!」
その声に応えて、白黒の巨人は現れた。
『Hello my pilot.お待ちしておりました』
響く、機械音声。
あるべき所に、あるべき人が居る。
それがあざみにとって、たまらなく心地よかった。
「通信を繋いでくれ」
座りなれた操縦席。
そして、聞きなれた声が届く。
「わかりました」
『通信、開きます』
コテツは、アマルベルガへと通信を繋いだ。
『コテツ? 無事なの!?』
アマルベルガが一番にしたのはコテツの心配だった。
「問題ない。君こそ、無事か」
それに答え、彼は聞き返す。
『ええ、大丈夫よ。何の問題もないわ』
彼女もまた、何でもなさそうに答えた。
だが、そんな彼女の強がりは、コテツにだって分かる。
そして、今度はちゃんと、かけたい言葉もある。
『大丈夫よ。大丈夫だから、あなたは何も気にしなくていいわ』
言い聞かせるようなその言葉。
『だから――』
「アマルベルガ」
コテツは、その言葉を遮った。
「君の意見は聞かない」
明確な拒否の意志を持って告げる。
『コテツ?』
アマルベルガが、一瞬驚いた顔をする。
「君の意見は聞かない。その上で、俺は君の下へ向かう」
『あのね、コテツ、私の話、ちゃんと聞いてる? 大丈夫よ、私は。今にシャルロッテも来るわ。あなたが無理する必要はないわ。あなたがいなくても、私は大丈夫』
「聞かないと言ったぞ」
もう一度、彼は彼女の名前を呼んだ。
「アマルベルガ、俺は」
胸を焦がすそれに身を任せて。
「俺は変わったぞ。変わっていたんだ」
変わった。いや、変わっていた。
今日、コテツはそれを知って受け入れただけだ。
「俺は今、焦っている、不安を覚えている」
フリードの時は覚えなかった感情だ。
「君を、失いたくないと思っている」
望んで呼ばれた訳ではない居場所だ。
そこにこだわる必要はなく、特別な感情は抱いていないと思っていた。
「そう思う程度には、俺は変わってしまっていたようだ」
いつの間にか、しがらみが増えて、あった方が都合がいい場所は、あって欲しい場所になった。
「俺は俺の意志で君を迎えに行く。君の命令は聞かない。誰の意見も聞かない」
『バカ……。バカよ、あなた。本当にお馬鹿』
そう言って罵るアマルベルガの顔は嬉しそうで。
『コテツ』
「アマルベルガ」
今一度、視線を交わす。
ただ、まっすぐに。
『お願い、助けて』
「待っていろ、すぐに行く」
コテツが答えると、くすりとアマルベルガは笑った。
「どうした」
『ふふ、不安だ、焦ってる、なんていう割りに、随分安らいだ表情じゃない』
「そうだな。今はこの不安と焦りだけが、俺が変わったことを証明してくれている」
そう呟いて、コテツは一瞬目を瞑り、微笑んだ。
「この焦りと不安が、今は酷く愛おしい」
都合上カットしたシーンが今更惜しくなる現象。