138話 変わるということ。
「遅かったか」
コテツが、ドミトリーのいるはずの部屋に踏み込んだとき、既に彼の影はどこにもなかった。
偶然の退室であればよかったが、今日の朝より、彼の姿を城内で見たものはいないという。
元々逃げるつもりであったか、それとも、ルイスが感づいていたことに気付いたのか。
「いなかったのですか?」
コテツが踵を返すと、後方に控えていたルイスが問う。
今は周囲に兵士がいるため、この喋り方だ。
「ああ」
「……そう、ですか。それでは、ドミトリーは本当に」
「だろうな」
ルイスは悲しげに顔を歪めた。
それは、演技なのだろうか。
コテツにはそうは見えなかった。
「実直な騎士でした」
「そうだな」
付き合いなどほとんどないが、それでも分かる程度には、彼女の言うように実直だったと思う。
「付き合いも長くて、努力を怠らない、我が国の誇りと呼ばれていました」
「そうか」
気丈に振舞おうと、やはり拭えない衝撃があったのだろう。
「……ごめんなさい。今日は、休みますね」
「そうするといい」
コテツに、ルイスへとかける言葉は無い。
彼女は自分の部屋へと戻り、コテツはその場を後にする。
兵士達は慌しく動き出した。
ドミトリーの捜索も必要だが、あまり警護の人数も割けない。
コテツも、いくら強かろうと、単機でどれほどのSHを墜とせようと、今この瞬間にそれは、意味がない。
(この状況では俺にできることはない)
コテツにできるのは敵を倒すことだけだ。
ドミトリーを探し当てることはできないし、ルイスを慰めることすらできない。
無言でコテツは自分の部屋へと戻り、椅子に腰掛けた。
考えるのは、この先の事だ。
その件で思い出されるのは、シャルロッテと、アマルベルガ、二人のことだ。
確かに、コテツはこの戦いに対し、これといった関わる理由を持たない。
コテツにとって、戦うことは当然すぎた。今更理由を求められても困る。
そして、シャルロッテは関わる理由もない部外者が首を突っ込むなと言い、アマルベルガは、戦う理由を持たない部外者をこれ以上巻き込むのは忍びないと言う。
(これでは、フリードの時と何も変わっていない)
そう、今はあの時に似ている。
アマルベルガはコテツに逃げろと言い、コテツはそれに逆らった。
あの時から、コテツは何も変わっていないというのか。
確か、あの時は、コテツは部外者である自分は、あまり戦うべきではないと思っていた。
だが、その考えは既に振り払ったはずだ。異世界に来ようとコテツのすることは何も変わりはしない。
そこに戦場があるなら切って捨てるだけだ。
だがそれは、ここで戦う理由にはならないらしい。
シャルロッテのように、何かを想い、戦う人間からしてみれば、コテツの戦う理由は馬鹿にしているようにしか見えないのかもしれない。
「……理由か。難しいな」
勝手な話だ、とコテツは心中で呟いた。
アマルベルガがコテツをここに呼んだのだ。今の関係がどうあれ、彼女はコテツを利用するために呼んだ。
ならば、使いつぶすくらいのつもりで、使えばいいのだ。
(……俺は、戦いたいのか)
コテツは、自分の思考の帰結に、そんな感想を覚える。
所詮、それしかないのだろうか、と。
口で何を言おうと、コテツはそれしか求めていないのかと。
(傭兵でもするべきか)
それならば、いっそのこと戦場を求めて彷徨うのもいいのかもしれない、とコテツは思う。
だが、何故かその選択肢がしっくりと来ない。
「我ながら意味が分からん。俺は一体何がしたいんだ」
コテツは、顔を伏せ、考え込む。
そんな折、コテツの耳に足音が聞こえてきた。
その足音は、コテツの部屋へと近づいていき、ノックの音に変わる。
「ノエルです」
「鍵は開いている」
コテツの声と共に、扉が開く。
扉の隙間から姿を現したのはノエルだった。
「どうした」
扉を閉めて、コテツの方へ向き直るノエルに、コテツは立ち上がって問いかける。
「渡したいものがあります」
そう言って、彼女は左手に持っていた物を差し出した。
それは、鞘に入った剣だった。
「剣か」
「主様のロングソードは、先の襲撃で折れてしまったと聞きました。それゆえに、これを」
あまり飾り気はないが、この前まで使っていた、鍔の鋳造の合わせ目が消えていないようなものより上等なようだ。
前回まで使っていたロングソードは一度目に選んだものより吟味はしたが、コテツは剣技そのものには詳しくない。
コテツの剣技らしい剣技といえば、ジンジューローにレクチャーを受けた刀くらいのものだ。
そのため、コテツが剣を振るのは、鉄の塊を振るうのに等しい。
それでも、豊富すぎる戦闘経験と身体能力に裏打ちされた格闘戦はかなりの強さとなるが、名剣を持つだけ無駄なのである。
「今度は、折れません。切れ味こそ、ありませんが、強度ではかなりのものです」
「助かる、が、どこからこれを?」
「カーペンターに作らせ、私が魔力を込めました」
わざわざ、値打のある物をコテツに買ってきただとすれば少々心苦しくもあったのだが、どうやら彼女等の手作りらしい。
エーポス二人の手を経て作られた剣がいかほどの値段になるのかは、想像が付かないが。
「すまない、ありがとう」
コテツは素直にそれを受け取ることにした。
銃がメインだった世界で生きてきたコテツは、剣を使うことに馴染みがなかったが、最近の使用頻度を考えれば、ないと困るものとなっている。
「ありがとうございます」
コテツが剣を受け取って礼を返すと、何故かノエルも、コテツへと礼を言った。
「君が礼を言う必要はないと思うが」
コテツが当然の事を口にするも、彼女は首を横に振る。
「いえ」
ノエルは、上目遣いでコテツの事を見上げて口を開いた。
「今、大変なことが分かりました」
「なんだ」
「私は、あなたにお礼を言われると、胸部に熱が発生する錯覚を覚えるようです」
「どういうことだ?」
「あなたにありがとうと言われると胸が温かくなります」
彼女は、言いながらその胸に手を当てる。
「それが、私には驚く程心地よく感じられるのです。だから、あなたに感謝を」
「そうか」
剣と一緒に、礼も素直に受け取ることにした。
彼女が、そうしたいなら、それでいい。
「……君が剣をくれたのは、二度目だな」
前にもらったのは、大剣だ。
確かあの時は、贈り物をするのが恋人だ、ということから送られたはずだった。
「はい。思えばあれが、私から主様への初めての贈り物です。大事にして頂けると、私はきっと、嬉しく感じるのだと思います」
「善処しよう」
武器である以上、なんとも言えないのだが。
「しかし、今回も恋人らしいことがしたかったのか?」
コテツは、前回と同じ理由なのか、とノエルに問いを投げかけた。
すると、ノエルはそれをあっさりと否定した。
「いえ。今回は違います」
「では、何故君が?」
街に出て適当に決めても良かった。あるいは支給される可能性も十分にあった。
だが、ノエルはわざわざ作って渡してきた。
「理由は、分からないのです。壊れて、あなたが装備を失ったと聞いて贈りたいを思いました。それ以上の事が、私には分かりません」
一生懸命に何かを伝えようと、ノエルは訴えかける。
「しかし、きっとこの温かさが、理由なのだと思います」
「……そうか」
「あなたと一緒だと、知らないことが沢山知れます。もっと、知りたいと思います。もっと私に、教えてください」
そんなノエルへと、コテツは搾り出すように呟いた。
「君は、変わったな」
「そうでしょうか。そうかもしれません。だとすればあなたのせいです。あなたの、おかげです」
「ああ。変わった。少し、羨ましく思う」
眩しいものを見つめるように、彼は、彼女を見つめる。
「どうすれば、君のように変われるのだろうか。君を愛せば……、俺も、変われるのか?」
真剣に、彼女を見据えて呟いた言葉に、頬を赤らめ、ノエルは目を伏せた。
「もし、主様が私を愛してくれるというのならば、とても嬉しく思います。でも、しかし……、きっとそれは違うのです」
そして、彼女は顔を上げて、ガラス玉のような瞳でコテツを射抜く。
無表情な顔に、しかし拳をぎゅっと握り、懸命さを滲ませて彼女は何かをコテツに伝えようとしている。
「主様には、主様を乗せたあの日から、私が変わった様に見えるのかもしれません。でも、違います」
訴えかける彼女に、コテツは黙って言葉を促した。
「あれは、きっかけに過ぎません。私は、受け入れただけです。ただ、それだけです」
「……そうか」
ノエルの言うことが理解できたわけではない。
だが、理解しなければならないのだろうと思う。
「それでは、失礼します。戴冠式も近い今、無理はなさらずに」
「ああ、すまんな。ありがとう」
ノエルが、踵を返し、歩き出す。
それを見送って、コテツはベッドに倒れこんだ。
「そろそろ気付かれた頃か……」
城の廊下を早足で歩きながら、ドミトリーは呟いた。
彼の主は聡明な女性だ。自分の裏切りに気が付かないはずがない。
だが、悟られるのは既に織り込み済みである。
むしろ、それすら利用して、ドミトリーは立ち回る。
「ここでよいか」
ドミトリーはある扉の前で足を止めると、服の襟元を正し、乱暴に扉を開け放った。
「きゃあっ、だ、誰……!?」
中から響いたのは、甲高い悲鳴のような声だった。
それを無視してドミトリーは慌てたように中へと踏み込み、焦った風を装って、中に居た来賓の貴族の娘に話しかけた。
「すまないご婦人っ……、大声を上げないでいてもらえるだろうか……!」
「まぁ……! あなたはルイス様の……。一体どうしましたの? ノックもせずに押し入るなんて」
ルイスの護衛のドミトリーと分かると、少しだけ中に居た貴族の娘は警戒心を解いた。
この瞬間ばかりは主の名声とその護衛である自らの立場に感謝せざるを得ない。
「……ご婦人。非礼を承知で申し上げる。どうか私をかくまってもらえないだろうか」
真剣な瞳で見つめ、彼は貴族の娘の手を取った。
美青年であるドミトリーに見つめられ、娘は顔を赤く染める。
「一体、何がありましたの……?」
「私は今、反逆者として追われる立場にある」
「まぁ……! 一体何をしたのですか」
「私は何もしていないのだ……、だが、状況証拠で疑われている」
大仰に頭を抱えて、ドミトリーは苦しげに呟いた。
「まさか、それって……」
「冤罪だ」
「冤罪……。そうでしたのね。どのような状況下詳しくは分かりませんが、確かに、あなたほどの騎士が反逆など……」
掛かった。
ドミトリーは心中でほくそ笑んだ。
「まずは、巻き込んでしまったこと、申し訳なく思う」
胸に手を当て、深く頭を下げるドミトリー。
そんな彼を、娘は手で制した。
「そんな、顔をお上げくださいまし。私の事はどうかお気になさらず。私にできることならなんでもいたします」
「ご婦人、あなたの自愛に感謝を」
「それで、私に何か頼みがあるのでは?」
貴族の娘には、日常を退屈に思いながら、白馬の王子様が訪れるのを待っているような夢見がちな者が多い。
ろくに外にも出さず、箱入りに育てるものだから、世間知らずで、そしてこのように巷の若者向けの小説のような場面を用意してやれば夢見心地で食いついてくる。
「どうにか、逃げ延びることこそ、我が願い。この部屋の窓から私は外に出るつもりだ。そして、もしもこの国の兵士がこの部屋を訪ねるようなことがあれば……、いや。それではあなたも共犯にされてしまう。もし、兵士が来たら、剣で脅された、と」
「そんな! 何も遠慮などなさらないで! それに、逃げなくともあなたの潔白は私が保証いたしますわ!!」
自己に陶酔したように彼女は叫んだ。
それを聞いて、余計なことを、とドミトリーは心中で悪態を吐く。
(お前のような小娘一人に保証されたところで何も変わらん。たとえ本当に冤罪だったとしてもな)
だが、そんなことはおくびにも出さずに彼は軌道修正を試みた。
「いや、騎士として自らの汚名は自らで雪がねばならない。自分で潔白を証明する」
「ドミトリー様……」
「私はこれから城を脱出し、市井に潜って情報を収集する。もしもあなたが協力してくれるのならば、ドミトリーは廊下を走って逃げた、と伝えて欲しい」
「それだけで、よろしいのですか」
「私には、それだけで十分すぎる」
「分かりました。陰ながら私、応援しております」
ここからが本題だ。
ドミトリーは、概ね話が纏まったと同時に一歩前に出て、今一度包み込むように、彼女の手を取った。
「ご婦人」
「ドミトリー様……」
娘の頬が赤く染まる。
そして、ドミトリーは包み込んだ彼女の手に、ネックレスを乗せた。
「これは?」
「あなたに、感謝の気持ちを、形にして渡したかった。私の母の形見だ」
「こんなもの、いただけません……!」
「あなたに、持っていて欲しい。受け取れないというのなら預かっていて欲しい。もし潔白を証明したその時は、あなたの手からそれを受け取りたい」
「そういうことでしたら」
娘が微笑む。
恐ろしいほど上手く行っていた。ドミトリーは大笑いしたくなるのを堪えて、儚げに笑うに留めた。
「願わくば、肌身離さずつけていてくれると、嬉しい」
「はい、必ず……!」
熱っぽい目で見送られ、ドミトリーは窓から飛び降りる。
二階からではあるが、この程度魔術を使えば大した高さではない。
「風よ舞え」
略式詠唱で唱えると、下から激しい風が吹き上げた。
それにより、勢いを殺しつつ、着地。
そのまま、物陰へと走り出す。
(……やはり無能か。あんな無能が人の上に立つなど間違っている。早急にどうにかせねばな)
そう心中で呟いた後には、城の影にドミトリーの姿はなくなっていたのだった。
それきり、彼は見つかることもなく、コテツ達は手がかりのないまま、戴冠式当日を迎えたのだった。
なんだか残念なくらいあちこちでミスが散見されていますが、直し直しやっていきます。
指摘いつもありがとうございます。