134話 月が見ている。
「……こっち来る前から軍人だったのか」
「珍しいのか?」
「そうでもねぇ、と思う。やっぱりSHで戦うのに向いてる奴が呼び出されるからおのずと軍人も多いけど、むしろ先代が珍しいのか?」
「わからんな」
「アタシは先代のイメージが強いんだよ。世代的に」
言いながら、彼女は腰に手を当てた。
「んで、いいのか? こんなんで」
「ああ。正直あれを見た後に丁寧にされるのは薄気味悪い」
「悪かったな、薄気味悪くてよ」
ジト目で、彼女はコテツを見つめた。
「ちぇ、長いこと隠して来たのになぁ……。これでも気配読むのには自信があったんだぜ。プロにゃ敵わなかったみてぇだけどさぁ」
「すまん」
「いや、アンタが謝ることじゃねぇよ。それよりも、ほんとに黙っててくれんのか?」
「ああ」
「なんで?」
正直に言ってしまえばこれは弱みだ。この男は一国の姫の弱みを握ったことになる。
「そもそも言いふらすようなことじゃないだろう」
「いやでも、一国の姫の弱みだぜ? 有効に活用すれば利権が手に入るかも」
「なるほど、そういう考えもあるか」
もしかすると、要らないことを言ってしまったのかもしれない。
そう考えるルイスだったが杞憂のようだ。
「だが、そういう腹芸は俺にはできん」
鋼のように硬い声で彼はそう言った。
「それに、君には借りがある」
「あ? んだよそれ」
「パーティ中に助け舟を出してくれただろう」
言われて、彼女は思い当たる。
そういえば、そんなこともあったのだ。
「あー、あれか。気にすんなよ。男に群がるアホどもが鬱陶しかっただけだし。律儀だなアンタも」
言い終わると、彼女は大げさに溜息を吐いて座り込んだ。
ドレスには到底見合わない胡坐である。
「はー、にしてもビビったぜマジで。寿命が縮んだわ」
その胡坐の膝に肘を突き、頬杖代わりにするその姿。
既に先程の面影もない。
「服が汚れるぞ」
「いいんだよ。汚れたら汚れたで、『ふふ、妖精さんが悪戯してしまいましたのね。困りましたわ』ってわらっときゃ勝手に回りが盛り上がってくれるからよ」
「そうか。それより、戻らなくていいのか?」
「あー……、つーかよ。少し付き合えよ。戻りたくねぇのは、アンタもだろ? お互い、エトランジェと姫の逢瀬なら名分も立つだろ」
「……ふむ、まあ、そうだな。戻りたいとは思っていない」
「なら、ちとここでゆっくりしてこうじゃねえの。いいだろ? アンタも」
「ああ」
到底、このエトランジェもあの会場に馴染んでいるとは思えなかった。
ちょっとした仲間を見つけた気分で、ルイスはにやりと笑った。
「しかし、アンタもあの場の主役みたいなもんなのになぁ。全然、馴染めてねぇし」
「もとよりああいう場は得意じゃない。役目を果たした以上、出来れば立ち去りたいくらいだ」
「ふーん」
確かに、あの演舞が終わった以上、彼がパーティに居る意味は無いのだろう。
どうも、アマルベルガ王女はコテツをあまり政治的な立場に絡ませたくないようだ。
それは限りなく正解だと思う。腹芸などできそうにないというのには、全くの同意だ。
「しっかしまあ、肩が凝って参っちまうぜ。そう思うだろ? アンタも」
座った状態から、コテツを見上げると、彼はじっとルイスを見ていた。
あまりにも凝視されているので微妙に照れくさい。
お行儀の良い、白百合の美姫は、人に見られるのはとっくに慣れたものだが、素のルイスという少女は違う。
むしろ、ほとんど誰にも見せたことの無い姿をじっと凝視されているのだ。
初めての経験で、嫌に恥ずかしい。
「な、なんだよ。アタシの顔に何か付いてるか?」
「いや、こうして見るとドレスが似合わないと思っただけだ」
些か失礼な物言いだったが、不思議と腹は立たない。
どちらかと言えば、驚いた、と言うべきか。
「ドレスが似合わないって言われたのは初めてだな……。そう見えるのか? アンタは」
生まれてこの方、美しく、たおやかで、可憐と呼ばれ続けたルイスは、似合う、以外の言葉を掛けられたことがない。
精々、ドレスの方が見劣りする、と言われるくらいだが、こちらは誉め言葉だ。
こんな風に遠慮も無く否定されるのは新鮮だった。
「ドレスよりも、野戦服が似合いそうだ」
「野戦服?」
「俺の世界の兵士の戦闘服だ」
「戦闘服か、悪くないかもな」
「口の悪い戦友が、よくこうして地面に胡坐を掻いて笑っていた」
「同レベルだって? 違いねぇや」
窮屈な靴さえ脱いでしまい、膝上まである白いソックスの上からでもわかる形のいい足が露になる。
「ドレスなんざ似合わないさ。向いてねぇんだ、王族なんて、そもそもさ」
「そのようだな。逃げようとは思わないのか」
「そりゃ考えたこともあるがね。かといって外に出て生きてもいけねぇぜ? 王族として一生にこにこ手振って終わるのも御免だが、他にやりたいこともねぇんだ。とんだ半端モンだぜ」
そう言って彼女は肩を竦めた。
「アンタに夢はあるかい?」
コテツは、頷かなかった。
「ない」
「そうかい」
「だから困っているところだ」
「だよな」
ああ、どうやらこのエトランジェも似たようなものらしい。
「なんだ、アンタもか」
微量のシンパシーを感じながら、彼女はコテツを見上げた。
なるほど、見てみれば冴えない顔だ。
何が面白くないのか仏頂面もいいところである。
「いやでも、アンタは趣味とかねーの?」
「ないな。しいて言うなら訓練だ。君はどうなんだ」
「……筋トレ? 見てわからねぇくらいの範囲でしかできねぇけど」
その辺に居るだらしない体の貴族の娘とは違う。
ルイスは少々ばかりに体には自信があった。
それこそそこらへんの娘さんなら素手で殴り倒すこともできるだろう。
「ほら触ってみろよ。見た目に影響出さないようにするの大変だったんだぜ」
苦労の甲斐あって彼女のが捲って見せた腕は女性らしいラインと弾力を保ったまま引き締まっている。
「……触っていいのか」
「あ? アタシが触れってんだぜ? 何ためらうことがあるんだよ」
「死ね、あのファッキン親父。触んなヴォケ、消えろ、ファッ」
「いつまでそのネタ引っ張んだよ! 言わねーから。アンタそういうツラしてねぇし?」
「どういう顔だ」
「好色そうにグヘヘって笑いそうなツラ」
「無理だな」
「オーケー、なら触れ」
ルイスはコテツの手首を引っ張り、自分の上腕に近づける。
コテツは屈みこむようにして、ルイスの腕を掴んだ。
「いい筋肉だな」
「だろ?」
屈託なく、ルイスはコテツに笑いかけた。
「エトランジェ殿、どちらへ行って……。ルイス姫とご一緒でしたか」
外から戻ったコテツとルイスを見つけた貴族の一人が、コテツに声をかけた。
「ええ。少し席を外したら、迷ってしまいまして。偶然エトランジェ様が見つけてくださいましたの。そこで少し、とりとめのないお話を」
完璧な淑女の顔に戻ったルイスは、口元を手で隠しながら微笑む。
「おや、そうでしたか。どのようなお話を?」
「趣味の話を少々」
「ほう、そうでしたか。あくまで個人的なお話だったと?」
「ええ。そうでなくては、エトランジェ様に嫌われてしまいますから」
「左様でしたか。所で、白百合の美姫と呼ばれるルイス様の趣味、私めも気になりますな」
「演劇、絵画の鑑賞と花壇の手入れですわ」
いけしゃあしゃあと、彼女は言った。
言われた方の男はまんまと騙されて相好を崩す。
「ルイス様らしい、かわいらしい趣味ですな。是非今度、花を送らせて頂きたい」
「いえ、それには及びませんわ。そして、願わくばそのお花は摘まないで上げてください。最後まで花として散ることができれば、その方が私は嬉しいのです」
贈り物とか面倒クセェ。形の残るものよかマシだけどな、とは口にしないことにして、彼女は微笑んだ。
「花は咲き誇るままにあるべきですな。今後気を付けましょう。流石ルイス様。お優しい。」
「そんなことはありませんわ。私は口にしただけですもの。それを聞いて実行できる貴方様が、やさしいのです」
そう微笑みかけたルイスに、男も照れくさそうに頭を掻いて笑い返す。
「では、エトランジェ様。私はこれで」
「ああ」
そう言ってルイスはコテツの元から離れた。
すると、入れ替わるかのように、背後にドミトリーがついてくる。
「どちらに行っておられたのですか……」
「少し、散歩に」
「お戯れを」
これというのも、気晴らしがしたくてわざわざドミトリーを巻いて逃げたせいだ。
(うっせバカ、小娘に撒かれる方が悪い)
「姫様は随分と私から逃げるのがうまくなられたようで」
「気のせいですわ」
「護衛としては気が気でありません」
「気を付けます」
と、そこで急にドミトリーは声を潜めた。
「ところで、あのエトランジェ殿とどのように仲良くなったのですか」
「そんな大それたことはしていませんわ。お話しただけですもの」
「我が国に利はありそうでしたか?」
「そんな話をすれば、すぐに逃げて行ってしまうでしょうね」
たしなめるように、ルイスは優しく微笑んだ。
(やめろバカ。下手な真似したら身の破滅だぜ。ばらされたらアタシは一巻の終わりだぞ)
「そういう御仁、ということですか」
「ええ。力を借りられることがあるとすれば、国を通してか、彼個人との友誼によってなされるでしょう」
「仲良くしておけば損はない、と?」
「そういうことを考えずに、仲良くなることができれば、何かあった時に力を貸してもらえるかもしれないということです」
口にする言葉はあながち外れてもいない言葉だ。
(下手に触れても鬱陶しがられるだけだろ。そういうツラ構えだよ)
権謀術数の類に至っては本気で面倒に思っていることだろう。
(何せ、アタシがそうだからな)
素の自分の面構えも似たようなものだと思う。
願わくば政治などと無関係な所で生きていたいものだ。
その辺り、ルイスとコテツは似ているだろう。
(ああ、でも、羨ましいなぁ。アレ)
思い浮かべたのは、先の戦闘だ。
心躍るような激しい機動と、眩いほどの光の煌き。
(ありゃ、アイツにしかできないんだろうなぁ)
白百合の美姫と呼ばれてこそいるが、所詮ルイスは一国の王女に過ぎない。
権力は無い、武力もない。王位継承権も無い。
この座にいるのはルイスでなくてもいい。ルイスがある日突然死んでも困ることなどありはしない。
(それに、戴冠式かぁ。ここのお姫様もやるじゃあねぇの)
自分と同じ王女。そのはずのアマルベルガが王となることに、覚えるのは敬意と嫉妬だ。
(アタシは何してんだか)
一瞬出かけた素の顔を、頭を振って隠し、いつもの笑顔で彼女は人の群れの中に飛び込んで行ったのだった。
「御機嫌よう、皆様」
「いつの間に仲良くなったんですか……。というか手早過ぎないです?」
いつの間にか近くに来ていたあざみがコテツに向かって言う。
その目はまるで非難するような半眼だ。
「君が考えているような関係ではない」
あざみの方を見もせずにコテツは言うが、当然のように彼女は曲解した。
「私が思っているような、ってもしかしてABCのCまで済ませたって事ですか! あんなお淑やかなお姫様相手に、一体……」
おしとやかなお姫様、の言葉に眩暈がするような違和感があるが、それはさておき、だ。
「……少し話しただけだ」
「本当ですかぁ? 肉体言語じゃありませんよね? っていうか仲良くなってよかったんですか?」
最後にあざみが聞いたのは、不用意に要人と仲良くなって良かったのかということだ。
「問題ないだろう」
奇しくもコテツはルイスという女の弱みを握ったことになっている。
これを積極的に使う気はないが、向こうが意に沿わない行動をするならその限りではない。
つまるところ、ばらされたくないために、彼女はコテツに迷惑を掛けようとしないし、周囲の暴走を止めようとしてくれるだろう。
(そういう事が分からない箱入り娘、という心配はなさそうだしな……)
むしろ、詰めの甘さこそあれど、あれは駆け引きに慣れているようだ。
「随分な信頼の置きようですねぇ……。やっぱりおしとやかな子の方が好みなんですか?」
「……彼女は、そういったものではない」
本当に、心から、中庭で見かけた彼女を思いだしながらコテツは言うが、当然あざみには通じない。
「そういうことにしておきましょうか」
あざみの信じるルイスと、素のルイスのギャップに、心中で苦虫を噛み潰しつつ、コテツは諦めの言葉を口にした。
「とりあえずそれで構わん」
一体後何話出せば11は終わるのか。