120話 腑に落ちぬ
「おはようございます、コテツ様」
マレットは、晴れた空の下にっこりと笑ってコテツの前に立っていた。
「ああ、おはよう」
初めて会った時から今も尚感じ続けている血の匂いを、彼女は今日も纏っている。
単なる嗅覚情報だけではない。その目が、視線の動きが、足取りが、殺人者のそれだ。
足音を消して背後から襲いかかるような、標的を値踏みし、隙を窺うような。
前の世界ではよく見たそれを、彼女は体現していた。
「ご機嫌はいかがです?」
この匂いさえ感じなければ、コテツは彼女を疑うことはなかったかもしれない。あるいは、彼女に実戦経験の一つもあればここまで疑問に思うことはなかった。
そして、その疑問を持ったまま彼女に接すれば不審な点は増えるばかりで、今は既に、確信に近い。
「問題ない」
「それは幸いです。さあ、今日も行きましょうか」
しれっと笑う彼女を、コテツは見つめながら、ろくでもない一日が始まる。
(想像通りなら、酷いマッチポンプだ)
コテツがもしも表情豊かだったら、今頃ひどいしかめ面をしていたことだろう。
今このときは表情の乏しいこの仏頂面に感謝しながら、彼はマレットの隣を歩く。
「君は、いつも九時過ぎに家から見回りを開始しているのだったな?」
「そうですよ? やっぱりもう少し早いほうが?」
「……そうだな。その方が良かったかもしれん」
疑念は、コテツの看過できない領域まで膨れ上がった。だからこそ、あの時コテツはマレットに捜査協力すると決めた。ノエルにも打ち明けることにした。
コテツの胸に秘めたまま持ち帰るにはそれは大きすぎた。
「では、今日の見回りは早めにしますか?」
「そうだな」
今日も現れるのだとしたら、随分精力的なことだ。まるで捕まりたいかのようではあるまいか。
今日現れる犯人は、魔術の使える犯人だろうか、使えない犯人だろうか。次の事件も、コテツ達の耳に悲鳴が届くような場所で行われるのか。
「あ、マレット様、コテツさん」
「フェリノアか」
市の近くを歩いていると、前方からフェリノアがやってくる。
「お疲れ様です。頑張ってください」
「ああ」
「それに、ラウもなんだか、関わってるようで……。手間をお掛けします」
「問題ない。夜は同行させるつもりもない。できる限りの安全を保障しよう」
「はい、よろしくお願いしますね、コテツさん、夜は、おいしいごはんを用意して待ってますから」
「ああ」
去っていくフェリノア。その手には手提げ袋。何らかの買い物に来たのだろう。
「さて、行こうじゃありませんか、コテツ様」
そう言って、彼女はコテツの手を取った。
「お昼も近いですし、少し家でご飯を食べていきませんか?」
「食べるなら一度教会に――」
「今から南区に戻ったら一時間は必要ですよ。私の屋敷ならすぐそこですから」
「分かった」
コテツは彼女に連れられ、彼女の屋敷へと赴く。
これまで見てきた領主の屋敷よりは少々ばかり小さいが、それでも一般市民の住居に比べれば十二分過ぎる。
「おかえりなさいませ、マレット様」
「ただいま。客人のコテツ様です。ご飯を用意してもらえるかな。急ぎ目で」
「はい、ようこそいらっしゃいました。コテツ様。少々お待ちください」
優雅に一礼して、出迎えに来たメイドが去っていく。
「さ、コテツ様はこちらへ」
「ああ」
コテツは、マレットに連れられて更に奥へ。
「……いい屋敷だな」
彼が、こんな心にもないことを呟いたのは、ちょっとした打算からだ。
もしも、屋敷内を見回ってなんらかの証拠が得られれば非常に僥倖といえる。
「ありがとうございます。コテツ様にそう言われて屋敷も喜んでいますよ。ただ、広すぎるのも不便ですね」
ただし、彼女が犯人であるとすれば、この状況は薄氷の上に成り立っている。
もしもマレットに、コテツが疑っていると悟られれば、マレットは何をしてくるかわからない。強硬策に出るか、どうにかしらを切り通すかの二択になるが、彼女がどちらを選ぶかはわからない。
だから、マレットの方からそういう提案をしてくるよう引き出せればいいのだが。
「食事まで、私の部屋にどうぞ」
(流石にそう上手くは行かんか)
そもそも話術に自信があるわけでもなく、上手くいけば僥倖くらいのつもりだ。
エントランスの階段を上り、右の通路から、左奥へ。しばらく廊下を歩いて、マレットの部屋に着く。
「どうぞ」
室内は、あまり物もない、上品な印象だ。
そこに置いてある、椅子に座って、二人は向かい合う。
「そういえば、事件について聞いておきたいのだが」
「今だけは、そういう話はやめにしませんかね? せめて、昼食を食べてここを出るまでは」
「……そうか」
コテツがうなずくと、マレットは目を輝かせてコテツに言った。
「私は、あなたに逢えたら聞いてみたいということが沢山ありまして。ずっとお話したいと思っていたのですよ」
「答えられることならば答えよう」
「ありがとうございます。ではお聞きしますけど、普段は何をしてらっしゃるのですか?」
何を聞かれるかと思ったが、本当に雑談のような内容だ。
幾分かの拍子抜けを覚えてコテツは答える。
「訓練だ」
「そうなんですか。やはり強さはたゆまぬ鍛錬によって手に入るものなのですねっ」
彼女の眼には、探るような空気もない。
「コテツ様はどれほどの訓練と実戦を行ったのですか?」
「わからんな。数えていない」
「それだけの実戦を潜り抜けてきたのですか……。やはり実戦でなければ強くなれませんからね。私なんかは、お恥ずかしい限りです」
その後は本当に他愛ない言葉を交わしただけだった。
特に事件にかかわるようなことはない。
そうして、しばらくすると、使用人が食事の完成を告げてくる。
「さ、食堂に案内しますよ。行きましょうか」
二人で席を立ち、今度は来た道を戻って階段を下りる。
エントランスの一階中央の扉を開けば、そこには立派な食堂があった。
「ここが食堂です」
広い室内に、大きいテーブル。
向かい合うように、座る。
「もう少し、お待ちくださいね」
「ああ。しかし、他の家族はいないのか?」
「ええ、姉妹兄弟はおりませんし、両親ともに他界してますので」
「そうか」
「父は、質実剛健の益荒男だったのですがね。流行病で逝ってしまいました。母も、文武両道の才媛でしたが、父を失って以来日に日に元気を失って……」
このことが事件に関与するのかは不明である。
「父はとても厳しい人でしたが、、非常に優秀だった軍人の父を心から敬愛してました」
「そうか」
「願わくば、私も父のような男として生まれたかった所です。やはり、家督は長男が継がなければ」
「ふむ、そんな考えがあるのか?」
「王族なら昔からですが、女性が貴族の家督を継ぐ、というのはそう遠い昔からあることではないんですよ」
つまるところ、少し考え方が古い家庭だったということだろうか。
「ですが、うちには私しか生まれなかったので。父の厳しい指導の下、私はこうしているんです」
「剣術もその一つか」
「はい。そうですね。とは言え、所詮女の身ですから。腕力の壁を越えられません。だから、男性のその腕が愛しく、羨ましくもあるんですよ」
そう言って彼女は微笑んでいた。
「お待たせ致しました」
そんな中に、料理が運ばれてくる。
毒は、状況的に入っていないはずだ。
(逆に毒でも入っていれば話は早いのだが)
コテツは、少量ずつ料理を口に入れるが、舌の痺れも感じない。
エトランジェが死ねば、国が大々的に介入する。それは避けたいだろう。
むしろ、彼女はその逆をするために動いているはずだ。
「どうですか?」
結局、収穫のないまま、コテツは料理を口に運ぶしかなかった。
「……最近悲鳴も聞き慣れてきたな」
夜。コテツとマレットは甲高い悲鳴を聞いて走り出した。
「ここか」
全速力ですぐさま辿り付き、そこに居たのはやはり仮面の男。
気絶した女性と、その女性を守るように、膝を震わせながらなんとか立つ、ラウの姿があった。
「む、ラウ、なんで君が」
「こ、コテツ!?」
心底安心した声で、ラウはコテツを呼んだ。
コテツは振り向いた仮面の男とじっと睨み合う。
そして、唐突に、仮面の男が飛び掛かった。
(扱いに困るな……)
想定通りなら、この仮面の男を捕まえても事件は終わらない。
「ラウ。その女性は生きているのか?」
男の剣を受けながら、コテツは問う。
「い、生きてるよ! まだ大丈夫だ!!」
「なるほど、そうか」
呟き、コテツは男の剣を大きく弾いた。
(この男の場合、殺すつもりはないのか? 部下に殺しを強要しないのか、殺しは自分で行いたいのか……)
「コテツ様、援護するので、捕まえてしまいましょう!」
「マレット、君はラウと女性の保護を優先してくれ。俺は、この男の相手をする」
「……了解です!」
打ち合うコテツ達の横を通りぬけて、マレットが女性とラウの下へと向かった。
三人を守る格好で、コテツは防戦に徹する。
「コテツ様、やはり援護を……!」
「向こうは魔術を使ってくる可能性がある。流れ弾がそちらに行くかもしれん。君は万が一に備えてくれ」
相手は一向に魔術を放ってくる気配もないが、活用させてもらうことにした。
(今日は逃げるつもりはないのか……。余程に捕まりたいと見える)
捕まえるつもりはない、のだが。
あまり積極的に動かなかったため、不審に思われるのを避けたのであろう前回と打って変わり、意地でも捕まえられたいかのように退こうとはしない。
(不味いな)
このままでは捕まえざるを得ない状況だ。
そして、幾度目かの剣戟を終えたその瞬間。
仮面の男の剣が弾かれ、乾いた音を立てて地面を滑る。
男は、あらかじめ予定されていたかのように、両手を挙げた。
「やったみたいですね、コテツ様! さあ、この卑劣漢め、その顔を見せなさい!」
マレットが言うと、諦めたように男は仮面に手を伸ばし、それを地面に放った。
「え……? そんな、まさか……!」
ある意味、想定通りの顔がそこにはあった。
マレットの護衛の一人が、そこに立っている。
「あなたが、殺人鬼だったなんて……!」
大げさに驚くマレットを、コテツは考え事をしながら見つめていた。
(これが逮捕されたら、事件が終わったことになるな……。国は介入することなく、俺とマレットの手柄になる)
そして、マレットはエトランジェと協力して凶悪な殺人犯を捕まえたという評価を得る。
そうなれば、尚更にマレットと殺人犯を結びつけるものはいなくなるだろう。
「……すみません、マレット様」
「理由は、後で聞きましょう。あなたを、捕まえます」
「はい」
嫌に素直すぎる男に、何とも言えぬ薄気味悪さを感じながら、コテツはそれを眺めていた。
(この流れはどうしようもない、か……?)
表向きはまさに犯人逮捕そのもので、止める理由が存在しない。
「……待て」
苦し紛れに、コテツは呟いた。
「なんですか?」
「そこの男は魔術は使えるのか?」
「え? それは……」
マレットは言い淀む。
「つ、使え……」
「使ってみてはくれないか?」
「危険でしょう、それは!」
「問題ない。抵抗や逃走の意思はないだろう」
殺害現場においては、剣で斬った後に、魔術で切り刻んでいるはずだ。
しかし、この男は戦闘中に魔術を使用は愚か、使おうという素振りも見せなかった。
「……できません」
「何故だ?」
「私に、魔術適正はありません」
「お待ちください。口では何とでも言えるでしょう。そう言って言い逃れする気かもしれませんし、それに、何らかの道具を使用した可能性もあります」
「この状況は現行犯だ。嘘を吐く理由はない」
確かに、魔術と同等の働きをする道具はある。持ち主が魔力を流せば動くものの他にも、持ち主が一切魔術を使えなくても、使用可能なものはある。コテツがノエルから貰い受けた大剣に更に複雑な細工を施せば、と言ったところか。
複雑で効果の高いものほど、価値があるのはもちろん、使い捨てのもの、魔術が使えれば再チャージ可能なもの、周囲の魔力を吸って自動で回復するものの順で金額が上昇していく。
「ただの模倣犯か、魔術が使える共犯がいる可能性がある。これで油断するには些か早いかもしれんな」
と、いうことにしておく。とにかく、これで事件解決にはさせない。
後は、マレットが道具の使用をでっち上げてくるまでは、事件は続く。
「そう、ですね。もう少し調査を続ける必要がありそうです」
「ああ、念を押しておいた方がいいだろう」
「彼は、私が預かります。よろしいですか?」
「ああ。後々、俺も話を聞くかもしれんが」
「……ええ、尋問の経験などありませんから、助かります」
次頃からそろそろクライマックスです。鋭い方は気付いていらっしゃったようですが、正解はマレットが犯人、ついでに護衛とかグルです。