115話 On The Bed
ドラム缶の中のお湯が、夜空に向かって湯気を上げる。
その中にいたラウが、感嘆の声を上げた。
「すげぇな、ねぇちゃんよ。あんた、魔術師だったんだな」
「ええ、一応は」
そう言って彼女はドラム缶に手を当てた。
「昔は、遠征中によくこうしたものです」
「ふーん、そうなのか」
「ええ。前主様はガハハハハ、と高笑いをしながらお湯に浸かっていたものです」
ドラム缶は三つ並んでいて、そのどれからも同じように湯気が上がり、一人ずつお湯に浸かっている。
その全てが、ノエルが魔術で作ったお湯だった。ドラム缶は子供たちが拾ってきて教会の裏に置いてあったものを使っている。
単純な炎ではなく、熱を伝える魔術。目的の割にかなり緻密な魔力運用がなされていた。
「前主様、って……、姉ちゃんはどういう人なんだ?」
「……軍人、のようなものでしょうか」
「軍人? じゃあ、あの兄ちゃんは今の上官か」
「いえ、上官ではありませんよ」
「は? ちげぇの?」
意外そうな顔をするラウに、ノエルはうなずいた。
「ええ、上官ではありません」
「じゃあ、なんなんだよあの兄ちゃんは」
「そうですね、上官ではありませんが、とても偉い人です」
エトランジェ、ということは明かさないことにした。
女の子もいる、ということでコテツは今席を外している。
彼本人が明かしていない以上、勝手にノエルがそれを口にするのは許されないことだろう。
「げ、マジかよ、どれくらい偉いんだよ」
「それは、言えません」
すると、ラウはしかめっ面をして頭を抱えた。
「もしかしてうちの姉ちゃんさ、とんでもない人止めてるんじゃねぇの?」
「あの方に関しては気にする必要はないかと」
「そうかい。まあ、そう言うならそういうことにしておくけどさ」
子供の華奢な体を自らの手でさすりながらラウは問う。
「ところで、あの兄ちゃんもあんたみたいに魔術は使えるのかい?」
「いえ。あの方は一切の魔術が使えません」
「うわ、全然すごくねぇじゃん」
子供は反応が大きいもので、ラウは今度は大げさに首をひねった。
「わかんねぇなぁ。夫婦なんだろ? どこが好きなんだ?」
問われて、一瞬ノエルは言葉に詰まった。
「わかりません」
そう、それこそがノエルの命題だ。人のどこを好きになればいいのか、何を愛おしめばいいのか、ノエルにはまだわからないままだ。
その命題に、ノエルはコテツを付き合わせている。誰でもよかった、と言えばだれでもよかったのかもしれない。
「ちょ、マジ? じゃあなんだよ、あれか? 金か? 権力か?」
「金はともかく、権力はありませんよ」
エトランジェは基本的に権力を持たない、持たせない。これまでに領主、貴族になったエトランジェもいなかったわけではないが、軍を持つことは許されなかったし、大きな勢力になることは今までなかった。
彼らにあるのは権威だ。その権威だけは国を出たとて通用する。
「オイオイ、じゃああれか、オレらにゃ縁のないセイリャクケッコンってやつか」
「それも、違います」
「じゃあもうお手上げだ。いったいなんなんだ」
その言葉に、ノエルは考える。
「私にもわかりません。ただ、しかし……」
心に思い浮かべたその男は、まるで自分のように無愛想で、無表情だった。
「きっと凄い人なのだと思います。あれほど、気難しい姉と妹達を認めさせたのですから」
「ふーん……」
納得したのか、していないのか、判断に困る返事をラウは返す。
「だといいな。しかし、そっか、姉ちゃんには兄弟姉妹がいるんだな、オレと一緒だ」
そう言って、ラウは笑った。
「そうですね、私には姉と妹しかいませんが、姉と妹ならば、たくさんいます」
「ふーん? 仲はいいの?」
「さまざまです。仲の良い姉妹もいますし、悪い姉妹もいます。会ったこともない姉や妹もいます。私は、あまり仲の良い相手はいませんね」
「たくさんいるんだな」
「はい」
正確な数はノエルも把握していない。もしかすると、今各国が把握している以上のアルトが創られている可能性はある。
初代がどこで何をしたか、全てを知っているものなど、エーポスの中でもそういないだろう。彼がどこかの秘境の少数部族の作った村にアルトを残していない、などとは言い切れない。
「オレも、たくさんいるぜ。本当は、もっとたくさんいるんだ」
「そうですか」
そう答えたノエルに、ラウは頭をガシガシと掻いて、呆れたように言った。
「あんた、全然笑わねぇんだな。せっかく美人なのに、台無しだ」
「そうですか。しかし、そういうあなたもあまり笑ってないように思えます。先ほど一度だけ微笑んだようですが、魅力的ではないのですか?」
笑え、と今は亡きパイロットに言われたことを思い出す。
対するラウはと言えば、照れたように頬を赤くした。
「い、いいんだよオレは。笑ってるときは笑ってるから」
「そうですか」
ノエルから受け取ったお湯で体を拭き終え、ベッドに座っていると、ノックの音が部屋の中に広がった。
「ノエルです。入ってもいいでしょうか」
「ああ、構わない」
返事を返すと、静かに扉が開く。
「お待たせしました」
入ってきたノエルは、いつもの無表情だがどこか肌が上気しているように見える。髪もしっとりと濡れていて、どうやら風呂上りのようだ。
「あなたも、入りますか?」
「いや、もらったお湯で十分だ。君も疲れているだろう」
「いえ、特に疲労はしていません。使用した魔術は緻密な構成と操作を要求する代わりに、周囲の魔力素を循環させた消費を抑えた魔術です」
なんら一切いつもと変わらぬ、相変わらず無表情な彼女だったが、なんとなく誇らしげで、コテツの耳にはフンス、と幻聴が聞こえた。
「そうか、だが、今日はいい」
「わかりました」
ノエルはそう言うと、コテツの元まで歩いていき、唐突にばふ、とベッドの上に転がった。
丁度ベッドに腰掛けた背後にノエルがいる。
彼女は、そのまま仰向けになると、彼女はかき抱くように自らの体に腕を回した。
「こう、ですか」
「どうした」
コテツの問いに、彼女は言う。
「こちらを見てください」
言われて、コテツは上半身と首を動かして背後を見る。やはり、ノエルがいるだけだ。
「どうぞ」
「どうぞ、とは」
「夜の営みを行う時の女性の作法はこうだとのことです」
「……そうか」
「目を潤ませつつ、というテクニックはまだ習得していませんので、容赦願います」
無表情でじっと見つめてくるノエルに、コテツは無言を返す。
「私が習ったのはここまでです」
聞いてもいないのに、彼女は言う。
「私に、夜の営みを教えてくれませんか」
コテツは答えない、あるいは絶句か。
「端的に言えば、セックスです」
色々と台無しだった。
「ところで、夜の営みと呼ばれる、夜の性行為と昼に行う性行為の作法に差異はあるのでしょうか?」
「……知らん」
コテツはそれだけ言って、一つしかないベッドに転がった。
ノエルに背を向ける形になり、目を瞑る。
「これが、夜の営みなのですか?」
「……寝る」
コテツはできうる限り早く、意識を手放す努力をすることにした。
目を覚ましたのは、誰かがコテツに手を伸ばしてきたからだ。
「何をしている」
何故か、コテツの服のボタンを、ノエルが外そうとしていた。
「夜の営み後の標準である、朝チュンを再現しようとしています」
「そうか。とりあえず手を止めろ」
ぴたり、と胸元四つ目辺りで彼女の手が止まる。
「そして、君は服を着てくれ」
彼女の心中で何があったか知らないが、彼女は何故か一糸まとわぬ姿だった。
白い肌が寝起きの目にまぶしい。
そんな彼女はベッドの上に座っていそいそと服を着始めるが、どことなくその姿は不満げだ。
そうして、服を着なおした彼女は、何故かコテツの腕を引っ張り横に伸ばすと、わざわざ布団に入り直し、横になった。
コテツの腕に頭を乗せて。
「腕枕だけ再現します」
「……わかった」
「起床と同時にコーヒーは飲みますか?」
「頼もう」
腕枕くらいならいいだろう、とコテツは妥協することにした。
そして、腕枕すること数分。満足したらしいノエルは、徐に立ち上がり、コーヒーを淹れ始める。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「昨晩は、お楽しみでしたね」
「何をだ」
「様式美です」
コテツも続いて立ち上がると、ノエルにコーヒーを渡される。
熱いコーヒーは程よく苦く、喉の奥へと流れていく。
「今日はどうしますか?」
「ふむ、そうだな、先日見て回れなかった所を回るか」
あまりにもあんまりなのと、何とか推敲作業が間に合ったのでもう一本更新します。