109話 友人
クラリッサ・コーレンベルクはシャルロッテが率いる騎士団の副団長である。
融通が利かず、真っ直ぐすぎるという欠点はあるが、とても優秀な人物だ。
そして、その欠点も最近では多少はなりを潜め、柔軟性を獲得し始めている。
「団長……、いえ、そのですね。勘違いはなさらないで欲しいのですが」
そんな彼女は今尚、シャルロッテを慕ってくれている。
こうして、相談事があると、頼ってくれるのは本当に嬉しいことだ。
「べ、別にこれは個人的にコテツ・モチヅキを好いているとかではなくですね。コテツが私を気に入ることにより今後の任務が効率的になるという訳で、私自身はあれの事はどうでもいいんです」
慕ってくれることも、頼ってくれることも嬉しい。
「それでですね……、団長。わ、私がコテツに気に入られるには、どうしたらいいでしょうか……?」
頬を赤く染め、上目遣いで問うてくるクラリッサは、正に恋する乙女と言った所か。
前までは、考えられなかったことだ。
いい変化である、とシャルロッテは思う。
頑なだった彼女が、恋を機に、変わり始めている。
そして、変わり始めて尚、変わらずに慕い頼ってくれることは嬉しい。
嬉しいのだが。
「ふぅむ、なるほど、そうだな、アレだな。うん。意中の相手に好かれる方法か……」
確かに嬉しいのだが。
(――知らんッ!)
シャルロッテ・バウスネルン、男性経験、ゼロ。
クラリッサは、そんなシャルロッテを疑うようなこともせず、ただ縋るように見てくるだけだ。
その信頼が今は痛い。
(それが分かるなら私は今、きっと結婚している……!)
結婚適齢期ギリギリの女の心の叫びである。
ぎり、とシャルロッテは拳を握り締めた。
彼女は、ろくに恋愛をしたことがない。
幼少の頃から騎士の家系として、そして、王女の護衛として研鑽を重ねた彼女に浮ついた話はとんと上がったことがなかった。
確かに、街を歩けば声を掛けられることもある。お見合いが組まれたこともあった。
しかし。その誰もがシャルロッテが相手だと知ると、開口一番に言うのだ『勘弁してください』と。続いて土下座。
王族の擁する騎士団の団長であるということは、国の最強戦力の一角であることに他ならない。生身においても、SHにおいてもだ。
そんな彼女と良く似た境遇の女性に、先代エトランジェが漏らした言葉がこれだ。
『つまり、綺麗なメスゴリラと結婚するようなもんか』
その後先代エトランジェはその綺麗なメスゴリラに半死半生にされたそうだが、つまりそういうことだ。
特に見合いに来るような貴族のお坊ちゃんや、ナンパを行なうような男に、そこまでの根性はない。
後は残るのは先のクラリッサの騒動のような利権狙いの猛獣使い志望だけだ。
「……死にたい」
「え? なんて?」
「いや、なんでもない」
苦虫をダース単位で噛み潰したような渋面を押し隠して、シャルロッテは言う。
とにもかくにも、己の私情より、こうして慕ってくれる部下の事だ。
「うーん、そうだな……、うん、そうだな」
しかし困る、割と本気で困る。
(誰か私を殺せ)
これまでろくに男性と手も繋いだことのないような女がこれからしたり顔で部下にアドバイスするのである。
クラリッサの穢れなき信じきった瞳があまりに痛い。
(突然SHがこの部屋に突っ込んでこないかなー……)
そんな風に、ぼんやりと物騒なことを考えるまで追い詰められ、搾り出した答えは。
「コテツは今、療養中と聞く。見舞いにでも行ってやればいいんじゃないか?」
あまりに没個性であったが、これでいいかと妥協した。
「なるほど……!」
「そうやって普段から気に掛けているとアピールすれば向こうからの見方も変わるだろう」
「べ、別に気に掛けている訳ではありませんが……、さすが団長、目から鱗です。では早速」
失礼します、と残してクラリッサは立ち去っていく。
「私にするように素直に接すればもっと楽に進みそうなものだがなぁ……」
呟いて、シャルロッテは徐にクローゼットを開けた。
「しかし、男……、か」
ふぅ、と漏れ出る溜息。
そして、クローゼットから、抱えるには十分なサイズのテディベアを取り出して、その腕に抱きしめながら彼女はベッドに座った。
「いいもんいいもん、私にはピョートルが居るからな」
いじけながら、テディベアの頭に顔を埋め、シャルロッテは言う。
テディベア、ピョートルは何も言わない。
「……むなしい」
部屋には、彼女のため息だけが木霊した。
「……ここ数日は、穏やかな日が続くな」
コテツ、休養中につき。
訓練はなし、激しい運動もなし。
日がな一日、部屋で読書しボードゲームでも嗜みながら過ごす。
まるで、隠居した老人のような日々。
だったのだが。
「コテツ! 療養中とは情けない! クラリッサが見舞いに来ましたよ!!」
ばん、と大きな音を立てて開かれる扉に、コテツは溜息でも漏らすように呟いた。
「終わったか」
椅子に座っていたコテツは、ボードゲームの指南書を閉じると、クラリッサの方を見る。
クラリッサは、無遠慮に、コテツの元まで歩いてきた。
「コテツ。前回の件で怪我を負ったそうですね」
「ああ」
椅子に座るコテツを、得意げにクラリッサは見下ろす。
「まったく、情けない」
やれやれ、といった風情で溜息を吐くクラリッサ。
そして。
「訓練が足りないからそうなるのです。さ、訓練に行きますよ、コテツ」
彼女は颯爽と踵を返し、歩き出そうとする。
「俺は今、王女から訓練等戦闘に関する行為を一切禁止されているのだが」
しかし、彼女の歩みは一歩目からあっさりと止まったのだった。
「え」
「そもそも最初から療養中の人間を訓練に連れ出すのはどうかと思うが、それが君の見舞いなのか」
「ぬぐっ……」
「それで、用は済んだのか?」
皮肉でもなんでもなく、悪意ゼロのコテツの言葉に、クラリッサは固まる。
「ぬ、ぬぬぬ……、待ちなさいコテツ」
「まだ、何かあるのか」
その問いに、クラリッサは考え込む姿勢を取る。
コテツは、何も言わず黙って待つ。
そして、たっぷりと数十秒使った後。
「コテツっ」
「なんだ」
「わ、わた」
顔を赤くし、何かをクラリッサは伝えようとするが、噛んで失敗。
徐に彼女は深呼吸を始める。
「すーはー、すーはー……。んぅ、よし」
そして。
「私の部屋に来ることを許可します!!」
「……いや、許可さ」
「私の部屋に来ることを許可しますっ!!」
許可されても困る、と言おうとしたのだが、クラリッサは被せて繰り返す。。
「別に君の部屋に行く必要は……」
「私の! 部屋に! 来ることを!! 許可しますっ!!」
「……君は薬物でもやっているのか」
言った瞬間、クラリッサが涙目で殴りかかってきた。
その彼女を、コテツは腕を掴んで止める。
彼女はぎりぎりと、真っ赤な顔で力を込めた。
「落ちつけ」
「私は落ち着いています!」
「その台詞は今篭っている力を抜いてから言ってくれ」
すると、ぎりぎりと強まっていた力が抜け、ふいと彼女は顔を横に逸らした。
「私の部屋に来なさいと言っているのです……っ! 察しなさいこのお馬鹿さん……!」
力が抜けたので、コテツも手を離し、コテツから解放された彼女は後ろを向いた。
どのような比喩表現、詩的表現、あるいは口語訳が行なわれたのかコテツにはわからないが、ともあれ、部屋に来いと言われたらしいので、彼はそれに従い立ち上がる。
先導するように歩き出したクラリッサに続き、コテツもまた、歩き出したのだった。
(難解すぎるぞ、コミュニケーション……)
招かれたクラリッサの部屋は、落ち着いた雰囲気で、ろくに物を置いていないコテツの部屋ともまた違った、上品な趣がある。
「感謝して欲しいものですね。この部屋に招かれた男性は、あなたが初めてです」
「そうか」
何故このような状況になったのかは知れないが、コテツは諦めて流れに身を任せることに決めた。
「そこに掛けてください」
言われるがまま、コテツは椅子に座る。
クラリッサはと言えば、棚に置いてあるティーセットを使い、お茶の準備をしているらしい。
彼女が何事かを小さく呟くと、ティーポットから湯気が上がる。彼女が水筒から出したときは水だったことを考えると、魔術によって何かしたようだ。
「どうしましたか?」
それを眺めていると、他の意図があるように感じたのか、クラリッサが振り向いて問う。
「心配しなくても、これは先ほど汲んだ水ですよ。あなたも見ているでしょう?」
確かに、この部屋に来る前に水場に寄って汲んでいるのは見た。そもそも、そういう疑いは持っていないのだが。
「それに、水を美味しくする魔術も使っていますから、安心してください」
「水を美味しくする?」
「ええ。なんだか……、水の中に溶けているものを取り出して水を柔らかくするとか」
多分彼女が言っているのは軟水、硬水のことだろう。この辺りの地域は硬水であるらしい。ただし、沸騰させれば軟水になる一時硬水だが。
その辺りは、コテツも一度料理をしたことがあるため分かっている。
「沸騰させるよりも美味しくなるらしいですよ。あなたに水の味が分かるかは知りませんが」
便利だ、とこの世界に来て、魔術に対し何度こぼしたか分からない感想を抱きつつ、なんとなくその魔術にエトランジェの、しかも日本人の影響を感じるコテツだった。
当然のようにあったモノがなくなれば欲しくなるものだ。それが、魔術とかいうよく分からない力で比較的容易に再現できそうならば尚更にだ。
「まあ……、このときのために習得しておいた甲斐はありました」
ぼそっと呟かれた言葉を、コテツの耳が捉える。
「紅茶を振舞うために習得したのか」
「……忘れなさい」
音を立てて、若干乱暴にテーブルの上、コテツの前にティーカップが置かれる。
「どうぞ」
言いながら、彼女は自らの前にもティーカップを置き、椅子に座った。
「ああ、すまない、頂く」
コテツはそう伝えてから、ティーカップを傾ける。
紅茶の味が舌に広がり、喉を通って熱さとなり消えた。
「美味しいですか?」
問われ、コテツは先ほど過ぎ去った味を思い出す。
「俺に紅茶の味は分からん」
別に嫌いではないし、飲む分には全然構わないが、銘柄ごとの違いを分かれといわれても困る。
そう口にしたコテツを、クラリッサは鼻で笑った。
「そんなことだろうと思いましたよ。あなたごときの舌ではそんなものでしょうね。あなたには、あの泥のようなコーヒーがお似合いですか」
「すまん」
呟いて、もう一口、紅茶を飲む。
すると、クラリッサがそわそわとし始めた。
膝の上に置かれた手。そして肩が強張り、視線に落ち着きが無い。
そして、不意に落ち着かなかった視線がコテツ一点に注がれ、彼女は躊躇いがちに問う。
「と、ところで、口に合わないとかは……?」
「問題ない」
紅茶として美味しいのかどうかはコテツに判断は付かないのだが、飲み物として見ればなんら問題はない。
「……と、当然ですね。ええ、あなたの舌が腐ってないようで安心しました」
すると、クラリッサは、軽口を言いながらもほっと強張って上がっていた肩を下ろした。明らかに安心した様子だ。
そして、黙りこむこと一分と少し。
この状況に疑問を持ったコテツはクラリッサへと聞く。
「ところで、何かあるのか?」
「何か、ですか?」
「よく分からないが、俺はここで紅茶を飲んでいるだけでいいのか?」
呟くと、クラリッサが露骨に目を逸らした。
「つっ……、つくづく役に立たない方ですね、コテツ。こういう場合は自ら話題を切り出したらどうです?」
「すまん」
コテツは、乏しい会話の引き出しの中から、どうにか話題をひねり出す。
「君は休日どう過ごしているんだ?」
「……」
コテツの問いに、クラリッサは目を丸くし、驚いた表情をした。
「どうした」
「い、いえ、あなたにしては至極全うな言葉だったので」
普段彼女がコテツをどう思っているか知れるような言葉だったが、残念ながらコテツの自己評価も似たようなものなので、何も言わない。
「しかし……、そうですか。私の休日が知りたい、ですか」
妙に機嫌良さそうにクラリッサは言った。
「ああ、是非」
今回の休暇の参考にさせてもらいたい。コテツのそういう打算も込めての質問である。
「ぜ、是非ですか……。いいでしょう。あなたに懇願されるのも悪くありませんね」
しかし、満更でもなさそうに、彼女は言った。
「鍛錬ですよ」
「……君もか」
同じ趣味を持つ人間に、自分と、どこかの騎士団長に心当たりが一人。
「鍛錬だけで一日を終えるのか?」
「なにか勘違いしてませんか? 私から言わせて貰えば、読書も鍛錬の一つですよ」
だが、彼女の言う鍛錬は、コテツやシャルロッテの言うそれとは違うようだった。
「ふむ?」
「最近で言えば、紅茶の淹れかたなんかもそうですね。……あと、料理とか裁縫なんかも最近は」
つまるところ自分磨きに余念がないということか。
向上心の塊のような女性だ、とコテツは心中で感想を下した。
「そうですね、そろそろ客観的評価も欲しいので、あなたがどうしてもというのならば料理を食べさせてあげてもいいですよ?」
「いや、君が嫌なのであれば無理にとは言わん。あざみにでも食べさせてやってくれ」
「……誰が食べさせたくないと言いましたか」
「む、どういうことだ」
「是非食べたいと言っておけばいいんですよ! あなたは」
「是非食べたい」
「……まぁ、いいですよそれで。あなたにそれ以上は酷です」
溜息を吐きつつ、しかし満更でもなさそうにクラリッサは言う。
コテツは、そんな中ふと気になって問いを発した。
「しかし、君は友人はいないのか?」
「いきなり失礼な質問になりましたね。いますよ、多くはありませんがね。お互い暇ではないので頻繁に休日に会うことはできませんが」
「そうか」
脳裏に儚げにどこかの騎士団長の姿が浮かんで消えた。
かといって、コテツの交遊関係も人の事を言えた話ではないのだが。
(そもそも友人とは、という定義の時点で曖昧だな)
アルベールは友人に分類しても差し支えなさそうなものだが、あざみなんかはどうだろうか。
友人と呼ぶべきか困る立ち位置だ。そもそも彼女は友人以外の立ち位置を所望のようだが。
「というかですね。コテツ」
地味に考え込むコテツに、彼女は声を掛けた。
「なんだ」
「もしかして……、私とあなたは、その……」
彼女にしては妙に言い難そうに。寂しげに顔を歪めて。
しかし、意を決したように彼女は言った。
「私とあなたは、もしかして友人ではないのですか……?」
「ふむ……」
自分と、クラリッサはどうだっただろうか。
(そもそも、嫌われている、とは言わないまでも。好意とは対極にあると思っていたのだが)
これまでの事で最初の頃のような敵意はなくなったのは分かる。
しかし、それは人間としては気に食わないが、実力は認めて置くと言ったような、強いて言うなら好敵手に対するようなものだとコテツは勝手に考えていた。
(距離を測りかねているのは俺か)
そもそもクラリッサとの関係に名前を付けようなどと考えたこともない。彼女がコテツにとってなんなのか、考えたこともなかった。
(俺が思うより彼女は寛大で優しい人物だったようだ)
あれほど蛇蝎のごとく嫌った人間に歩み寄ろうとしているのだ。
(真剣に報いる必要がある)
コテツは不安そうにこちらを見つめるクラリッサを見つめ返した。
そして、考えた後、一つ答えを見出した。
延々と訓練を、模擬戦の相手をし、してもらう彼女。
一緒に戦ったことも幾度かある。
そんな関係を言い表す言葉を、コテツは知っていた。
「君は俺の戦友だな」
口にすれば、しっくりと来る。
「そ、そうですねっ。ええ、まあ、コテツにしては上出来な答えじゃありませんか?」
と、言ったクラリッサの口はにまにまと笑みを堪えきれておらず、頬も赤く、酷く嬉しそうだった。
「紅茶のおかわり出してあげてもいいですよっ」
「いや、気にするな」
「飲みなさいと言ってるんですよ、おばか」
にっこりと笑って彼女はコテツを罵った。
もう微塵も取り繕えていない。
ぱたぱたと、楽しげにティーセットの元まで向かって紅茶を淹れて戻ってくる。
「どうぞ」
「すまない」
こうして、コテツは妙に上機嫌なクラリッサと、しばらくの間会話を続けたのだった。
「長居してしまったな」
「そうですね。感謝してください、私の部屋に居れたことと、紅茶が飲めたこと」
無駄に高圧的な言葉だったが、それに反して嬉しそうににこにこと無邪気に笑いながら言うので、コテツは素直に受け取ることにした。
「光栄だ」
そして、更に表情が緩みかけて、気を取り直したように彼女は表情を引き締めた。
「コテツにしては殊勝な態度ですね。そうですね、いいでしょう、そこまで言うなら――」
表情を、引き締めたのだが。結局あまり効果はなくて。
尚更顔は赤く染まり。
「また来ても、いいですよ」
コテツは初めてこの年下の女性に、愛らしいという感想を抱いた。
それは、どちらかと言えば年の差故の、子供に向けるのに近い感情だったが、それでもクラリッサにそういう類の感情を覚えたのは初めてだ。
「そうだな。そう遠くないうちに、また来よう」
コテツの答えにクラリッサが目を丸くする。
「これが、正解だろう?」
今日一日で学んだクラリッサへの受け答えを活用して、彼は言い。
「コテツの癖に、生意気です」
そう言って、彼女は微笑んだ。
さて、後何本あるやら。
勢い任せでサクサク行きます。
明日はジンジューローか、あざみとソフィアか、どっちを先にしようか考えてるところです。
どっちにしたって一日二日の違いなのですが。