102話 牢乎
獣の、咆哮が聞こえた。
耳に響いた声に従って、コテツが視線を上げると、屋根の上に大きな影があるのが見えた。
「……魔物!? どうして、こんな所に……!」
隣にいる、シャロンの声が響く。
そうだ、屋根の上にいるのは魔物だ。
それが、降りてくる。
三メートル、いや、四メートルに届くか。中型の魔物のその巨体が地面を揺らした。
毛むくじゃらの巨体に、丸太のような腕、足は短く、腕は長い。手には長大な爪がある。そして、顔の中心にある、不気味な一つ目。
「やはり、フリードの件に関与していたのも、お前達か」
コテツの言葉は、確認に過ぎない。その確認は、男の笑みによって成された。
フリードが大型の魔物の群れを率いて王都を襲うという事件。その際に見え隠れした存在。
魔物を、操る技術。
「さて、死んでもらおうか。一号、やってやれ」
その言葉に応える様に、魔物が一歩前に出た。
コテツが、即座に銃を撃つも、牽制にすらならなかった。
毛皮に、全て弾かれてしまっている。
それを確認した瞬間、一号と呼ばれた魔物が、高速で動いた。
「……む」
俊足の踏み込み。腕は上に。
振り下ろされる爪を、コテツは銃をしまい、即座に抜き放ったロングソードで受け止めた。
衝撃が走る。流石に人間でないだけのことはある。叩き潰すような一撃は重い。
「ガァアッ!!」
獣の咆哮。それと同時に、横薙ぎにされる爪。
コテツは、それをもう一度剣で受け止めた。
「ぐ……」
衝撃、そして、浮遊感。
横薙ぎの一撃は容赦なくコテツを吹き飛ばす。
「コテツ君!」
その悲鳴に応えるように、コテツは地面を一回転して即座に受身を取り、立ち上がった。
魔物に向かって、コテツは疾駆する。姿勢を低く、まるで地を舐めるかのごとく走り、大きく踏み込み、ロングソードを振り下ろした。
しかし、手応えは皆無。
銃弾を弾いたことから分かってはいたが、硬い毛皮が邪魔をして、刃は通らない。
(現状の装備で倒すのは不可能だな。逃げるか? ……いや、逃げ切れるか? シャロンを抱えて)
反撃に振られる爪を剣で逸らして、コテツはバックステップで距離を取る。
(目、口、だな。機があれば叩き込む。最悪時間を稼げればそれでいい……!)
ロングソードを強く握り直して相手を睨む。
コテツが選んだ道は、耐えるという方法だった。
どうにか耐え、エーポスの二人の到着を待つ。
最も近い村からならば、一時間も要らない。例えパイロットの乗っていないアルトであっても、三十分程で到着するはずだ。
問題は、コテツが三十分耐えられるかどうかだ。
鋭い突きを、首を逸らしてかわす。
掠めた爪が、細い血の糸を引く。
次に、上段からの振り下ろし。
横に大きく跳んで回避。
敵の踏み込み。
幾度も乱雑に振り回される爪を受け止め、コテツはどうにか耐える。
確かに、膂力、瞬発力、共に高水準。しかしながら、その動きは単調と言えた。
時間を稼ぐだけであれば、支障はない。
そのように見えた、その時だった。
低い男の声が響く。
「略式詠唱、座標指定、標的設定、切り裂け」
瞬間。
コテツを、無情にも無数の風の刃が切り裂いた。
「ぐ……!」
深くはない、しかし、決して掠ったとは言えない傷が全身に走る。
「コテツ君!!」
「魔物と渡り合えるとは恐れ入る。しかし、俺もいるということを忘れないでもらおう」
血を流しながら、コテツは後ろに跳んで魔物と距離を取る。
そして、疾走。
「手順をトレース、リブート」
現れる風の刃。走りながら避ける。
見て避けれるものではないので当て推量で進路をずらす形になり、幾つか風の刃が掠めて、コテツの右腕と右足を傷つける。
それでも駆け抜け、コテツは魔物ではなく、男の方へと肉迫した。
振り下ろす剣。ナイフで受け止められる。
じりじりと、コテツが押し込んでいく。
だが。
「こちらだけを相手していていいのか?」
背後から、魔物が襲い来る。
「ガアァッ!!」
振られる爪、横に跳んでかわす。掠めた爪が背を引っ掻いた。
血が流れる。
背後を振り向き、続けて振られる爪を牽制し、男の方を狙う機を伺う。
目の前の魔物よりも、男の方が数段倒しやすいだろうし、何より、魔術の援護が厄介だ。
しかし、簡単には行かない。男に銃を向けようとすれば、魔物がそこに割って入ってくれる。
コテツに取れる行動は、ひたすらに機を窺うことだった。
「機体に乗れば、無敵のエース。生身であっても亜人並の身体能力を持つ。しかし」
爪を防ぎながら、機を待つコテツの耳に、声が届く。
「しかしながら、機体に乗らなければ人間に過ぎないということを自覚すべきだったな。空にいれば無敵のエースも、機体を降りれば地を這うただの人間だ」
楽しげに、実に愉快げに男は言ってくれる。
「手に負えぬ化け物などではない。飛べないお前では、所詮ただの人だ」
「……元々、人外を名乗った覚えはないがな」
自らを化け物などと評したことはない。それはいつも、周囲の評価でしかない。
「飛べようが飛べまいが、人は人でしかない。人以外に、なれはしない」
そんなことは他でもない、エースこそが一番分かっているのだ。
エースにとって人の体とは重すぎるのだ。目で終えてても体が反応できなくて。機体に乗っていれば幾らでも避けられる攻撃も、生身では上手く避けられないもどかしさ。体がついてこないということ。
「ガァッ!」
突き出される爪が、脇腹を抉る。
「切り裂け!」
背後を襲う風の刃が鋭く鮮血を撒き散らす。
血が溢れて止まらない。
それでも尚、コテツはロングソードを構え続けた。
間一髪であった。
ハンネマンの元に振り下ろされる剣を、ぎりぎりで止めることができたのは僥倖と言えよう。
「騎士団長殿!?」
「無事で何より。……全く、好き勝手やってくれたものだな」
倒れ伏す護衛達。六人はいたようだが、四人は倒れ、残る二人も自分の方へと向かってきた亜人の相手に精一杯で手が回っていない。
シャルロッテは、受け止めた剣を弾き返しながら、ハンネマンの前に立ち、剣を構えた。
「さあ、来い……。手加減は、できそうもないな」
敵の数は七。全て亜人で、訓練を受けているようだ。
訓練を受けていない素人であれば、この護衛達だけで済んだだろう。
いかに絶対的な身体能力の差があれど、活かせなければどうにでもなる。
だが、目の前にいるのは、その身体能力を活かすために訓練を積んだ者達だ。
シャルロッテの乱入に、彼らは一度距離を取り、油断なくシャルロッテを囲んだ。
「二人は、ハンネマン殿の護衛を」
「騎士団長殿は?」
虎の子の閃光音響手榴弾はない。
相手は七人、戦闘訓練を積んだ亜人である。
対するシャルロッテはただの人に過ぎない。コテツのようになんであろうと見切る眼があるわけでもなく、亜人に匹敵する、あるいは上回る、そんな身体能力があるわけでもない。
「倒してしまおうではないか」
それでも、シャルロッテは言い切った。
口を真一文字に引き結び、シャルロッテは敵を見据えて待つ。
彼女へと、亜人達が一斉に飛び掛った。
「おいっ、あんた! いきなりなにを……!」
「説明は後! これ、国の許可証!!」
街の入口の格納庫。
アルベールは、ぞんざいに書類を見せて、シャルフスマラクトに乗り込んだ。
「全く、参っちゃうねこりゃ。ただの調査で、何か掴んだら本職に交代しておしまいの仕事だったはずなんだけどなぁ……」
機体を起動させ、足を踏み出す。
動き出したシャルフスマラクトが、亜人街の方角を見つめる。
「さて、急ぐか。武器の倉庫押さえて、長さんとやらの護衛か……!」
一直線に、亜人街へと走り出す機体。
しかしながら、そこに立ちはだかる影があった。
「あん? 敵か? どいてもらおうかな!」
黒と赤の細身の機体。それが、立ちふさがるように立っている。
それを見つけた瞬間、アルベールは迷わずにナイフを抜き放ち、投げつけた。
『甘い』
しかし、ナイフは空を切る。相手の機体は体を逸らしただけでナイフを避けていた。
『……その機体、もしや、アルベールか』
そして、その機体から放たれる通信。
それは、聞き覚えのある声だった。
それは、五年前まではよく聞いた声のはずだ。
コテツに会う前、盗賊になるよりも、冒険者になるよりも前。
ただ、騎士を目指していた頃。
「あ? お前、まさか……」
『久方ぶりだなアルベール。負け犬はいつの間にか国の犬になっていたのか』
「……セルゲイ」
この男を、アルベールは知っている。
セルゲイ・カレトニコフ。
「なんでお前がここにいるんだ……!」
『悪いかね、負け犬アルベール。お前が騎士になるのを諦め、いつの間にやら冒険者に成り下がっていたように、私も、色々やっているのだ』
この男は、アルベールが騎士になるために訓練を受けていた頃の同期だ。
SHの操縦も、剣術も、魔術も上手くやれる、エリート、そのものだった。
アルベールに魔術適性がなく、彼が騎士を諦め、兵士としても馴染めず冒険者になった後、セルゲイは見事騎士になったはずだった。
それが何故、今ここで立ちはだかるのか。
「いや、お前が何でここにいるかとかはどうでもいい。俺も仕事なんだ。邪魔するなら押し通るぜ」
その言葉をセルゲイは笑った。
『ほう、やれるというのかアルベエェェル……。お前が? 私に一度も勝てたことのない、負け犬の貴様が?』
嘲笑い、侮蔑する言葉にアルベールは歯噛みした。
確かに、一度も勝ったことのない相手だ。コテツほどではないにせよ、目の前の男は、本物の、才能の塊だ。
『見逃してやろう、アルベール。いつものように負け犬らしく尻尾を巻いて逃げるなら見逃してやる。さあ、早く消えるがいい』
「……仕事だ、って言っただろッ! 多少無茶でも、押し通るんだよ!!」
シャルフスマラクトが、大地を蹴った。
今回バルディッシュを持っていなかったのが完全に裏目に出ました。
ちなみに感想欄で花に付いて触れられたとき割とひやっとしたのは秘密です。