98話 黒猫のダンス
(……んー、どうしようかなぁ)
噴水のある広場。その噴水の縁に座り、シャロンはコテツを殺す方法を考える。
(前からはダメだよねぇ。うん、死ぬ。じゃあ、後ろから、って言っても普通に気付かれそうだなぁ。じゃあ、抱きついてとか? いや、抱きついてからポッケごそごそしたらばれるよね。じゃあ、抱きしめさせて、って……、抱きしめにクるような人じゃないよねぇ)
「シャロン」
「うほほほーいっ!?」
声が掛けられて、奇声が飛び出た。
(なっ、なんで、こんなタイミング悪いかなぁ……、この人。はー、どきどきする)
鼓動を早める胸を押さえて、シャロンは立ち上がり、目の前にいるコテツを見つめた。
「待たせたな」
「えっ、ううん、今来たトコ。って、なんかデートみたいじゃない? やー、いいねぇ、こんな美少女とデートなんて。エトランジェ様ったら」
「デートはどうでもいいのだが」
「ひ、酷い!」
「エトランジェはやめてもらえるだろうか。コテツでいい」
「え、まさかの名前呼び、距離感縮めちゃうの? いいよ!」
「モチヅキでいい」
「おおう……、ランクダウン。でもコテツくんって呼んじゃうからね!」
そう言ってシャロンは、コテツの腕を取り歩き出す。
「今日はどこまでですかい? お客さん」
「第二区画だ。案内を頼む」
「じゃあ、張り切っていきまっしょい!」
二人、目的地まで歩き出す。
「いやー、コテツくんは幸せものだねぇ。こんな美少女のシャロンちゃんと歩けるんだから」
わざとらしくシャロンは言う。
しかし、その反応は少々予想外だった。
「君の外見が可愛らしいのには同意するが、あまり自分で言うものではないな」
「うい?」
なにを言ってるんだこいつは、という反応を予想していたところに、肯定を受け、シャロンは戸惑いを覚える。
(え、ええ? そういうキャラだっけこの人! もしかしてあたしに気がある……!?)
「可愛い?」
「可愛くないのか?」
「可愛いよ! 世界で五指に入るくらい可愛いよ!」
「そうか」
「あ、あれぇ……?」
あっさりと会話を切ったコテツに振り回された感覚を覚えて、シャロンは首を傾げる。
そして、なんだか釈然としない感情だけが残った。
「うぬぬぬ……」
(いいもんいいもん。別に、この際無理に気に入られる必要ないし、この人なんか暗いし、動作がいきなりでびっくりするし、寿命何年縮んだかわかんないし。後ろからさくっと刺しちゃえばいいんだもん。今だって見た感じ無防備だしナイフ取り出してさくっと――)
「シャロン」
「ひゅいっ!?」
「どっちだ」
「ええっとぉ……、右」
交差点に差し掛かり、シャロンは腕に抱きついたまま、少しだけ手を前に出して右を指差す。
「そうか」
「ふぎぎー、女の子と歩いてるんだからもうちょっと嬉しそうにしてくれるとあたし嬉しいなぁ」
「仕事だ。そういうのはアルにやってやれ」
嬉しくなさそうなのはシャロンが亜人だから、というのはここに到って違う気がして来た。
本当に、亜人だとかどうとか、どうでも良さそうなのだ。
心の底から仕事だ、と言っているらしいと、この数日でシャロンは理解した。
融通が利かない朴念仁で、今ひとつ面白みに欠けるつまらない人間。
「……俺の顔に何か付いているか?」
「え? うん、凛々しい顔だなぁ、なんて」
「無理に世辞を言う必要はないぞ」
まあ、確かに朴訥な顔である。かろうじて精悍と言えなくもないが。
それにしたって、もう少し愛想を良くすればいいのにとは思う。
(まぁ……、でも。一緒にいる分には楽かもねぇ)
シャロンはしみじみと心中で呟いた。
(たまに驚かせて来るのだけは勘弁して欲しいけれど)
夕方、日も沈みかけた頃。
「これで、今日の調査を終了する」
結局、今日も収穫はない。
収穫がありそうな場所には案内などしない、とは言え、シャロン自身武器類の保管場所を知らないので、コテツが案内しろと言った方向を一通り案内しているだけだが。
「中々、ないねぇ」
「すぐに見つかるようなものでもあるまい。まだ、五日目だ」
空振り続きではあるが、このエトランジェ殿は特に焦ってはいないらしい。
むしろ、この男が焦った顔を見せる所が、想像できない。
「君はたまに、ぼんやりとすることがあるな」
「え?」
言われて、またシャロンはコテツを眺めていたことに気が付く。
「体調でも悪いならば早めに言ってもらえると助かる」
そこからの、コテツの言葉。シャロンを慮ってのことだが、シャロンはあまり良いとは言えない態度で返した。
「別に、亜人のことなんて気に留める必要もないでしょ?」
人間に気遣われ、心配される、それがなんとなく嫌でシャロンはそんな態度をとってしまう。
だが、コテツは気にしたような様子もない。
「君に倒れられても困る。君が協力者である限りは、君の体調を気遣う義務がある」
「ん、そう。でも、あたしは元気だよ。だから大丈夫」
「そうか。……ああ、そうだ」
そうして、一旦話は打ち切られ、二人は宿のすぐ側まで戻ってきた。
後は宿に戻るだけ、と思いきや、コテツが不意に声を上げた。
「少しここで待っていてもらえるか。買うものがある」
「いえっさー、早く帰ってきてね」
「すぐ済む、待っていろ」
そう言ってコテツはシャロンに背を向け、歩き出す。
しかし、待ち合わせの時も実はそうだったのだが、街で一人になると、途端に心細くなる。なにせ、亜人に対する風当たりが最悪と呼べるこの環境。
出来るだけ考え事をして気を逸らそうとするが、街の人間に目を付けられたら面倒が多すぎる。
(明日からはお泊りだから出るときも一緒だけど……)
荷物は手の中のバッグだけで納まってしまった。
宿の費用はあちらもちである。
だから、正にあとは入るだけなのだが、今ひとつ、乗り気になれそうにはない。
別に望んだ変化でもないのに、環境が変わるだけなのだから、憂鬱にもなる。
(というかあの人はこんな美少女を置いてなにを買いに……)
そんなことを考えると同時に、コテツが向こうから歩いてくる。
石畳を踏み歩いてくる姿に大きな変化はなく、なにを買ってきたのかわからなかった。
そんな中、コテツはシャロンに近寄り、徐に手を差し出した。
「君にこれを」
「はい?」
その手にあったのは花だった。
亜人街に咲く花と同じ、白い花。
「えええ? 愛の告白!?」
(どうしたの!? どうかしてるの? この人最近やたらキャラに合わないことしてない!?)
「そういった意図はないが」
「ですよねー!」
花を買いに行ってたのだとしたらどれほど顔に似合わないことをしていたか自覚はあるのか。
「君には花を愛でる感性があるのだろう。それとも、必要ないか?」
シャロンは、コテツの真意を考える。
端的に口にし、内面深くを語らない。それで十分だと思っているのか、違うのか。どうして、という言葉はどこまでもそのままで、どういうつもりで、という答えが返って来ない。
確かに、花は好きだ。が、シャロンが花を好きだから花を贈る、その理由がよくわからないのだ。
これが、仲良くなりたいだとか、気を良くさせて情報を吐かせようという、そういう下心を感じさせてくれるならば単純なのだが、そういう風に感じられないから問題なのだ。
「仕返し?」
花を見たコテツに、シャロンは嫌みったらしくあなたには花を愛でる感性はないのかと問うた。その意趣返しとばかりに、花を渡してきたのかと思ったのだが。
「ふむ……?」
コテツはぴんと来ていないらしい。どころか、どうやらあの程度は嫌味にすらならないようだ。
というか、ありがとうと言われたほどだ。理由はわからないが。
「君の生活には花があるものだと思っただけだが」
コテツも掴みきれてないように、口にする。
そこまで言われてやっと、言いたいことが半分ほど理解できた気がした。
「もしかして、気遣ってる?」
今日から宿の隣でしばし過ごす相手はこれまで花に囲まれ、それを愛でる精神を持つが、これから泊まる宿は花に囲まれていない。コテツはそう捉えたようだ。
だから、とコテツは花を渡してきたのだ。
「戦場では些細な環境の変化から精神に異常をきたす者も少なくはない」
「別に、そんな気を遣わなくても……」
大げさだ、と言うシャロンに、コテツが何か言いたそうに彼女を見つめていて。
なにが言いたいのかは既にわかっていた。
むしろ、シャロンが言わせようと思ったのだ。彼に気遣われる度、その言葉を聞きたくなる。
それに、彼女は被せるように口にした。
「君が」
「俺の協力者である限り?」
「そうだ」
ああ、これは確認だ。
彼に気遣われるとどうしてもその言葉を引き出してしまうのは。
協力者でなくなれば情け容赦の入る余地のない、敵同士であるという確認なのだ。
「……ありがとっ。部屋に飾っておくね!」
ただ、そんな確認をしないといけない時点で駄目だと、気付くべきだったのだ。
コテツに花を贈られてから数日の間に、思い知った。
「ねね、美味しい? 美味しいよね? ね?」
「……ふむ?」
ベンチに座って、食べさせる手作り弁当。
「ああ、美味いな」
「う、うん」
言わせたかった言葉だが、それだけに、思ったより戸惑ってしまった。
(意外と、ちゃんと言ってくれるんだ)
思ったより嬉しいのは、コテツ・モチヅキが冗談を得意とせず、世辞や嘘とも関わりの薄い人間だからだろう。
「腹に入ればなんでもいいって言われるかと思っちゃった」
「人に食事を作ってもらえるのは幸せなことだ」
「そっか」
そんなもはや定番となった昼食の会話の一幕。
あるいは。
「あっ、猫だよコテツ君、猫、ねこー!」
「……待て」
路地を駆けて猫を追い、猫を捕まえて頭に乗せて後ろを振り向く。
「猫被ってみました」
「……」
コテツが露骨に目を逸らした。そんな様子がおかしくて、シャロンは笑う。
「やー、逃げられるとこだったよ」
「俺は今正に君に逃げられそうだったがな」
「ねーねー、猫、可愛いよね? 可愛いよね?」
「話を聞いてくれ」
コテツの言葉は置いておいて、シャロンは頭の上にだらりと乗せられた猫の頭を撫でると、今度は脇を掴んでコテツへと差し出した。
「コテツ君も撫でてみなよ」
「仕事中なのだがな」
「休憩も必要だよねぇ?」
「……ふむ」
そうして、一瞬の逡巡のあと、手を伸ばすコテツ。
しかし、逃げ出す猫。
黙るコテツ。
行き場をなくした手が、なんだか寂しげだった。
「しゅ、修行が足りなかったね?」
「……ああ」
あまりにも哀愁漂うせいで、シャロンはコテツに頭を差し出していた。
「えっと……、撫でる?」
行き場を失った手は、シャロンの頭にぽんと乗せられる。
「お、おう……。手、おっきいね」
「すまん。調査を続けるぞ」
すぐに手は離されて、コテツは歩き出す。
そんな調査中のひと時。
そして。
「……なにそれ、凄い花束、誰かにあげるの?」
「君にやろう」
「え。なんでこんな凄いことになったの?」
手渡される色とりどりの花。
「贈り物、女に渡すと店員に伝えたらこうなった」
「……値段は聞かないでおくね」
最初に貰った花が萎れてきて、その日の調査の終わりに贈られた花。
そんな日々は――、とにかく、気が楽だったのだ。
同じ亜人同士ですら、こうはいかなかった。
贔屓も差別もないその隣が、どうしようもなく、心地よかった。
「なんでかなぁ……」
「どうかしたのか?」
ろくな人間ではないと思う。
例えば、亜人差別の撤廃を求め、亜人か人かなんて関係ない、と言った人間がいた。
例えば、好きだと何度も口にして、何度となく言葉を尽くしてきた男がいた。
例えば、同じ思いを抱え、同じように傷付いていて、傷を舐めあえるような男がいた。
そのどれとも一致しない、立派な主義主張など持たず、言葉は足らず、間違っても傷は舐めあってくれそうにない、そんな男だ。
「なんでもないよ」
でも、隣にいると心地いいのだ。ここにいる間は人と亜人ではなく、コテツとシャロンでしかないから。
立場さえなければ、惚れていたかもしれない。
(失敗したかなぁ)
入れ込みすぎた。
本気にさせるつもりが、本気になりそうだ。
(早めに、仕事しないとなぁ……)
なんか今回本気で長いので明日二本くらい更新します。まだ五、六本分くらいあるっぽいです。