95話 無差別
宿屋、ベッドの上に座ってシャロンは溜息を吐いた。
(どうしよう……)
任務の内容は要するにエトランジェを篭絡しろということだ。
篭絡とは行かないまでも少なくとも、信頼を得る程度に親密にならなければならない。
だが。
「あたしじゃあねぇ……」
シャロンという少女はどちらかと言えば愛想が良く、それなりに男からの人気もある。
しかしながら、愛想を振りまき元気に振舞うというシャロンに、勝手に男が惚れて告白をして来た、という形なのだ。
つまり、異性に積極的にアプローチをしたことがない。
(そもそもあたしが宿に戻された理由は……? やはり、拷問を行なおうとしてる? やっばい、やっばいよこれ! あたしが美少女だからって、あんなことやこんなことを……)
しかも、相手はなんだか気難しそうなのだ。
現に目標は一緒にいてもにこりともせず、つまらなさそうな仏頂面でシャロンを見るだけで、いい印象を持たれたとは到底思えない。
(やー、やっちゃった、かなぁ……)
エトランジェ。実際見たことはないが、滅法強いと聞く。
となれば、確実に邪魔になるだろう。
始末したい相手だ。だがしかし、殺せるイメージが浮かばない。
不用意に挑めば今度こそ虫けらのように、無感動に殺される気がした。
(それは、あたしが敵だから? それとも、亜人だから?)
あのエトランジェは、普通とは違うようだが、先代ともまた違う。
亜人のために尽力してくれた人とは違うのだ。
「人間は、嫌いだなぁ……」
これまで、耐えてきたつもりだった。嫌な顔をされてもこの街の亜人はひたむきに生きてきた。
だが、この仕打ちなのだ。
(そもそも、何であたしが人間なんかに媚を売らないといけないのよーっ。ぶー)
侮蔑に満ちた瞳。謂れなき暴力。
耐えてきたと言うのに、この仕打ち。ついには食物さえ亜人には売らなくなり、このままではこの街に住む亜人は全滅してしまうだろう。
「人間なんて、滅んじゃえばいいのに」
「それが、君の素か」
「ひにゃあっ!?」
呟いた瞬間、突如として扉が開いて、シャロンは肩を跳ねさせた。
(あっちゃあ……、やっちゃったんだぜ! えっと……、これ、終わった臭い?)
何たる失態。
表情を固くして、シャロンはコテツを見据える。
「えええええええっと今のは、その、うーん、なんでしょうねうふふ」
先ほどの調査では手がかりは掴めなかった。無論、案内できる場所に核心に触れるような場所はなく、手がかりなど手に入るはずはないのだが。
「えっと……、やっぱり拷問とかしちゃったりやっちゃったり?」
それで、役立たずと判断された可能性がある。ならば、亜人など拷問して捨ててしまえばいい。いい情報が出てくれば儲け物だろう。
緊張したままシャロンはコテツの言葉を待つ。
「……む?」
しかし、コテツ・モチヅキから剣呑な空気は一片たりとも、見受けられなかった。
「俺は、君に昼食を渡しに来ただけだが」
「え、お昼ご飯?」
「ああ。君がいると買い物が困難になるようなのでな。好みも量もわからんので適当に買ってきた」
そう言って、コテツは左腕で抱えていた紙袋を差し出してくる。
受け取ると、その紙袋の中身が見えた。
料理だ。屋台で買ったのだろう、串焼き、ホットドッグや、パンや果物、野菜など好き放題に詰められている。
「これを、あたしに……?」
「ふむ、葱やチョコレートはまずいのだったか? やはり先に聞いておくべきだったな」
「別に、得意ではないけれど……。この量を、あたしに?」
「足りなかったか? 運動量が大きい分カロリー消費が激しいのか……」
「え、いや……。むしろ、多いけど」
ここ最近、こんなに多くの食べ物は見たことがない。
そこまで安い買い物だったというわけでもないだろうに。
「そうか。まあ好きにしてくれ。残った分は、俺かアルが食べるだろう」
言われて、空腹もあったシャロンは言われるがままにパンを取り出してかぶりついた。
何も掛かっていないが、仄かな甘みが口内に広がる。
「ああ、それと、喋るときだが、自然体でいいぞ。あの君の話し方はどうも……、反応に困る」
その言葉に、一息にシャロンの顔が赤く染まる。
「え、知り合いに聞いたらあの方がエトランジェは喜ぶって……」
「……先代は特殊な例だ」
「ぐっはぁ! 空回りしてた! 恥ずかしっ!」
コテツの言い様に恥ずかしさが増す。語尾ににゃを付けるの自体恥ずかしかった上に別に効果がないと知れて二重に恥ずかしい。
「それよりも……」
どうにか話を変えようと、シャロンは話題を考える。
考えて、思い出した。
「あたしはこのままでもいいのかなー?」
「どういう意味だ?」
「さっきの、聞いてたよねぇ? それが君の素か、キリッ、って言ったってことは。それに、語尾の件とか色々?」
人間のお偉方なら、無礼者め、斬る、と言い出す所だ。
いい加減覚悟を決めて、シャロンは開き直ることにした。
の、だが、その覚悟を尽く無駄にしてくれるのがコテツ・モチヅキという男だった。
「構わん。個人の主義主張をとやかく言うつもりはない」
「あ、はい……、そう」
「人間が嫌いでも最低限の仕事をしてくれるならば構わん」
その瞬間、コテツ・モチヅキという人間の印象が、よくわからなくなった。
シャロンの中ではコテツは恐怖の象徴になったと言ってもいい。暗殺に挑んだ夜に見たのは、容赦も迷いもない冷酷な男だった。
だが、今日のコテツはわざわざシャロンのために昼食を買い込み、そして危険な発言に対しても暴力の匂いも感じさせない。
「君が猫を被っていた件……」
「……何か?」
途中で不意に言い淀んだコテツにシャロンが首を傾げる。
「……すまないが、今の発言は忘れてくれ。不適切だった」
「……?」
意味がわからず、何がおかしいのかと考えて、ふと気付いた。
「猫の亜人のあたしが猫を被ると、変ですかい」
「変だろう」
真面目な顔で言われて、少しだけ、おかしくなった。
「ふすっ、変なの」
「で、だが。君の件に関してはアルベールにも伝えておこう。情報に齟齬があったと」
とりあえず、一つだけわかったことがあるとすれば、そう。
目の前の人間が変な人間だということだろう。
(……変な人)
「来たか、コテツ」
昼の街の目立たないような一角で、コテツとシャルロッテが言葉を交わす。
「ああ、そちらはどうだ?」
潜入から三日経った昼に一度情報交換を行なうというのは来る前から決めておいたことだ。
昼を選んだのは、逆に夜にこそこそとする方が怪しく目立つためである。
「こちらは、進展はないな。一応、ここの領主が味方にはなってくれているはずだが……」
信頼できるかはわからない、と言外にシャルロッテは漏らしていた。
「コテツの方はどうなっている?」
「こちらは、そうだな。例の組織に襲撃された」
ぴくり、とシャルロッテの細い眉が動く。
「何?」
「撃退には成功し、それが原因で組織を抜けたという、襲撃を行なった本人、シャロン・アップルミントという亜人の協力を得て現在調査を行なっている」
「それは……」
「ああ、罠である可能性はある、が、彼女を使って調査したい内容もある」」
「何をする気だ?」
「亜人側を調べたい」
「なるほど、確かに私には手が出せないが……」
亜人は、スラムのようなところに集落を作り寄り集まって生活をしているらしい。
そこに入って調査を行うのはただの人間であるシャルロッテには難しい。
確かに、そこを調査できるのならしてもらいたい所だが、しかしそれでも、シャルロッテはコテツを気遣わしげに見つめた。
「……あまり無茶はするなよ」
言っても無駄だろうかと、半分諦めながら、口にする。
「覚えておく」
しない、ともする、とも言わない。
必要とあらばするだろう。シャルロッテはよくわかっている。
何故なら、シャルロッテもまた、コテツのそのスタンスに共感できるからだ。
シャルロッテという人間が王女のためならば命を賭すように、コテツもまた必要とあらばただ淡々と命を消費する。
自分もそうだから、止めるのは容易ではないと、わかっていた。
「お前が死んだら、アマルベルガ様が悲しむだろうからな」
シャルロッテだって、アマルベルガを置いて逃げろと言われたって逃げ出すことはしない。
「私も、悲しい」
「君がか?」
「何かおかしいか?」
言った言葉に返事が返ってくる前に、シャルロッテは次の言葉を繋げる。
面と向かって言うには、少し照れくさかったので勢いに任せて、言ってしまう。
「私の数少ない友人だからな、お前は」
言ってて悲しくなるが、ほとんど唯一の友人である。いなくなって、嬉しいわけもない。
これで、少し嬉しそうな顔でもしてくれたら言った甲斐ももあるのだが、コテツはぴくりとも表情を動かさない。
「そうか」
「……ふう、まあいい。私は引き続き領主とこの街の商会を当たる」
「了解した」
それだけ言ってコテツは背を向ける。
シャルロッテもこれ以上言うことはない、あまり長く無駄話を続けて、怪しまれるのも良くはない。
既に相手の組織に気付かれ、襲撃もあった今となっては隠れた所で無意味なのかもしれないが。
エトランジェは敵に容赦はないが、そうでないものに対してはそうでもないらしい。
常に仏頂面で、愛想もなく、こちらに興味の一つも向けてくる素振りもないが、かといってそれで怒っているというわけでもなく、これが普通なのだ。
本性がばれた翌日。しかしそれでも、シャロンはコテツと二人、街を歩くことが出来ていた。
「……俺の顔になにか付いているか」
「いーえ、なんにも」
ある意味、シャロンとは正反対と言えた。
「体調に不備でもあるのか?」
「んー、絶好調。それより、今日のお昼ごはんだけど」
「ふむ、食べたいものはあるか?」
丁度、今は昼時。
言えば、コテツは先日のように食事を買ってくるのだろう。
しかし、シャロンの目的は恩を着せられることではない。
むしろ、逆と言えよう。
「お弁当を作ってみましたー。拍手。美少女の作ったお弁当ですよー、嬉しい? 嬉しいよね?」
「……ふむ」
毒物を、疑われているのだろうか。
それとも、少しは信用されただろうか。表情からは、何もわからない。
「頂こう」
だが、コテツは食べるという選択をした。
実際、毒は入れていない。昨日の今日で毒殺を試みても警戒されてしまうのは目に見えている。
そして、警戒されてしまえば毒殺など成功し難いものだ。無味無臭の毒薬などそうはないし、そんなものの取り締まりは特に厳しい。
規制を掻い潜って毒薬を手に入れるのは組織の力を借りたとて楽な話ではないだろう。
となると、普通の手に入りやすい毒物になるが、そういったものは死に至るまでそれなりの量を摂取しなければならないものだったり、舌に刺激を与えたりすることが多い。
つまるところ、警戒されていれば致死量を摂取する前に、味で気付かれるということだ。
痺れを与えるほどの舌への刺激など容易く誤魔化せるものではない。料理によっては誤魔化せるものもあるかもしれないが、シャロンは生憎とそういった料理に縁がない。基本的に質素な亜人の暮らしでは、味付けは塩に頼りっきりだ。
結局、毒殺できるとしたら、疑う余地もないくらい信頼させた上で、一気に多量に摂取してもらうしかない。
(……実力行使よりも目はあるかもしれないけど)
今のところ、コテツに襲い掛かって勝てるイメージが沸かない。背後を取っていても、思い出すのは寝ていたにも関わらず突如として目を開けてナイフを避けた場面だ。
人が一番無防備な場面であの対応であれば、起きている状態でどうこうできるとは夢にも思えない。
とすれば、毒殺は楽そうな方法に思える、のだが。
(それも、あたしが薬を買えるなら……、の話だよねぇ)
この街に亜人とまともな取引を行なうような人間がいるとは考えられない。平常時に裏の人間にであっても、毒薬の取引など早々してもらえないだろうに、現状は最悪だ。
組織側に頼んでも無駄だろう。表の店に調合次第で毒にもなる薬を求めれば、根掘り葉掘り用途や調合法まで様々なことを知らせた上で確認が取れないと売ってくれない。
そして、裏の人間と言えども、誰でも構わず薬を売ってくれる訳でもない。もしも客が喋ってしまえば牢屋が待っている。そのため、毒殺に失敗しても内々で処理したいか、露見しても揉み消すことのできる権力者等に顧客が限定される。
そういった事情を加味した上で誰にでも薬を売る店もあるにはあるのだが、値段が吊り上るなどというものではないし、この街にあるかどうかも知れたことではない。
つまり、毒殺は現実的ではないということだ。
「毒は入れてないよ?」
そう言って、手に持ったバスケットを差し出す。
中に入っているのはサンドイッチだ。調査しながらになるため、歩きながらでも食べれるものを選んだ。
「そうか」
しかして、見透かされているのか、いないのか。
「はいよっと」
「待て、何故、一口食べた物を渡してくる。一人で食べられるぞ」
「毒見と、後ほら、こうした方が男の子は喜ぶんじゃないの? んー?」
アプローチというものをした経験のないシャロンは、コテツの反応に戸惑いつつも食べさせるのはやめない。
『男と仲良くなる、か。胃袋からだな。女に食べさせてもらって落ちない男は……、不能だ』
そう口にした共犯者の言葉をある程度信じて、行動するしかない。
そもそも、既にして本性がばれてしまったので何をしても無駄な気はするが。
「ふむ……、そこにベンチがある。とりあえず、座るとしよう」
そう言って、コテツがベンチを指差した。小さな公園の、背もたれのついたベンチだ。
否を返す理由もなく、言われるがまま、二人でベンチに座る。
「大丈夫? お口には合ってる?」
「問題ない」
「うちにあった材料なので、あまり豪華なものではないけど」
「ああ、問題ない」
会話が、弾まない。
(問題ないって……)
にこりともしない。
(おいしい、くらいは、言ってもらいたいなぁ……)
敵を前に、何を考えているのか、と思いつつも、女としての矜持がそんなことを呟いた。
(亜人のご飯なんて家畜の餌同然? これだから、人間は嫌い)
亜人の作ったものだから、なんて言葉はありふれている。
亜人じゃなければ美味しくて、亜人だから美味しくない。理不尽だ。
(つまらない人。そんなんじゃもてないよ?)
篭絡させろ、と言われているが、シャロンがコテツを好きになることは無く、コテツはシャロンを好きにならない。
そんな気がした。精々、油断させて後ろからが関の山だ。
「……む」
そんな時である。飛来する何かを、シャロンは視界の端に捉えた。
それはシャロンに向かって放物線を描いて飛んできて、それが何か理解する前にコテツの手がその動きを遮った。
ぱし、と小気味のよい音を立てて、それは手の中に納まった。
そして、すぐにそれの正体は知れる。
「亜人はこの街から出て行けーっ!」
子供の声。手には石。
最近のこの街ではよくあることだった。
もう一度投げられた、その石もまた、コテツの手の中に納まっていく。
「な、なんだよ。あんた亜人の味方するのかよ」
「彼女が、俺の協力者である限りは、そうなるだろう」
「なんだよそれ……!」
次々と投げられる石をコテツはシャロンに当たる石を選んで手で払っていった。
ただし、止めろとは言わない。ただ、飛んでくる石を払い落とすだけだ。
(……こんな子供にすら)
やはり、人間は好きになれそうもない。
しかしながら、シャロンは今人間に守られている。そんな状況に、戸惑った。
(そんなこと、しなくてもいいのになぁ。慣れてるよ、こんなこと)
見たことのないタイプの人間だ。
しかしそれでも、これまでの人生が信じることはできない、と返答を寄越してきた。
(でもどうせ、君も死を前にすれば掌返すよね。返しちゃうよねぇ……)
これまでにも、幾人か亜人の味方だと口にした者はいたが、彼らは皆簡単に掌を返すのだ。
亜人と同じ迫害に耐えられない者、命と天秤に掛けて簡単に亜人を売る者。
せめて申し訳なさそうにしてくれればいいものを、簡単にあっさりと掌を返し、迫害に加わる。
そんな姿を、幾度も見てきた。
エトランジェとて、所詮人間だ。命と引き換えになる場面で、捨てても周囲に咎められない亜人であれば、簡単に捨てられる。
いとも簡単に、捨てられるのだ。
やがて、石は無くなり、子供はどこかへ走り去って行った。
結局、その石がシャロンに届くことはなかった。
「別に、守ってくれなくてもよかったのに」
思わず、口を付いて出る。
媚びなければならないと後になって気付いたが、もう遅かったし、半分は開き直った。
油断した瞬間を引き出せればそれでいいのだ。無理に好かれる必要もない
幸いだったのは、コテツがシャロンを遠ざけようとしないことだ。随分奇特な人間だが、助かったというほかない。
「確かに言われた記憶は無いな」
コテツは、怒りもせずに言ってくる。
(ちょーし狂うなぁー……、この人)
その答えが、どことなく、気に食わないのだ。
当然のように怒り狂って殴りに来れば簡単なのに、と、そう思う。
再び歩き出したコテツを、シャロンは追う。
「……それで、本当に行くの?」
「ああ」
向かう地は、亜人たちが自然と寄り集まって暮らすようになった街の一角。
亜人街と呼ばれるそれは、いわゆるスラム街のようなものだ。
今回の話は結構な話数になるかもしれません。とりあえず明日も更新します。