罪深き命に祝福を
ゴシックでこの世の終わりという感じ。
雰囲気しかないです。
イエス、そう、フレグランス。
短編にもならないワンシーンです。
光が眩ければ眩いほどに、落ちる影も深く暗いものになる。この世の摂理、語るまでもない事実。手垢の付き尽くした言い回し。だがそれが、正しく彼と彼女の有り様であった。
「こんばんは、お嬢さん」
酷く不快な鉄錆のにおい。月明かりに真紅の聖堂がまざまざと浮かび上がる。処刑人と呼ばれた男は白い修道服の女に刃を向けた。鈍く光る剣身から血と脂が滴り落ちる。女神の代行者、聖女と呼ばれた女は微塵の動揺すらなく祈りの姿勢のままゆっくりと瞼を上げる。
「こんばんは、処刑人さん」
「こんな夜にまでお仕事熱心な聖女さまだね。ちょっと騒がしくしちゃったけど、ご愛嬌ってことで」
処刑人は自らが処したそこかしこの亡骸を一瞥する。救済の名の元に絶望と死体を積み上げて高みに座す亡者ども。聖女を____光を担ぐ神聖会の司祭たち。担ぎ上げた眩さに己が灼け焦げて怪物になっているとも知らずに。
選民意識、特権階級の助長、光に集る蠅が私腹を肥やし、幸福の外へ多くの人間を追い遣る。そしてその起点にあるのは聖女だ。本人が厭うかどうかに限らず。
「では、仕事熱心な処刑人さん。あなたがわたしの罪を裁いてくださるのでしょうか」
緩慢な動作で振り返る。陶器のように白い肌はいっそ血の気がないほどだ。伝承の女神と同じ銀の髪が僅かに揺れる。澄んだ菫色の瞳が真っ直ぐに処刑人を見ていた。
「裁かれたいの?」
「正直なところ、どちらでも。わたしが裁かれたとして、救われるものがないのなら同じことです」
美しい顔には曖昧な薄い笑みが浮かんでいる。随分疲れているように見えた。あるいは満足そうにも。生まれてこの方休まる時もないまま世界中の救済を背負って祈り続けてきた。命と心を削って、祝福を呼び、傷や病を癒やす奇跡を起こし……ちっとも救われた顔をしない世界に不満を吐く暇もないまま。
「またまたぁ。全部君の思惑通りなのに、すっとぼけちゃって」
けらけらと軽快に笑って、揺らした刃先で重たげな修道服をつつく。
「オレという処刑人を生かし続け、今日の幕引きまで導いてきたのは、麗しの聖女さまじゃないですか」
「なぜ、そのように?」
「そこはほら。この世の影たるオレよ? 君は対となる光。ぜーんぶお見通しってわけ!」
答えになっていない。が、聖女はころころと笑った。そうですね、と穏やかに相槌を打って豪奢な造りの聖堂を見渡す。
「さすがです。ただの一度たりとも、あなたは期待を裏切りませんでした」
ずっと、まとわりつく亡者の欲のなかで足掻いていた。奇跡を食い物に、聖女を金のなる木に。王も貴族も司祭も、そんな人間の集まりだ。聖女に与えられるのはぬるい水と固いパン。張りぼての威光を振り撒く修道服は重いばかりで、本当は神聖さのかけらもない。
すべて灼きつくすにはまだ、足りない。何もかも。彼女は待った。当て所ない救済の祈りに駆けずり回り、望まれるままに奇跡を振るって、己を飲み込む影が訪れるまで。
祈り疲れた指先が血錆に汚れた頬に触れた。
「わたしはきっとこの世で最も罪深い生き物です。わたしという光を掻き消すため、あなたという影をつくりました。恨んでいますか?」
愛おしげに撫ぜる冷えた指。空いた手でそれをすくって、処刑人は軽薄に口付けた。
「それはもう、熱烈に」
「ふふ……正直ですね。ねえ、処刑人さん。わたし、初めて懺悔します。聞いてくれますか」
するりと逃げた指が剣身に滑る。白い指を血が汚した。処刑人は頷きながら聖女の髪を弄んでいる。
「わたし、本当は人々を愛してなどいませんでした」
涼やかな声が博愛の幻を切って捨てた。
人というものは足るを知らない。そのために誰を貶め傷つけても満足げに笑っている。踏みつけにされたものもまた、誰かを踏みつけて這いあがろうともがいている。それが人間。その醜悪さこそが。それら全てをたったひとりで受け止めてきた聖女が、どうして正気でいられよう。
「いっそ悍ましいとさえ思います。わたしにとってここは紛れもない地獄でした」
それでも救いを振り撒く聖女の偶像。しかし本当に救われたかったのは誰であったか。雲が月明かりを遮り、聖女の罪ごと聖堂は夜の闇に沈む。
「祈りも赦しもこの世を救いませんでした。悍ましき罪は増えるばかりで……ですからわたしは、あなたを人殺しにしたのです」
希望を枯らした女神の代行者。暗闇のなかでも美しい光を湛えた瞳に処刑人が映っている。聖女がまだその名を戴く前に救った命。幼き日、思い出すに値するたった数日の記憶。薄汚れたふたりの子供と、野花の咲く丘と、晴れた空。
信じられる……信じたいと思えるたったひとりを、処刑人に仕立て上げたのは紛れもなく聖女だ。己の厭う醜い罪人と同じように策を弄して、彼を舞台に引っ立てた。この世を蝕む病巣を刈り取るその役目は、彼にしか任せられなかったから。
「この世で唯一美しいと思えたものを、わたしは、人殺しにしました」
一歩、踏み込む。刃先に重たい修道服がわずかめり込んだ。
「そして償うことすらなく、死のうと言うのです。……それでも」
月が雲を抜けた。伝承の一節、女神がその身を世界に捧げた様子を描いたステンドグラス。今一度、色とりどりの光が降り注いだ。
「わたしは、……あなたと、生きてみたかった……気が、します」
それを選ばなかった、選べなかった自分を消し去るように。矮躯がぐっと力強く踏み込むのと、刃先が押し込まれたのは同時だった。
悲鳴はない。命が溢れる音だけ。真っ直ぐ急所を刺し貫いたまま、傷だらけの腕が哀れな女を抱きしめた。花を編んだ頃よりずっと、太く長い腕。
「オレはね、聖女さま。正しくて、美しくて、オレを人殺しにした君が憎い。殺しても殺しても足りないくらい。けど、」
弛緩して肉の塊に変わっていくその耳に届くよう囁いた。
「愛してたよ。この世で唯一……フェリシア、君だけを」
「……え…………」
閉じかけた瞼が一瞬、動揺に見開かれて。それから、ふ、と最期に笑った気がした。ほんのり嗚咽を含んだそれは、聖女が唯一残した人間性のようにも思える。いや、最期になって彼女はやっとただのフェリシアに戻れたのかもしれなかった。
この世は光を失う。だがそれでいい。人間には眩過ぎたのだから。
「……あの世でも結婚式って挙げられるかなー」
別れの言葉は言わない。処刑という責務は終えた。ここから先はもう自由だ。
「くそったれな神様でも、最期くらいは慈悲をちょうだいよ。ちゃんとオレを……彼女のところに連れてってね」
彼は優秀な処刑人。失敗らず、最後の一人を殺し尽くすだろう。あの世で素敵な結婚式が挙げられるかどうかは、くそったれな神様だけが知っている。




