運転手の矜持
私は黒塗りの車のハンドルを握りながら、バックミラー越しに後部座席の男を見た。
グレーのスーツを着た初老の紳士。名前は知らされていない。ただ、「特別な客」だと会社から言われただけだ。
「国立美術館まで」
男は短く告げた。私は頷き、車を発進させた。
私の名前は木村洋介。四十二歳。ハイヤーの運転手だ。
十年前まで、私は別の人生を歩んでいた。大学の英文科を出て、小さな出版社で翻訳の仕事をしていた。給料は安かったが、好きな仕事だった。
でも、妻の麻衣と結婚してから、すべてが変わった。
麻衣の父、つまり私の義父は、地元で不動産会社を経営する資産家だった。彼は私を最初から認めなかった。
「翻訳? そんなもので家族を養えるのか」
義父の言葉は冷たかった。
「うちの娘は、苦労させるために育てたんじゃない」
私は反発したかった。でも、麻衣が第一子を妊娠したとき、私は決断した。
出版社を辞め、義父の紹介でハイヤー会社に就職した。
運転手。
確かに、安定した収入はある。でも、それは私が望んだ生き方ではなかった。
「お前は、これでいいのか」
義父は時々、そう言って笑った。嘲笑だ。
「本当に、これがお前の人生か」
私は何も言い返せなかった。
ただ、ハンドルを握り続けた。
それから十年。
私は、もう何も感じなくなっていた。夢も、情熱も、すべて捨てた。ただ、家族を養うために、車を走らせる。
それが、私の人生だ。
車は国立美術館に着いた。
「一時間後に、ここで待っていてくれ」
男は車を降り、美術館の中へ消えていった。
私は車内で待機した。ラジオをつけ、ニュースを聞く。政治、経済、芸能。どれも、私には関係のない話だ。
三十分ほど経った頃、携帯電話が鳴った。
会社からだ。
「木村さん、急な変更です。今、乗せている客、実は有名な美術評論家なんです」
「え?」
「田島光一先生。知ってますか?」
田島光一。
私は驚いた。知っている。大学時代、英文科の授業で、田島の著書を読んだことがある。イギリスの美術評論を日本に紹介した第一人者だ。
「先生が急に体調を崩されたそうです。美術館の中で。すぐに行って、対応してください」
私は車を降り、美術館へ走った。
受付で事情を説明すると、スタッフが案内してくれた。二階の展示室。そこで、田島は椅子に座り、額に手を当てていた。
「先生、大丈夫ですか」
私は駆け寄った。
「ああ……少し、めまいが」
田島は顔を上げた。顔色が悪い。
「病院に行きましょう」
「いや、待ってくれ」
田島は首を横に振った。
「あの絵は、今日が展示最終日なんだ。どうしても、自分の目で見ておきたい」
彼は壁を指差した。そこには、一枚の絵が飾られていた。
風景画。イギリスの田舎町を描いたものだ。
「明日には、別の美術館に移送される」
「でも、体調が……」
「頼む。あと十分でいい。あの絵を見させてくれ」
田島の目には、切実な光があった。
私は少し考えた。そして、スタッフに頼んだ。
「椅子を、あの絵の前に運んでもらえますか」
スタッフは頷き、椅子を絵の前に置いた。私は田島の肩を支え、椅子まで歩かせた。
田島は座り、絵を見つめた。
その横顔は、穏やかだった。
「美しい……」
田島は小さく呟いた。
私も絵を見た。
確かに、美しい絵だった。でも、それ以上に、田島の表情が印象的だった。
彼は、本当に絵を愛している。
十分後、田島は満足そうに頷いた。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
私は田島を車まで送った。途中、美術館のカフェで休憩を取り、彼はソーダ水を飲んだ。
「君は、運転手なのか」
田島が聞いた。
「はい」
「それだけか?」
私は少し戸惑った。
「どういう意味ですか?」
「君の目だ」
田島は私を見つめた。
「運転手にしては、あの絵を見る目が違った」
私は何も言えなかった。
「君、もしかして、美術を学んだことがあるか?」
「いえ。英文科です。でも、大学時代、先生の本を読みました」
「私の本を?」
「はい。『イギリス絵画の詩学』。素晴らしい本でした」
田島は驚いた顔をした。
「それで、なぜ運転手を?」
私は黙った。
答えられなかった。
田島は、それ以上、何も聞かなかった。
車は田島の自宅に着いた。
「ありがとう。君のおかげで、あの絵を見ることができた」
田島は車を降りる前、私に名刺を渡した。
「もし、何かあったら、連絡してくれ」
私は名刺を受け取った。
その夜、私は家に帰った。
妻の麻衣が、夕食を作って待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
私は食卓に座った。麻衣は味噌汁を注ぎながら、言った。
「今日、お父さんから電話があったの」
「お義父さんが?」
「うん。来週、家に来るって」
私は小さく吐息をついた。また、あの嘲笑を聞かなければならない。
「洋介」
麻衣が私を見た。
「私、思うんだけど」
「何?」
「あなたは、今の仕事、本当に嫌なの?」
私は黙った。
麻衣は続けた。
「お父さんは、あなたを認めてないかもしれない。でも、私は知ってる。あなたが、どれだけ真面目に働いてるか。どれだけ家族のことを考えてるか。それは、特別なことだよ」
私は妻を見た。彼女は笑っていた。優しい笑顔だった。
その週末、義父が訪ねてきた。
「よう、洋介。相変わらず運転手か」
義父は玄関で、いつもの嘲笑を浮かべた。
「はい」
私は短く答えた。
リビングで、義父は新聞を広げた。そして、ある記事を指差した。
「これ、見たか」
それは、美術欄の記事だった。
『田島光一氏、引退発表。最後の評論を執筆中』
私は記事を読んだ。田島は、持病の悪化により、評論家としての活動を引退するという。
そして、最後の評論のテーマは「支える者の美学」だという。
私は思わず、記事を見つめたまま動けなくなった。
「どうした?」義父が怪訝な顔をした。「妙な顔してるぞ。知り合いか?」
「いえ」
私は嘘をついた。
数日後、会社から封筒を渡された。
「木村さん宛てで、田島光一さんという方から届いたよ」
差出人は、田島光一。彼はハイヤー会社を通じて、私に手紙を送ってきたのだ。
手紙には、こう書かれていた。
『木村さん
先日はありがとうございました。あなたのおかげで、私は最後の絵を見ることができました。
あなたは、私に大切なことを思い出させてくれました。
美術を支えるのは、評論家だけではない。絵を愛する人、絵を守る人、そして、絵を見る人を支える人。すべてが、美術を成り立たせている。
あなたは運転手として、私を支えてくれた。それは、立派な仕事です。
私は最後の評論で、あなたのことを書きます。名前は伏せますが、あなたの生き方を。
どうか、誇りを持ってください。
田島光一』
私は手紙を握りしめた。
涙が溢れた。
私は、間違っていなかった。
この十年、私は過去を引きずり、自分を責め続けた。
でも、違った。
私は、家族を支えるために生きた。それは、恥ずべきことではなかった。
運転手という仕事も、誰かを支える仕事だった。
それは、翻訳と同じくらい、価値のある仕事だった。
翌週、義父が再び訪ねてきた。
「洋介、これを見ろ」
義父は雑誌を差し出した。美術雑誌だ。
そこには、田島光一の最後の評論が掲載されていた。
『支える者の美学』
私は読んだ。
田島は、ある無名の運転手について書いていた。
彼が、どのように田島を支えたか。どのように、最後の絵を見る機会を守ったか。
『彼は十年前、英文科を出て翻訳の仕事をしていた。しかし家族のために、運転手へと転身した。その決断を、周囲は理解しなかった』
そして、こう結んでいた。
『彼は運転手だった。しかし、彼の中には、美を理解する心があった。それは、かつて学んだ知識ではなく、人生の中で培われた感性だった。
私は、彼から学んだ。美術を支えるのは、評論家や学芸員だけではない。無名の人々の、小さな親切と理解だ。
それこそが、文化の真の基盤である』
義父は雑誌を置いた。そして、私をじっと見た。
「これ、お前のことか」
私は頷いた。
義父は、初めて、真面目な顔をした。
「そうか」
それだけ言って、義父は立ち上がった。
玄関で、義父は振り返った。
「洋介。お前の生き方、間違ってなかったようだな」
それは、義父が初めて、私を認めた瞬間だった。
私は頭を下げた。
その夜、私は妻と二人で、静かに食事をした。
「良かったね」
麻衣が言った。
「うん」
私は笑った。本当に、心から笑えた。
私の人生は、決して華やかではない。
でも、それでいい。
私は、私の仕方で、誰かを支えてきた。
それが、私の生き方だ。
そして、それは、特別なことなのだ。
窓の外では、夜が更けていく。
私は、明日も、ハンドルを握る。
誰かを、どこかへ運ぶために。
それが、私の誇りだ。




