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第26話 自我の揺らぎ

 帝都の商店街を2人の若い男女が歩いている。


 砕けた様子で会話をする2人──リオとローラは、傍から見ればカップルのようだったが本人たちに自覚はなかった。

 そして、遠くからコッソリと2人をつける少女の存在には誰も気付かない。


 リオがとある店舗を見つけるとフラフラとそちらに近づいていった。


「ちょっとリオ! パンならさっき買ったでしょ! 次行くよ!」

「でもローラ、このお店美味しそうじゃない……?」

「何言って……あ、でもたしかに美味しそうかも」


 リオが指さした店を見ると、ローラが興味深そうに近づいていく。

 パン工房を併設した店からは香ばしい匂いが漂っている。

 財布の紐を握りしめているローラの足もつい軽くなるというものだ。


「あら、いらっしゃい。デートかしら?」


 迎え入れた女店主がそう声をかけると、2人揃って顔を赤らめた。


「べ、別にデートとかそういうのじゃ……コイツとはその、幼馴染で……」

「まあまあ」


 タジタジになりながら弁解するローラの様子にニコニコと笑う店主。


 同じように恥ずかしいような気分になったリオ。

 そんな時、ふと遠くから視線を感じた気がして後ろを振り返った。

 気のせいでなければ「……テエ」という謎の声も聞こえた気がする。


 店先にこちらを見る人の姿はない。気のせいか、とリオは気を取り直す。


 ──平行世界の記憶を得たリオは以前よりも気配に敏感になっていた。

 しかし、路地に身を潜めるストーキング少女を発見するには至らなかったようだ。


「リオ、どうかした?」

「ううん、なんでもない。それで、ローラはどれを買いたいの?」

「ええー、どうしよっかなー」


 目を輝かせたローラがパンの並んだ棚を見始める。

 リオも彼女の見ているパンを後ろから覗く。


「ねえ見てこれ! なんか形がネコっぽくて可愛くない?」

「でも食べたら関係ないよ?」

「ちょっとリオ! それ言ったらおしまいでしょ! まったく、アンタは本当に昔から風情とかそういうものをまるで理解してないんだから」

「ええー……」


 些細な言い合いをする2人の様子は、まるで仲睦まじい夫婦のようだった。


 アレコレと言い合いをした後、2人はいくつかのパンを買って店を後にした。

 会計をしたローラは、女店主の目がやけに優しくて少し気恥ずかしかった。


 再び隣り合って路地を歩き出す。

 しかし、何かを見つけたリオがふと立ち止まった。


「どうしたのリオ?」

「……いや、あのお店の看板、見覚えがある気がして」

「ええ? ……でもあそこ、新しくできたばかりじゃない?」


 リオが見ていたのは武器などを扱う店のようだ。

 まだオープン前らしく、工事作業員たちがせっせと中に物を運んでいる。


「ああ、そっか。……ごめん、やっぱりなんでもない」


 何かに気づいたリオが、手を横に振って「気にしないでくれ」と伝える。

 しかしローラは、そんな彼を心配そうに見つめた。


「もしかして、別の世界の記憶ってやつ?」

「……」


 図星を指されて、リオは少し黙り込んだ。

 まさかローラに気づかれるとは思わなかった。


 最近、自分の記憶が今の自分のモノなのか、未来の別の自分のモノなのか分からなくなることがある。

 ソウルライトを覚醒させて以来、リオは度々こういった現象に襲われていた。


「ねえリオ。もしかして、今まで何度もこういうことがあったの?」


 ローラの心配そうな目が下から見上げてくる。

 リオはドキリとした。


「ちょっと前にも急に立ち止まって何か考えていることあったでしょ? それに、たまに大人みたいな物言いをしたりして……もしかして、それでずっと苦しんでいたの?」

「いや、別に大したことじゃ……」

「嘘」


 ローラの真っ直ぐな瞳に貫かれると、リオはいつも嘘がつけなくなる。

 惚れた弱みとでも言えばいいのだろうか。彼女に隠し事をするのは不可能に近かった。


「……僕のソウルライトについて、前に説明したよね?」


 諦めたようにため息をつき、リオは説明を始めた。

 その表情は暗く、先ほどまで楽しげに買い物していた彼とは別人のようだ。


「うん、その平行世界……って奴はよく分からなかったけど、でも未来のリオが力を貸してくれるって言ってたよね?」

「そうだね。あの時、僕には違う未来を辿った僕の記憶が流れ込んできた。それが今の僕の記憶とごちゃ混ぜになって、時々どっちがどっちだか分からなくなる」


 打ち明けるリオの表情は暗かった。


 それは自己同一性の揺らぎと言ってもいいものだった。

 様々な背景を持つリオグレンの記憶が混在する状況。


 現在から地続きに存在する「自我」が崩壊するような感触だった。

 そんな精神的な不安定さは最近のリオを悩ませる問題になっていた。


「……」


 説明を聞いたローラには、その感覚を完全に理解することはできなかった。

 別人の記憶がある苦痛など、想像できるわけもない。


 ただ、その表情から彼がその孤独を抱えていたことはよく伝わってきた。


「──リオ」


 ──だから、彼女はリオに寄り添おうと思った。

 たとえその痛みを理解できなくても、その孤独に寄り添うことはできる。


 ローラは俯くリオの手を両手で握り込んだ。

 大きな拳。所々に剣ダコのできた手。今までずっとローラを守ってくれた、逞しい手。


 自らの熱でリオの冷え切った指先を温めるように、その手を握る。


「……ローラ?」

「私はここにいて、いつもあなたを見ているよ、リオ。あなたにどんな記憶があって、どんな能力に目覚めても、私がここにいてあなたを見ている。だから安心して?」


 その瞬間、リオは頭の中がスッキリしたような感覚を覚えた。

 先ほどまで考え込んでいたことが急にどうでもいいことに思えてしまったのだ。


 己が何者であろうと、ローラが見てくれるリオグレンは自分だけだ。

 ここにいるローラと共に過ごし、喧嘩をし、支え合ってきたのは自分だけなのだ。



 社会心理学に則れば、『自我』とは他者との関係性の中で形成されるもの。

 つまり、リオにとって己をずっと見てくれているローラという存在を改めて意識することは、『自我』を確固たるものにする行為だった。



 自分の手を包み込んでくれる彼女の掌が温かい。

 その熱が、たしかにここにいる己を意識させてくれる。


 しばらくの間、リオは心地よい熱に包まれてその場に立ち尽くしていた。




「ご、ごめんリオ。自分でやっておいてアレだけど……」


 しばらく経つと、ローラが恐る恐る切り出した。

 よく見れば彼女の顔はゆでだこのように真っ赤だ。


「そろそろ手、離してもらえないかな?」

「えっ? …………あっ」


 正気に戻ったリオがバッと後ろに下がる。

 次の瞬間には彼の顔はローラと同じくらい赤くなっていた。


 甘酸っぱい空間が2人の間に形成される。


 どこか遠くから、「テエテエ……」という声が聞こえた気がした。

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テェテェ妖怪…
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