6 テニアン
戦闘263航空隊、小隊長松尾中尉が硫黄島を経てテニアン島、ハイゴ飛行場に到着した。
来着したその日、在テニアン日本軍は、緊張感につつまれていた。ただ、まだ空襲が具体的なタイミングで予想されるところまではいっていなかった。
(油断ならんな)と松尾中尉はおもった。
すでにトラックの航空隊と在泊艦艇が手荒くやられている。
だから、第一航空艦隊は、本来ならばもう少し訓練で内地に留め置かれるところを、マリアナに引き出されてきた。
松尾中尉が属するのは第一航空艦隊麾下、第六十一航空戦隊である。彼自身は、小隊長として4機を束ねている。
それにしても、基地内はあわただしかった。
昨日、というのはテニアン来着から3日目だが、一緒に来た龍部隊は、硫黄島に後退させられてしまった。26航戦も同様である。(但し、26航戦は機種改編も兼ねていた。)。
松尾中尉は、頭では理解できるが割り切れないものも感じる。要するに、我々は盾を持っているが、剣は鞘に納めている。いや、弓矢か、と思い直した。
とにかく、現在、我々は敵に対する攻撃手段を持たない。とすれば、我々は一方的に叩かれるだけである。こうなったのは1航艦で議論した末だという。大局に立てば合理性がある。戦力、つまりいずれ上陸船団を伴い来寇する米機動部隊を、こちらの機動部隊、更に水上艦艇部隊と集中し攻撃する。そして、それは機動部隊と連携したほうがより効果が大きくなる。
道理だろう、ただ、自分のような尉官が思いつくようなことを、大局を見るべき軍令部やGFが主導していないのが不思議だが。”猛将”で知られるよく1AF長官が承諾したものだと思う。
それよりも感情で嫌なのは、敵攻撃をしないのであれば、自分の部隊に耳目が集まるであろう、ということである。彼の属する部隊は、一種の実験部隊である。
テニアン島着から5日目、その日は未明から警戒配備がかかった。まだ夜は明けていない。
搭乗員待機所には、いつでも出ていけるよう、早々に総員起こしをかけられた搭乗員が詰めている。
待機所の前で、要務士が黒板に書いた書いた搭乗割が掲げられている。
松尾中尉は、それらの群れから少し離れて、待機所の前にケンバス張りの折り畳み椅子を出し、どっかりと座って座って出撃準備を眺めていた。
照明のつるされた格納庫の中、一部は駐機場に並べらた飛行機が、整備兵により出撃準備を施されている。
零戦のスマートを引き継いだ機体に逆ガル翼が力強い。いい飛行機だ、と思う。椅子に座ってぼんやりと整備作業を眺める松尾中尉は、思い出していた。
(期待するところ、大である、か。)
出撃時、戦闘263空隊司令の玉井中佐の訓示を思い出した。そのとおりだろうと思う。
「古来、これで十分、という状態でいくさが始まったことはない。今回もまたそうである。諸子はこれから太平洋を越え、決戦場へ向かう。
我が263空は、装備機及び装備機材について、海軍航空全体より特段の配慮をもって編成されている。それは、日々訓練にあたっている諸子が一番よく知っていると思う。戦局は厳しい。また訓練も十分ではない。しかし、空戦技量とよく新戦法を身に着け、誓って戦果を挙げていただきたい。」
戦闘263航空隊は、ただの航空隊ではない。軍令部・源田実中佐の構想による舞台である。
具体的には、航空隊司令部と電探、監視所をつなぐ。それらの情報を、飛行隊司令に集める。更に司令は、その情報を基に航空無線で航空隊を統制する。
そして、飛行隊自身も、編隊空戦を重視する。
これまでは、戦国時代よろしく空に上がってしまえば自分の判断で一騎打ち、おのおの功名を立てんがため、というわけではないが、それに近い戦いだった。そういう意味で、ようやく現代的な制空戦をやろうとしている。
なにより、本来空母機動部隊へ持ってくるはずだった新型艦戦を本格的に集中し部隊配備した。かなりの反対を押し切った結果である。
もちろん、急速展開した263航空隊は、全く不完全な状態である。
戦場から考えて、サイパンやグアムの基地、防空監視哨とは連携を取りたい。無い物尽くしだ。しかし、とにかく輸送機でできるだけの人と物は運んだ。隊司令以下、到着4日で、できるだけの準備をしている。
ただ、機数が少ない。定数は72機だが、実数は48機である。
喧噪の中、松尾中尉はぼんやり考え続けた。
去年の末あたりから、ラバウル・ニューギニアはいよいよ支えきれなくなってきている。これまでどうにかなっていたが、敵はどんどん、数で押し切って戦線を突破して、後方要地に回り込んでくる。
このいくさは先が見えない。ただ、最善を。
その時、スピーカーが鳴った。
「合戦準備となせ。繰り返す、合戦準備となせ。」
おいでなすったか、とつぶやくと、松尾中尉は立ち上がった。
戦闘263航空隊が装備するのは、A7M1、海軍四式艦上戦闘機である。
通称「烈風一一型」。
烈風一一型は、零戦についで海軍に採用された艦上戦闘機である。
海軍は、十二試艦上戦闘機、「零戦」がある程度ものになった昭和15年末、三菱航空機に次世代艦上戦闘機の設計を内示した。
このとき、もっとも問題になったのがエンジンである。
実は、三菱は、自社製2000馬力エンジン(三菱MK9)の開発を進めていた。だから、A7Mにも自社エンジンを積みたい。だが、MK9は、三菱が単独で開発している。
一方のNK9(のちの「誉」)は、海軍と中島飛行機が協力している。結果、三菱MK9は、開発に後れを取っていた。
そこで三菱は、零戦の初期不良対応や同時期に企画中であった局地戦闘機開発を口実に、新型艦戦の開発を先延ばしにしようとした。
しかし、海軍は、「2000馬力エンジンは目途が立っている。それを使って速やかに作ってほしい。三菱がどうしても作りたくないというのであれば、艦上戦闘機は他のメーカーに任せる。局地戦闘機は、場合によっては陸軍のものか他社製のものを使っていいと考えている」と、かなり強引に迫った。
そこで、三菱は、「将来自社で開発しているエンジン開発が成功したら、それを積む」という内諾を得て新型艦戦を開発した。
これが、烈風一一型である。採用は昭和18年10月だが、他の機種との混同を避けるため「四式」を名乗っている。
ただ、すでにエンジン換装型はある。こちらは正真正銘、「四式」である。
ようやく東の空が群青になりつつあるが、まだ闇は濃い。
既に接敵のため、彩雲は飛び立っていた。
敵の接近に応じ、飛行場内では対空戦闘準備が整えられている。
玉井司令は戦闘指揮所へ入った。テニアン・ハイゴ飛行場を中心とする大海図が机の上にある。そこに兵棋演習用の駒を持ち込んで、彼我の状態を示していた。通信士が、彼我の状況を玉井司令に伝え、さらに要務士がそれを海図に反映している。
玉井司令は、その海図の前にいた。
同じころ。
駐機場には、エンジンを始動させた烈風一一型がずらりと並んでいる。
搭乗員整列がかけれられ、簡潔な指示がなされた。
そして、「かかれ」の号令。
搭乗員たちは機体へかけより、機付整備員に代わって乗り込んだ。
松尾中尉は、風防を開け、飛行眼鏡をかけてて操縦席に座り、指揮所横に半分上がった信号旗を見ていた。
やおら、旗がいっぱいに上がる。
(よし)
風防を閉め、ブレーキを緩め、スロットルを開く。駐機場に停まる機のエンジン音が高まる。
そして、次々と滑走路へ向かう。
松井中尉も、滑走を開始した。烈風一一型は艦戦らしく、ごく短い滑走距離で浮き上がった。
一瞬、機銃試射、問題なし。エンジンも快調に回っている。
飛行場上空で列機と合流し、やがて編隊を組んだ。
他隊のものだろう、零戦の姿も見える。
航空無線が入った。
「敵大編隊、サイパン牛岬より北北東120キロ、高度5000、サイパン島へ向かう」
再び無線。今度は分隊長からである。
「全機、サイパン牛岬上空6000メートルで警戒」
(これまでとは違うな)
と松尾中尉は思う。
以前なら、離陸前に指示があるが、上がれば後はひたすら自分の目で判断するしかなかった。
そして、列機との連絡ハンドサインである。
しかし、263は司令の指示で戦う。指示に沿って列機と共に向かう。
「敵大編隊、進路変わらず。機数約120機」
これはいかんな、と思う。敵は3倍である。
とにかく敵を阻止せねばならない。
サイパンから零戦も上がっていると思うが、果たして。
と、一番ベテランの飛行兵曹が操る烈風がバンクした。
「左下方、敵編隊、我らと反航する」
ありがたい、無線で全員に情報共有が出来る。そして、高度は我々が有利であった。
松尾中尉は、ごく小さく見える敵を観察した。
「敵を見つけたら、考えるより体が先に動く。自然にそれまでの経験が生きて飛行機を手足のように操り、頭より体が動いて敵の死角に回り込み敵を撃墜する。」
このような搭乗員が、本当に腕の良い戦闘機搭乗員というわけではない。むしろ、撃墜数が多く生き残る搭乗員は、「長年の勘と本能」で飛行機を飛ばすことをしない。彼らは、まず敵機の、機種、速力、その他を観察する。そして、彼我の状況を判断する。しかる後、どういう機動をとるか、意思決定をする。その意思決定に基づき動く。
ベテランは、動きこそ何も考えずにこなしているように見えるかもしれない。しかし、彼らは、意識してか無意識かは別にして、その過程を必ず踏んでいる。
実は、このようなことができるか、または気付けるかが「天性の勘」であったりする。
松尾中尉は、ある時からそれに気づき、意識してそれを行うようになった。
敵は、戦闘機が上空に、複座の攻撃機がその下を飛んでいる。敵の任務は、我が基地の攻撃であり、我らはその防御である。制空権を取るなら敵戦闘機の殲滅をする必要があるが、艦艇や陸上基地への損害減少が任務だ。そして、敵攻撃機は、後部に防御機銃がついている。
松尾中尉は、敵を観察した。そして情勢を判断する。
攻撃機(おそらく爆弾装備)の上に、戦闘機隊がいる。敵は、反航に近い。敵の進路を予想する。攻撃機を狙る。前面から一撃離脱をかける。相対速度の関係から、攻撃機会は限られるが、後ろに回る間に距離を離される。
2回目は難しい。おそらく戦闘機との巴戦になるだろう。初手が全てになる可能性が高い。
そう決心する。列機に無線で伝える。
松尾中尉は、烈風を左旋回に入れた。烈風は癖のない、運動性のいいところを零戦から引き継いでいる。いつもそうであるように、ラダーペタルを踏み、操縦桿を倒すと、素直に左旋回にかかる。そして、水平に戻すと、そのまま、急降下に入れる。運動性は零戦譲りだが、烈風はエンジンの力も強く、機体も頑丈になっている。
瞬間、ぐっとGがかかる。気づかれた。敵が機銃を打ち上げてくる。アイスキャンディーのように見える曳光弾を無視する。降下を続行する。照準器に敵機をと捉える。まだまだ、まだまだ――
そして、思いきり近づき、ドーントレスに20ミリと13ミリを浴びせた。
そして空中衝突をぎりぎりのところで敵を右に交わして降下、そのあと反転上昇に移る。
スロットルを開くと、ぐいぐい上がらる。零戦よりうんと余裕がある。
F6Fが追ってきた。零戦なら追いつかれて撃たれる。が、烈風はF6Fとエンジンの出力が同じなので、余裕を感じる。F6Fが左から撃ちながら追い越していく、後ろにつけるか、周囲を確認する。F6Fとペアを組んだ機がいる、やはりだ。追っかけると、ペアを組んだ機から撃たれる。あれは追いかけない。新たな敵機を探す。
左下方に、すれ違う攻撃機が見える。あちらに行こう。速力を出しているが、爆撃進路にはっているのか、直線的な動きだ。今度は、後ろから、防御機銃に打たれながら近づかないといけない。不利だが、烈風は零戦より思い切った降下ができる。
第二撃のため、上昇。ちらりと後ろを見ると、列機はついてきている。
よし、第二撃だ。
この日、米軍は三波にわたる空襲を敢行した。
烈風、金星零戦隊は、熾烈な防空戦を展開している。
・いつもの如く、出してから書き直します。
もしかしたら、全部削除するかもしれないです。
どうぞ、いろいろご海容下さい。




