5 トラック
その日の朝は、いつもと変わらない前線基地の朝だった。いや、昨日とは違った、というべきだろう。
昨日は、早朝から敵機動部隊接近を理由とする第一種警戒配備が出され、現に哨戒機が何機か帰ってきていない。ところが、午後には配備は緩められ、夕方には通常警戒となった。
26航戦、戦闘203飛行隊の磐田飛曹長は、対応に一抹の不安を抱えていた。噂では、軍令部と参謀本部の偉い人が視察に来ており、その対応中、警戒配備であればトラック小松での接待に具合が悪いということで、と聞いた。が、流石に嘘だろうと思う。むしろ、偉い人が来ているのに警戒を解いたのは、むしろ本当に敵襲がない情報がなにかあるだろう、と思った。さすがに海軍も、そこまでは弛んではないだろう。
それにしても、と思う。開戦の頃と比べ、問題が多い。哨戒がうまくいっていない。そして、搭乗員の育成。搭乗員の方は彼自身の問題でもある。先月から、補充搭乗員が幾名か来ているが、いずれも飛行時間が少ない若年搭乗員ばかりである。
総員起こしの後の海軍体操を終え、とりあえず0805の課業はじめがかかったら、列機の訓練計画を考えなければ、と磐田飛曹長ぼんやりと思っていた。
指揮所へ、と思った瞬間、サイレンが鳴りだした。空襲警報だ。訓練か、と思ったが、そんな予定は聞いていない、まさか。連合艦隊艦艇が出動したのちも、ラバウル方面へ行く輸送船、燃料タンク替わりのタンカーが多数在泊している。
スピーカーが、戦闘配置につけ、機数、方位を告げている。
「いかん」
駐機場へ駆け出した。何ということだ。
駐機場には、戦闘機がすでに引き出されている。整備員がとりつき、燃料や機銃弾の搭載作業を行っている。が、動きが鈍い。海軍は隊長機(マーキングが施してある)などを除き、搭乗員ごとの指定機などはない。とにかく、近くにある機体に乗って上がらねばならない。
手を貸そうと思った瞬間、ドン、という音が聞こえた。もう来襲したのか、と思ったが違った。高角砲の発砲音だ。
(今から上がるってのに弾なんぞ)とそこまで思ってはっとした。もう上空に来ているのか。やられた。
「準備完了」と声の裏返った整備員が叫ぶ。
(大丈夫だろうな)と磐田飛曹長は毒づきながら、零戦四一型、通称金星零戦の操縦席に座る。ちらりと周りを見る。
(新型機は、ないか)と思った。かつて、ラバウルにいたとき試験運用部隊の機体の座席に座ったことがある。零戦より一回りでかい。もう正式採用されているはずだが、まだ回ってこない。
(なにもかも、うまくいってねぇな)
腹の中でつぶやいた。
「回せ」と整備員に声をかける。
整備員が、二人ががりでエンジンについたレバー、イナーシャに取り付き回し始めた。はじめゆっくり、最初は低く、そして慣性により回るスピードが速くなるにつれ、独特の高音を出す。
「コンタクト!」磐田飛曹長が叫び、エンジンとクラッチをつなぐ。
最初にパン、パンと乾いた音をたてエンジンがかかる。ダダダダ、と快調な音で回っている。
(よし)とつぶやく。故障を起こしてくれるなよ。
「チョーク外せ」と叫び、身振りで示した。整備員が外して、プロペラを気にしながら後ろに下がる。
本来なら、勝手な離陸は出来ない。指揮官の指示のもとに出す。
が、高角砲が打ち始めている。そしてなにより、空には黒い粒-敵機が来ている。
撃たれることを覚悟で、上がることにする。
緊急出撃であるから、列機等も待たない。(頼むから、ハライタ機とか勘弁してくれよ)と、思いながら風防を閉めて、滑走路に飛び出した。
土煙を上げて離陸すると、脚を中に収め、泊地上空を高度を上げずに水平飛行する。遮二無二上昇するわけではない。上からかぶられないか、ハラハラする。
空戦は位置エネルギーを利用する。そして、早く上昇するには、速力がいる。この辺りは、バイクで急坂を登るのと変わらない。エンジンを回し始めた直後にいきなり上昇に移っても、最悪エンジンが止まる。機体に速力がないと、どうしても上昇力が出ない。速力が出るまでは水平に動く。エンジンがよく回っているのが救いだ。スロットルをゆっくり開ける。急場だが、無理な機動はしない。覚悟がいるが、定石を外せば落とされる確率も上がる。
馬力のあるエンジンの機体なら、無理矢理上昇することもあるだろう。その点、金星零戦は、栄搭載の零戦よりエンジン出力に余裕はある。新型艦戦の採用により生産数を減らしている零戦の搭載エンジン、栄エンジンは既に第一線で飛ぶ飛行機にはつけられない。だから、基地航空隊を中心に、(新型艦戦のつなぎというか「性能強化型としての」)金星零戦は配備されている。だが、それでも馬力は1500馬力である。F6Fのエンジン出力とは3割以上劣る。
もう少し、思うところで上から降下する機体に気づいた。(かぶられたか)と思う。このまま直線的な水平飛行を続ければあっという間に撃墜される。今は、落とされないことが何より優先される。ついてくれば、格闘戦に持ち込む。そう決心して、少し速力が足りないが上昇をかけた。
が、次の瞬間、違うことに気づく。
(ドーントレス(急降下爆撃機)だ)
Gがかかるななか、後ろ―海面―を見る。船がいる。ドーントレスは、輸送船を狙っている。
(くそっ)
一瞬、反転して追いすがり、妨害しようかと考えた。が、上昇力の付いた機体と降下に移った敵機は、どんどん離れていく。また、零戦は、機体強度の問題でドーントレスには追い付けない。金星エンジン装備機でも同じである。
(何につけても、腹立たしいな)
とにかく、状況を把握しなければ。目の前の機体を追いかけることに夢中になれば、おそらくは数的に優位であろう敵にあっという間に落されてしまう。
雲を利用しながら、上昇を続ける。
高度が5000まで来た。
空戦と状況把握のため、上昇をやめ、旋回しながら周囲を確認する。
味方機はほとんどいない。
敵は、春島にある基地、そして輸送船にとりついている。
早くも命中弾を受けたのか、もうもう都と煙を上げ、のたうち回るように回頭している輸送船がいる。
旋回していると、ドーントレスが降下体制に入っているのを見つけた。8機。その上に、F6Fが張り付いている。
(ドーントレスに横から一撃をかける。F6Fがかぶさってくるから、一撃したらすぐ上昇して躱す。追っかけられたら旋回して、格闘戦に持ち込むか振り切る)
列機がない。敵は圧倒的多数である。振り切っても別の機体に撃たれるかもしれない。
だが、ほっとけば船は沈む。燃料や物資がなければ、戦えない。自分がやならきゃ、しょうがない。
(不利ないくさは、今まで何度も。今日も切り抜けてやる。)
磐田飛曹長は、しぶとく、そして状況を一瞬で判断すると、操縦桿を倒す。降下に入ったドーントレスの横合いの胴体の星のマークを狙うように接近する。
降下に入ったドーントレスは、磐田飛曹長に気づく。後部機銃が向けられる。曳光弾が自分に向かってくる。
すこし遠い、しかし撃墜は目的としない。とにかく、爆撃目標の狙いを外させる。編隊を崩す、その意図で、機銃をばらまく。編隊が分散した。下方をすり抜けると、上昇に移る。
上から、F6Fがくらいついてくるのを、旋回して躱す。だが、喰らいつてくる。
(今日は我慢比べの鬼ごっこだな)
F6Fが前に出てくるが、無視する。F6Fは2機編隊で空戦する。
食らいつけば、ペアを組んでいる列機に撃たれる。
今日は、とにかく、船と基地に攻撃をかける敵機を妨害しなければ。
基地からの対空砲火は、がっかりするほど散発的だ。
連合艦隊だけいない。
だが、目の前では船が狙われ、命がけの「鬼ごっこ」をしている。
(一体、どうなっているんだ。)




