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雲と風と星  作者: 本郷 不羇雄
2 それぞれの司令部
3/6

3 ハワイ

「入れ」

 部屋の主の声に応じ、エドウィン中佐はドアを開け入った。だが、声の主はいない。

大きな机と、その前に置かれた椅子には誰も座っていない。

「|提督?」と声をかけると、手前の応接セットのソファーから、人影がむくりと起き上がった。

「失礼、気分がすぐれませんか?」

「いや。それより急ぎかな。」

 部屋の主、アメリカ太平洋艦隊司令長官、チェスター・ニミッツ大将は言った。

「いえ。ヨーロッパ戦線のレポートです」

「そうか。」

 ニミッツ大将はそれだけ言ったまま、遠くを見つめるような表情をしている。

「何か、考え事を?」

「いや、他愛もないことだ。」

「これからのことですか?」

「まあな。マッカーサーのアイデアは悪くない。ニューギニアからフィリピンへ向かうなら、陸上基地からの航空援護も受けられる。悪いことじゃない。」

 苦り切った顔でニミッツは言った。彼は、アメリカの対日戦略における軸のことを言っている。

 もともとアメリカ、そして米海軍は、対日戦略としてオレンジプランを有していた。これは、中部太平洋の諸島、具体的には、マーシャル諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島を攻略し、フィリピンへ至るルートである。フィリピンから、沖縄を経て日本本土へと侵攻するルートである。

 マッカーサーも、フィリピンから日本本土へ至るのは同じである。

 ただ、マッカーサーは、オーストラリアを反攻拠点にして、ニューギニアを軸にフィリピンに至る反攻ルートを主張している。

 このルートを巡っては、ニミッツ、マッカーサーとも一歩も譲らなかった。

 マッカーサーは、「アイ・シャル・リターン」の決め台詞と大統領はじめ政策決定者に自分の反攻ルートを押し込んでいった。

 オーストラリアとの関係もある。日本軍は、海戦から半年でニューギニアを押さえ、更にインド洋でドイツ海軍と共同で(小規模だが)通商破壊戦を開始した。イギリスとの連絡を絶たれるどころか、自国に日本軍が上陸しかねない状況に追い詰められたオーストラリアは、欧州戦線の協力より、まず自国防衛を声高に主張した。もちろん、これは同盟国として応じなけばならない政治的事情だが、マッカーサーは自分の「政治的事情」にもこれを利用した。

 ニミッツは、そんなことをしていない。あくまでも純軍事的に、言い換えれば戦力の効率的利用の観点から、中部太平洋ルートを考えていた。

 やはりこの人は紳士だな。エドウィン中佐は上司の気分を慮りつつ、言葉を返した。

「陸上基地からの航空支援、確かに悪くない。こちらの航空兵力があちらのそれを完全に圧倒して、敵の陸兵を容易に掃討できば、ですが。」

「そのとおりだ、中佐。」

 一つ溜息をついて、ニミッツ大将は答えた。

「連中、なかなかしぶとい。海軍はゼロをモデルチェンジした奴に、数は少ないが新型も繰り出している。 しかも、連中の陸軍も新手を繰り出している。率直に言って、トニー(飛燕)は大したことはない。だが、ジョージ(疾風)は強い。空だけじゃない。陸軍だってそうだ。」

「提督、よろしいでしょうか。」

「何だ、中佐」

「どうして、我々は戦争をしているのに、非合理的な思考にとらわれるのでしょうか。

 戦力は、単一の目的で集中運用すべきです。我々が、日本よりはるかに優れた生産力をもっているとしてもその原則は不変です。我々には、強大な輸送力、洋上航空戦力があります。確かに、中部太平洋ルートは基地航空隊の支援を受けられない。しかし、我々は、空母機動部隊(タスクフォース)を作り上げました。陸上基地からの援護がなくとも戦えます。一人の将軍の見栄のために、原則に外れた運用をすることはばかげています。」

 その言葉を聞き、ニミッツ大将は苦く笑いながら答えた。

「ずいぶん率直なことを言うねエドウィン君。君が合衆国陸軍参謀総長なら、私は随分楽しく戦争ができそうだな。ああ、まったく、何と惜しいことか!」

普段の彼には珍しい程の、少し大げさな風でニミッツ大将は言った。

「ありがとうございます、提督」

それに引き込まれ、笑顔で、エドウィン中佐は答えた。

ニミッツ大将も、先ほどとは違った笑顔のまま、続けた。

「それは、結局我々が人間だからだ。何もかも合理的に、理性に従ってというわけにはいかんよ。」

窓から飛行機が見える。ニミッツ大将は続けた。

「考えてもみたまえ。この戦争が始まるまで、いや、始まってから、日本人はこんなに飛行機をうまく扱って戦争をすることを予想していただろうか?しかも、始まってからも、我々に劣らない飛行機を、前線に出し続けることを予想したか?」

 大きく伸びをしながら、ニミッツ大将は言った。

「はい。確かに。」

エドウィン中佐は答えた。そして続ける。視線は、窓の外の真珠湾に注がれている。

「ただ、我々は、努力をしています。確かに、2年3か月前、我々はここを飛行機で焼き払われました。」

何事かを思い出すような表情を浮かべ、エドウィン中佐は続けた。

「我々は、高い代償を支払いました。しかし、同時に学ぶチャンスを得ました。

我々は、艦隊の殲滅を目標とすること、戦艦の主砲射程で考えることをやめました。

航空機の可能性を利用すること。航空機の作戦可能範囲で戦闘をすること。そのため必要な島嶼を確保すること。その確保のため、指揮命令系統を変えること。つまり、現実に対する学びとその実践です。」

エドウィン中佐は、小さな溜息をつきつつ、続けた。

「そして、チャンスをくれたことも。私は、前線に出るべき人間でした。しかし、自分の能力を発揮できる場所を、与えていただいています。」

エドウィン中佐は、もともと前任の太平洋艦隊司令長官・ハズバンド・キンメル大将の幕僚だった。彼自身の職責である情報分析から、日本海軍の動向を掴み、キンメル大将には助言していた。キンメル大将はそれを重視しなかったし、アメリカ海軍は彼の責任を追及し、二階級降格させた。

ニミッツ大将は笑いを含んで、エドウィン中佐に応えた。

「学びと実践。そのとおりだ。

そして私は、‘合衆国陸軍参謀総長‘を部下にして仕事をできるなんて、とても楽しいよ。」

そう、軽口をたたいた。

良い上司をもった、と一緒に笑いながら、エドウィン中佐は思った。

ニミッツは、1942年のクリスマスをガダルカナルで過ごした。新しい態様の戦争、つまり海陸一体となった島嶼戦の実態を自分自身で把握するため、一度奪還されたルンガ飛行場(ヘンダーソン飛行場)へ行っている。奪還したとはいえ、まだ日本陸軍が島内に残っているときに、である。

 理論を構築する。そして、その時は必ず現場を見る。そのようにしている。

そして、(ある意味でパールハーバーを防ぎきれなかった責任を持つ)自分を、能力を見込んで使っている。エドウィン中佐は、彼の「お気に入り」ではない。有能なスタッフとして、いや、有能なスタッフならば誰しも、こうしてコミュニケーションをとっている。

 部下だけではない。キング作戦部長、そしてマッカーサーといったやりにくい相手とも、粘り強くコミュニケーションをとって、戦争をしている。

 (幸運だな。)エドウィン中佐は思った。

 「さて、仕事だな」

ニミッツ大将は、一区切りつけるように、声に出していった。

 彼らは、ガダルカナルの沖で全滅した空母機動部隊を、ようやく再建、そして強化した。その空母機動部隊を活用し、中部太平洋、フィリピン、そして日本への道を征こうとしていた。

まず、手始めに、彼らの海上作戦と海上輸送の拠点をたたく。

具体的には、トラック、マリアナ、そしてパラオに対する攻撃である。


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