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2 海軍省別館

 会は散会した。


 軍令部本館から渡り廊下を渡り、蘇鉄の植えられた中庭を左に見ながら廊下を抜け、再度わたり廊下を渡った。その先の不愛想な5階建て建物の二階の隅に、海軍法務局がある。法務局は、海軍の規律維持、具体的に言えば軍法会議を司る。軍は、統帥の必要から通常の司法権と独立した刑事司法件を保持している。


 法松大尉は、第三艦隊の若い幕僚と共に軍令部本館から出た。参謀長や先任参謀は、第二部の部屋へ行った。それ以外の若手参謀は、法務局のさらに隅の小部屋を借りて待つこととなった。軍令部は、部屋があっても貸さない。「作戦上の秘密保持」が理由であり、にべもない。取調室のような、いや、本当に取調べに使っているのかもしれないが、彼らは、そんな部屋に集まった。すぐ先に、噴水こそとめられているが、静かに木々の緑が繁茂する日比谷公園がある。しかし、窓からはよく見えない。


 航空甲参謀・青木中佐がため息交じりに口に出した。

「全く、どうするか。」

 航空乙参謀・難波少佐が大きな答える。

「どうもこうも、あくまでアウトレンジでしょう。足の短い金星零戦は、3航戦の一か所で集中運用。新しい機を1航戦と2航戦に集中すれば、アウトレンジはいける。いや、アウトレンジのため新機体を回してもらうべきだ、やっぱり。」

 大きな声でそういった。

(しかし、飛行機もアウトレンジも現実的かどうか。)

 法松大尉は腹の中でつぶやいた。この男だけ参謀飾緒を吊っていない。どころか、海軍兵学校も出ていない。


 法松大尉は予備士官、しかも飛行予備学生として搭乗員になるところを飛行要務士になった。

「飛行要務士」は、拡大する海軍航空隊の現実に合わせて誕生した役職である。

 海軍では、戦闘詳報など戦闘の記録は、艦艇乗り組みの主計科及び主計士官が担ってきた。一方、飛行機は船の上で戦うわけでもない。このため、航空作戦に関する各種文書は、飛行隊付の飛行士(飛行科士官)が担っていた。だが、彼らは本来、戦闘が任務である。一方で多数の機体が編隊を組んで作戦を行う、という特性からどうしても書類は多くなる。そこで、まず海軍は、さまざまな理由で飛行任務をはずざれた士官を書類作成に充てるようになった。これが「要務士」のはしりである。だが、「要務士」とはいえ、彼らは正規の士官であり、飛行機に乗れないとしてもこなすべき軍務、配置は多数あった。しかも、大尉から中佐の中堅士官の数が少ないことも大きな問題だった。太平洋戦争開戦時、この層が兵学校に入校したとき、海軍は軍縮下にあったところ、兵学校生徒、つまり将来の海軍将校候補生の採用を絞ったためである。

 このような中、海軍は、兵学校出ではない、高専や大学から海軍を志願する士官候補生、飛行予備学生に目を付けた。

 飛行予備学生もまた、海軍航空、更には日本の国情に影響を受けている。

 実は、この手の高学歴者に目を付けたのは、陸軍だった。彼らは、グライダーなど飛ぶことに興味を持つ者の他、空を飛ばないものの「自動二輪車」や「自動三輪自動車」を扱うことに慣れた高学歴者(大学、(旧制)高校、高専)の確保に走った。機械に慣れている者を幹部候補生として予備役にしたのである。(そして続々と招集した。)

 海軍は、海上で艦船運用という高度技術を要するので素人じみた予備は不要、ということで横目で見るだけだった。とはいえ、陸上基地の航空士官に充てることを企図して「飛行予備学生」を、ごくごく小さく、その採用をはじめていた。しかし、いよいよ出師準備をする段になってはじめて、部隊、特に航空部隊を増設するのに初級士官が全く足りない事実に愕然とし、狼狽した。 海軍は、艦艇運用という専門家集団であり予備はなじまない、という声は強く大きかった。

 しかし、主力艦が米海軍より少ない。だが航空機は、少なくとも性能上、互角に対抗できるところまで行ける目がある。なのに、とにかく搭乗員、なかんずく士官搭乗員が足りない。(海軍の本音をより厳密にいうなら、兵学校で採用して定年まで継続して奉職させる予算が足りない、だが。)

 そうして、短期現役士官と共に飛行予備学生制度を反対の大きな声を押し切って大拡大する方向に決心した。

 こうして飛行予備学生は、開戦直前から猛然と大量採用されるようになった。

 だが、兵学校のような厳格な基準で採用をしたわけではなかった。そのため、「飛行不適」となるものが、それなりに出た。そうすると不適格者は予備学生を免官となり、いざというときは陸軍に二等兵として召集されるのが原則となる。

 海軍は、そこでこのような予備士官を飛行要務に充てることとした。新たに飛行科に「要務士」を設けた。こうして、将校(海軍では、武官として戦う士官をこう称した。)と何ともつかない、航空作戦の「事務屋」として誕生したのが「飛行要務士」であった。


 他の参謀が座る中、法松大尉は立っていた。

「自分も参謀長のところに行ってこようかと思います」

 難波少佐が立ち上がった。彼らは、参謀長の古村少将や先任参謀が黒島少将らに「最新機の割り当てを増やせ」という交渉をしているのを待っている。

「要務士、あけろ」

 難波少佐がそういった。

 従兵みたいだな、と思いながら法松大尉がドアノブに手をかけようとしたとき、ドアが開いて、面長、切れ長の目の男が部屋に入ってきた。

「おお。奥宮。丁度いい。ついて来い。軍令部の連中と話す。このままじゃアウトレンジがうまくいかん。」難波少佐はそういった。

 第二航空戦隊航空参謀、奥宮少佐だった。

「難波さん、いや、」奥宮少佐はそう口ごもった。法松大尉と目が合う。

 奥宮少佐は目元にわずかな諧謔を含ませつつ、言った。

「要務士、何か言いたそうだな」

(厄介な)法松大尉は思った。皆の視線が、法松大尉に注がれる。

 ここに来る前、奥宮少佐と話をしたのがまずかった。

 彼以外でこの部屋にいるのは、正規の、しかも海大出ばかりのエリート参謀である将校ばかりである。プライドがある(根拠もあるプライドだが。)。余計な、彼らの気に障ることを言っても仕方ない。だが、やむを得ない。瞬時、腹をくくる。

「私は記録を扱います。その中で、現実的な方策を見つけるべきだと思います。つまり、アウトレンジにこだわらず、今貰える飛行機で敵に接近して攻撃する作戦を立てる方が」

「要務士、娑婆気満々!」

 難波少佐が一喝した。

「軍隊でものをいうなら結論を先に言え。そして結論もおかしい。彼我の戦力からいっても、大体新しい飛行機すら十分にもらえん。あっちの方が数が多い、今更君のいうような常識常道の戦術はとれん。法松、現実云々というが、戦をしなけれならんのが現実だ。それならば、足の長いという特徴を持つ飛行機を使う。アウトレンジが妥当だ。」

「いえ、私も同感です」奥宮少佐はそういった。

「奥宮」難波少佐の声は裏返っていた。が、奥宮少佐は続けた。

「我々か、三航戦かわかりませんが、主力が金星零戦となると、脚は短くなる。結局、敵に接近せねば、少なくとも反復攻撃は出来ません。搭乗員の技量だって十分ではない。ならばこの際、接近しての方策を考えるべきではないでしょうか。」奥宮少佐は、細い目を光らせた。

「話を聞いてないのか」難波少佐の声は、どんどん大きくなる。

 かまわず、奥宮少佐は続けた。

「難波さん。旧式で足が短いとはいえ、金星零戦だってエンジンの力はある。そして、烈風や流星だって、操るのは人です。その人が十分じゃない。数も、技量もです。今度のあ号作戦は、決戦です。決戦の後に船が残っても仕方がない。今は人の現実を見て戦を考えるべきじゃないですか。」

 眦と眉が完全に吊りあがった難波少佐が何かを言おうとした瞬間、青木中佐が口を開いた。

「一理あると思う」

「航空参謀!」

「要務士、ちょっと意見を言ってみろ。」

 これは、完全に囮になったな。難波少佐の額に青筋が立っている。が、仕方ない。

 法松大尉は、努めて無表情に答えた。

「極力戦力、つまり各航空戦隊の航空機を集中した上、敵に極力接近し、できれば陸上基地の航空隊と一斉に攻撃するのを至当と考えます。戦力の集中は、戦闘における普遍的な原則です。また、第三艦隊航空隊の記録を検討したところ、それができたときに戦果が上がっています。素朴に現実をみて、そう思います。」

 怒気を隠そうともしない難波少佐が何か言う前に、青木中佐が、口を開いた。

「よろしい」

 はっきりした口調で、続ける。

「難波君、いろいろある。しかし、要務士のいうことが正しいと思う。一つ考えようじゃないか。」

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