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1 軍令部

創作は初めてです。

太平洋戦争をテーマとしたIF戦記(架空戦記)の態を取り、書いていきます。

もし、2000馬力級のエンジンを投入することが可能であればどうなるだろう、というお話です。

ソロモンの戦いの後、昭和18年末の「ブーゲンビル島沖航空戦」からZ作戦、あ号作戦(マリアナ沖海戦)を基に、作品を作ることができればと思います。


歴史的事実に重きを置いていますが、大目に見てください。

但し、モチーフが何か、とか何のオマージュか、ということが判ってわかっていただければ、とても嬉しいです。

 軍令部は、東京府麹町区霞が関にある。

 日比谷公園内、鉄筋コンクリート茶タイル張り、中央に時計塔を備える市政会館を右手に見て通りを一つ渡る。そして、東京通信隊の大鉄塔を目印に右手に折れて少し歩くと、明治を感じる赤レンガ三階建ての建物がそれである。その三階に、第一部、つまり作戦を主務とする部門、そして軍備を担当する第二部、その他、海軍の作戦の中枢を担う部門がある。

  軍令部の三階に大会議室がある。

  昭和18年の12月も末の日、第一航空艦隊、第三艦隊等の司令、参謀、その他要路者に集まる旨通知があった。

  その日、軍令部次長・伊藤整一中将は、大きな目と口を静かに閉じ、大柄な体を端正な姿勢で会議机を前に座り、参集者と相対していた。作戦課航空部員・源田実大佐も、伊藤中将と比べるとだいぶと小柄に見えるが筋肉質な体躯をぴんと伸ばし、落ちくぼんだ目を炯々と光らせて座っている。他、主に軍令部の航空部門関係者が並んで座っている。

  軍令部第二部長、黒島亀人少将は、立ち上がって熱弁をふるっている。いまにも雪が降るかという曇天と寒気とはまるで無縁な、精力的にひろがった額に血を登らせ、汗を浮かべている。

「諸君らも承知のように、中央が精力を傾けて開発し、形となった新型飛行機が、続々と諸官らのもとに届けられつつある。よって、戦局の転換は、特に飛行機を操る諸君らの必死、決死の、命をささげた、尽忠報国に因ってのみ実現されるのである。誓って、若い諸君の生命をなげうつことここそ、勝利を得ることへの明白かつ確実な道筋である。」


  第三艦隊付・飛行要務士・法松大尉は、冷めた目でそれを見ていた。聞くべき、というか把握すべき情報は、先だった説明ですでに聞いていた。

 彼の前後左右には、黒島少将(というより軍令部関係者)のいる演壇に向かって、艦隊、各戦隊の幕僚、飛行隊長ら、現場で実務を担う者が、学校の座学を受けるように並んでいる。濃紺の第一種軍装の背中が並んでいる中で、彼の席は入口に近いせいか妙に寒い。

 彼の属する第三艦隊、より細かく言うのであれば第一航空戦隊、第二航空戦隊、第三航空戦隊及び第四航空戦隊は、ミッドウェー、そしてソロモンの戦いの教訓から、艦と飛行機隊を切り離した運用、空地分離を実施した。 部隊は、その編成の最後の段階に差し掛かっていた。法松大尉も、鹿屋、岩国で、そして厚木で、601、602、651及び653航空隊の開隊準備に忙殺される中、この会議に参加している。


 ただ、今日の会議の内容は、半ば予想ができた。

 対米戦争が始まって2年余、戦線は縮小している。今年いっぱい、日本海軍は辛うじて米軍に対抗している。飛行機もそうである。


 日本産業界にあって、数少ない得意分野として小型二輪・三輪自動車がある。

 明治の戦いの紆余曲折、そして第一次大戦におけるある意味で限界を超えた日英同盟の努力は、第一次産業から第二次産業の急速な伸長という形となって表れた。

 一方、これは、農村からの人口流出を生じさせた。さらに明治以降、問題化しつつあった食糧不足をより顕在化させた。農業人口の急速な減少、そして生産性の低下である。

 多くの個性的な経営者により自動二輪が作られるようになったのは、手っ取り早く生産性を上げる方法の一つとして、農村地域での畜力依存からの脱却を企図したものだった。牛馬による各種物資の運搬から内燃機関を活用し、より多く、より広くの農地を管理しようとしたのである。さらに「農村と都市の格差縮小」を謳った政友会が組織票獲得のため、農商務省(のち商工省)と組んで、買い手・売り手の双方に補助金政策を推進したことも大きい。(但し、農家内で投資による拡大した大規模農家(要するに「地主系農家」)とそれ以外の零細農家という格差を生んでしまったが。)

 ともかくも、荷車を括り付けた自動二輪は、やがて自動三輪車に進化し、みるみるうちに大型化しだした。これは都市部にも普及し始める。同時期、中小企業を主体とした地域ごとの群雄割拠した家内工業的な生産体制から、造船系企業、重工業系企業、そして航空機メーカーが参入しだした。勢い、価格・品質競争が激化した。この動きは、昭和恐慌による政府主導への業界再編へつながり、昭和も10年を数えるころには、メーカーの大規模化・車両の高馬力・軽量・大型化への対応と合わせて、国内はおろか、中国市場、東南アジア市場、そして欧州でも、海外メーカーを含む企業と競争力を持つだけの車両を送り出せるまでになった。

  各メーカーは、この経験、特に発動機開発で得られた知見を航空機用の発動機開発に投入しだした。


(新型飛行機が、続々と)頭の中で法松大尉は反芻した。

 黒島少将のいうことは、嘘ではない。

 例えば、C6N、十六試艦上偵察機「彩雲」。

 今、601空に定数一杯配属されたこの機体は、昭和18年1月に採用された。中島飛行機が開発した「誉一一型」、1800馬力エンジンを積んだ機体である。実戦デビューは、さまざまな意味で早かった。初実戦は、MI作戦、つまりミッドウエー海戦である。

 米海軍でも、雷撃機・TBMアヴェンジャーが初投入された。この機体のエンジン、ライト R-2600は、1750馬力である。つまり、日本海軍は、エンジンにおいて米軍と十分拮抗していたといえる。


 しかし、と法松大尉は思う。

 ミッドウェー海戦の成り行きは、ある意味で海軍の何事かを示すような結果となった。

 奇襲を旨とする第一航空艦隊は、ミッドウェーへ突入、まずミッドウエーにある航空基地を攻撃した。この間、偵察機を出したが、敵空母はいないだろうが念のため、という気配だった。

 これは大きく裏切られる。米海軍は、持てる空母、そして投入可能な航空戦力をすべて投入していた。

 海軍にとって気難しい誉エンジンの艦上テスト程度という認識で投入された彩雲は、しかしよく働いた。特に、米海軍の発見、優速を生かした接触と報告、一航艦を発した攻撃隊を誘導したことは、「ホーネット」撃沈に直結している。

 だが、それでも一航艦は、母艦の半分をやられた。のみならず、母艦航空隊は壊滅し、さらに最終的には航空優勢の確保に失敗した。何のために来たのかよくわからなくなった水上砲戦部隊(つまり連合艦隊司令部)と機動部隊が大混乱する中で、GF長官の判断により作戦は中止、ついにミッドウエーは占領できなかった。

 彩雲の最後も悲惨だった。米機動部隊へ接触機には、母艦が奇襲攻撃を受け後続機がだせなかったとはいえ「接触を続けよ」という命令が搭乗員に下された。挙句、彼らは、最後に誘導した攻撃隊の先頭を切って自爆した。(制空戦闘機をほとんどつけられなかった攻撃隊も悲惨な結果となった。)

 米空母を撃沈したこと、更に彩雲(名は「試作新型機」と伏せられていたが)の敵発見、活躍、そして彩雲搭乗員自身と攻撃隊員の自己犠牲的な最期は、大本営海軍部報道班によって徹底的な「美談」となった。映画、絵画、演劇、歌謡曲、講談、果ては小学生の教科書にまで採用された。

 だが、肝心の彩雲のデータ、機体その他資料は完全に失われた。そして貴重な搭乗員と民間人を含む開発グループまで失った。彩雲の開発にも遅れが生じてしまったのは言うまでもない。

 また、あまりにも「美談」が流布された。このため、まず世間に作戦目的の不達成、言い換えれば「敗北」の事実から目をそらさせることになった。

 法松大尉は、海軍の高級将校の一部までがその「美談」に酔ったことがわからない。

 軍人である以上、重大作戦目標の達成をするうえで、死を許容して任務を行うことに何の異存もない。

 だが、軍人、というより責任ある専門家ならば、事実を、専門知識やそこから経験して得る知見から分析をすべきではないのか。当然、希望的観測など論外である。

 達成すべき任務を簡潔に言語化する。そして、任務を、目標、目的、手段の線から検討する。達成すべき任務との関係で問題があれば、解決へ手を打つ。そして、実施し、状況に応じて対応する。

 美談は、心を満たす。組織の自律とそれを支える士気にとって必要なこともあるだろう。だが、専門家たる軍人が一般人と一緒になって現実の前に思考停止するというのはどうなのだろうか。「彼らは尊い。その意図、動機たるや素晴らしい。」という評価を与えてそれをすべてとし、深く考えないのは不気味ですらある。

 法松大尉は、そういえば黒島少将もあれでGFを外されたはずだが、今はあんなところにいるのか、とも思った。


 海軍は、それでも続々と新型機を開発、投入した。十六試艦攻、B7A1、艦上攻撃機「流星」、一六試戦闘機、A7M1、艦上戦闘機「烈風」がそれである。

 どうにか、技術者は米軍機に追随している。

 ただ、生産は苦悩している。つまり、生産機数が全く足りない。

 源田大佐からの通告とは、要はそういうことだった。法松大尉の立場では、こういうことである。

「新型機、特にA7M1、烈風は全航空隊に回すだけの生産数が足りない。だが、基地航空隊を増強する。だから、決戦部隊であるとて母艦航空隊も特別扱いができない。母艦航空隊の戦闘機隊の約半数は、金星エンジン搭載の零戦にする。」

 ちなみに、601空の戦闘機の定数は80、652空も80である。そのうち烈風の配備数は、601に現時点で48機、652空に16機である。但し、残りは「栄」装備の零戦二二型、しかも定数一杯、というわけでもなかった。

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