二話 壊れていた世界
うっかり頭痛で足を滑らせ電車に轢かれ、私の惨めな人生は呆気なく終わるはずだった。
神は私が楽になることを許さなかった。私の惨めな人生を哀れに思い慈悲を与えられたのか、それとも地べたに這う様に必死に生きる私を見て嘲笑うためであろうか、私には到底分かることではなっかた。いやそれを知る権利さえも私には最初から与えられていなかった。
いつの頃からだっただろうか私が空を見上げる様になったのは、空を見つめているときはどんな天気でも自分の空虚で空っぽな人生が少しでも色がつく気がした。昔何処で見たかはハッキリと覚えていないが、何処かの川の土手上で見た景色だっただろうか、宇宙の星を有りったけ集めた様な星の数に人の数だけ流れたのではないかと思えた流れ星の数々その光景に私は立ち上がって興奮を抑えられなかった。その景色それは記憶の何処かで脚色されているかもしれないけれどその空を見た時から私は空を見上げる様になった。
空は何処までも広くて何処までも自由が広がっていて自分の空っぽの人生を埋めてくれる様な気がしたから、出来るならばもう一度あの日と同じ景色を、あの日の様な広い澄んだ空をまたもう一度。
ハッキリとしなかった意識がようやく思考ができる程度には落ち着いていた。しっかりとした意識で今私が何処にいて何をしているのかを再認識する。私は今 実験カプセルと言うべきだろうか、昔映画の広告で見た宇宙人の体を液体で満たして保存していた透明な筒その中にぷかぷかと微動だにすることもなくただ浮いていた。
目を開けることもできる、考え思考することもできるだが体を動かすことができない。不思議と呼吸は苦しくなく水中で見える自分が吐き出す泡すら見えず、私はその狭い容器の中で一人圧迫感に苦しめられていた。
私は確かに電車に轢かれ一瞬の強烈な痛みと全身が押し潰される感覚を味わいながら人生の幕をひっそりと降ろした。普段地味な生活をしていた分最後は派手に死んでしまったと思う。私が死んでしまって母は一体どんな反応をするだろうか、声をあげて悲しんでくれるだろうかそれとも、私が死んで喜ぶだろうか。今の私には到底想像もつかないことだった。
一つの人生をそうして終えたはずの私、は今こうして何処ともしれぬ容器の中で、微動だにせずただじっと、目で見える範囲の景色を眺めることしかできることはなかった。
水中から見える景色ではとてもうっすらとしか見えないが自分と同じ様にカプセルの様なかなり薄汚れた透明な容器に、子供というには少し背の高い高校生くらいの白髪の似た顔立ちをした青年達が液体の中で水中で静止する様に皆一様にうずくまっていた。異様な光景に私は驚きが隠せなかった、そして液体の中で動くことのできない自分も彼らと同じ状況であることにすぐに合点が行った。
今の私は目の前の青年達と同じ状態なのだと。しかし、どうしようもない現実に逃避を始めてしまいそうになる、ここから出たい 一人の不安と圧迫感からそう思った直後に液体の中にいる私にも振動が伝わるほどの大きな揺れが起きた。地震か、はたまた近くで火山でも噴火したのかと思えるほどの衝撃だった。そして神はこの時私に味方をしてくれた。私の切実な願いが想いが伝わったのかもしれない。私の入った液体のカプセルのガラスに小さな亀裂が走ったのだ。
亀裂は徐々に大きくなり一つの亀裂が徐々に徐々にと広がっていく、遂にカプセル全体に亀裂が広がり遂にカプセルが私を吐き出す様に大きく飛び散った。私はカプセルの中から割れた衝撃で投げ出される様に脱出した。私の体はカプセルから出ると同時に圧迫感から解放されて少しの落ち着きを取り戻した。外の空気はそれほど新鮮ではなく、強いて言えば何処かカビ臭い様な濁った様なそんな匂いだった。
カプセルから脱出し、私はどこに閉じ込められていたのか、一体何処に来てしまったのかと周辺を見渡すとそこは、ある種の実験場の様な場所だった。元々は真っ白だっただろう枯れたツルで覆われひび割れの多い壁に、椅子に座っている白衣の切れ端の様なものを羽織っている男だったであろう体格の良さそうな白骨死体、白骨死体となった彼は椅子に座ったまま机に倒れ込む様にして絶命していた。彼の前にはキーボードのない液晶だけのノートパソコンの様な物と埃を被り割れたマグカップが乱雑に置かれていた。そして私が入れられていたカプセルそれが無数に乱立しておりその中にひとりひとり人が入っていて、水中から見た彼らの顔は似た顔立ちにしか見えなかったが彼らは皆一様に同じ顔をしていた。実験用のモルモットになった様な、あまり良い気分のする場所ではなかった。
部屋の中を回ってみると出られる様に扉もなく、何かできることはないのかそんなことを考えているうちにある二つのことに気がついた。一つは研究者らしき男の白骨死体が座っていたところのパソコンらしき物のランプがまだ光っていたのだ。人の死体が白骨化するほどの年月が経ちながらも私を待っていてくれたかの様に。そしてもう一つは私の体が人としての機能をいくつか成し得ていないということだろうか。
私の体は確かに人の形をしていた。呼吸もできるしゃべることも運動することもニオイを嗅ぐことだってできる、だが一つおかしな点があった。心臓の鼓動がしないのだ。どれだけ動いても胸に手を当ててみても鼓動音は全くしなかった。私はすぐさま全身をくまなく触り体の異変を探った。皮膚に爪、指先、腕、肩や自分の顔、眼球さえも生物としての機能のある触れる範囲の全ての部位を触った。皮膚は乾燥している時の様に少し硬く、指先の骨は不自然な硬さの出っ張りが複数あり、眼球に至っては湿り気や触った時の目が押される様な感覚さえ感じられなかった。まるで機械で作られた体を皮で覆っただけの様なそんな気がした。
体の不自然さを疑問に思いながらも違和感のある体をどうこうできるわけでもないため、現状唯一情報が得られるであろう手掛かりであるタブレットを調べるために気分を切り替え研究者の死体を壁に立てかける様に動かして、まだ息のあるタブレットの前に座る。
彼には安らかに眠っているところ悪いが今の私はここから出ることが優先なんだ。
タブレットを触ると反応があり画面全体がつき電源が入った。私にはまだわずかな希望が残されていた。幸いパスワードなんてものはなくそのまま中身を見ることができた。タブレットにはたった一つだけデータが入っていた。
内容は研究者が残した当時の記録だった。きっといま壁に座っている彼のものだろう、彼の努力がこのタブレットには残されていた、このタブレットはいつか誰かに彼のことを見てもらうためにずっと生き残っていたのかもしれない。
記録の内容は驚くべきことばかりだった。書かれている文字が日本語だった。日本語存在するということはここは地球上の何処かなのだ、私は死んでも地球から逃げられないらしい。
記録に書かれていた最初の日付はは2562年12月23日クリスマスのちょうど3日前から始まっていた。彼の名前は伊藤 勝吉 日本人の研究者だった。そして地球上の最後の生き残りでもあった。
人間の文明は資源の枯渇によって起こった大規模な戦争と増え続ける人口に地球は限界を迎えていた。空はもう青色ではなく人工的に紫外線を受けないために作られた茶色の雲に覆われ日の光を見ることさえ叶わない、地球上の空気は核物質に汚染され地球上にはもう生物が住める場所がほとんど残されていなかった。
そんな中でも彼は人類が存続することを諦めなかった。地球上にはもう人間が住める様な場所は残されておらず、いずれ人間は地球からいなくなってしまう。彼はそれを防ぐためにクローン技術に手を出した。私がいた時代からずっとクローン技術だけは世界で規制されていた様だが彼はクローンの研究を続けた。クローンで人を増やしてでも人類を存続させようとしていた。
彼は周りの人がどんどん死んでいくなかクローンを作り続けた。核物質に汚染されながらも自分の細胞を使った核物質にも負けない完全なクローンをと。クローンに人間と同じ行動をさせ増え続ける様にと人類が滅ばない様にと願いを込めて作り続けた。改良に改良を重ねて不足を補う様に機械を取り付け簡単には死なない様に。
だが彼の作り出したクローンには自我がなくただ人間の動きを模倣する様に同じ行動を繰り返し続けた。壊れた機械の様な行動を繰り返すクローンに彼は絶望していた。彼の命も残り僅かだった、それでも諦めきれなかった彼はいつか人間を蘇らせてくれる存在を作ろうとした。人類の再復興を目標とした機械、いやAi作った。たがAiは情報のインプット不足だったのか、それともAiには同じ存在に見えたのか彼の意思に反して不完全なクローンを生成し続けた。彼にはAiを止めることはなかった。いや止められなかった。彼にはもう新しいAiを作ることもこの先の未来を見る余力は残されていなかった。
彼は不完全なクローンと壊てしまったAiを停止させる装置を作った。それを一度押せば全てのクローンは停止しクローンの作成も止まる。同時に人類の歴史を人々の様々な感情がおり成していた日常が紡いできた長い長い歴史に終止符打つのだ。クローンは人ではないがそれこそ人類の最後の希望とも言ってもよかった。彼はそれを押すことができなかった。自分が人類を終わらせてしまうことができなかった。彼はその選択を表れるはずのない誰かに託した。自分以外の誰かが生きてこれを見つけ止めてくれると、いつかきっと誰かが歴史を終わらせてくれると信じて。
この装置を押さずともいつかは全てが風化し人類の歴史は自然に帰ったことだろう不完全な文明はいつかは必ず滅ぶ、だが私という人とも機械とも言えぬ存在が何の因果か世界に誕生した。私は彼が望んだ人でもなければ生きた人間ですらない、生きていた頃はほとんど死んだ様な生活をしていた。そんな私にこの装置を押す資格があるのだろうか、私には考える時間はまだ少し足りなかった。
記録を読み終わるとまた大きな揺れを感じた。揺れと同時に大きな轟音が辺りには鳴り響いていた。揺れの衝撃によって部屋の天井の一部が崩落していた。崩れ落ちた天井の瓦礫が運良く積み重なり人一人が登れるほどの段差になっていた。私はその時その時代の空を初めて見上げた。
私の目に青い空が映ることはなかった。前と変わらず空は雲に覆い尽くされていた。違うというなら精々雲の色が少し茶色で雪が降っていたことぐらいだった。