イリナと勇者
あたりがすっかりと暗くなった夜、イリナは囲炉裏にともった明かりを頼りに、今日とった薬草を薬研ですりつぶしていた。傍らでは、夕方の騒動で傷が再び開いてしまった勇者が安静にしながら、少女の作業を興味深そうに見ている。
「実際にそうやって薬を作っているところ、人生で初めて見たかも。上手だね」
「そう?何年もやっていれば慣れたわ。あ、お兄ちゃんの教え方がよかったのかもね」
「……ごめん。配慮が足りなかった」
少年は気まずそうに目をそらした。
「いいわよー、別に」
謝られたイリナはというと、特に気にしている様子はなかった。少年には目もくれず、沸かしたお湯に残りの薬草を入れて煎じている。
「……それにしても、こんなにすんなりと滞在の許可が出るとは思わなかったよ」
引け目を感じた少年が、無理矢理に話題を変えた。
「あぁ、それね、わたしももう少し手こずるかと思った。でも長老様の言ったことももっともだと思わない?」
イリナと少年は先刻のやり取りを思い返す―
イリナから渾身の“お願い”をされた長老は一度目を閉じ、そしてゆっくりと開きながら言った。
「好きにしなさい」
「えっ、ほんとですか」
やった、と小さく喜ぶイリナを尻目に、あっさりと許可がおりた少年は驚く。
「おぬしに我々への敵意などないことは早々に感じていたわい。それに血みどろのおぬしの姿は正直見るに耐え兼ねなかった。それでも長として、事前に決めていたことをあの場でそう簡単に覆すわけにもいかぬ。反対するものの方が多かったじゃろうしな」
それならやっぱり、と口を開こうとした少年を手で制止しながら、長老は続ける。
「勇者が来た時の対応を、前に皆で話し合ったときのことじゃった。大多数はどうにかして村に入れさせないことを選んでいたが、一部の若者たちは納得がいっていない様子だった。あやつらもその中にいたな」
斧によって傷がついた床に、長老は静かに目をやる。
「その時から、少しずつ村の空気がよくない方へ変わってしまった。おぬしは軋轢といったが、まさにその通りじゃ。……何度、勇者を恨んだことか」
「……」
「しかしながら、こうして村内の対立が浮き彫りになった今こそが、むしろお互い腹を割って話し合う良い機会じゃ。今なら傷の浅いうちに修復できる。むしろそれこそ、わしが果たすべき役目よ。きっかけを与えてくれたおぬしには、ある意味感謝しておるよ」
「そんな」
「それに、年端もいかない少女の願いを踏みにじるような輩はこの村にはおらぬ。わしが断言しよう。この子の思いが彼らに正しく伝わった今なら、わざわざおぬしに危害を加える者はおらぬよ」
そう言われて少年は、泣いたイリナを前に何もしてこなかった村人たちを思い出す。
対立しながらも村の仲間を信頼している老人の姿が、少年には少し羨ましかった。
「……でも、僕はヒト族の勇者ですよ」
「んぁ?歳のせいでよく聞こえなんだ。まぁよい、ただのけがをした迷子のヒトよ、ゆっくりとこの村で静養するがよい」
それに、と長老は少年を手招きし、耳打ちする。
「この子がやっと年相応の笑い方をするようになった。その恩くらいは返させておくれ」
そう言って長老は、イリナの家を後にしたのだった。―
「初めは自分から助けを求めてこの村に来たけど、今になっては本当に無茶なお願いを聞いてもらったと思うよ」
「まぁ、よっぽどの世間知らずよね。村から出たことない私が言うのも変だけど」
「うっ」
「でも誤解しないでね。みんな、普段は優しいの。もしあなたが勇者じゃなくて、本当にただの迷子のけが人だったなら、やっぱり助けていたと思うわ。種属は違って敵対していても、同じ人間だから」
当然でしょ、と言わんばかりに彼女は少年の方を向く。
それでも、と少年は思う。それほど優しい人たちが、勇者である、というだけであれほどまでに苛烈な憎悪をあらわにするのには、いったいどんな理由があるのか。
少年は一呼吸おいてから口を開いた。
「……もし、よかったら教えてほしい。過去に、二年前に何があったのか。先代の勇者が何をしたのか」
「……面白い話じゃないわよ。それでもいいの」
「もちろん、でもイリナちゃんが言いたくなかったら無理にとは言わない」
「イリナ」
「へ」
急な指摘に少年は戸惑う。
「ちゃんはいらない。そこを直せてからね。そもそも、そんな呼び方するほど歳離れてないでしょ」
「僕、十七だよ」
「……ご年齢の割に随分お若く見えるのね」
「イリナさんや、精いっぱいのフォローありがとう」
幼くみられる自覚はあるが、小さい見た目を年下の女子に気遣われたことに、少年はささやかに傷つく。
それでも気を取り直した少年は、居住まいを正してイリナに向き直った。
「イリナ。改めて教えてほしい。知りたい、いや知っておくべきだと思う、当代の勇者として」
「わかったわ。大方の予想はついているとは思うけど、それでもちょっと長くなるわよ」
イリナはそこで話を区切り、作った薬湯が二つとも適温まで冷めたのを確認し、はい、とそのうちの一つを少年に渡した。
そして、ゆらゆらとのぼる白い湯気を見つめながら、少女はぽつぽつと話し始めた―。