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竹尾練治怪奇短篇集

外れ籤

作者: 竹尾 練治

 祐介がスマホを軽くタップすると、画面が渦を巻いて回転を始めた。

 画面に一重の光輪が走り、その中央から銀色のタロットカードの画像が現れた。竜巻に揉まれるような速度で回転していたカードは、ゆっくりと表を向けた。そこには平凡な花束が描かれている。

 ――1枚目、ハズレ。

 次に出現した光輪は、三重だった。祐介のスマホを握る手に力が籠る。

 一重の光輪はアイテム、三重の光輪はキャラクターのカードの出現を意味している。

 再び、銀色のタロットカードの画像が回転を始める。

 カードの色の銀は、三つ星のレア()カードの証だ。レアと言っても、このゲームの世界では実質的なハズレと言って間違いない。金色の四つ星SR(スーパーレア)、そして最高レアリティの五つ星、SSRでなければ、アタリを引いたとは言えないのだ。

 ――2枚目、ハズレ。

 祐介の熱狂しているこのソフト、ロックヘイムGOは巷間で言うソーシャルゲームの一種だ。

 ガチャと呼ばれるゲーム内疑似的な籤を回し、出現したキャラクターカードを使って戦い、物語を進めていく。

 ――3枚目、4枚目、5枚目。光の渦は、何の役にも立たぬクズカードの排出を続ける。このガチャは10枚のカードの排出が一セットとなっている。残り枚数が少なくなっていくにつれて、祐介の心を焦燥が満たす。目当てのSSRのカードの排出率は1%に満たない。だが、0ではない。細い糸に縋りつく思いで、祐介は光の渦を見つめる。

 8枚目、光の渦から虹色の光が零れた。確定演出だ! この演出の後は、必ず最高レアリティのキャラクターカードが排出されるのだ。祐介は全身の毛が逆立つような興奮を覚えた。

 虹色の光の飛沫を散らしながら、金色のカードがくるくると回る。祐介のスマホを握る手にぎゅっと力が籠った。

 金色のカードに描かれていたタロットカードの絵柄―― XIII.死神。

 ……すん、と昂りが醒めた。

 一瞬遅れて、演出音と共に、『SSR.デュラハン』というフードの細見のキャラクターが姿を見せた。

 すり抜けだ。デュラハンは強力なキャラクターカードだが、祐介が既に同じカードを持っている。

 本当に欲しかったのは、 XVIII.月のタロットに属する、SSRのレイミアというカードだったのだ。

 呆然としている間に、9枚目と10枚目は、当然のように銀色のアイテムカードを晒してガチャは終わった。

 もう、石がない。

 ガチャを行う為には、ゲーム内で配布される神獣石というアイテムが必要だ。それが、この最後の10連で底をついてしまった。

 もう一度10連を回す為に必要な石を貯めるためには、ログインボーナスなどでコツコツと集めるしかない。

 ――もしくは、課金して石を購入するか。

 

 祐介の手からスマホが滑り落ち、日に焼けた茶色い畳の上で跳ねた。

 富沢祐介、35歳、実家暮らし、無職。

 スマホゲームに課金する金は、もう残ってはいなかった。


 

   ◆




 祐介の両親は、中年と呼ばれる齢に差し掛かっても就職の意欲を見せない息子に対しても、寛容だった。

 数年前に他界した祖父は、事ある毎に『いい齢した男が昼間から家でゴロゴロしてはいかん』だの、『そんな事では嫁も来ん』だのの五月蠅事を唱えて祐介をうんざりさせたが、専業主婦の母と市役所務めを定年退職した祐介の父は、祐介を咎めるでもなく腫物扱いするでもなく、常に気さくに接した。しかし、日がな祐介が眺めているSNSには、無職やニートを蔑視する言葉は余りに多く、彼は常に家族に対する後ろめたさと己に対する卑屈さを抱えた日々を過ごしていた。

 祐介には、己がどこで人生を踏み外したのかよく分からない。

 就職した会社は、きびきびとした動作で明朗な挨拶が飛び交う体育会系の気風の職場だった。祐介の待遇は悪くは無かったが、インドア系ではっきりした物言いの苦手だった祐介は常に疎外感を感じ、同僚の中に埋もれるようになり、一年を過ぎた頃、退職届を出した。

 一年間我慢したのは、どんな仕事でも一年続けていれば何か身になるものがある、という父の言葉に従ったものだ。

 しかし、祐介には息苦しいばかりの一年で己に一体何が身に付いたのか、さっぱり見当がつかなかった。

 遡って思えば、大学でも、高校でも、中学でも、祐介が己が何かに秀でていたと感じた事も、自分なりの成功体験を味わうことも無かった。

 小学校時代の担任は、三者面談で祐介を『優しくて、コツコツと頑張ることが得意です』と母に評した。それは、取り立てて光るもののない子にかける言葉なのだろう。祐介は母と教師と作り笑いに挟まれて、肌でそう感じていた。

 

   ◆


 夕食は必ず一家全員揃って摂ること。それが、富沢家の数少ないルールの一つだった。

 築五十年の小さな木造の一戸建のリビングで、祐介は黙々と父母と夕食を囲む。 

 夕食の際には、ラジオを流すのが父の習慣だった。

 天気予報、為替と株の動き、時事、新型コロナの感染状況――

 アナウンサーが読み上げる雑多なニュースに、祐介が関心を持てるものはなく、環境音として耳をすり抜けていく。

 

「今年は、五十年ぶりぐらいの山口県勢の甲子園優勝が見れるかもしれんなあ」


 父の言葉に「うん」と生返事を返す。

 言葉少ない夕食の場に少しでも花を添えようとしてか、父はラジオを聞きながら自分の興味事をフックに家族に話題を振ることが多かった。

 祐介には、それすらも煩わしい。彼の父がラジオで興味を示すニュースは、主に野球と相撲と将棋ぐらいのものだ。彼は、関心の無い事柄の話題を振られて、それを膨らませて場を盛り上げる能力を決定的に欠いていた。

 育てて貰ったことを感謝はすれど、祐介は父を凡庸な人間と蔑み、その凡庸さに自分のコンプレックスと通底するものを意識して、小さな憎悪を胸に秘めていた。

 ――市役所務めで、特に出世をすることもなく、簡単な事務を退職までこなし続けた平凡な人間。

 それが、祐介の父に対する評価だ。

 だが、その父にすら及ばない無職の己を省みれば、劣等感と屈辱に苛まれるばかり。

 

「そうだ、煙草と一緒に、また宝くじ買ってきたんだ」


 父は籤の袋を取り出して、ニッと黄色い歯を見せた。

 週一程度の頻度で駅前の籤屋から宝くじやLOTOを買ってくるのは、彼の昔からの習慣だった。幼い頃の祐介は、抽選日になると旨をときめかせて宝くじの当落を確かめたものだ。

 しかし、今までの当選額は最高でも一万円程度。

 収支の割が合わないのは明白で、祐介は次第に興味を失っていった。


「また買ってきたの? どうせ当たらないのに?」

「この前だってアタリが出たじゃないか」

「五枚の内の一枚が三百円程度の当たりじゃ、損をしたのと変わらないだろ。

 知ってる? 宝くじは、期待値の低い、一番割に合わないギャンブルって言われてるんだ。

 そんなものを買い続けるなんて、馬鹿のすることだよ」

「いいじゃないか。大した出費じゃないんだし。夢を買ってると思えばいいさ。

 十万円でも当たれば、家族で箱根に旅行にでも行けるなあ」


 何度か繰り返したような会話の末、祐介はむすっとした表情で口を閉じた。

 

 ――祐介が日がな貼り付いているSNSで、近年流行している『親ガチャ』という言葉がある。

 人生はソーシャルゲームのガチャのようなもので、どんな親元に生まれるかどうかで、人生の格が変わるという他責的な思想だ。

 祐介はその言葉を見る度、己の親ガチャはハズレだと暗澹たる気分にさせられる。

 自分の平凡な容姿も才能も、全く以て親譲りだ。

 勉学の才能も、スポーツの才能も、努力できるかどうかの素質さえ、遺伝によって決定されると、YAHOO知恵袋で誰かが説いていた。

 せめて家庭がもっと裕福であったなら。

 ロックヘイムGOに新たなガチャが追加される度、祐介のタイムラインには、SSRのキャラを何枚も引いたことを自慢するスクリーンショットがずらりと並ぶ。

 祐介が貰っている小遣いは月に一万円。その全額をほぼ神獣石への課金に費やしているが、ガチャの引きは廃課金と呼ばれる高額課金者達には遠く及ばない。

 ――運が悪かった。

 それが、三十代半ばにして祐介が己の人生に下した、あまりに浅薄な評価であった。

 

   ◆


『レイミアの実装をずっと待ってた! 存在級位MAXにするしかない』

『一回のガチャで三枚抜きしたぜ!』

『30連で五枚揃っちゃた! こんなことあっていいの!?』


 SNSの世界には、確率0.1%の以下の奇跡がバーゲンセールのようにずらりと並ぶ。

 祐介は、客観的に見ればロックヘイムGOのユーザーの中で上位5%に入る戦力に保有するヘビーユーザーだ。

 だが、目の前にずらりと並んだ超一流の廃課金ユーザーを目にしては、己を素人同然にしか思えない。

 ――今日もTLには、親から譲り受けた不動産所得で、働かずして年収五千万を稼ぐ男の話が流れていく。

 世界の不平等さに、祐介は歯噛みする。

 この生温い寛容な地獄に足を踏み込んで、一体何年経っただろう?

 日々の暮らしは変わらないのに、己の無力感ばかりは年々色濃く輪郭を増していく。

 このままでは、いつかは破滅が来るのが分かっている。そのトリガーは親の死か、己の精神の崩壊か。

 ほんの僅かな勇気さえあれば、回避できる筈なのだ。

 ハローワークに出かけるか。いや、求人雑誌に目を通す所から始めてもいい。

 だのに、祐介にはその踏ん切りがつかぬ。部屋の扉は果てしなく重く厚い。ドアのノブが捻れない。

 ソシャゲをしてSNSを巡り、時折自慰をするだけの半死人にも似た生活。

 

 兎に角、気分を変えなければ、進むことも退くこともままならぬ。

 レイミアを引けば、この胸の閊えも取れるのに――

 祐介は最悪の逃避を選択した。

 

 父親はまた駅前にパチンコを打ちに行っている。母親は買い物に出かけているようだ。

 祐介の瞳が、電気代の支払いを用意していた、母の鞄の封筒を見止めた。

 

 ――祐介は、取り立てて秀でた成績を残したことは無かったが、万引きなどの悪行に手を染めたことも一度たりとて無かった。母の封筒から一万円札を抜き取るのに罪悪感で胸が潰れそうになったが、自分に対するエクスキューズは幾らでも並べられた。

 そのまま、人目を避けるようにコンビニに出かけ、一万円で課金の為のギフトカードを購入し、即座にゲーム内の課金で神獣石を購入した。

 一万円分の石があれば、10連のガチャが五回はできる。

 最初の10連――外れ。

 次の10連――外れ。

 三度目の10連――外れ。

 次第に、背筋がじっくりと濡れ、吐き気を伴った焦燥が駆けあがってくる。

 未だに星4(SR)の一枚すら出ない。

 見たい。金色の輝きが見たいのに……!

 四度目の10連――全て外れ……!

 一万円分の課金を注ぎ込んだ時に溢れていた石は、あと10連分しか残っていない。

 これだけ注ぎ込んだのだ、出なければ嘘だ。

 祈るような思いで、祐介は画面をタップする。

 銀――銀――アイテム――銀――銀――アイテム――アイテム――銀――アイテム――

 最期の一枚は――()だった。

 祐介は、一万円札をシュレッダーにかけてしまったような虚無を抱いて、呆然と宙を眺めた。



   ◆

 

 その晩の夕食は、祐介にとっていつにも増して居心地の悪いものとなった。

 母親は、一万円札を盗んだことに気付いただろうか?

 だが、母が気付いたか否かは定かではなかったが、懸念に反して彼が母親に咎められることはなかった。

 いつものラジオが、日々のニュースを告げる。いつもは聞き流しているその声の、ワンセンスを祐介は聞き止めた。


『2021年8月に、西堤内駅前で販売されたメガビックの当選者は、未だ現れていません。払い戻し期限は今月の20日に迫っていますが、このまま12億円の当選金は失効してしまうのでしょうか――』


 そこは、父がいつもパチンコの帰りに籤を買う販売所だった。

 メガビックも、父がよく買って帰るサッカーくじの一種だ。

 そして――父は宝くじを毎週のように買ってくるのが習慣になっていたが、当選日を追うことにはそれほど熱心ではなく、未確認の籤は富沢家のあちらこちらに放置され、古新聞と一緒にゴミに出されることもある始末だったのだ。


「こ、これ、もしかして、父さんが持ってるんじゃないの?」

「おお、それだったら、俺は億万長者だな」


 父は、腹を揺らしてはっはと笑った。

 

「笑い事じゃないよ」


 祐介は語気荒く立ち上がった。


「食事の途中だ。ちゃんと食べ上げてからにしなさい」


 祐介は不機嫌さを挙措に滲ませながら、流し込むように夕食を平らげ、シンクに食器を叩き付けるように置いた。

 

「くじ、出して。全部、確かめるから」

「おお、そうだな。確かめてみてもいいかもな」


 のそのそとして緊張感の無い父の動きは、祐介を余計に苛立たせた。

 父が自室や、棚や応接台にあったくじを集めて持ってくると、祐介はそれをひったくるように取り上げた。

 年末ジャンボ、LOTO6、メガビック。片端から、日付を調べる。一番古いものは、十か月も前に抽選日が過ぎていた。

 

「まだ、他に――他にもないの!?」

「うーん、探せばあるかもしれないなあ……」


 十か月前の抽選日の籤が出てきたという事実は、祐介にとって、一年前の抽選日の籤もどこかにあるかもしれないという可能性に一縷の可能性を抱かせるに余りあるものだった。

 ――その日から、祐介は、籤に取り憑かれた。

 



   ◆

 

 家の引き出しを片端から開け、幾度も確かめるのが祐介の日課となった。

 血走った瞳で、新聞や雑誌の間を一頁ずつ確認していく様子は常軌を逸していた。


『もしかして、12億円の籤は父が購入したものかもしれない』

 

 という細い希望が、


『12億円の籤は、父が購入したものに違いない』


 という強固な妄執に変化するのに、二日と掛からなかった。

 常識的に考えれば、もし件の籤を祐介の父が購入したものであっても、富沢家に残っている可能性は殆どゼロに近い。

 だが、祐介にそんな事を考える分別は最早残って居なかった。

 家中のゴミ箱をひっくり返し、父母の寝室を荒し、挙句家から一切のゴミを出す事を禁止した。

 母親は大人しかった息子の突然の奇行にさめざめと泣いたが、父は家長の威厳を見せてこれを窘めた。


「なあ祐介。もうくじに拘るのは止めにしないか。人生、コツコツとやっていくのが本物ってもんだよ。

 家から12億円の宝くじが出てきたら、そりゃあ俺だって嬉しいさ。

 だけどな、宝くじで儲けて手に入れた裕福な人生なんて、ニセモノだよ。

 自分で汗水垂らして仕事をしてみれば、お前にもきっと分かるさ」


 カッ、と祐介の頭に血が上った。

 高度経済成長期の、時代ガチャに勝っただけの凡人が、一体何の権利があって俺に説教をするのかと。

 12億の当たり籤を手に入れるのは、親ガチャに――人生の全てのガチャに外れ続けた俺の人生を補填する、正当な権利だと。

 

 ――けれども、一日、刻一日と失効日は近づき、籤は見つからないまま、祐介は次第に精神の均衡を崩していった。

 もう、祐介には父の声も母の声も聞こえない。

 12億円は自分が手にしていた筈の正当な金であり、愚かな父のせいでそれが台無しにされているのだと思えば、内臓が引き攣る程の焦燥と怒りがこみ上げた。


 あの日聞いたラジオが、ノイズを伴って響く。


『12億円の当選金は失効してしまうのでしょうか――』

『12億円の当選金は失効してしまうのでしょうか――』

『12億円の当選金は失効してしまうのでしょうか――』


 己は12億を手にする権利を持って生まれた、それが今奪われようにしている、こんな理不尽が理不尽が理不尽が許されてなるものか――

 既に、祐介はあれ程耽溺していたロックヘイムGOのログインボーナスを貰うことすら忘れていた。

 ふと、視線をスマホのロック画面に落す。

 日付は、8月の21日を示していた。


 祐介は、叫びながら包丁を持ち出した。

 惨劇は地方紙で大々的に取り上げられたが、二月もしないうちに人々の記憶から薄れて消えていった。

 12億の当選者は、ついぞ現れることは無かった。それを購入したのが本当に祐介の父だったのか――? それは、今となっては誰にも分からぬことであった。



 

 

 

 

 


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― 新着の感想 ―
[一言] 狂っていく様子、流れがお上手でした。 今の時代だとリアルにこんな人間がいても不思議じゃないでしょうね。 ガチャというなら、不自由なく育ててくれる親は当たりなんですけどね〜。
[一言] 相変わらずエゲツない…それでいて目を背ける事が出来ない話を 書かれますね。ラストの狂っていく勢いに脱帽です。
[一言] 親ガチャで言うなら勝ってるのにね。 いやこういうひといる。怖いです!
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