その2
話が逸れてしまった上に、前場面は説明のみで終わってしまった。
まずは、本筋に戻そうと思う。
太陽暦535年2月、サラサは王宮に呼び出しを受けていた。
ウサス帝国とリーラン王国の講和会議から半年後の事である。
今回はこれから行われる軍事作戦の為に呼び出されていた。
戦争をこれから起こそうというのに、何だか儀式めいていて、何とも言えない変な感じがある。
ただ、これにはそれなりの理由らしきものがあった。
今回、サラサの参加する作戦は、ウサス帝国とスヴィア王国の間で行われる紛争である。
そして、この紛争は10年来続いており、冬の恒例行事みたいな様相を呈していた。
その恒例行事にバルディオン王国はウサス帝国の援軍として、10年来、参加していた。
その為、今回もウサス帝国側から事前に援軍要請があり、その責任者を王宮にて任命するという儀式に至ったのであった。
バルディオン王国の南側でスヴィア王国は国境を接しており、ウサス帝国とは東側から南側で接していた。
そして、その先には海が広がっていた。
なお、ウサス帝国とスヴィア王国は東西の端で国境を接している。
バルディオン|ウサス
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スヴィア |帝国
*** 海 ***
3カ国の国境が入り交じっている所に、ちょうどバルザトー山脈がある。
ウサスとスヴィアの間にはヴァルケリー川があり、それが国境の役割をしていた。
その河口にマグロッドというウサス帝国の都市があり、戦闘は主にその周辺で行われていた。
そこに陸海軍の援軍を送ろうとしていた。
「何で、式典みたいになっているのかしらねぇ……」
サラサは心底呆れていた。
サラサはバンデリックを伴って、王宮にいた。
そして、今、謁見の間の近くにある控え室へと回廊を進んでいた。
「お、お嬢様、そのような事を口にしては……」
前を向いたまま前を歩いているサラサにバンデリックは慌てていた。
ここは、王宮。
滅多な事は言わないに限るからだ。
ただでさえ、ルディラン家は上級貴族に受けが悪いのに、更に印象を悪くする必要性はないからだった。
特に、先の報告会でサラサに対する印象を、嫌でも思い知らされたバンデリックにとっては気が気ではなかった。
直接的な憎悪は向けられないものの、それ以上に嫌な感じを受けていた。
そこで、心配性と言うより、心配の種がサラサしかないバンデリックにとっては、ゆゆしき事態にならないように心掛けなくてはならなかった。
愚痴を言ったつもりも、状況を非難したつもりもなく、ただ何気に言った言葉に思わぬ反応を受けたサラサは急に立ち止まった。
「!!!」
バンデリックはサラサにぶつかりそうになりながらすんでの所で踏ん張った。
そして、嫌な予感しかしなかった。
サラサはゆっくりとバンデリックの方を振り返った。
無論、笑顔で。
第三者から見れば、バンデリックがまた地雷を踏み抜いたのは明らかだった。
だが、当のバンデリックは同じ事を何度も繰り返してしまう。
もはや、様式美ではないが、お約束事になっていた。
「バンデリック……」
振り向いた後、一呼吸置いてサラサがバンデリックの名前を呼んだ。
そう、呼んだだけで、依然として笑顔だった。
(まずい、来るぞ!!)
バンデリックは腹筋に力を込めて、身構えた。
伊達に、10年来、同じ仕置きを受けてきた訳ではなかった。
……。
しかし、バンデリックの身構えは無駄に終わり、2人の間には緊張感のある沈黙が訪れていた。
流石に、サラサも王宮内で副官に腹パンをする訳には行かなかったらしい。
状況判断が適切に出来る優秀な提督と言えよう。
「し、失礼しました、閣下!!」
バンデリックは慌てて修正した。
すぐに事態を収拾させる方向に舵を切った事は優秀な副官とも言えよう。
まあ、一連の流れは常に繰り返されている習慣みたいなものだのだが……。
言葉を改めたバンデリックから視線を外したサラサは再び前を向いて歩き出した。
一瞬、置いて行かれたが、バンデリックはすぐにサラサの後ろを付いて行った。
「しかし、閣下、あのようなご発言はあまりよろしくないと存じますが……」
バンデリックはサラサに追い付くと、すかさずそう言った。
「そう?」
サラサは気にも留めないといった感じでそう言った。
先程の態度とはエライ違いである。
「何処で誰かが聞いているとは限りませんぞ」
バンデリックはサラサの耳元で、小声でそう言った。
「そうね、誰かが聞いているかも知れないわね」
サラサは他人事のようにそう言った。
サラサは、先の報告会で自分の評価が、最低ラインである事を思い知らされていた。
したがって、これ以上下がるとは思えなかったので、気にする必要はないと感じていた。
ただ、最低評価というものは時として、どんどん下へ下へと際限なくめり込んでいくものだ。
その辺の所は、まだまだ若いサラサには分からないようだった。
それに反して、バンデリックの方は頭を抱えたい心境になっていた。
いつもの事なのだが、今回は毛並みが違う初めての案件だった。
まあ、案件なんて、次々に新しいものが出てくるものだからいずれ諦める事になるだろう。
「閣下、王宮内だけでもいいですので、そのような発言はお控え下さい」
バンデリックはめげずに、小声で小言を言った。
「……」
サラサはバンデリックの小言にうんざりし始めていた。
なので、何も言い返さなかった。
「閣下……」
バンデリックはそれでもめげずに、忠告を続けようとした。
「分かったわよ」
サラサはこれ以上何か言われるのは堪らないといった感じで、承諾した。
「ふぅ……」
バンデリックは渋々しながらも承諾したので、安心の溜息をついた。
「貴族には、序列、名誉が大事だという事ね」
サラサは舌の根が乾かぬうちに、やれやれといった感じでまた口走っていた。
「閣下!」
バンデリックは、安堵したのもつかの間の出来事だったので、思わず声を荒げていた。
「はいはい、黙りますよ」
サラサは、バンデリックをからかうように言った後、黙った。
その態度を見ながら、バンデリックは目の前が暗くなった。
しかし、バンデリックは気を取り直して、サラサをしっかりと監視しなくてはならないという使命感が湧き上がってきた。
サラサの方は、その妙な圧迫感からか、それ以降は軽口を叩く事はなくなった。
そして、2人は黙ったまま、控え室の前まで来ていた。
控え室の前には扉の両側に衛兵が立っていた。
その衛兵達が、敬礼してきた。
2人は返礼した。
「ワタトラ伯爵閣下、ご到着なさいました」
衛兵の1人が中に向かって、声を張り上げた。
すると、中の衛兵が扉をゆっくりと開けた。
サラサ達は敬礼している衛兵達の間を抜けて、ゆっくりと中に入った。
既にサラサ以外の式典参加者達は来ているようだった。
奥に父親であるオーマ、その隣に、第1軍管区担当で陸軍の司令長官であるシルフィラン侯、そして、手前には第3軍管区担当のサリドラン侯が座っていた。
そして、その周りにはその取り巻き達が立っていた。
まあ、取り巻きと言っても、各軍の参謀長と副官、そして、数人の随伴人がそれぞれいた。
オーマの周りには、参謀長であるヤーデンと副官のヘンデリックがいた。
そして、バンデリックの次兄であるロンデリックが陸軍と海軍の連絡将校として参加する為に、この場にいた。
次兄は、王都の陸軍の総参謀長付きの参謀で、軍の中枢にいた。
「ワタトラ伯サラサ、海軍准将、ただ今、出頭致しました」
サラサは3侯に対して、敬礼した。
それに対して、3侯は座ったまま答礼してきた。
そして、3侯が腕を下げるのを確認してから、サラサは敬礼を解いた。
「伯、遠い所、ご苦労だった。
時間まで座って待っているが良い」
シルフィラン侯は落ち付いた低い声でサラサを労った。
下の者に対しても、礼節を尽くす態度は立派であったが、やはり、どこか冷徹さを感じてしまう。
「ありがとうございます、閣下」
サラサは回廊での態度とは打って変わって、神妙な面持ちで進められた椅子に腰掛けた。
サラサの位置は3侯から離れており、3侯の前に置いてあるテーブルさえなかった。
この辺が、貴族の序列という感じなのだろう。
傍らに立ったバンデリックはサラサの態度にハラハラしていた。
表面上は神妙にしているが、心の中では小馬鹿にしている感じが手に取るように分かったからだった。
当然、それは父親のオーマも察していて、やれやれといった感じで、こちらは表情に出ていた。
それを敏感に察したサラサは心の中で、背筋を伸ばすのであった。
やはり、サラサは父親には素直に従うようだった。
年齢的には「親の言う事なぞ」という歳ではあるが、不思議とサラサにはそれがなかった。
態度が改まったのを感じたバンデリックは安堵の溜息を飲み込んでいた。
「それにしても、遅いではないか、一番下っ端なくせに」
場が落ち付こうとしていた時に、サリドラン侯がいきなり嫌みを言った。
(何なの?このオヤジ……)
サラサは神妙な面持ちのまま、固まっていた。
その傍らで、バンデリックはみるみる蒼くなっていた。
(あ、そうだ、サリドラン侯だったけ?)
サラサが固まっていたのは、単に名前が思い出せなかったからだった。
バンデリックはハラハラし始めて、直立不動が揺らぎ始めようとしていた。
サラサはスッと立ち上がり、
「失礼致しました、侯爵閣下。
遅ればせながら、遅れた事をお詫び申し上げます」
と言って頭を下げた。
それに対して、サリドラン侯は更に何かを言おうとしたが、シルフィラン侯の無言の圧力により、黙った。
(仕方がないじゃないの、ギリギリまで警戒任務の指揮を執っていたのだから……)
サラサは言い訳はいくらでもあったが、神妙な面持ちでそれら全てを飲み込んだ。
軍や艦隊の司令官という者は、軽々に任地を離れる訳にはいかない。
まあ、常識なのだが、何故かサリドラン侯は、任地はサラサより遠いのに、早く駆け付けていた。
「ふん、まあ、よいわ……」
サリドラン侯は不満そうな表情だったが、それ以上は追及しなかった。
シルフィラン侯の睨みもあったのだろう。
「失礼致しました」
サラサは再びそう言うと、シルフィラン侯に促されて、腰掛けた。
この一連のやり取りはサリドラン侯の意気込みというか、勇み足というか、そう言った気合いから来ているものだった。
この儀式においては、10年来サリドラン侯が赴いてはいたが、去年まではオーマが海軍側の援軍として、共に赴いていた。
爵位は同じだが、階級はオーマの方が上なので、主役はオーマという風に感じだった。
だが、今回は、格下であるサラサが任命された事で意気込んでしまったのだろう。
と、まあ、こんな状況なのだが、サラサには茶番にしか思えなかった。
(毎年、毎年、戦いが繰り広げられているのだけど、戦略的に何の意味があるのやら……)
サラサは何度も思っている事をここでも考えていた。




