その9
「閣下、ハイゼル艦隊から停戦受諾の連絡がありました」
シャルスがエリオにそう報告してきた。
ルドリフの判断は意外に早かった。
まあ、相当の葛藤があったのは想像するに難くはない。
だが、こう言った賢明な判断が出来る所から、普段の彼は良将と言えた。
「……」
エリオはシャルスの報告に何ら返事をしなかった。
ヤルスはそれを見て、不思議には思ったが、すぐに何やら待っている事に気が付いた。
「ハイゼル艦隊全艦の停止を確認。
停戦旗の掲揚を確認」
シャルスは次の報告をした。
そこで、エリオは笑顔で頷いた。
自分の策が上手く行った事をやっと確認できたからだった。
「こちらも、停戦旗を掲揚。
アスウェル艦隊にも、その旨を伝達」
エリオは早速そう命令を下した。
アスウェル艦隊は水平線の向こう側なので、エリオ艦隊からは視認が未だ出来ないでいた。
にもかかわらず、連絡できるのは、各所に配置された索敵、偵察、連絡を行う小型艦艇があった。
それらをネットワークとして活かしている為に、クライセン艦隊は、相手側より有利な情報戦を展開できていた。
「閣下、よろしいでしょうか?」
ヤルスが遠慮勝ちに聞いてきたが、すぐにでも疑問点を拭いたいという点から聞いてきた。
自身にとっても、性格上、こんな感じで割り込むのは珍しいという自覚があった。
「はい、何でしょうか?」
エリオはあっさりと応じた。
もう既に、事が終了してしまったかのような雰囲気さえあった。
「ハイゼル侯を討ち取る絶好の好機を逃した形になりますが、よろしいでしょうか?」
ヤルスには圧倒的有利な立場で戦闘に突入しなかったのが不思議で堪らなかった。
と同時に、エリオの用意周到さに舌を巻いていた。
「ええっと、まあ、今回戦ってしまいますと、法王猊下の面子を完全に潰してしまいますからねぇ。
そうなると、貿易港設置の話が水の泡となる可能性が高いですからね」
エリオは、ヤルスにそう説明した。
(どちらが得なのだろうか?)
ヤルスは2つの内、どちらかを取るかは俄に判断できかねていた。
しかし、エリオは瞬時に判断……、と言うより、既に構築していた道筋を単に辿っているような感じだった。
「しかし、まあ、ハイゼル侯も賢明な判断をしてくれて、助かりましたよ。
いざ、戦いとなるとどうなった事やら」
エリオはちょっと苦笑いしながらそう言った。
ヤルスは意外な言葉を聞いたと言った感じがした。
「閣下、我々が圧倒的に有利なのは間違いがありませんよね。
この状況ならば、ハイゼル侯は確実に討ち取れるのでは?」
ヤルスは腑に落ちないと言った感じだった。
「まあ、それは間違いがないのですが、ハイゼル侯の出方次第で我々も討ち取られていたかも知れませんしね」
エリオはとんでもない事を何でもないような口調で話した。
「!!!」
ヤルスは珍しく驚きの表情を浮かべた。
全体的にはこちらが圧倒的に数的有利だった。
だが、艦数が偏っていた為、局地的にルドリフ艦隊が数的有利を作り出せる状況だった。
もし、自分達の損害を意に介さないと決めてしまえば、エリオ達の運命もどうなっただろうか?
「閣下、この後は如何なさいますか?」
マイルスターはすっかり停戦が整った状況で、エリオに次の命令を促してきた。
「そうだね、さっさと帰還しようか」
エリオは戦わずに済んだせいか、少し嬉しそうだった。
戦いの天才と言われてはいるが、自身はあまり戦いを好まない傾向にあるのは明白だった。
「敵艦隊の中央を通りますか?」
マイルスターは揶揄うように、エリオに聞いてきた。
「そんな停戦をぶち壊すような真似はしないよ。
わざわざ挑発してどうするのさ」
エリオは呆れたようにそう答えた。
「それが賢明かと思われます。
が、閣下、ハイゼル侯にとって、閣下は存在自体が挑発そのものですので、何処を通っても挑発と見なされるのではないですか?」
マイルスターは更に軽口を叩いた。
「ううん……」
エリオはマイルスターとは裏腹に深刻そうな顔をして腕組みをした。
今回、ハイゼル侯と顔を合わせて、自分が恨まれている事を思い知らされたからだ。
(あまり、良い傾向ではない……。
かと言って、これはという解決法はない……)
エリオはそう思いながら考え込んだ。
「えっ……」
揶揄ったマイルスターが心配になるほどだった。
「仕方がない、この事は考えない事にしよう!」
エリオはそう決断を下した。
「えっ?」
「何を?」
ヤルスとマイルスターはどうしてそのような言葉が出てきたのか、訳が分からず、互いに顔を見合わせていた。
その傍らで、シャルスが退屈そうに命令が下るのを待っていたのが対照的だった。
「ハイゼル艦隊とは距離を保ちつつ、アスウェル艦隊と合流する。
然る後、王都へ帰還する」
エリオはそう命令を下した。
「了解しました」
シャルスはそう言うと、敬礼した。
そして、伝達係に指示を出す前に、
「閣下、それにしても今回は後詰めがちゃんと機能してくれて、良かったですね」
と言い残した。
この時、エリオは海軍の命令系統が自分に一本化された事を実際に自覚していた。
(命令を実行させるのには、それを聞いて貰う状況が不可欠なんだな……)
エリオは今回の事で、改めて納得させられた格好になった。
以前のエリオは、正しい命令であれば、すんなり実行されると思っていた。
しかし、命令の正しさより、それを実行できる環境の方が大事だという事を実地で学んだ事になる。
(逆に言えば、この環境では、正しくない命令でも実行されてしまう訳か……。
気を付けないといけないな……)
エリオは、自分の命令がすんなり実行される喜びはなく、珍しく身の引き締まる思いだった。




