緊急の電話と迫りくる包丁
電話は椎名先輩からだった。
先輩によれば、台風が発生したらしい。それも巨大な台風だ。ギリギリ長野に接近する可能性があるとか何とか。
ノートパソコンで大手検索サイト『ヤッホー』の天気で調べたら、確かに台風情報が記載されていた。
夏台風は、動きが遅くて不規則に移動をするらしいから……直撃コースなんて場合もある。
『――そんなわけで心配になって連絡したの。旅行中にごめんね、回くん』
「いえいえ、ありがたいですよ。移動中とかは特に気づきにくいですし! それに、心配してくれたんですよね」
『あ、あたりまえだよっ! だってキャンピングカーを売った責任もあるし』
先輩、すっごく動揺しているような。
でもそうだな、ここまで気遣ってくれるのは正直嬉しい。少しニヤついていると、歩花がキッチンへ向かってゴソゴソしていた。
え……まって、なんか包丁を手にして!?
「……お兄ちゃん」
「ちょぉー!!」
つい叫んでしまって、それが先輩の耳にも入った。
『回くん、どうしたの!?』
「いや、ちょっと足を滑らせただけです。なんでもありません」
『そ、そう。無事ならいいけど』
包丁を持って迫ってくる歩花。
持ち方が明らかに殺意ある方じゃないか!
しかも、なんかブツブツつぶやいている気が。耳を澄ましてみると――
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す……」
うわあああッ!!
これ以上はまずいな。
「先輩すみません、もう出発するんで」
『そ、そっか。じゃあ、写真とかよろしくね!』
――そこで電話は切れた。
ブンッと刃が目の前を横切る。
あっぶねえ!!
「あ、歩花! 落ち着けって! ただ椎名先輩と電話してたけだろ」
「えっちな電話じゃないよね」
「そんなわけないだろう。台風が来てるんだってさ」
「なんだ~! そっか、ならいいや。じゃあ、さっきお土産屋さんで買ったお蕎麦作っちゃうね」
そういえば、キャンピングカーへ戻る前に買っていたな。
歩花は早くもキッチンの使い方をマスターしつつあるようで、器用にギャレーを利用していた。というか、家と変わらないな。
蛇口を捻れば、給水タンクに繋がったホースから水が出てくる。それを利用してお湯を沸かしていた。
お湯は、今回シングルバーナーを使用。ガスボンベを差し込んで着火するだけ。楽ちん。さすが、スノーパーク製の卓上ガスコンロ。
そして、忘れちゃいけないのが換気扇をしっかり回すこと。これを怠ると一酸化炭素中毒となり――最悪、死に至る。
なので、車中泊をするにあたり『一酸化炭素検出器』を取り付けておかないと大変だ。
ガスは、このリスクがある。
だから、なるべくポータブル電源などで『電気』を使う方がいい。でも電気はなるべく照明とか扇風機に回したい。
調理に使うとなるとかなりの電気をかなり必要とするから、気を抜くとバッテリー切れ。とはいえ、この軽キャンピングカー『インディ272』にはソーラー充電がある。そう簡単には減らないけど、今回は節約だ。
――それにしても。
「……ふむ」
家だと気付かなかったけど、この近距離だと歩花の後姿が魅力的に映った。普段とは違う距離感に、俺は少し興奮する。
だから、つい出来心で背後から抱きついてしまった。
「きゃっ、お兄ちゃん!?」
「歩花の髪、シャンプーの良い匂いがする」
「う、嬉しいけどぉ~、料理中は危ないよ」
「さっき包丁を振り回した罰だ」
「……ご、ごめん。自分で言うのもなんだけど……わたし、嫉妬深いから」
「知ってる」
ゆっくりと丁寧に歩花のお腹を擦る。
手を使って、さわさわと。
「……っ。お兄ちゃん、そこ……だめっ」
「俺は歩花のお腹が大好きなんだ。このプニプニした感触が特に」
「そ、そんなイヤらしい手つきで……お兄ちゃん、お兄ちゃん」
何度も俺をそう呼び、切なそうに甘える。次第に、がくがく震えはじめた歩花は耳まで真っ赤にしていた。いっそ、このままベッドへ連れ込んで……『ピロロン♪』……って、なんだこの着信音! 邪魔された!
「えっと、歩花のスマホ?」
「あ、うん。……あ、お父さんだ」
親父ィ~!!
いいところで邪魔すなー!!




