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流れ人  作者: 新垣新太
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第2章~四季トーナメント編・前編~

第2章~四季トーナメント編・前編~


嘉藤の母 薫~!まだ寝てるの?いい加減起きてごはん食べてくれるー?

嘉藤 うーーーん。寒っ、布団から出たくない。

嘉藤の父 おーい!薫?まだ布団か!ハハハ!父ちゃんな仕事で元旦だけ休みもらえたから、プロテスト合格祝いさせてくれよな!じゃあ、仕事行ってくる!

嘉藤 うん、ありがと。いってらっしゃい。


プロテストが終わり、その後、村松ジムの練習納めが12月28日で終わった。翌日の29日から1月4日までの1週間、冬休みに入っていた。嘉藤家の年末年始といえば、埼玉のばあちゃん家に泊まりにいって、元旦は家族3人で初詣と決まっていた。今年も父ちゃんが休みを取れたみたいだから、今回も同じ流れになりそうだ。俺は大晦日に高校のバスケ部のメンバーと初日の出を見に行く約束をしていた。高校卒業以来に会うからちょっと楽しみにしている。

嘉藤の母 薫!!起きろって言ってんの!!聞こえない?

強引に布団をはがされ、俺はカブトムシの幼虫の如く身を丸めた。

嘉藤の母 きょうは、おうちの大掃除して、あしたから埼玉のばあちゃん家に行くんだから!忙しいのよ!薫もごはん食べたら手伝ってよね!?

嘉藤 さぶっ!!はいはい。もぅ、ゆっくり休ませてくれよー。

俺の埼玉のばあちゃんは、たしか6年前にじいちゃんを亡くしてから一人暮らしをしている。母ちゃんが「ばあちゃんは、薫に会うのがいつも楽しみなんだよ。」とよく言ってたっけ。よーし、やるか!っと俺はゆっくり布団から出た。


ゆっくりする間もなく、ばあちゃん家でゆっくりお泊まりをして、バスケ部との再会で心を和まし、家族団らんで初詣。と年末年始の予定は淡々と過ぎていく。1月2日から4日までの最後の3日間は、テレビにおせち、昼寝に夜更かしと、ひさびさのぐうたら生活を満喫した。だが、もう休みが終わる。ボクシング漬けの前夜は、ちょっと寂しく、ちょっと楽しみだった。


2010年 1月

1月5日、朝8:30、村松ジムに再び全員が集まった。

村松 みなさん、新年明けましておめでとうございます!

ジム全員 おめでとうございます!

村松 今年も一年、ケガなく安全によろしくお願いします!はい、宮藤くん!あとはよろしくお願いします!

宮藤 はい!新年を迎え、早速だが、発表がある!今年の春に、日本スーパーライト級、四季トーナメント戦が開催されることが正式に決まった!そこで、先月のプロテスト合格者も含め、対象選手一同、予選に参加することが決まった!

ジム全員 おお!!!

村松 うん。そういうことじゃ。今大会も厳しい闘いが予想されるが、ジム全体で全力サポートさせて頂くよ。みんなもしっかりと準備を進めていくようにね!

ジム全員 はい!!!

村松 うん。このあとは各コーチのみなさん、よろしくね。


四季トーナメント戦?なんか金城くんがそんな話をしていたのをチラッと聞いたことはあったけど、内容がわからない。ただ、ジム全体で方針を決めたってことは結構重要な大会なんだということだけはわかった。

宮藤 俺のチームはこっちに集まってくれ!これから簡単に四季トーナメント戦について説明する。

宮藤コーチからA4サイズのプリントが全員に配られ、説明が始まった。2010年、四季トーナメント戦。大会ルールは、対象年齢20才から35才。階級は~63.50kg スーパーライト級。ヘッドギアなし。3分4ラウンドで実施されるらしい。トーナメントは6リーグ制、各リーグの勝者が春夏秋冬の王者たちと戦う権利を得る。そして、各季節の王者たちに勝利した者が四季の王・富士見と言う選手と戦えるらしい。宮藤さんが、四季の王者になるとその後、東洋大会へ出場できると言っていた。

宮藤 今のが概要だが、要約すると我々は、予選を4回勝ち上がり、リーグのトップになる。その後、季節の王者4人に勝ち、そして四季の王者へと挑むといった流れになる。

金城 コーチ、高山は今回はサポートチームになるんですか?

宮藤 そうだ。高山には先に話をしてあるが、高山は来年開催予定の階級別の大会を目標に動いている。

岡本 高ちゃんのサポートは何よりも心強いね!へへ!

高山 おう!任せてくれ!

宮藤 金城、岡本、嘉藤!この3名で今大会に挑む。いいな!そして、練習内容は、個別練習に重点を置いて進めていく!各自しっかりとスケジュールを組んで取り組んでくれ!

チーム全員 はい!!!


初めての公式戦だ。内容を聞く限り、俺にとってはかなりハードルが高い。ヘッドギアなし、3分4ラウンド。どちらも気が抜けない項目だった。精神面と体力面、打撃力とコンビネーション。今以上に意識して練習に磨きをかけていこう。あとは、体重も増やさないとか。不安しかない。

・・・

村松 宮藤くん、四季トーナメント戦のことなんじゃが、4月3日にエントリー開始だそうだ。

宮藤 あ、決まったんですね!わかりました。よかったです。4月2日で嘉藤くんも20才になるので、僕のチームは3名参加で決定です。

村松 うん、良いタイミングだね。嘉藤くんの練習なんじゃがー、、1000本スパーリングをやってみてはどうかね?

宮藤 ん?え?!、100本じゃなくて、1000本ですか?

村松 うん。今、嘉藤くんが他の選手と圧倒的に差が出てしまっているのは、実戦数の少なさじゃ。今大会も大事じゃが、この先のことも考えてのことでもある。宮藤くんはどう思う?

宮藤 そうですね、、、嘉藤くんは若さもあってポテンシャルも上がってきているのを感じています。、、たしか、1000本スパーリングは村松さんの伝説の現役時代の練習法のひとつと噂で聞いたことが、、、

村松 そんな大したことじゃないよ。まぁ当時の若気のいたりじゃな、ガハハ!まぁ、宮藤くんを信頼しているからと言うこともある。任せてもいいかね?

宮藤 はい!わかりました。では、練習に戻ります!

村松 あー、あともう一つ、、、これも嘉藤くんのことなんじゃが、、、


午前練習は宮藤コーチとピンポンの練習だったが、朝の全体ミーティング後、宮藤コーチは村松さんの部屋で話があったらしく、戻る頃には既に練習時間が少なかった。

宮藤 うん。嘉藤くん休み明けにしてはちゃんとできているね!時間短くなってごめんね。もうお昼だ、お食事いってらっしゃい。


きょうの喜美枝さんのお昼は贅沢なお雑煮だった。喜美枝さんからお年玉よ、と豪華具材で埋め尽くされていた。海老・カニ・蒲鉾・おもち・ほうれん草・肉団子が出汁の効いたお味噌に輝いていた。俺のお腹は完全にお雑煮が入るスペースを作り出していた。

チーム全員 いただきます!!!

食堂に選手たちの声が響き渡る。

喜美枝 今年も元気があって良いスタートだわ。フフフ!残したら承知しないわよ!

俺の胃袋を喜美枝さんの愛情でたっぷり満たし、午後の練習までゆっくり昼寝をとった。


午後練習も個人練習となり、宮藤さんから練習メニューについて話があると言われた。

宮藤 嘉藤くん。今後の個人練習なんだが、大会に向けて今までの練習の継続に加え、もう一つ嘉藤くんに練習の提案があってね。

嘉藤 はい。何ですかそれ?

宮藤 うん。1000本スパーリングだ。

嘉藤 1000本!?!え!?他の練習もあるんですよね?

宮藤 うん、やるよ。もちろん今までの練習も段階を経て難易度を上げていく。ただ、今回1000本スパーリングをやる目的、それは嘉藤くんが今、他の選手と明らかに違う点は、試合の経験不足なのはわかるね?

嘉藤 おぉ、、。たしかに。それは、そうですね。まずは、その差を埋めると言うことですか?

宮藤 それもある。さらには嘉藤くんの将来性も考えて、今はしっかりと基礎となる土台を作り上げる時間にしていくと言うことだ。

嘉藤 そこまで、、。はい。どうなるかわかりませんが、やってみます!

宮藤 ケガには十分気をつけてサポートする。よし!決まりだ!


この日から、練習が本格的になっていった。1000本のスパーリングは今までの練習に少しずつ組み込まれ、1日平均10本行われた。通常の個人練習もレベルが上がり、スピードの緩急・コンビネーションの種類・呼吸法・防御と打撃力等、宮藤コーチのドS度合いも比例して厳しくなっていった。今までの練習とは違い、チーム練習が必然的に減り、孤独感が沸いてきた頃。俺のスパーリング練習をサポートしてくれている登(高山)の計らいで、共同風呂の時間をチームみんなで合わせてくれた。正直、とても有り難かった。そこで、金城くんの村じいの砂地獄の話や岡本のアイドル話、登のはまってるお魚くんの話など、他愛のない話をした。本当に些細なことだったが、これがまたみんなの良い薬になり、風呂場は笑いが絶えなかった。この時間があったから練習も頑張れたに違いない。


寒さも少しずつ和らぎ、ジムの側にある梅の木の花も満開に近い3月。

宮藤 四季トーナメント戦の抽選会が昨日行われた。縮小版で見ずらくて申し訳ないが、自分の所を確認してくれ!

宮藤コーチから全員にトーナメント表が配られた。チーム3人の名前の所だけ黄色いマーカーが引かれていた。俺はBブロック。1回戦の相手は花田という選手みたいだ。

宮藤 大会のエントリーは4月3日。予選は4月頭から順次始まっていく!まだ1ヶ月ある。やることは変わらないが、一つ一つ丁寧に取り組み集中力を高めること!あとで対戦相手の情報はそれぞれに説明するから覚えておくように!いいな!

チーム全員 はい!!!


練習の前に、宮藤コーチから俺の対戦相手について説明があった。

宮藤 嘉藤くん!初戦の相手のデータだが、簡単に伝えておくから頭の片隅に入れておいて欲しい。立川ジム所属、花田昇、21才、164㎝60㎏、右利き、ガードが固いのが特徴だ。彼のお父さんがセコンドコーチで、ずっと親子で練習してきたそうだ。初戦はいかに相手のガードを崩せるかが大きな焦点になる。練習ではボディへの有効打と相手の腕への打撃で腕力を弱めるコンビネーションを使えるようになろう!

嘉藤 はい!!!


対戦相手の情報が入ったことで、俺の中でただ磨きをかけていた練習が、花田さんのことを意識しながらの練習に切り替わるのを感じる1ヶ月間となった。


予選の1週間前。宮藤コーチに細かく身長体重をチェックするといわれ、計測してもらった。

宮藤 うん。嘉藤くん、168.0㎝60.2㎏、計測OK!大会基準クリアだね!

嘉藤 はい!

・・・

その日の、午後3時。田所は村松ジムを訪れていた。

田所 こんちはー。青山新聞の田所ですー。龍之介さんいらっしゃいますかー?

宮藤 あ、どーも、田所さん。お世話になってます。村松さんですか?

田所 いやー宮藤さん。練習中すいません、村松さんいます?

宮藤 たぶん、村松さんの部屋にいますよ。

田所 あ、じゃ、行ってみます!ありがとうございます。

田所が扉をコンコンコンっとノックする。

村松 空いてるよ。

田所 あ、龍之介さん!お世話になってます田所ですー。今日は大会前の出場選手でいい話聞けないかなー、と思って来ちゃいました!

村松 下の名前で呼ぶんじゃないよ!お前さんと私が仲が良いって周りに思われちゃうじゃないかー。あと急に来るんじゃないよー急に。しっかり電話で約束をとるんじゃ。

田所 別にいいじゃないですかー。

村松 良かないよ!いい話なんてないんだから。ほらほら。椅子なんか暖めてないで、仕事に行け、仕事にー!

田所 これが仕事なんです~、もういつもそれじゃないすか~。

村松 田所~。うちぐらいだよ、お前さんに甘いところは~。何なら夏木のジム行くかー?

田所 その点では助かってますけどね、、。いやもう夏木さんとこは恐くて最寄りの駅ですら降りられないですよ!やめてくださいよー。

村松 はい!お前さんと長話してるほど、おいぼれじいさんは暇じゃないんじゃ!大会が始まれば会場でたっぷりと取材できるじゃろ!?それまでぷらぷらしとけ。

田所 はーい。その代わり会場で会ったらちゃんと教えて下さいねー。今日は潔く帰りまーす!

村松 はい、さよなら。気をつけるんじゃよ。

・・・


2010年 春

4月12日、俺は試合会場への出発を前に、ジム近くの細い街道に立ち、春風で散りはじめた桜並木をじっくりと眺めていた。呼吸を落ち着かせ、地面に置いていたカバンを持ちジムに戻った。

宮藤 嘉藤!お前が最後だ。早くしろ!

嘉藤 はい!すいません。

村松 嘉藤くん、ケガのないようにね。

嘉藤 はい!行ってきます!


車に乗り、20分程で試合会場に着いた。プロテストのときの会場とは雰囲気が違い、選手・応援団・カメラマン・取材関係者等、見知らぬ人たちが会場を歩いていた。

大会スタッフ 大会関係者の方はこちらの入口からお入り下さい。出場選手とコーチの方は足元白色のテープに従って選手控え室にてご準備をお願いします!

宮藤 ありがとうございます!


宮藤コーチに続き、金城くん、岡本、登、俺と並んで関係者入口から会場に入っていった。中は長い廊下沿いに控え室があり、ジムごとに貼り紙がされていた。宮藤コーチは廊下を中程まで進み左の部屋に入っていった。扉の貼り紙には村松ジム所属選手控え室と書かれていた。

宮藤 よし!嘉藤・岡本は、先に俺と高山が準備を手伝う!金城は悪いが自分で準備出きるところまでゆっくり進めてくれ。終わり次第手伝う!

チーム全員 はい!!!


きょうは、宮藤チームの試合が3試合組まれていた。Aブロック第1試合に金城くん。Bブロック第2試合に俺。Fブロック第3試合に岡本だった。宮藤さんはセコンドに入り、高山は宮藤さんの手伝いと選手のフォローに入った。他の控え室からもテキパキとした声が飛び交っていた。

宮藤 準備できたらすぐにストレッチと準備運動!体を暖めておけ!金城は9:30試合開始だ!嘉藤・岡本もすぐ呼ばれると思っておけ!20分前に俺が声を掛ける。スタッフの方も15分前には声をかけにくると思うが、向こうも忙しいから、忘れるかもしれない。集中するように!

チーム全員 はい!!!


俺は第2試合、10:30開始予定だ。岡本は外で軽く走ってくると言い控え室を出た。俺は入念に準備運動をしながら心の中で金城くんを応援した。

大会スタッフ 嘉藤薫選手!開始15分前ですのでこちらまでどうぞ。

嘉藤 はい!


呼ばれた。スタッフの後ろについていき、会場内に入った。リングは青白く光っているのがはっきりと見えた。

宮藤 おい!嘉藤くん、こっちだ!

嘉藤 あ、はい!

リング目の前にあるパイプ椅子に既に宮藤さんは座って待っていた。

宮藤 体は暖まってるか?

嘉藤 はい、大丈夫です!

宮藤 うん。金城は危なっかしかったが、ちゃんと勝てたぞ!次は嘉藤、自分だけに集中して行くんだぞ!

嘉藤 よかった!さすが!、、はい!

高山 薫!サポートはしっかりするから落ち着いて行け!

嘉藤 登!ありがと!

大会スタッフ リングインお願いします。


アナウンサー 只今より、四季トーナメント戦Bブロック第2試合を始めます。赤コーナー164㎝60㎏立川ジム所属、花田昇。青コーナー168㎝60㎏村松ジム所属、嘉藤薫。3分4ラウンド、延長なしとなります。

花田の父 昇!行ってこい!


よし!集中!審判に中央に呼ばれ花田さんと向かい合った。心臓がドクドク聞こえる。良い状態だ。相手の眼をしっかりと見つめ、審判の説明を聞き終えた。


カーン!

始まりの音が鳴った。

序盤はしっかりと足を動かして花田さんの動きを確認する。しっかりと両手で顔面をカバーして立っている。情報通りガードは固そうだ。徐々に左右のジャブを打ち込み、間合いを体に落とし込む。ボディはあまりスペースが空いていない。まだ焦らずゆっくり攻める。前半はガードする腕を狙って確実にダメージを与える右ストレートを打ち込んでいく。


花田の父 よーし!ガードいいよ!ちゃんと動きを見ろ!

花田昇は鉄壁のガードを崩さず、嘉藤の動きをしっかりと見ていた。半年前、練習中に左ひじを痛めた。練習を再開するまでに1ヶ月ほどかかってしまった。父からは利き腕ではないから心配するな、その分しっかりとガードを磨けばチャンスがある。と言われてから、防御から相手の隙を見抜き攻める形が出来上がった。スパーリングで父のアドバイスを徹底的に磨き上げ、ケガをカバーしていった。まずは、しっかりと嘉藤の動きを見て隙を狙う。


宮藤 残り2分!嘉藤!コーナーに追い込め!

俺は宮藤さんの声をしっかり聞けていた。ガードの固い花田さんをジャブとストレートでコーナーに徐々に追い込む。残り1分。俺はボディに強く右ストレートを打ち込んだ。入った!だがガードはまだ下がらない。が、ひじの開きがさっきより外に開いている。いける。すかさず右アッパーをコンパクトに振り上げる。ゴッ、鈍い音がした。当たったか?

花田昇 クッ!(クソッ!早かった)

花田が右膝をリングに着いた。

審判 ダウン!


審判のカウントが始まった。10カウントでファイティングポーズを取れないと敗ける。大会ルールだと、1ラウンド中に2回ダウンを取られるとテクニカルノックアウトと同じとなり、敗けてしまう。

審判 1,2,3,4,5,6、大丈夫?うん!いくよ、、、ファイ!!


残り30秒。行くぞ。花田さんはダウンしたあとでまだ回復しきれていないはず。落ち着いて、呼吸を整えてから。よし。ジャブを細かく打ち込みながら視界を遮り近づいていく。花田さんが動揺しているように見える。鉄壁のガードも俺のジャブが当たると少しぐらついている様な感じがする。アッパーは難しい。警戒して少しグローブの位置も下になってきた。残り20秒。

花田の父 昇!足を動かせ!ガード下げるな!


きつい。まだ回復しきれていない。さっきのガードは固かったはず。狭い隙間を狙ってアッパーが来るなんて思っていなかった。足が動かない。ガードでいっぱいになってる。もう少しだ、1ラウンドが終われば切り替えられる。若干ガードを上に上げた。その瞬間、自分の左ひじが左のあばらに食い込むような感触の後、花田は嘉藤の右フックで貫かれたとわかった。花田は左腕を抱え込むように膝から前に倒れた。

審判 ダウン!終了!!


呼吸が浅く、ドクドクする痛みに花田は声も出なかった。左ひじの痛みが強かった。痛めた箇所がまだ完全には治っていなかったのかと花田は思った。しかし、薄々は感じていた。ごまかしていた。まだ父とボクシングをする楽しみを終わらせたくはなかった。夏の練習のとき、父は仕事の有給を全部使いきってまで俺の練習に付き合ってくれた。本当に嬉しかった。

花田の父 昇、お疲れさま!左ひじ、まだ痛かったんだろ。無理させてごめんな。ゆっくり休もう。ボクシングじゃなくても、昇と一緒にすることなら何でも楽しいぞ!良い試合だった!

花田昇 うん、、。

花田の目から涙が溢れた。


アナウンサー 只今の試合は、1ラウンド3分50秒テクニカルノックアウトで、青コーナー嘉藤薫選手の勝利です。

宮藤 嘉藤!やったな!

嘉藤 はい!


宮藤さんに肩を思いっきり叩かれた。息はそこまで荒くはなかったが、汗がかなり出てきていた。4分がやはり長く感じた。だが今回は一瞬の判断の大切さが物凄くわかる試合になった。2ラウンド以降、どうなるかはわからなかった。そのあと、控え室に戻ると金城くんが待っていて、前回プロテストのときと同様にクールダウンをすぐ手伝ってくれた。ゆっくりでいい!落ち着いたら岡本の応援だ!と金城くんに言われ、待ってくれた。

宮藤 おぉ!金城、嘉藤!早かったな。最後は岡本だ!高山とここで応援してくれ!


俺は首にタオルをかけ、額に残る汗を拭いていた。そのとき、この会場ではかなり目立つ色のグループが塊となって応援席に座っているのが目に入った。立てられた旗にはナイト娘魂と書かれている。間違いなく岡本の仲間たちであろうことはすぐに理解できた。チームカラーなのか、白色に桃色の縦ストライプが入った法被(はっぴ)を全員が着ていた。おそらく15名ぐらいはいるだろうか、アイドルのファンの繋がりの強さは凄いものだと感じた。リングの上にアナウンサーがマイクを持って現れた。試合が始まる。

岡本所属のアイドル応援団 ゆうすけ~!!!がんばれ~!!!燃やせもえちゃん魂!!!

場内に響き渡る声援だった。さっき、金城くんが会場に向かう途中、岡本の対戦相手は格が違いすぎる。分が悪い。と言っていたことの意味はすぐに証明された。試合が始まり残り時間1分の所で、岡本が得意の縦拳を相手の顎に食らわせるも、直後に相手からの右フック、そして左アッパーが顔面に決まり、岡本の汗がリング上空に飛び散りライトに反射し輝いていた。岡本は両膝をつき、ゆっくり右側に倒れた。すごい音だった。

宮藤 高山!金城!嘉藤!お前らも手伝ってくれ!


試合終了後、チーム4人で岡本を担いで控え室まで運ぶ途中、岡本が小さな声でもえちゃんごめんね、、、。と腫れた顔面で呟いた。チーム全員が岡本は心底アイドルが好きなんだなと半笑いで運んでいた。

・・・

宮藤 今日はお疲れ様!高山!選手のサポート本当にありがとう!助かった!そして戦った3人!良い試合だった!金城、嘉藤!見事だった!岡本はまだ気持ちの整理に時間は必要だと思うが、明日からはサポートメンバーとして一緒に戦って欲しい!これから、ジムに帰って村松さんに報告する。そのあとはゆっくり身体を休ませてくれ。明日、金城と嘉藤には2回戦以降の話をする。胸を張ってジムに帰るように。いいか!

チーム全員 はい!!!


村松さんと喜美枝さんは満面の笑みで俺たちの帰りを出迎えてくれた。うん。なんだかジムに帰るとほっとする自分がいた。居心地がいいんだろうな。ジムに着いたときに岡本は既にケロッとした顔で喜美枝さんの美味しい料理をたらふく口に詰め込んでいた。どうやら、今夜もえちゃんがラジオ番組に出るらしく、試合で頑張ったご褒美として楽しみにしているのだと、登から聞いた。かなり落ち込んでしまうのではと心配していたのが馬鹿らしくなった。まぁ、さっき共同風呂で岡本が密かに泣いていたことは、みんなには言わないでおこう。


翌日、午前練習の後、俺は宮藤コーチに呼ばれた。

宮藤 嘉藤!改めて、昨日はお疲れ様!緊張したか?

嘉藤 お疲れ様です!人が思ってたよりいたので、そっちに緊張しました。

宮藤 プロテストのときとはまた違う感覚だろ!よくやった!で、早速だが、次の2回戦の相手の情報を伝えておく。鳥山直人(なおと)。右利き、175㎝61㎏。背が高く、先行勝負型の選手らしい。正直情報が薄くてな。本番の相手の動き次第ではある。

嘉藤 はい、頭に入れておきます。

宮藤 うん。2回戦以降の大会予想だと、嘉藤のいるBブロックに月島くんと言う選手がいてね。おそらく決勝までくるんじゃないかと村松さん情報で流れてきた。詳しくはわからんが。とにかく、次は慎重に相手するように!

嘉藤 はい!!


次の2回戦は4月19日、金城くんも同じ日に試合だと宮藤さんに言われた。1週間もない。ただ鳥山さんは先行型。防御は意識せざるを得ない。


桜の花びらも大分散り、薄緑の葉桜が木を彩っていた。季節の変わり目と共に、2回戦はまもなく始まりを告げようとしていた。

宮藤 嘉藤くん!今回から、僕のボクシングコーチ繋がりでケアマッサージをしてくれる人が付いてくれることになった。どうぞ。

嘉藤 う、え?

谷川 はじめまして。新川クラブの谷川るいと申します!試合後のケアマッサージ師として配属になりました。よろしくお願いします!

嘉藤 あ、えっと、嘉藤薫です!

宮藤 うん。僕もなかなか忙しくてね。本当は1回戦のときから入ってくれる予定だったんだが、バタバタしてて1回断っちゃってね。今日の嘉藤くんの試合後は彼女がクールダウンのボディケアとして動いてくれるから指示通りにすること。今大会は新川クラブのメンバーが出場選手のケア対応にあたってくれているから、困ったときはこのジャージを目印に聞いてくれ!いいか!

嘉藤 あ、はい!

宮藤 谷川くん!ではまた!


挨拶が済むと、谷川さんは他の選手のケア対応へ向かった。宮藤さんも金城くんの試合の為、すぐにいなくなった。なんだったんだ、後でもよかったのでは?と思った。その後は試合まで1時間程あったので、軽く外でランニングをしてから控え室でストレッチをした。


大会スタッフ 嘉藤薫選手!開始15分前です、ご移動お願いします!

嘉藤 はい!

場内に入ると、前回よりも人が増えているように見えた。たしか、岡本が言っていたボクシングファンや少年クラブの子供達も見に来るって、こう言うことか。周りの景色が変わってきたな。

宮藤 嘉藤!こっちだ!

嘉藤 はい!金城くんは?どうでした?

宮藤 うん。接戦だったが見事だった。よく勝ったよ!

嘉藤 おー!すげえ!

宮藤 次!嘉藤!今回は情報が少ない相手だ!落ち着いて、冷静に。平常心だぞ!

嘉藤 はい!


俺はきつく縛ったシューズを見ながらリングに上がる階段をかけて入った。アナウンスで紹介の声を聞きながら、呼吸をゆっくり整えた。中央に呼ばれた。ん、?!、でかい、身長差は7㎝程だが、なぜかもっとあるように感じた。茶色に染められた髪、細い眼光、長い腕を持ち、スッと立ち俺を見つめていた。冷静に、平常心だ!

カーン!

始まりの鐘が打たれた。


うん、ほぼ高山登だ。開始直後、すぐ鳥山さんは距離を縮めてきた。高身長を生かした圧と長い腕のジャブで俺の体をロープ側に押し込んできた。ジャブでも打撃に重さがある。しっかりとガードを固めていないと簡単に崩される。前半から手数が多く、なかなか距離感が掴めない。やりずらい。


鳥山はほとんど休まずに嘉藤にジャブを繰り出し、自分の間合いを確かめていた。ガードは固い選手みたいだな。だが狙っている右脇を狙える隙間はちゃんとある。今回も短期戦で終わらす。

・・

鳥山の母 直人~!ちょっと手伝ってちょうだい!母さん朝ごはんの準備してるから、ひなた、ひより、直樹起こして、先に着替えさせといてくれる?

直人 あ~~い!

直人は台所からフライパンとお玉を持って子供部屋に行く。

カン!カン!カン!カン!

直人 ほらー!起きろー!朝だぞー!!!

ひなた うーん、まだ~

ひより ねむーい。

直樹 起きたくない!

直人 そんなこと言ってると、兄ちゃんはもうお前たちと遊んでやらないぞー!

弟妹たち やだー!起きる~!!

バタバタバタバタ

鳥山の母 こら!バタバタ走らない!!

鳥山家は朝から忙しない。俺は鳥山家に長男として生まれ、母さんはパートで働き、父さんは仕事でほとんど家に帰って来なかった。妹2人と弟1人はまだ小学生で、家にいるときはこの暴れっぷり。俺は高校に入学できたが、朝早くに新聞配達と学校終わりにコンビニのバイトを掛け持ちしながら学費と家計の足しになれば、とこなしていた。高校を卒業してからはすぐに近くの自動車整備工場に就職し、実家から通っていた。いつも疲れて帰ってきては、元気な弟妹が俺の取り合いをする。そんな家族が俺の仕事のストレスを吹き飛ばしてくれる大事な存在になっていた。あるとき会社の先輩に、ガタイの良さで声を掛けられ、社会人のボクシングジムの朝日ジムに来ないかと勧誘された。弟妹と遊ぶ体力づくりには良いかなと思い入ってみたが、そこの環境が俺に合っていたのか、ぐんぐんと先輩達に追いつく自分が嬉しくてのめり込んでしまった。もしかしたら、これが家族をもっと幸せにできる職業になればと期待していた。

・・

宮藤 嘉藤!止まるな。足もちゃんと動かせ!

くそ!思ってたよりも連打が重くて動けない。鳥山さんの腕が長い分、左右に足を動かせても、すぐ腕が回り込んで打撃をくらう。やっかいだ。隙をみてボディにジャブを当ててはいるが、踏み込みが甘い。呼吸を整えろ。ここは我慢してガードに徹しよう。

カーン!

第1ラウンド終了の鐘が鳴る。


宮藤 嘉藤!よし!よく耐えた!

嘉藤 はい!

初めてリングコーナーの椅子に座り、正面にしゃがんだ宮藤さんを見つめた。マウスピースを外され、まずは口をゆすげと言われ水を口に入れられた。アルミのバケツに水を吐き出し、その後に新しい冷たい水が口の中を潤す。ふー。呼吸を整えた。次だ!

宮藤 ガードは固く。隙は必ずある!懐に踏み込んでボディだ!いいか!

嘉藤 はい!


審判がセコンドをリング下に戻るように指示した。立ち上がり、中央へ向かう。

カーン!

第2ラウンドの鐘が鳴った。


次は懐に入る!距離感をちゃんと掴むため左右ジャブを繰り出す。だが、鳥山さんが先に距離感を掴んでいた。俺の右ボディに左フックが決まる!

嘉藤 うっ!

ガードは下げられない。顔面を狙われる。また右ボディを狙ってくる。少し体をずらしてヒットを弱くする。鳥山さんがジャブに織り交ぜて俺の右ボディ(レバー)を狙いに来ている。脇腹が痛くなってきた。集中だ。呼吸!懐に入る踏み込み、、、。

嘉藤 村じいの砂場か、


鳥山はこのラウンドで決めにかかっていた。序盤は的確な打撃コントロールを掴むためにジャブで距離感を確かめ、中盤からは嘉藤の肝臓を完全に潰す左フックでダウンを狙う。作戦通りだ。効いている。右腕で懐に入られないようにしっかりジャブも繰り出す、、まずい!?、ジャブを避けて内に入り込まれた!

鳥山 くっ!!

嘉藤の左ストレートがみぞおちに決まった。

審判 ダウン!


よし!村松さんの砂場で鍛えた足先と膝の使い方で鳥山さんの左ジャブを避け、膝のクッションと指先の掴みで一気に懐に入り込んで打撃に力を乗っけられた!鳥山さんは片膝を床に付いている。

宮藤 残り2分!いけ嘉藤!


審判のカウントは8で止まり、試合が始まる。俺はすぐに間を詰め連打を繰り出す。鳥山さんはまだ回復しきれてない。完全にガード体制に切り替えている。俺も鳥山さんとの距離感を掴んだ。すかさず鳥山さんの右ボディに連続で左フックを打ち込む、?、鳥山さんが少し後ろに下がったか?

宮藤 嘉藤!攻めろ!右フック!!

違う!打つ態勢をとってたんだ。鳥山さんの左フックの動きが見えた。そのとき、俺の右フックの光明が鳥山さんの顔面に見えた。だがまだ少し遠い。右足!動け!!!

バチン!激しい音が鳴る


鳥山は嘉藤の右フックが縦に振られ、左顎に先に打ち込まれると確信した。あと少しだった。あと少しで俺の拳が嘉藤の右ボディに突き刺さったのに。数㎝前に決められた。白いライトの光を見上げ、心の中ですまない。勝てなかった。と呟いた。

カンカンカンカン!

終了の鐘が鳴った。鳥山は仰向けで倒れ、その顔には柔らかい笑みが浮かんでいた。

朝日ジムのセコンド 直人!大丈夫か!?良い試合だった。やりきったな!試合前、お前の母ちゃんから連絡があってな、応援には行けないけど家族みんなで美味しい料理作って待ってるって伝えてくれって!ほら!肩につかまれ!帰るぞ!


ぎりぎりだった。あのとき宮藤さんの声がなかったら、フックを忘れて敗けていた。

宮藤 嘉藤!やったな!よく攻めた!歩けるか?

嘉藤 はい、、控え室までなら。


リングを降り、金城くん、岡本、登がすぐに声を掛けてくれたが、あんまり覚えていない。岡本が真顔で、もえちゃんのドデカイ顔写真のTシャツを着ていたことは横目で見えた。控え室に着くなりパイプ椅子に倒れこんだ。


先に控え室で谷川が準備を整えていた。

谷川るい 嘉藤さん、ケアマッサージの谷川です。お疲れの所申し訳ないのですが、こちらのベッドにうつ伏せでお願いします。

嘉藤 うつ伏せですか。はい。お世話になります。

谷川 ありがとうございます。これから軽いマッサージを全体的に行って参ります。痛い所があれば素直に教えて下さい。逆に凝っている所はほぐさせて頂きます。15分程で終わります。では失礼します。

嘉藤 お願いします。


俺がパイプ椅子に倒れた後、宮藤さんがすぐにグローブを手際よく外してくれた。時間が限られているらしく、チームはバタバタと撤収作業にあたってくれていた。熱い体が徐々にクールダウンしていく。まだ脇腹が痛い。重い打撃だった、、。筋肉は疲れ果て、体がマッサージベッドと一体化していると錯覚するほどに感覚がない。ふと急に話かけられ我に返った。

谷川 ちょっとお話聞いてもいいですか?

嘉藤 あ、はい、、。どうぞ。

谷川 きょうの試合はどうだったんですか?

嘉藤 あ~勝ちました。

谷川 そうだったんですね!おめでとうございます!

嘉藤 ありがとうございます。

谷川 次の相手は決まっているんですか?

嘉藤 いや、まだ、全然わからないです。

谷川 一応、私たち新川クラブのメンバーが色んな選手の方々のケアをしているので、情報共有として大会選手の特徴を把握しているんですよ。

嘉藤 なるほど。

谷川 さっき宮藤さんから少しお話聞いたんですけど、おそらく嘉藤さんの次の対戦相手が風間さんじゃないかと。

嘉藤 宮藤さんが、、。風間さん、か。あした話聞けるのかな。

谷川 私のメンバーが対応した情報だと、結構プライドが高くて鼻につく態度だったみたいです。あと、お家柄が大富豪らしく、常に白髪の執事が側にいてお世話をしている様な話を聞いています。

嘉藤 執事、、。色んな選手がいるんですね。情報ありがとうございます。

谷川 すいません。長話になってしまって。何か気になることがあれば、私が知ってることはお伝えできますので。マッサージ終了です!皆さんもう廊下で待ってますので、お忘れもののないように、お気をつけて!

嘉藤 はい、、。ありがとうございます!


そのあと、村松ジムに帰る車の中でも熟睡してしまった。ジムに着いて、村松さんが出迎えてくれたとき、疲れきった俺の顔を見て、明日はゆっくり休みなさいと言われ、1日休みをもらった。宮藤さんから、5月に3回戦がある!とだけ言われ、詳しいことは休み明けに聞くことになった。部屋に入ってすぐお布団に倒れ込んで寝た。

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