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流れ人  作者: 新垣新太
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第1章~入ジム編・後編~

第1章~入ジム編・後編~


翌日。きょうは週に2日の休みのうち1日目の休みだ!朝は目覚ましも気にせず熟睡した。朝食をもりっと食べ終え、また布団に戻って寝た。起きたときには午前11時、お昼ごはんまでちょっと散歩、と思い、ささっと着替えて外に出た。気持ちの良い春風が吹き、程よい日差しが最高だった。村松さんの新井公園までゆっくり歩こう。そういえば桜並木の所も気になってたんだ。そう思いながら歩いていると、丁度桜並木の木の下で金髪の男性が赤いレジャーシートの様な物を敷いて桜を見上げているのが見えた。ひとりで花見かぁ、珍しいよなぁ。と思いながら側を通りかかると、

春日 こんにちは!

嘉藤 あ、あ、こんにちは。(まさか、話しかけられるとは)

春日 良い天気だね!

嘉藤 え、あ、そうですね。風がやさしくて春らしい天気ですね。

春日 うん。わかってるね、君も一緒にどうだ?ここに座ってお茶菓子を頂かないか?

嘉藤 いや、公園まで散歩して帰ろうと思ってて、お昼には寮に帰らないといけないので。

春日 そうか、大丈夫!ほんの10分だけでいい。俺とゆったりとした時間を楽しまないか?

嘉藤 う、まぁ、ちょっとだけなら、じゃあ、すいません。お邪魔します。

春日 うん。遠慮するな!ここに座ってくれ!

嘉藤 はい、(すごい、これ、レジャーシートじゃなくてちゃんとした赤色の生地のカーペットみたいだ。)


すると、金髪の男性は静かにお茶を立て、作り終えると後ろから小皿と竹串を出し、その小皿に和菓子と竹串を載せ、お抹茶と共に俺の前にすっと静かに置いてくれた。その後、自分の分も丁寧に作り上げ、俺と同じ物を目の前に置いた。さっきの話し方とは違う、落ち着きのある佇まい、美しい無駄のない所作に魅せられてしまった。

春日 お抹茶は京都の宇治抹茶を使い作らせてもらった。和菓子は僕の行きつけの甘味処で買った桜あんのしぐれ菓子になっている。ゆっくり味わってくれ。所作やルールは俺にはない。気にせず召し上がれ。

嘉藤 あ、はい!いただきます。


俺はとろっとしたお抹茶を人生で初めて飲んだ。苦かったが、それは上品で後味が爽やかな滑らかな液体だった。和菓子は竹串がスッと綺麗に入るほど繊細で、一口サイズにして食べた。鼻から抜ける桜の良い香りと、あんこのやさしい甘味、そして卵のようなふんわりと香る豊潤さが口と鼻を敏感にさせ、目をつむった。正にこれがお茶会だと、心から感じる時間が訪れた。

春日 絵に書いたような幸せ顔だな!ハハハ!君の名前は何て言うんだい?

嘉藤 あ、すいません。すごい!どっちも美味しかったです!こういったの初めてだったので、ちょっと感動しちゃいました!俺の名前は嘉藤薫と言います!

春日 薫くんか!いい名前だな!年はいくつだ?

嘉藤 4月で19になりました!

春日 お~、19才か!、、?、、、そうか!うん!薫くん!きょうは突然声をかけたのにお茶会に付き合わせて申し訳なかった!でも、良い茶会になったよ!ありがとう!!俺は春日だ、春日楓(かえで)と言う!年は22!ハハハ!薫くんの方がフレッシュだな!ハハハ!ハハハ!

嘉藤 こちらこそ。美味しいお茶とお菓子まで頂いて、何もしてないのに、ありがたかったです!あ、すいません、長居してしまいました。もう戻らないと、本当にきょうはありがとうございました!!

春日 うん。気を付けてな!


春日さん、かぁ。変わった人だったけど、でも、なんか明るくて一緒にいるとなぜか居心地がよかった。どこか兄弟のような感じにもさせる、面白い人だったなぁ。気づけばあそこに30分もいてしまったから、お昼ごはんギリギリになりそうだったので走ってジムに向かった。お昼ごはんはお茶会のせいもあってか、軽くしか食べられず、部屋に戻ってからはお腹がいっぱいで、またすぐ寝てしまった。その後も晩ごはんを食べる為に起きて、また部屋に戻ってはすぐに寝て、と、きょうと言うきょうはしっかり睡眠をとれた休日だった。


翌朝5時。ロードワークから1日が始まる。きょうでジムに入ってから5日目。喜美枝さんの美味しい食事と適度な睡眠で体力が徐々についてきているのを体感的にも、部屋にある鏡を見てもわかるようになってきた。宮藤コーチから、これからの日々の練習は、今まで教えてきた内容をコツコツと繰り返し、今よりも磨きをかけることを意識して取り組むように言われた。


岡本にピンポン玉の種類増やしといたから、もっと練習が楽しくなると思うよ!、と、言われ。黄色白色ゴルフボールと数字が入ったピンポン、加えられたのがナイト娘の全メンバーの顔が1個ずつに貼られたピンポン玉だった。宮藤コーチが投げる度に、俺は、1,5,9,7,4,もえちゃん,ななちゃん,みきちゃん,ゆめちゃん,3,2,8,ゴルフボール!と、かなり変則的な練習になり、楽しくなるどころか、むしろ難易度が上がり疲労感が増すことになった。

村じいの砂地獄では、俺たちのチーム以外の練習でもウンチを踏んだと話題に上がることが多くなり、おそらく金城くんがあのとき以来ウンチトラップを砂場に仕掛けているのではないかと変な噂が流れ、その後砂場の練習ではウンチのことも気にしながらトレーニングしないといけなくなり、選手達に嫌なストレスがかかり始めていた。

その他、縄跳び・瓦割り・ランニングマシン・ミット打ち・パンチングボールと順々に練習を積み重ねて行き、1週間のローテーション練習が終わろうとしていた。

宮藤 今日も練習お疲れさま。明日の休み明けからは、チーム練習でスパーリングをやっていきたいと考えている。嘉藤くん、初めてだと思うが、スパーリングは頭を守るヘッドギア、グローブ、マウスピースをつけて、実際に対戦形式で練習をする模擬試合のことだ。実際に相手がいる状態で体を動かすことで、今の自分の状態を見つめ、これからの課題を見つけることができる大事な練習だ。イメージトレーニングだけでもしてみると良い!

嘉藤 はい!


実戦練習か。緊張感が沸いてくるな。今までの練習でもそれぞれにやったときの難しさを感じていたのに、今度はちゃんと相手がいる。殴ってくる怖さ、痛みの度合い、自分が相手をダウンさせる攻めをできるのかも不安だ。考えただけでも心臓がドクドクしてくる。イメトレかぁ。やったこともないからイメージすらできない。その日は、何をやればいいのかもわからず、ただ、寝る前に入念に体のストレッチをしてから寝ることにした。


休み明け。朝のロードワークと朝食を済ませ、午前練習に入った。

宮藤 はい!今日は、しっかり準備運動をしてからスパーリングを中心に練習を始める。まずは2人1組でストレッチをしてくれ。

チーム全員 はい!!!

きょうは、ケガのないように入念に体のストレッチを行った。呼吸を整えて、集中力を高める。

宮藤 今日のスパーリングは、3分1ラウンドで行い、対戦相手は全員と練習ができるように毎回違う相手とスパーリングすること!なので、3分1ラウンドを12セットで全員に当たることができる。3セット毎に10分の休憩を入れて進めていく。その間に自分の反省点や改善点を見つけ、次の練習に生かすこと!いいか?

チーム全員 はい!!!


俺の最初の相手は金城くんになった。ヘッドギアを初めてつけてもらったが、視界があまり良くない。おそらく試合のことを考えて作られているからこれで充分な広さなのだろう。慣れないがやるしかない。呼吸を整えて、いくぞ!

ピー!

と電子音と共に3分のタイマーが動き出した。


金城くんの目付きが変わった。鋭い眼光と赤色のベッドギアとグローブがズンズンと近寄ってくる。

宮藤 足を動かしてしっかりと自分の距離を掴め嘉藤!

よし、集中!相手の動きを見つつ、まずは自分の間合いをちゃんと掴むんだ。足を動かしながら、とにかく動いた。

岡本 あ~、ぐるぐるリングを回っちゃってるよ~、薫それじゃあ疲れちゃうよ~。


金城は冷静にリングの中央で嘉藤の動きを捉えていた。初心者が陥りやすい、リングの回りを動き回ってしまう行動は至極当然のことである。それは、殴られる恐怖心や己の力の自信のなさからくるのだろう。スパーリングは己のスタイルを試す場所。逃げてばかりでは練習にはならん。金城は得意の足のステップで嘉藤の間合いの中まで入り込み右アッパーを打ち込んだ。スッ!、?、避けた?、再び嘉藤に距離をとられる。寸前までは完全に決まると思っていたアッパーがギリギリの所でかわされた。動体視力が良いだけか?次だ、まだ残り1分30秒ある。間合いを詰めていく。動き回る嘉藤をじわじわとコーナーへと誘導していく。嘉藤は後ろへ下がっていく。嘉藤との間合いを詰める。右パンチへの警戒心は強いはず。左ジャブを細かく打ち視界を悪くしながらボディを狙う。軽い右ボディの連打が嘉藤の腹部にダメージを与える。嘉藤のガードはなかなか下に下がらない。残り30秒。金城は嘉藤の下がらないガードの肘が開き、そこにアッパーラインの光明が見えたのを逃さなかった。いける。すかさず右アッパーを嘉藤の顎に向けて振り抜く。


きた!嘉藤はその瞬間、己の右ストレートを金城の空いた右顔面に向けて打ち込んだ。が、すぐに視界は真っ白な天井を捉えていた。膝から崩れ落ちた。これがボクシングかと痛感した。視界はぼやけ、ぼーっと空を見つめ、両手を地面に着き、しばらく座ったまま目をつむり呼吸を整えていた。

宮藤 金城!スパーリングだ、力みすぎだ、8割に抑えなさい。

金城 はい!すいません。

宮藤 嘉藤くん、大丈夫か?ケガはないか?

嘉藤 はい、大丈夫です。ただ、何が起こったのか一瞬だったので。

宮藤 うん、よかった。次の番までしっかり休んでくれ!今のは惜しかったよ。嘉藤くんのストレートはいいコースだったが、距離とスピードがまだ足りてなかった。自分の間合いじゃなかったんだ。そして、金城くんの右アッパーが顎にクリーンヒットした。初めてなのに嘉藤くんの動きには驚いたよ。でも本当にケガがなくてよかったよ。

嘉藤 そう言うことか、はい、大丈夫です。ありがとうございます!金城くんもありがとうございました!

金城 お、ナイスファイト!ちょっと力みすぎた、すまん!


金城は、力みすぎたつもりはなく、ただあの一瞬は本気で試合をしている感覚で動いてしまった。まさかあの右アッパーの瞬間を狙って嘉藤から顔面にストレートがくるとは思ってもいなかった。油断していた。盲点だったと、様々な面で力不足であると痛感する結果に驚いていた。


金城くんとの対戦後は、汗が止まらなかった。人生で初めてダウンを経験したが、正直一瞬の出来事だったので痛みも何も感じなかった。ただ負けたと言うことだけが理解できた。アドレナリンのせいだろうか、体に異常はないし、そんなに疲れもない。ただ汗が出続けていた。あっと言うまの休憩だった。次の相手は岡本だった。

岡本 薫っち!お手柔らかに!へへ!

嘉藤 手加減しろよ!


岡本は、さっきの金城戦での嘉藤の動きをしっかり見ていただけに、簡単にパンチは当たらないだろうと踏んでいた。まずは、細かいジャブを連打して嘉藤との間合いを掴む。


嘉藤は、岡本に恨みがあった。そう、今までの練習メニューの中に度々登場してきたナイト娘のもえちゃんの顔、ナイト娘の講演ポスターでメンバー全員の紹介、俺を苛立たせてきた恨み。一旦冷静に、ここで感情的になっては岡本の思うつぼだ。ただ、気になるのは岡本のファイティングポーズだ。右半身を前にし、ほぼ半身立ちの構えをしている。独特だ。


岡本は、拳法から入り、そしてボクシングの門を叩いた。そのファイティングポーズは特殊で、縦拳(たてけん)と呼んでいた。細かいジャブで嘉藤との間合いを掴んだ岡本は、いきなり右の縦拳を放つ。嘉藤の左ボディにヒットする。嘉藤はおそらく縦拳を受けたが理解できていないだろう。縦拳は、打つ方のグローブの遠近法が捉えられずに、気づけばパンチが当たっているからだ。縦に構えているため腕肘の動きが見えずらく、いつパンチが来るのかを予測しずらい打撃なのだ。続けて岡本は左ボディに縦拳でダメージを与えていく。嘉藤のガードは下がらない。だが、岡本が狙っているのはみぞおちに一撃の強打。まだ間合いが詰めきれていない。一瞬、嘉藤が怯んだのか、一歩下がったときに、岡本は半歩大きく踏み出しみぞおちに強打の縦拳を放った。!?嘉藤が右に反転して避けた。拳が当たらなかった。気づいたときには嘉藤の右拳が岡本の右あばらにめり込んでいた。

ピー!3分のタイマーが終了を告げる。

宮藤 嘉藤くん!いい切り返しだった。岡本もいい踏み込みだった。ただ間合いを詰めるのを焦りすぎたのが敗因のひとつだな。次に生かせ!

岡本 ぶへー!負けた。薫~リベンジリベンジ!

嘉藤 おう!まだまだ発散しきれてないんでね!


岡本のあの独特なスタイル、異様に感じたが、あれも格闘技のひとつのプレイなのだろう。最初にもらったボディのパンチは全く避けられなかった。グローブの位置がまるで変わっていないように見えた。だが、たしかにボディに届いていた。その後、何発かボディにパンチをもらったときに踏み込む足の動きを見て、なんとなくだが打つタイミングを見切ることができた。そして、少し下がってみたらどう動くかも見てみたかった。俺が動いた瞬間に岡本の足が思いっきり動いたのをみて、咄嗟に身を引いて空いていた脇腹にパンチを打ち込めた。ただ踏み込みが甘かったせいで強打にはならなかったが、今回は少し視野を広げて戦うことができた。


他のメンバー同士の対戦と10分休憩もあり、今回は落ち着いて休むことができた。そして、ラストは高山くんとの対戦だ。

宮藤 嘉藤くん!午前のスパーリングはこれでラストだ。頑張ろう!

嘉藤 はい!


高山くんは身長が高い。180㎝あるらしい。本来なら階級が違うみたいだが、経験値を増やすために各チームに身長差があるように作っているらしい。俺の身長は168㎝、10㎝以上も差がある。高山くんの間合いで顔面まで俺の腕が届く気がしない。そもそもジャブが当たらないのでは?瞬発力で打撃のときだけ間合いを詰めてダメージを与えていくしかないか。

ピー!

3分のタイマーが始まった。


高山は、まず自分の間合いをがっちり確保して、嘉藤との距離感を確かめていた。高身長を生かし、上から下へ打ち込む右ストレートは、腕の重さ、打撃力、重力が合わさったパワーとなって相手を襲う矛を作り上げていた。自分の間合いに入られても、長い腕で相手を押し返せば再びリズムに乗って攻撃に移れる。そして、一刻も早くお魚くんのお世話に取りかからねばと気が気でならない。リングの側の壁には、高山と名前の書かれた壁掛けフックに縦3㎝横4㎝程の大きさの青色の小さなゲーム機がぶら下がっていた。高山の文字の横には小さく無断使用禁止と書かれている。

・・・数分前

岡本 高ちゃん!お魚くんどう?順調に育ってる?もうそろそろ出荷出来そうなんじゃない?

高山 ああ、いい感じに育ってる。今週には鰹とスズキを出荷できそうだから、一緒に雅さんの所いくか?

岡本 やった~!!!お寿司たべれる~!!!たしか1匹出荷で10貫だったっけ?そうすると、2匹いるから20貫を高ちゃんと分けるから鰹とスズキ5貫ずつ食べれるってわけか!

高山 雅さんの握るお寿司は最高にうまいからな、しかもそれが無料で食べられる。息子さんが作ってくれたこのゲーム機のおかげだな。

岡本 他のやつには内緒だぞ高ちゃん!ライバルは多いし、お魚くんの魚を出荷できるまでかなり難易度が高い。そんな中、高ちゃんの実力の高さにみんな目をギラつかせてるからな。僕が先約だからね!よーし!お寿司ともえちゃんの為に練習頑張るぞ~!!!


そう、きょうが鰹とスズキ、ミニゲームお魚くんの出荷日なんだ!!嘉藤くんには悪いが短期決戦でいく!高山は序盤からジャブを繰り出しながら嘉藤との間合いを詰めていく。ガードは固い状態だが、距離感が掴めてきたら一気にストレートのラッシュでダウンするつもりでいた。度々嘉藤からボディにパンチが当たりはするが、間合いの詰めが甘く軽い打撃に終わっている。残り半分となった所で、嘉藤に疲れが出てきたのか、足の動きが少なく、ガードも緩くなり始めていた。ここで、高山は嘉藤の右ボディに鋭く打ち込み、肝臓にダメージを与え、ガードが下がった所に右ストレートからのラッシュ攻撃に入った。嘉藤をコーナーに追い込み、逃げ場をなくした。高山の重い打撃が何発も嘉藤を襲う。あとちょっと、あとちょっと。まだか、まだダウンしないのか、高山の息が荒くなってくる。連打の途中でフッと嘉藤が下に下がるように見えた。ダウンしたか?いや、うっ!!?嘉藤は下から高山の間合いに潜り込み、みぞおちに右ストレートを打ち込んでいた。深くグローブが入ったのが自分でもわかった。片膝をつきしばらく立ち上がれなかった。くそっ!!ラッシュに夢中になりすぎた、嘉藤くんの方が冷静だった。

ピー!

タイマーが丁度終了を告げた。

宮藤 いい勝負だった!2人ともお疲れさま!ゆっくり休んでくれ。このあとはお昼まで自主練習の時間にする。午後は他のチームとスパーリングの交流戦を行う。今回の自分の反省点を踏まえ、午後に向けて調整すること!いいな!

チーム全員 はい!!!


きつかった。脳みそが揺れているのを感じるほどに高山くんの打撃が重く、全然動くことができなかった。階級が違うってだけでこんなに世界が変わるものなのか。最後の俺の右ストレートも正直全然前が見えていなかった。まだまだ課題は山ほどあるけど、一歩ずつコツコツ進んでいこう。残りの時間はランニングマシンで呼吸を意識して、どんなに追い込まれても集中できるように走り込んだ。


お昼ごはんと休憩を済ませ、午後は他の2チームとの交流戦スパーリングが行われた。各々がランダムに声をかけ対戦相手を作る形式がとられた。俺は8試合の予定だったが、午前のスパーリングで体力を消耗しすぎていたみたいで、4試合をした所で宮藤コーチにストップをかけられ、早めに自主練習へと移ることになった。体の動きのキレと集中力がまだまだ追いついていない。今後の課題だ。きょうは早めに晩ごはんを済ませ、共同風呂を独り占めした。もう、上がろうとした所に高山くんが入ってきた。

高山 お、嘉藤くん。お疲れさま、きょうは良い試合だったね!完全にやられちゃったよ!

嘉藤 お疲れさま、いやいや高山くんのパンチに圧倒されてて最後は正直当てずっぽうだよ。

高山 当て勘も良いんだな。あ、俺のこと(のぼる)て呼んでいいよ!今度、お寿司一緒にどう?

嘉藤 うん、わかった。俺は薫でいいよ!お寿司!?好きだけど、金ないよ?

高山 最近、お魚くんってゲームが流行ってんだけど、それでうまくお魚育てられると、出荷っていって近くのお寿司屋さんの雅さんって板前さんが、無料でその魚のお寿司を食べさせてくれるんだよ!

嘉藤 !?何そのゲーム、知らない!そして何そのシステム?みんなやってるの?

高山 ジムのメンバーはほとんどやってるな。でも育てるのが結構大変だからってみんなあんまり手をつけていないみたいだけど。俺はこう言うの苦手じゃないし、好きなんだ。やっていくと愛着が沸くんだよな~。

嘉藤 そうなんだ。ちょっと気になるな~。後で詳しく教えてよ!ちょっとのぼせちゃうから先あがるね!


そういってから、自由時間に高山くんの部屋に行き、ゲームのお魚くんについて受講した。きょうは頭も体も使い果たしたので、死んだ魚のように眠りについた。


翌朝。この日からの午後練習はスパーリングが中心になり、実戦に近い感覚を日々鍛え上げていく期間となった。そして、スパーリング練習をしていた午後2時に大声がジム内に響き渡った。

春日 頼もう!!!!

ジム内全員がビクッと驚き、視線は入口の開いたドアに集中した。

宮藤 誰だ!?いきなり?

春日 失礼!私、春日楓と申します!本日はここ村松ジムに道場破りに参りました!ご相手よろしくお願い致します!

宮藤 無礼なやつだ。今は大事な練習中だ!帰れ!!

村松 ん?ちょっと待って宮藤くん。面白いじゃないか。こんな時代に道場破りとは、君はたしか季節の陣、春の王者の春日くんだね?

宮藤 ん、ちょ、村松さん!

春日 はい!お時間いただけないでしょうか!?

村松 うん、おもしろいですねぇ。ただし、このジムの大切な選手たちなんでね、戦う相手はこちらで選ばせてもらうよ。

春日 もちろん!構いません!

村松 よし、じゃあー、宮藤くん!君たちのチーム4人を春日くんとの試合相手にしようかね。

宮藤 僕のチームですか、?、村松さんがそう言うのであれば、はい。わかりました。

村松 決まりだ。春日くん、村松ジムは代表として4人の選手が君の挑戦を受けますよ!準備運動を始めてよろしいですよ!

春日 感謝します!更衣室をお借りします!


あの人は、、?、春日さんって言ってたな。正直逆光で顔まで確認できなかったが、この前の桜並木でお茶会に誘ってくれた人で間違いないだろう。でも、春の王者って言ってたけど、まさかあの人も同じボクサーだったとは思いもしなかった。

宮藤 金城!岡本!高山!嘉藤!急遽で申し訳ないが、春の王者と戦うことになった!各自準備運動とウォーミングアップをしてくれ!戦う順番だが、金城、岡本、高山、嘉藤の順でいく!いいな!

チーム全員 はい!!!


更衣室から準備を整えた春日さんが現れた。薄紅色のグローブに白いボクサーパンツ、白いシューズを履いた姿を見た俺は、そのオーラに圧倒された。さっきと雰囲気がまるで違う、気迫のようなものが伝わってくる。

春日 宮藤さん!ご協力ありがとうございます!

宮藤 ああ!村松さんに感謝するといい。ルールはこちらで、

春日 すいません!ルールは私主導でお願いしたい!1人1ラウンド5分!ヘッドギアなしでお願いします!

宮藤 5分!!?ヘッドギアなし!?ケガをさせるつもりか!?

春日 しっかりと相手の顔を覚えるようにしているので!

宮藤 答えになっとらん!

村松 構わん!宮藤くん。やらせてみなさい。

宮藤 、、、はい、わかりました。

春日 では!はじめましょうか!


かなり場がピリついている。1ラウンド5分、俺は初めての長さだし、ヘッドギアなしは顔面へのダメージがかなり大きいはず。宮藤さんがイライラするのは当然だが、相手は春の王者だ。ちゃんと考えてのルールだろう。四の五の言ってる暇はない。試合が始まる。金城くんがリングに上がった。


ピー!

タイマーが5分に切り替わり、始まった。

金城 よろしくお願いします!

春日 気持ちの良い挨拶だ!よろしく頼む!


金城は緊張していた。春の王者を前にして心も体もバラバラになった状態で、地に足がついていなかった。プロテストのとき以上の緊張感と目の前にいる金髪の獣を見たときの恐怖感が金城を襲っていた。落ち着け。冷静に。自分の間合いをまず掴むんだ。ジャブとストレートを織り混ぜて距離感を調整していく。相手はなぜかガードが緩いような気がする。アッパーラインの光明は見えるものの、踏み込んだ瞬間に一気に食われそうな気がして動けない。


春日は緊張する金城をじっと見つめていた。このジムのエースであることは間違いないだろう。道場破りに来た俺の初戦に立てた顔に彼を選んだのだから。だが、どうだろう。技術はしっかりついているのに精神面ではまだ未熟さを感じる。だが、それは彼のこれからの未知の伸びしろでもあるな!と春日は心の中で楽しんでいた。

ドアの隙間風がびゅう!!と吹き込んだ。

春日 七分咲き、垂れ桜!!!

金城のみぞおちにえぐり混むような打撃が決まった。

金城 うっ!!!(一瞬で間合いを完全に詰められていた)

金城はくの字になり、前から突っ伏した。

春日 まだまだ君は強くなれる!鍛練あるのみ!

ピー!

タイマーは残り3分を表示して止まった。


宮藤 金城!大丈夫か?ケガは?担いでやってくれ!次、岡本!

岡本 はい!


その後も、岡本と高山くんも春日さんに全力で相対するも、健闘虚しく破れてしまった。岡本は春日さんに縦拳を読まれ右ボディに右フックをモロに食らっていた。高山くんは身長差では春日さんに勝るものの、高山くんの開いた懐から素早い左アッパーが顎にヒットした。顔面打撃をとても心配していた宮藤さんはすぐに高山くんに駆け寄った。春日さんは力加減を調整してくれていたようで、すぐ意識を取り戻し、ケガはなく無事だった。

宮藤 最後だ、次、嘉藤!

嘉藤 はい!


準備を整え、リングに上がった。タイマーが5分を表示し、アラームを待っている。

春日 おお!!?君は、お茶会のときの。薫くんだね!!偶然とは言い難い。うん!運命かな!

嘉藤 あのときはありがとうございました!よろしくお願いします!!

ピー!

タイマーが始まりを告げた。


よし!呼吸を整えろ!まずは距離感を掴み、間合いをしっかり作るんだ。こまめに足を動かし、しっかり春日さんとの間合いを確かめた。序盤から早いジャブが何発も顔面めがけて飛んでくる。速い。でもまだ避けきれる!しっかり出所を見て対処できるスピードだ!よし、次はボディだ、ジャブとストレートでみぞおち付近を狙い打撃を繰り出す。少し間合いが遠いのか、まだ当たりが浅い。しっかり床を踏み込んで拳に力を乗せるんだ。だが、春日さんの鍛え上げられた身体は硬く強い感触で、まるでコンクリートに打撃をしているようだ。春日さんの顔色が全く変わっていない。残り4分。


あのときの青年よ、いいじゃないか!試合に入るとあのときとは表情も変わり凛々しくなった。うん、動きも良い。呼吸も乱れずしっかりとこちらの動きも目で捉えている。打撃力はまだまだだが、手首の力はがっちりと鍛えてある。下半身も安定しているなぁ。うん!伸びしろがまだまだあるぞ!兄弟!!!


春日 これだから道場破りはやめられん!

春日は高速ジャブから切り返し、一気に近づき右アッパーを狙った。嘉藤は咄嗟に顔面を後ろに引き、下半身の踏ん張りを右フックに集中し初めて打つフックを春日の顔面を狙って振り抜いた。当たった!だが、春日はフックが当たると同時に勢いを受け流しヒットを軽くした。その瞬間、春日の右ストレートが嘉藤のみぞおちを捉えていた。

春日 5分咲き!紅桜!!!

嘉藤 いっ!!!


嘉藤は殴られた勢いで後ろに下がり、そのまま仰向けで倒れた。痛い。息が、しずらい。心臓がドクドク言ってる。はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、速かった。フックは当たったのに、倒れてなかった。だめだ。苦しい。ゆっくり、息を、吸って、吐いて、落ち着け。落ち着け。

宮藤 金城!嘉藤を頼む!これまでだ!見事だった!春日くん!うちの敗けだ、気が済んだら帰ってくれ!まだ練習が残ってるんだ!

春日 (呼吸を整えながら、目をキラキラさせていた。)、、、はい!ありがとうございます!練習中お邪魔して申し訳なかった!では!


春日はそのままリングに一礼をし、宮藤さん、村松さんに会釈をした。そして、入口に立ち、選手全員に一礼をしたあと、着替えもせずに帰っていった。春日は興奮していた。村松ジムの未来ある選手たちと触れ合い、感じた原石の香りに武者震いをしていたのだ。

春日 兄弟!待っているぞ!ハハハ!


村松 宮藤くん、ちょっと!

宮藤 あ、はい!何でしょう?

村松 無理をさせてすまなかった!だが、選手たちの力を信じてやらせてみたかったんじゃ。大分、体にきとるだろう。今日と明日は宮藤チームはお休みを取りなさい。宮藤くんは、選手たちのケアを頼むよ!

宮藤 はい、わかりました。


金城 嘉藤、立てるか?掴まれ。よし、ゆっくりでいい、クールダウンするぞ!

嘉藤 、、、、。

金城 泣くな!!お前はまだド素人だ!良い財産ができたと思え!


悔しかった。今まで感じたことのない感情だった。まだ全然戦っていないのに、あの一瞬で敗けた。悔しかった。金城くんに肩を担いでもらったとき、声をかけてもらったとき、涙がどっと出た。そのあと、金城くんにマッサージをしてもらい、チーム全員で共同風呂に行き汗を流した。きょうとあすは俺のチームだけ休みになったそうだ。村松さんの計らいだと言う。その日に食べた喜美枝さんのカツカレーは全く味がしなかった。まだ20時だが、早く寝よう。そして明日も寝ることにした。


休みが明け、5月を迎えた。朝5時のロードワークから1日が始まった。金城くんの掛け声が一段と強かった。俺のギアが一段上がった。

宮藤 今日から5月だ。ジム全体の目標はプロテスト全員合格と決まった!チームとしても同じ志でいく!今までの練習をどれだけ積み重ねられるかがポイントだ!12月はあっと言うまにくる!全員で勝つぞ!

チーム全員 はい!!!


5月から12月のプロテストまでの道のりは、短いようで長い。練習に磨きをかける充実した時間だった。宮藤コーチの覇気だけでなく、チーム全員がそれぞれの目標に向かって火がついたように走り出した。


そして、12月。まもなくプロテストが始まる。ジムに全員が集められ、出発の準備が整えられていた。

宮藤 忘れ物はないか?戻って来られないぞ!

村松 みんな!無事に帰ってくることだけを祈ってるよ!喜美枝からも!

喜美枝 気をつけてね!ケガして帰って来ても美味しいご飯たくさん用意して待ってるから、思いっきり戦っておいで!

チーム全員 はい!!!


その後、チームに別れて、車で会場へと向かった。会場にはそれほど人はおらず、それがかえって緊張感をより高めていた。既にプロテストを合格している金城くんもサポートとして来てくれている。

宮藤 金城!今日病院から連絡があって、お母さんが来てくれるらしいぞ!

金城 !?え?母さんが?でもなんで?

会場内から車イスに乗った女性が現れた。

金城の母 タケル!!応援に来たわよ!

金城 大丈夫なの?先生は?きょうは俺の試合じゃないよ!

金城の母 先生からの許可が出たのよ!知ってるわよ、宮藤さんから話を聞いたわ!あんたからなんの連絡もないからね。きょうはタケルのチームみんなの試合なんでしょ!?母さんもチームを応援しに来たの!!ちゃんときょうは看護師のともちゃんもいるから大丈夫よ!ねー!

ともこ はい!何かあればすぐ対応できる準備は万端なので、ご安心ください!

金城 まぁ、連絡してなかったのは悪かったよ。ありがとう。

宮藤 うん。お母さんの席は我々応援者席の近くにしてあるから大丈夫だよ!よし!そろそろ準備に入ろう!いくぞ~!


そして、俺たちは選手控え室に通され、ウォーミングアップを始めた。

金城 岡本、高山、嘉藤!集合だ!きょうは俺にとっても特別な日になりそうだ。体の弱い俺の母さんがわざわざ応援に来てくれたんだ。わかるな?敗けるようなことがあったら、俺がお前たちをぶっこ、、

プロテストスタッフ そろそろ試合開始15分前ですので、試合控え室にご移動お願いします!

宮藤 高山、岡本、嘉藤の順で俺についてこい!金城はお母さんの側の応援席でサポートを頼む!

チーム全員 はい!!!


いよいよだ。俺は最後の組だから体を冷やさないように控え室でも動いていよう。今は呼吸を整えて、しっかり体を暖めておこう。


金城くんの煽りのせいかはわからないが、プロテストは順調にいっていた。高山くんはあれからラッシュの強化に加え、長い腕を生かしたアッパーを取り入れたコンビネーションで、テストでもうまく有効打を決めれたみたいだ。岡本も、縦拳だけにこだわらず、ボディの連打を武器にして縦拳を有効的に繰り出していた。


アナウンサー 只今より、赤23番 音道与之助、青14番 嘉藤薫のプロライセンステストを行います。3分3ラウンドKOあり延長なしとなります。


ライトに照らされたブルーのリング。緊張はいい状態の証だと、宮藤さんに背中を叩かれてリングに上がった。

カーン!

始まりの鐘が鳴った。

・・・

宮藤 嘉藤!!お疲れさま!良い試合だったぞ!!練習の成果が出てたな!うん!有効打も多かった!ケガはないか?

嘉藤 はい!大丈夫です。


控え室にもどり、金城くんがすぐグローブを外し、汗を拭いてくれた。体が熱いがすぐに着替えろと言われ、ジャージに着替えてから水分を補給し、パイプ椅子に座り込んだ。

嘉藤 ふーーー!!!

やっと少し落ち着けた気がした。チームのみんなのおかげだ。金城くんのスピーディーなボディケア、岡本の水分補給、高山くんの声かけ、宮藤さんの的確な指示。スムーズにサポートしてくれたおかげで試合を終えることができた。リングに上がってからは緊張がピークに達し、断片的にしか記憶がない。気づいたときにはリングの階段を降りて宮藤さんに肩を叩かれていた。全然試合内容を思い出せずに深く息を吐いていた。

宮藤 今日は全員立派だった!お疲れさま。結果はこのあと2時間ほどで会場広間の正面掲示板で発表があるらしい。それまではゆっくり身体を休めてくれ。試合内容は明日、録画したビデオを見ながら話をしよう。今日はお疲れさま!


そして、2時間後。村松ジムメンバーは何も貼られていない掲示板の前に集まっていた。会場スタッフ2人が大きな模造紙を持って掲示板に貼り付け作業をしている。俺の番号は14番、合格なら表示され、不合格なら番号はない。


嘉藤 、、?、あった!

岡本 僕の番号ありましたー!!

高山 俺も受かった!

金城 やったなー!おめでとう!

宮藤 うん。お見事!村松さんに連絡してくる!


チーム全員抱き合って疲れた体を支えながら笑い声や泣き声を上げていた。嬉しかった。このチームでよかったと、本当に思える瞬間だった。


結果をジムメンバーで共有したあと、時間が限られている為すぐに退館することになった。ジムに戻り村松さん夫婦に報告をして、きょうは終了だという。宮藤コーチの目が潤んでいる。日差しがキラキラとさせているようにも見えた。俺は今日、プロボクサーになった。

・・・

? クソッ!!!!(音道与之助の声)

チームで帰りの車に向かう途中、会場の中から大きな声が外まで聞こえてきた。その悔しさは、ボクシングを経験したものだけにしかわからない悔しさである。そうだ。落ちた人もいるんだと、そのときハッとした。道具かばんを強く握りしめ、車へと向かった。

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