雑学百夜 政府公表の報告書はなぜ「白書」と呼ばれるの?
イギリスでは政府による報告書を、表紙が白い事から「ホワイトペーパー」と呼んでおり、日本ではそれを直訳し「白書」と呼ぶようになったのが起源と言われている。
群青色の空の下、私は帰路についていた。寂寥とした風が独りぼっちの私を吹き曝しにしていく。
もう何もかもが嫌だった。死んでしまうならそれもいい。
毎日朝早くから朝早くまで仕事が続く日々。言い間違いじゃない。国家公務員として2年目の私は毎日朝の9時から翌朝の5時まで働いている。1.2時間ほど仮眠を取った後はメイクもそこそこにまた出勤する。月の残業時間はゆうに200は超えていた。
ある程度は覚悟していたが、まさかこれ程の忙しさだとは思わなかった。しかもその仕事が国の為になっているならまだ報われるが、大半以上は無能な『上』の方々の尻拭い。思い出すだけでやっぱりどうして死にたくなる。
ぼろきれのような自尊心を辛うじて胸に抱えたまま重い脚を引きずり歩いていると路上に薄汚れたノートが落ちている事に気付いた。
誰かが落としそのままになっていたのであろうか。何となくそのノートの表紙を見てみると、真っ黒の表紙に赤い文字で『大獄52年度 地獄黒書』と書かれていた。
安っぽい悪戯だ。鼻で笑いながら何気なくその黒い表紙のノートを拾い上げ最初のページの数行を読んでみた。
――今、地獄は急激な人口の増加に伴い食糧不足が大きな問題となっております。街を歩けば飢餓には自信あるはずの餓鬼ですら行き倒れているような状況であります。
八年前3つのリンゴを巡り約900人の悪魔が尊厳死された「紅き戦争」は記憶に新しいところでございますが、今や争う力すら失ってしまった悪魔が大半です。
恐怖が支配する地獄作りを掲げていながら昨年度は小競り合いすら発生件数0という大変不名誉な記録を樹立してしまったことはひとえに暴行奨励省の不徳の致すところであります。
大変申し訳ございませんでした。――
なにこれ?
私はノートの表紙を見返しながら思った。悪戯にしては随分と手が込んでいる。内容もさることながら私が気になったのはフォントや書式だ。無駄に政府公文書のルールに則っている。元々表紙が白色だったことから各省庁からの議案書・報告書などは『〇〇白書』と呼ばれるようになった経歴があるが、このノートの表紙の色を黒から白色に変えてしまえば、そっくりそのまま省庁からの文書として刊行出来てしまうレベルだ。
何というか悪戯にしては随分と手が込んでいる。
少し不気味な気持ちになりつつも、しばらく手に取りそのノートを読んでいると突然後ろから声を掛けられた。
「あぁ、お姉さん。それ読んでしまいましたか」
振り返るとそこには顔面は雪のように白く、ガリガリの細長い身体の上に鴉のような黒い羽根だらけのコートを羽織って……いわゆる、その死神のような恰好をした男の人がいた。
「キャー!!」
思わず腰を抜かす私に死神は「あぁ~ちょっと。大丈夫ですか?」と困ったように手を指し伸ばしてきた。その手の肌はまるで藁半紙のように薄く乾ききっていて触れれば穴が開いてしまうかと思うほどだった。
その手を握ると握った所にしっかりと穴が開いた。
「キャーーーーー!!」
「あぁ、あぁ、参ったなぁ。これは参ったなぁ」
男はオロオロと辺りを見回し、頭を掻きむしる。一連の仕草は見た目とは裏腹に少しコミカルにも見えた。
ひょっとしたら見た目こそあれだが、それ程怖い人ではないのかもしれない。私は勇気を出して話しかけてみた。
「ごめんなさい。ついつい大声を……失礼ですがどちら様ですか?」
死神のようなその男は私の問いかけに笑顔を浮かべ恭しく一礼し答えてくれた。
「おぉようやくお話しできる。初めまして。私は死神。刑罪讃賞省の1職員です」
どうやら滅茶苦茶怖いし、しかも人ですらなかった。私は再び恐怖で身体が固まってしまったが目の前の死神は何を勘違いしたのか「おぉ、流石にエリート官僚さんでいらっしゃる。飲み込みが早い」と安心したように笑った。
「待って。どうして私の仕事を知っているんですか?」
「まぁ、そりゃ腐っても死神ですからね」
どうという事は無いというように死神と名乗る目の前の男はそう言って自分の手の甲をひと撫ですると、さっきまで開いていたはずの穴は綺麗に塞がっていた。その所作、仕草、表情どれもが自然体で、それは万が一にも可能性を感じていたコスプレという線が消えたことを示していた。
――うん。じゃあ。まぁ、信じられないけどそういうことか。
幼い頃から神童と呼ばれてきた私だ。これだけの証拠があれば状況を理解するには充分だった。
私はふと溜息を吐く。諦めとほんの少しの喜びを込め言った
「……ついに、お迎えが来たのね」
「違う違う違う違う違う違う。何言ってるんです?」
私の言葉に死神は返す刀で言ってきた。
「えっ? 違うの?」
「違いますよ。私はただその落とし物を返して貰いに来ただけです」
そう言って死神は私の胸元に抱えたノートを指差した。
「あっ、これですか?」
「えぇ、地獄黒書。それは私の仕事で使う資料なんです。さっき私は刑罪讃賞省と名乗りましたがね、察しの通りあなたと同じ官僚でしてね、それが無いと仕事にならない。すみませんが返して頂けませんか?」
「あっ、そうだったんだ。ごめんなさい」
そう言って私が返すと死神は「ありがとうございます」と言い丁寧に頭を下げてくれた。
「いえいえ、そんな……それにしても、地獄にも官僚がいるんですね」
「馬鹿な偉い人がいるところになら、どこにだっていますよ。分かるでしょ?」
死神はニタリと笑う。私も気付けば自然と笑い返せていた。
私達はそれからひとしきり仕事の愚痴を言いあった。
「私ね、もうずっと働き通しなの! 朝から朝までずっと!」
「分かる! 私もね、昼から昼までずっと仕事ですよ。普通は夕方から未明までなのに!」
「上司がパワハラばかりしてくるの!!」
「分かる! こっちもしょっちゅうグングニルの槍で殺されちゃって。キルハラですよ! キルハラ!」
「本当に昔、一回だけ合コンに参加したんだけど、男ってさ『エリートだから俺たちの事眼中に無いでしょ?』なんて言って全然私の事相手にしてくれなかったの! 私だって本当は彼氏欲しいのに!」
「分かる! 私も一回だけ天使との合コンに参加出来たんですけど『どうせサキュバスと仲良くしてるんでしょ?』なんて言って全然相手にしてくれなかったんですよ! 一つ言っとくけどなぁ! サキュバスさんに相手にして貰えてたら合コンなんかいかんわ!」
幾時間も話し続けた。
始発の時間になったのだろう、どこからか踏切の音が聞こえてきた。
疲れはなかった。ただこんなにも本音で仕事の愚痴を言い合えたのは初めてで純粋に楽しかった。
死神とこんなにも馬が合ってもいいのだろうかと一瞬疑問に思ったが、死神や人間と言う前に私達は官僚同士。この関係性はもはや戦友のようなものなのかもしれない。そんな事を私はふと思った。
死神がふと空を見上げ「あぁ、もう朝か」と呟いた。
「あっ、ごめんなさい。つい話し続けちゃった」
「あぁ、いえいえ。こちらこそとても楽しくてつい」
死神は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
私は惜しい気持ちを抑え「それじゃあ」とその場を去ろうとしたとき、死神は背後から「残念でした?」と聞いてきた。
「え?」
「あなた、死にたかったんでしょ?」
振り返ると死神はニタリと笑っていた。
「……分かってたんですか?」
「まぁ、腐っても死神ですから」
「……殺してはくれないんですか?」
「直接っていうのは私の仕事ではないんです。ごめんなさい。私は入獄者の管理業務が主でしてね」
「…………私って死んだら地獄行きですか?」
「うーん、まぁ昔ながらの窮屈な決まりですが事情はどうあれ、自殺でしたらこちらの管轄ですね」
「……じゃあ自殺すれば、またあなたに会えるかもしれないんですね」
私がそう言うと死神は一瞬困ったような表情を浮かべた後、意味ありげな笑みを浮かべ言った。
「ん~、まぁ確かにそうですが。私が言いたいこと、あなたなら分かるんじゃないでしょうか?」
死神はそう言い、黒羽のコートを翻しながら続けて言った。
「明日こそ、お互い早く帰りましょう!!」
一瞬、強い風が吹き思わず目を閉じた次の瞬間にはもう死神の姿は綺麗さっぱり消えていた。
私は振り返り、元来た道を歩き始めた。いつの間にか帰路が往路になってしまった。まぁもう徹夜なんて慣れたものだけど。
私は鞄を提げ直す。
死にたいという気持ちは通勤途中にあるコンビニでランチパックの袋と一緒にゴミ箱に捨てた。
戦友の為に死ぬのは止めることにした。彼の仕事を増やしたくなかったからだ。
職場に着くまでに色々な人に出会った。
新聞配達の青年。ゴミを出すお婆ちゃん。早朝のトレーニングに精を出す市民ランナーのおじさん――
皆、私を見ると頭を下げ微笑みかけてくれた。朝の人々というのは皆何故か優しい。この仕事を始めて知ったことだ。
駅近くの商店街にある八百屋の前で仕入れをお婆ちゃんが声を掛けてくれた。
「お仕事かい? 頑張ってね」
私は笑顔で応える。今日一日はこのお婆ちゃんの為だと思って仕事を頑張ろう。
そしてこれから先の人生はあの死神の為に生き抜こう。
そんな事を考えていると、朝日が街中を照らし始めた。
夜が明けたらしい。
雑学を種に百篇の話を一日一話ずつ投稿します。
3つだけルールがあります。
①質より量。絶対に毎日執筆、毎日投稿(二時間以内に書き上げるのがベスト)
②5分から10分以内で読める程度の短編
③差別を助長するような話は書かない
雑学百話シリーズURL
https://ncode.syosetu.com/s5776f/
なおこのシリーズで扱う雑学の信憑性は一切保証しておりません。ごめんなさい。