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九話 村の名前

 ラットマンと他種族が交易をしようとする場合、いくつかの問題があった。

 まず、お金。

 人種が使うお金はおおよそ硬貨であるのだが、ラットマンにとっては少々大きすぎるのだ。

 運ぶのが困難であり、使用するのは難しい。

 次に、量の問題。

 ラットマンにとっては膨大な量でも、他種族にとっては一抱え程度でしかない事が殆どだ。

 売るにしても、買うにしても、不都合が多い。

 お互いの体格差からくる問題は、他にもいくつもある。

 それら諸々の問題を解決してくれるのが、アーヴィアのような行商人であった。

 彼らは村から刺繍や織物を受け取ると、村に必要な分の品物と交換してくれる。

 ただ、ラットマンの作る品は希少であり、等価で交換しようとすると、村が品物で埋め尽くされてしまう。

 そこで、余剰分はその行商人が預かり、また別の機会に品物を持ってくる。

 というような形をとっているのだ。

 そうなると、村としては毎回同じ行商人に来てもらう方がありがたい。

 定期的に訪れるのは行商人にとっても面倒なのだが、それを嫌がるものはいないだろう。

 何しろ、ラットマンが作る刺繍や織物は唯一無二の品である。

 信用を得ることができ、優先して取引ができるようになれば、それだけで店が持てるといわれているそうだ。

 それだけに、行商人はラットマンの村と取引するときは、極めて慎重になる。

 絶対に信用を失わないよう、実に誠実になるのだ。

 もし、ラットマンからの不信を抱かれるようになれば、その行商人は業界で爪弾きにあう。

 巻き添えで大切な取引相手に嫌われるのは、どんな商人でも避けたいところだからだ。

 逆に、ラットマンの村から信頼されている行商人というのは、どこに行っても信用される。

 定期的に出入りを許されるようになれば、一目置かれる存在になるのだ。

 だからこそ、アーヴィアは非常に緊張し、細心の注意を払って、クランスとの交渉に臨んでいた。




 クランスとレチェルの出身の村は、採集を得意としていた。

 そして、そこで得た素材を使っての刺繍や織物にも、大変力を入れていた。

 採集した品を使い糸を紡ぎ、同じく採集した品を使って染色する。

 特に魔法との相性の良い品を厳選し、腕の良い者が作った刺繍や織物には、大変な価値が付く。

 ラットマンの身長と同じだけ、金貨を積み上げることになるという。

 夫婦の出身である村は、まさにそういった刺繍や織物を生産するような場所であった。

 もちろん、アーヴィアはそのことも承知のうえで、クランス達の元へ赴いたのである。


「では、拝見します」


 レチェルから受け取った刺繍を見て、息を呑んだ。

 まず、生地がいい。

 恐らくは野蚕の糸を使っているのだろう。

 それを草木で染色していると思われる。

 色合いもよく、見た目にも素晴らしい。

 描かれているのは、水を作り出す種類の術式だ。

 驚くほど繊細に縫い付けられており、美術的な価値も十二分に見出すことができる。

 色合いもいい。

 淡いものと強いもの。

 メリハリがしっかりとしていて、術式が浮かび上がるようになっている。


「あの、魔力を、通してみても、よろしいです、か?」


「はい。構いませんよ」


 クランスの了承を得て、アーヴィアは術式が発動しない程度の魔力を、慎重に流し込んだ。

 流れるように、全く抵抗なく魔力が染みわたっていく。

 驚くべきは、効率のよさだろう。

 ごくわずかな魔力しか込めていないのに、もう少しで術式が発動してしまいそうになっていた。

 慌てて出力を絞ったが、何とか間に合ったようだ。

 縫われている術式は、水を作り出す種類のものであった。

 使う魔力の量にもよるが、エルフであるアーヴィアが使えば、村がある小屋一杯分の水程度ならば、簡単に作りだせてしまえるだろう。

 この手の品は、需要が多い。

 水の少ない地域にもっていけば、それこそラットマンの身長ほど金貨が積み上がる。

 いや、あるいはその二倍三倍か。

 アーヴィアは震える手で、刺繍をレチェルへ返した。


「これを、作ったの。どなた、ですか?」


「私が作りました。村が落ち着いてくれば、すぐに同じ程度のものが作れますよ」


 なるほど、店が持てる、などといわれるはずだ。

 どんな商人も、ラットマンの不信だけは買わないように立ち回るというのもうなずける。


「どうでしょう。買い取って頂けそうですか?」


 少々不安そうなクランスとレチェルの態度に、アーヴィアは驚いた。

 ラットマンは魔力が少なく、魔法を使うことはほとんどできない。

 それだけに、自分達の刺繍や織物の価値が分かっていないことがあると聞く。

 どうやら、その話は本当のようだ。

 だからといって、騙そうなどと考えてはならない。

 そんなことをして信用を失うようなことは、絶対にあってはならないのだ。


「もちろん、お願いしたい、です! その、どんな品が、ご入用でしょう!」


「ええっと、香辛料があれば、お願いできれば、と。それと、それを入れておくガラス瓶があればうれしいんですが」


 驚くべき僥倖。

 アーヴィアは思わず、小躍りしたくなった。

 丁度、香辛料の持ち合わせがあったのだ。

 直前に寄った土地が、香辛料栽培に適した土地だったのである。

 ガラス瓶も、用意があった。

 飲み切ってしまったポーションの空き瓶が、いくつかあるのだ。

 これはお金をとれるようなものではないのだが、おまけとしてなら十分に用をなすだろう。


「どちらも、あります! コショウ、シナモン、リュウノツメ、ナナツマタ、ヘビギク、色々あります! もちろん、塩も!」


 アーヴィアの目には、レチェルの顔がぱっと綻んだ様に見えた。

 どうやら、今あげた中に必要な品があったようだ。


「もしかして、スナタヌキもあったりしますか?」


「あります、あります!」


 どうやら、上手く行ってくれそうだ。

 アーヴィアは何とか興奮を抑え込もうとするが、上手くいかない。

 これはアーヴィアが行商人となった時からの夢をつかむ、またとない機会なのだ。

 ラットマンの村と、定期的に取引ができる行商人になる。

 その夢の為にも、絶対にここで失敗するわけにはいかないのだ。



 初めての取引ではあったが、思いのほかうまくいった。

 丁度足りないと思っていた香辛料や塩の類に、それを入れる容器まで手に入ったのだ。

 レチェルが作った刺繍が思いのほか高評価だったのも、嬉しい誤算である。

 見本用に用意していた刺繍と織物は、すべてレチェルとクランスの二人だけで作ったものだった。

 材料を採集、糸をつむぐ作業に、染色、製織といった工程も、すべて二人だけで行っている。

 なので、余裕さえできれば、同じものを作ることができるのだ。

 それの評価が高いということは、村の先行きは明るいといえる。


 香辛料と塩は、当面必要な分だけを渡してもらうことにした。

 あまりたくさんあっても、村には保存しておく場所が無い。

 何しろ、自分達の住む家も、まだ用意できていないのだ。

 余剰分の金額は、次回以降に使わせてもらうこととなった。

 アーヴィアに、預ける形だ。

 もちろん、念書を書くことは忘れない。

「太陽条約」に基づいた異種族間取引時の正式な契約書であり、これを違えることは絶対に許されなかった。

 もし破ろうとすれば、たいへんな目にあう。

 と、言われている。

 この契約を破るものはまずいないので、実際にどんなことが起こるか、知っているものはほとんどいないのだ。


 アーヴィアから受け取ったのは、クランスの身長と同じ程度の瓶に詰められた、香辛料十種と塩である。

 これだけあれば干し肉を作るどころか、村人が急に増えたとしても、当分困ることはないだろう。

 まさかこんなにたくさんの香辛料が手に入るとは、思っていなかった。

 何しろ、そういった品は高級品である。

 最低限塩だけでも、と思っていたのだが、良い意味で予想が外れた。

 喜び合っていた夫婦だったが、アーヴィアは驚くようなことを言ってくる。


「お金は、七割以上、残ってますが。次回は、何をもって、きましょう」


 刺繍にそれだけ高値が付いた、ということだ。

 初めての取引だから少々色を付けてくれた、ということでもないらしい。

 そうなると、早めに何かの品物に変えてもらわなければならなかった。

 お金を預けっぱなしにしておくと、刺繍や織物の取引が出来ないのだ。

 きちんと清算したうえでないと、次の取引はできない決まりなのである。

 どうしたものだろうと、クランスとレチェルは考え込んでしまった。

 出来たばかりの村である。

 どんなものでも必要だが、置いておく場所に困るという問題もあった。

 いつかは金属加工などもするだろうから、人族が使うクギなどを手に入れてもいいかもしれない。

 炭などもあれば便利だし、ガラス瓶などもまだ用意しておきたかった。

 アレコレと悩んでいるうちに、クランスがふいに良いことを思いついたというように手を叩く。


「そうだ。チーズはどうだろう」


 チーズは、非常に優れた栄養食品だ。

 種類にもよるが、保存性も比較的高い。

 これを好むラットマンも多いのだが、村での生産は困難である。

 なにしろ、体格的に乳を搾るのが難しい。

 チーズを作るのに適した乳を出す動物は、大半が大型のものである。

 そうなると、ラットマンでは入手するのも難しい。

 ではあるのだが、多くのラットマンにとって、チーズは大好物であった。

 お祝い事などがあれば、秘蔵のチーズを切り出し、食卓に並べる。

 料理に使うのもいい。

 レチェルの母は、チーズを使った料理が得意だった。

 結婚の祝いの時にも作ってもらった肉と野菜のチーズ焼きは、レチェルにとってのおふくろの味だ。

 この提案に真っ先に反応したのは、ボルボルだった。


「おお! それはようござるなぁ!」


 そう口にしてから、ボルボルはハッとした表情を作り、気まずそうに頭を掻いた。


「いや、失礼し申した! 交渉の最中、静かにしていようと思ったのでござるが、実は某、チーズには目が無いもので」


 これで、次回に持ってきてもらうものの一つが決まった。

 他にもこまごまとしたものを頼む。

 アーヴィアはそれを、熱心に書きとっていく。

 どれも村には必要な品だが、今は置く場所の無いものばかりだ。

 次にアーヴィアが来るまでに、建物を作っておかなければならない。

 ますます、急がなければならない理由が出来てしまった。




 今回の取引は、おおむね成功したといっていい。

 約束事と次回の納品についての念書にサインをすれば、取引は無事に終了である。

 そこで、クランスが村長として名前を書き込んだところで、はたと手を止めた。


「しまった。村の名前を考えてなかったね」


 言われてみれば確かに、まだ村の名前は決まっていなかった。

 それを考えるところまで回らなかった、といってもいい。

 だが、この問題はすぐに解決した。


「ユカシタ村、でどうだろう。ユカシタ広場にできる村だからね」


 レチェルとしては、反対する理由はない。

 むしろ、いい名前だと思った。

 ボルボルも異論ないようで、なるほどと頷いている。


 ユカシタ村 村長クランス


 そう書き込まれた念書を受け取り、アーヴィアも自分の名前を書き込む。

 これで、念書は完成だ。


「たしかに。では、十五日後、またきます」


 そういって、アーヴィアは村を後にした。

 夫婦とボルボルは、その後姿を見送る。


「でも、村っていうには、まだちょっと寂しいね」


「頑張るしかないね」


 ユカシタ広場には、まだ一つの建物も建っていない。

 作りかけの壁があるばかりである。

 だが、きっと、ここは賑やかな場所になるだろう。

 いくつもの家が建ち、多くの村人が住む村になる。

 そんな希望を胸に、夫婦はお互いの顔を見て笑い合った。

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― 新着の感想 ―
[一言] ネズミがチーズ好きと言われる原因の一つは、穴あきチーズの穴がネズミにかじられた跡に見えるからだとか聞いたことがあります(うろ覚え 太陽条約は良いですね ただ、種族毎の価値観の違いもあるから…
[良い点] 童話というか世界児童文学小説のような雰囲気でとても好きです。 [一言] チーズチーズすばらしきチーズ! ラットマン達の純粋なかわいさがたまりません いつも楽しみにしています
[良い点] すごく好き。絵本のような世界観で読んでいてほっこりします。
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