四話 チェケ・リ・ルー
その昔、チェケ村という小さな農村に、ルーという名前の青年が住んでいた。
ルーが森の中を歩いていると、突然空が真っ黒になる。
すわ何事かと驚くルーの目の前に、熱い光を放つ何かが落下してきた。
それは、竜のようであり、人種のようであり、鳥のようであった。
唖然としているルーに、それは「実は太陽である」と名乗った。
太陽は怪我をして、空から落ちてしまったのだという。
可愛そうに思ったルーは、怪我が治るまで甲斐甲斐しく世話をした。
太陽はすぐに良くなり、空に帰る事が出来るようになった。
ルーを大変に気に入った太陽は、ルーを自分の手勢へ加えることにする。
つまり、従神の一柱にすることにしたのだ。
じつのところルーはそれほど賢くはなく、その意味がよくわかっていなかった。
ただ、なんだかおもしろそうだし、太陽はすごく偉いという事だけは分かっていた。
すごく偉い太陽に仕えるというのは、とてもいいことである。
ルーは二つ返事で、太陽の申し入れを承諾した。
面白くないのは、他の従神達である。
八柱の神々が、代わる代わるルーに意地悪をした。
ルーは神々の世界で知り合った仲間に助けてもらいながら、何とかこれを乗り越える。
俗にいう、「ルーの八つの災難」だ。
だが、これを経ることで、ルーは神々に認められることとなった。
もはやルーをないがしろにする者はなく、今も太陽の腹心として、懸命に働いている。
それがラットマンの祖であり、守り神である「チェケ・リ・ルー」。
チェケ、チェケ村出身の。
リ、太陽に仕える。
ルー、純朴なラットマンの青年である。
チェケ・リ・ルーは大変忙しい。
太陽の補佐をしなければならないから、日中は始終走り回っている。
夜は夜で、翌日のお勤めの準備や休息のために、忙しい。
なので、お祈りをするのは、夕方でなければならなかった。
沈んでいく太陽に、祈りをささげる。
すぐに辺りは真っ暗になり、夜となった。
夫婦はどちらもすっかり疲れていたので、早々に寝ることとする。
テントの中に入り、寝袋に潜り込んだ。
「明日のお昼までには、池までの道を作らないとね」
「タニシや魚も居るんだっけ」
「確かめた限りでは、けっこういたよ。池自体も大きいからね」
視察に来た時に、クランスは池の様子も見ていた。
魚や巻貝などがいるのは、既に確認している。
「ほかにも、タテガニも居たんだよ」
「それ、いまはじめて聞いた!」
タテガニは、縦に細長い形をした甲殻類だ。
中型人種にとっては小さい生き物なのだろうが、ラットマンにとっては一抱えもあろうかという大物である。
味もよく、食いでもあるのだが、捕まえるのはなかなか難しい。
丘の上に上がってくることも多いのだが、驚かせるとあっという間に水の中に逃げ込んでしまう。
「ぜったいに捕まえて、食べよう! 揚げ焼きにして!」
「レチェルって、食べるの好きだよねぇ」
これは甚だ遺憾な言である、とレチェルは思った。
まるで食いしん坊だ、とでもいうような言い方である。
不満を表すために頬を膨らませて見せると、クランスはおかしそうに笑う。
「池までの道が出来たら、次はどうしようかなぁ」
「家を建てないといけないんじゃない?」
専門ではないのだが、簡単な家ならば夫婦だけで作ることができた。
そういう技能も、習得してここにきている。
材料を集めるところから始める必要はあるが、それについても算段は付けてあった。
視察に来た時に、それも確認してあったのである。
「大工さんが来てくれれば、助かるんだけどね」
新しい住民が来てくれたとき、もう住む家が出来ている、というのはありがたい。
仮の家だけでも建てておけば、何に使うのにも便利だ。
「採集師の人が来てくれれば、使えるものも増えるかも」
森や草むらに入って食料などを確保する専門家である採集師は、どんな村でも重宝される存在だ。
様々な植物などの利用方法を心得ていて、その知識が思わぬ時に役に立ったりする。
やっぱり食べ物のことなんだね、という言葉が頭に浮かんで、クランスは少し笑う。
辺りは真っ暗でお互いの顔も見えないが、気配でそれが分かったのだろう。
レチェルは、不思議そうな声を出した。
「どうかしたの?」
「ん? うん。レチェルとこの村に来れて、幸せだなぁー、と思って」
「なに、急にどうしたの」
「レチェルに言われなかったら、ここにこようなんて思わなかったし」
そもそも、村から出ること自体、考えなかっただろう。
きっと、それはそれで幸せだったはずだ。
多くのラットマンは、村の中で一生を終える。
だが、クランスはレチェルと夫婦になり、一緒に村を出た。
そして、これから村を作る場所で、一緒にテントで寝ている。
「幸せも何も、これから始めよう、ってところなのに」
「レチェルと一緒に始められることが、幸せなんだよ」
突然、クランスのわき腹に衝撃が走った。
どうやら、照れ隠しに蹴られたらしい。
意外と痛かったが、クランスはそれ以上に、嬉しさを感じていた。
池の周りには、イネ科の植物が茂っていた。
この種の植物は、非常に茎が硬く、刈り取りにくい。
しかも密集して生えていることが多いので、厄介なことこの上なかった。
丈夫なのでいろいろと使い勝手はいいのだが、何しろ刈り取るのが大変だ。
大人数で協力するならともかく、一人でとなるとなおさらである。
クランスは朝早くから起きだして、鉈をふるった。
故郷の村でも、イネ科の植物を刈る仕事をしたことはある。
だが、ここまで密集して茂っているのを刈ったことはなかった。
厄介なのは、根元の部分だ。
ここをしっかりと取り除いておかないと、あとからあとから新芽が伸びてくる。
上の茎を刈り取った後、犂を使って根を掘り起こす。
すべてを取り除くのは難しいが、ある程度でもやっておかないと、あっという間にまた茂ってしまう。
利用できる当てがあれば頼もしいのだろうが、残念ながらこの手の素材は少々特殊だ。
専門の技術があるものでもないと、利用するのは難しい。
少なくとも、夫婦のどちらにもそういった技能はなかった。
しいて言えば、乾燥させて串などに使うぐらいだろうか。
「はぁー、これはなかなか、大変だね」
ぼやくように言いながら、背中を伸ばす。
それでも、太陽が一番高く上るまでには、何とか済ませられそうだ。
レチェルも大変な仕事をしてくれているのだから、文句は言えない。
そちらの作業では、水が多く必要になる。
何とかそれまでには、道を開通させたかった。
「よしっ!」
クランスは気合を入れなおすと、再び作業に戻った。
山小屋のわきには、カマドが設えてあった。
元々ここを利用していたと思しき中型人種が作ったものらしく、とても大きなものである。
土などを利用して作ったものらしく、かなりしっかりしたつくりだ。
今はもう使われていないそれを、レチェルはツルハシでもって崩していた。
相当に硬くなってはいるが、何とかなる。
細かく砕いて水と混ぜれば、いい素材になるだろう。
とりあえず、カマドを作りたかった。
カマドは熱を効率よく利用でき、調理時間の短縮や、燃料の節約に役立ってくれる。
今の時期はそうでもないが、冬になると燃料確保は切実な問題になることもあった。
少しでも節約するための工夫は、しておいた方がいい。
それに、カマド作りは、家づくりの練習にもなる。
家づくりに自信はあるのだが、何しろここで採れた土を素材として使うのは、これが初めてなのだ。
どんな癖があるのかなど、使ってみなければわからない。
それらを確認する意味でも、まずはカマドを作るというのはいい方法といえる。
カマドをツルハシで砕き、出た土くれをバケツへ移す。
ユカシタ広場に運んで、中身を地面へ。
これを何度か繰り返して、必要な分を用意する。
相応の量になったところで、細かくほぐしていく。
小さなスコップを使い、塊になっているところなどを入念に潰す。
全て細かくなったら、一段落だ。
そろそろ、食事の用意をしなければならない。
といっても、朝作りおいたものを、温めるだけである。
アカコゴミを使った汁ものに、ムシヨケヨモギとヒエを炊いたもの。
ヒエは、故郷の村から持ってきたものだ。
朝ごはんとしても食べたのだか、なかなか上手にできている。
ヒエは、冷たくなるとパサパサになってしまう。
汁ものに入れて少々煮込み、おかゆのようにして食べるのがいいだろう。
ついでに、エルフニンニクとノビルの茎を刻んで入れれば、元気が出るはずだ。
そういう料理も、カマドが出来れば、素早く作ることができる。
やはりカマド作りは、急ぎたかった。
「はぁー。疲れたぁ」
作業をしていると、クランスがくたびれた様子で戻ってきた。
その姿を見て、レチェルは目を丸くする。
クランスは、愚痴などをこぼすことがほとんどない。
よほど大変な作業をしていたのだろう。
言ってくれれば手伝ったのに、とは思うが、言わないでおくことにする。
本当に必要な時は声をかけてくれると思っているからだ。
だから、ここで言うのは。
「お疲れ様! 大変だったみたいだね」
「すこし苦戦したけど、何とか終わったよ」
急いで、行ってみる。
ニワ草原に、一直線の道が伸びていた。
茂っていた草がなくなっていて、池の水が見える。
「すごい! これで便利になるね」
「石やなんかを地面に撒いて置けば、草が生えてくるのも防げるかもね。やるとしたら、もっと人が集まってきてからだけど」
それは、実に楽しい想像だ。
ユカシタ広場に家が立ち並び、ニワ草原にいくつもの道ができる。
「お腹、すいたよね。すぐに温めるから」
「手伝うよ」
「疲れただろうから、休んでてよ」
「そういうわけにもいかないよ。レチェルだって、カマド作りで大変だったんだし」
「クランスの方が、ずっと大変だったと思うけど」
これ以上言っても、クランスは自分だけゆっくり休んだりはしないだろう。
何かうまくクランスを休ませる方法を見つけたほうがいいかもしれない。
村がうまく動き出す前に村長に倒れられても、困るのだ。
そういえば、レチェルは母親にこんなふうに言われていた。
旦那をうまく操縦するのも、いい妻の条件なのよ。
つまり、レチェルがいい妻になればいいというわけだ。
そうすれば、村も自然に良くなっていくはず。
新しい目標を一つ見つけて、グッとこぶしを握って気合を入れる。
それを不思議そうに見る夫を見て、レチェルは思わず笑い声を漏らした。