三話 ノビルの蒸し煮
何軒も家を建てる予定である山小屋の床下は、ユカシタ広場。
山小屋から池までの草原は、ニワ草原。
レチェルの命名で、いくつかの場所の名前が決まった。
安直ではあるが、わかりやすくていいだろう。
夫婦そろっての食事を終えたクランスは、ニワ草原の伐採に戻った。
池まで続く道は、まだ半分もできていない。
思ったよりも、草の量が多かった。
作業は明日まで食い込みそうだ。
他にも仕事はたくさんあるのだが、こればかりはどうしようもない。
焦って如何なるものでもないし、できる仕事の量は限られている。
水は生きるために、欠かすことができないものだ。
それを得られる水場へ続く道は、生活道路である。
今はしっかりとしたものを作る余力はないものの、ある程度の広さは必要だ。
鉈を振るい、草を刈り、ユカシタ広場へと運ぶ。
骨の折れる仕事だが、やりがいは大いにあった。
どんな植物が生えているのか。
どんな土質なのか。
そんなことを確認しながらの作業は、思いのほか楽しい。
これから自分達が住む場所だと思えば、なおさらだ。
一緒にいるのが、レチェルであるというのも、大きい。
賢くて働き者の幼馴染は、今は大切な妻になっている。
ユカシタ広場で自分が刈り取った草と格闘している姿を見るたび、クランスの頬が緩む。
道の方は、やはり今日中に完成させるのは難しいようだ。
それでもがんばれば、三分の二ほどは終わるだろう。
となると、今日これ以降飲む水の確保を、どうにか考えなければならない。
無理矢理にでも進めば、自分一人ぐらいなら何とか池にたどり着けるだろう。
水を汲んで、そのあと何とかして戻ってくれば、水は確保できる。
問題は、汲んだ水をどうやってこぼさず運ぶかだ。
水筒に入れて運んでもいいが、それだと飲み水分しか確保できない。
料理をするにも水は必要だから、それだけでは足りないだろう。
鍋やバケツに入れて運ぶには、草が少々邪魔すぎる。
引っかかって、動けなくなるかもしれない。
こぼしてしまっては意味がないし、だめで元々と挑戦してみるには、ちょっと大変そうだ。
何かうまい方法はないだろうか。
こういう時は、レチェルに相談するのが一番だ。
もう作業を片付けてしまってから、話してみよう。
クランスは自分の思い付きに満足し、再び草刈りに没頭するのだった。
細長く少し肉厚な平べったい草に、丸くて丈夫な茎を持つ草。
そのどちらも、繊維をとるのに適した草だ。
平べったい草は、縦に割いてから干す。
乾ききると、様々なことに使える便利な素材になる。
村では、「タイラクサ」などと呼んでいた。
きっと正式な名前があるのだろうが、残念ながらレチェルは聞いたことがない。
タイラクサの干し草は燃えやすく、火力が高い。
あまり火持ちがよくないのだが、焚き付けなどに使うと便利だ。
また、屋根の素材としても便利だ。
これで屋根をふくと、湿気が多いときには吸収し、乾燥しているときには湿気を吐き出してくれる。
室内を快適に保ってくれるのだ。
丸くて丈夫な茎の草は、「イイグサ」と呼んでいた。
まず、茎を適度な長さに切断していく。
だいたい、両手をいっぱいに広げたぐらいがいいだろう。
鉈で長さを整えたら、「イイグサ叩き」と呼ばれる道具で叩いで柔らかくしていく。
太くて短い棍棒のような外見で、イイグサを叩く専用の道具だ。
いざというときには護身用にも使える、便利な道具である。
長さをそろえたイイグサを束ね、イイグサ叩きで叩く。
あまり叩きすぎず、繊維を柔らかくする程度にとどめるのがコツだ。
潰し過ぎてしまうと、使い物にならなくなってしまう。
柔らかくなったら、縦に割いていく。
使いやすい細さにするためで、この時に手早く行う。
イイグサもタイラクサと同じく干して水気を抜いてから使うのだが、乾燥すると硬くなってしまうのだ。
そうすると裂くのも難しくなるため、柔らかいうちにやってしまう。
裂く大きさは、用途によって変わってくる。
今後のことを考えて、必要になりそうな大きさを想像していく。
近々で必要なイイグサを材料にするものと言えば、やはり茣蓙だろう。
敷物としてはもちろん、窓や出入り口に吊るす分も必要だ。
他にも作りたいものは色々あるが、まずは生活に必要なものを整えなくてはならない。
タイラクサもイイグサも、裂くときにはまず鉈で切れ目を入れる。
そこを引っ張ると、きれいに裂けてくれた。
タイラクサは、端から少しずつ。
イイグサは、半分にしてから、さらに半分に、といった具合に裂いていく。
単調な作業だが、レチェルは案外これが嫌いではなかった。
草がきれいに裂ける感触は、思いのほか気持ちいい。
夢中になって、草を割いていく。
積み上げていた半分ほどを片付けたところで、ハッと我に返った。
暗くなる前に、食事の用意をしなければならない。
クランスが草刈りという重労働をしてくれているので、久しぶりに何か温かいものを食べさせてあげたかった。
村に人が集まってくれば、レチェルが料理を作る機会も減ってくるだろう。
今のうちに、クランスに自分が作ったものを食べて貰いたかった。
ラットマンの伝統では、普段の料理は妻が作るものとなっている。
夫も手伝うことが殆どなのだが、調理の主役は妻であった。
これが、逆になることもある。
季節ごとに食べる特別な料理などは、「男の料理」とされていた。
夫が主役になって調理をし、妻が手伝いをするのだ。
この特別な料理の出来や、作業の上手さなどは、夫の甲斐性を示すものとされている。
クランスはこの料理が得意で、レチェルとしてはいささか悔しく思っていた。
いつかクランスをあっと驚かせるような料理を作るのが、レチェルのひそかな目標である。
もっとも、今は材料も限られているので、それも難しい。
勝負は、村が豊かになってきてからだ。
ユカシタ広場から出て、空を見上げる。
幸いまだ日は沈んでおらず、夕食の準備をするには早い時間のようだ。
安心して胸をなでおろしていると、クランスが声をかけてきた。
「今日中に池まで草刈りが終わりそうにないんだけど、水はどうやって汲もうか。水筒だと足りないだろうし、鍋なんかは持っていけないと思うんだ」
「二回往復すれば、十分足りるんじゃない? 私とクランスで一回ずつ行けばいいんだし」
「んー、ちょっと難しいかもしれない。水辺に、イネ科の草がたくさん生えててね」
それは確かに、難しそうだ。
イネ科の植物は、茎がとても硬い。
押しのけて歩くのには、かなりの体力が必要だった。
力も相当に必要で、レチェルには少々荷が重そうだ。
ラットマンは、平均して男性の方が体格が大きく、力が強い。
力仕事はもっぱら、男性の仕事となっている。
「結構密集して生えてるから、刈るのも大変そうだよ」
レチェルは唸りながら、方法を考える。
しばらく考えて、ポンと手を叩いた。
「大丈夫。やっぱり私も手伝うよ」
「なにか、方法があるの?」
「多分、上手くいくと思う」
思いついたのは、レチェルがイネ科の植物を登って、乗り越えてしまう、というものだった。
ラットマンは女性の方が身軽なことが多く、とりわけレチェルは木登りが得意である。
イネ科の植物を登るのなんて、朝飯前だ。
背中にリュックを背負い、その中に空き瓶をいくつか入れていく。
そのビンに水を詰めれば、運ぶのも簡単なはず。
旅の最中に食べるための保存食を入れていた物だったのだが、さまざまに使う事が出来るので非常に便利だ。
冬になったら、また保存食入れとして使うこともできる。
クランスは、少し困ったような顔をした。
「危なくないかな?」
「もし無理そうなら、クランスに頑張って往復してもらうから」
イネ科の茎をかき分けて何度も往復するのは、相当に骨が折れるだろう。
クランスは何とも言えないといった様子で、苦笑した。
一度決めたら、言っても聞かない質のレチェルだ。
幼馴染でもあるクランスは、そのことをよく知っている。
本当は止めたいところなのだろうが、そうはいかないことを分かっているのだ。
「せめて、よく注意して登ってね」
それは、少々過保護すぎる言葉だった。
なにしろ、ラットマンは比較的木登りの得意な種族である。
重い荷物を持ってならともかく、リュックに少々の荷物をいれて動くぐらいなら、何の問題もない。
「クランスも、登っていけばいいのに」
「水筒二つ持っては、ちょっと難しいかなぁ」
旅用のたっぷり入る水筒は、その分重いのだ。
アレを持って木登りをするのは、相当に難しいだろう。
困ったように頭を掻くクランスを見て、レチェルはおかしそうに笑った。
イネ科の植物はかなり頑丈な茎で、刈り取るのには相当な苦労するだろうと思われた。
その分、足場としては申し分ない。
危なげなく登る事が出来たのだが、クランスはハラハラしながら見守っていた。
レチェルに言わせれば、茎の太い根元のところをかき分けて歩いているクランスの方が、よっぽど大変そうなのだが。
人の心配ばかりするのは、クランスのいいところでもあり、悪いところでもある。
もうちょっと頼ってくれてもいいのにと、レチェルは思っていた。
汲んできた水を使って、さっそく料理を始める。
今日は、クランスも手伝ってくれた。
レチェルとしては自分だけで料理して、クランスを驚かせたいのだが。
一緒に料理をするのも、それはそれで楽しい。
仕方ないので、今回は手伝ってもらう事とする。
とはいえ、あまり手の込んだものを作ることは出来ない。
時間も材料もないからだ。
手早く作れて、あたたかいもの。
いろいろ考えて、ノビルの蒸し煮を作ることにした。
まずは、火起こし。
石を積み上げて、カマドもどきを作る。
しっかりとしたものである必要はないので、簡単なつくりのものだ。
そこに、乾燥した枯草と、落ちていた枝を積んで、火をつける。
幸い、あまり草の茂っていないところで枯れ枝を見つける事が出来た。
かなり大きなもので、これでしばらく薪には困らない。
火打石を使えば、火は簡単に起せた。
魔法を使って火をつけられるものも居るのだが、レチェルもクランスも魔法は使えない。
そういう特技を持つ住民が越してきてくれたら嬉しいが、それは高望みだろう。
火が十分な大きさになったら、水を入れた鍋を火にかける。
お湯になる前に、食材の準備をしてしまう。
もっとも、調理自体はそう難しいものではない。
ノビルの球根に十字の切れ目を入れ、そこに干し肉を挟む。
保存のため、相当に塩と香辛料を効かせてあるものだ。
お湯が温まってきたら、手で千切った干し魚を入れる。
オオサマメダカを干したもので、いい出汁が出る上に、味もいい。
温まってきたところで、ノビルの球根を並べて入れる。
お湯は、ノビルが半分浸かる程度の量。
鉄製の重たい蓋を乗せてやると、鍋の中は熱い蒸気でいっぱいになり、それだけの水でおいしく調理できるのだ。
スープの味も濃く、美味しくなる。
温めている間に、もう一品。
アカネコジャラシの種子を、よく刻んだエルフニンニクと一緒に炒める。
使う油は、ツバキのもの。
夫婦の出身である村で栽培していたもので、故郷の味といったところだ。
ちなみに。
他の種族が聞くと驚くのだが、ラットマンにとってネコジャラシは立派な穀物であった。
品種にもよるのだが、穂の長い毛の間にある種子は、香ばしくて美味しい。
アカネコジャラシによく火が通ったら、塩を振って出来上がり。
その頃には、ノビルもよく煮あがっている。
ノビルの蒸し煮は、二つずつ。
アカネコジャラシの炒め物は、クランスの方がちょっと多め。
二つを盛り付けたら、神様にお祈りをささげて、食事を始める。
「これ、どっちもすごくおいしいよ! レチェル、また料理が上手になったね。負けないようにしないと」
クランスの言葉に、レチェルはちょっとだけ自慢げな顔になった。
自分も、料理を食べてみる。
香りもなかなかで、味も申し分ない。
夫が嬉しそうに食べてくれているというのが、余計に味を引き立ててくれている。
また次も、美味しいと言わせて見せよう。
レチェルはそんな決意をして、好物のノビルを口いっぱいに頬張った。