十六話 休日
朝起きて眼が冴えてきたところで、クランスとレチェルは顔を見合わせた。
お互いに、なんとも言えない表情をしている。
「今日から、休まないといけないんだよね」
困惑したようなレチェルの物言いに、クランスは「そうだね」と頷く。
二人は今日から二日間、休みを取らなければならなかった。
仕事が趣味、という典型的なラットマンである二人にとって、これはなかなか過酷な事なのである。
「休むって、何すればいいのかなぁ」
「何もしないをするんじゃないかな? 休むわけなんだし」
クランスの言葉に、レチェルは何とも言えない苦い顔をする。
何しろラットマンと言うのは、働くのが好きな種族であった。
個人の性格と言うより、種族の特徴として、仕事が好きなのだ。
「趣味を作っておけ。って言われた理由が、今になって分かったよ」
生まれ育った村の村長が、しみじみとそう言っていたのだ。
その時は意味が良く分らなかったのだが、今ようやく意味が分かった。
「休みの時に、無理矢理仕事以外の事をするためだったんだね」
何かやることが有れば、そちらに集中していればいい。
趣味と言うのは口実であり、実は「仕事をしないための仕事」だったわけである。
「何か考えておけばよかったね、趣味」
「これから何か考えて、今日からの趣味ってことにすればどうだろう」
「それ、いい考えかも」
「何かいい趣味って思いつく?」
クランスに聞かれ、レチェルは唸りながら考え込み始めた。
すぐに案が出てくる気配はない。
自分も考えなければと、クランスも腕を組んで考える。
しばらく唸っていた二人だが、なかなか案は出てこない。
先に「そうだ」と手を叩いたのは、クランスだった。
「趣味って、好きなことってことだよね。なら、採集作業をしててもいいじゃないかな」
「そっか。仕事じゃなくて、趣味なら問題ないんだもんね!」
仕事をしているのなら、休んだことにはならない。
だが、趣味に時間を費やしているなら、それはしっかりと休んだことになる。
二人はさっそく、支度を始めた。
レチェルは刺繍の続きを。
あっという間に身支度を終えたクランスは、家の外へと出ていく。
の、だが。
「まぁ、こんなこったろうと思ったがなぁ」
家の前でクランスを待ち受けていたのは、ホーガン老であった。
腕組みをしてに立ちふさがるホーガン老に、クランスもレチェルも思わず怯む。
「気持ちがわからねぇわけじゃぁねぇがなぁ! それじゃぁほかの連中に示しがつかねぇだろうが!」
なにしろ、ラットマンというのは勤勉な。
あまりにも勤勉すぎる種族なのである。
放っておけば、際限なく働き続けてしまう。
もちろんそんなことをすれば体が参ってしまうのだが、それでもなかなか休むことができない。
だからこそ、村長は率先してしっかりと休まなければならない、とされている。
「村長だって休んでるんだから、お前たちもしっかり休め。そういわれた覚えが、一度や二度はあるだろうに!」
確かにあった。
別に元気なのに、なんで休まなければならないのか。
そんな不満を口にするたびに、親や周囲の大人からそういわれたものであった。
村の住民にとって、村長とはお手本になる人物である。
その村長もきちんと休んでいる、と言われれば、不承不承でも休むしかなかった。
「この村の村長夫婦は、おめぇさん達だろう! きちぃんと、気合を入れて休め!」
そんな風に言われてしまっては、返す言葉も無い。
ホーガン老に叱られた若い村長夫婦はようやく諦め、しっかりと休むことにしたのであった。
休むというのは、ラットマンにとっては大変な難題である。
ましてそれが、出来たばかりの村で、となるとなおさらだ。
なにしろ、あっちもこっちも作りかけ。
みんな仕事をしているから、暇をつぶせるような場所などなかった。
ならば家にじっとして居ればよいのでは、とほかの種族ならば思うかもしれない。
だが、一つ所にじっとして居るというのは、ラットマンにとっては苦痛そのものなのだ。
「どこか皆の邪魔にならない所ってないかなぁ」
夫婦で知恵を絞り、ようやく一か所だけ、問題の無さそうな場所を見つける事が出来た。
小屋の階段だ。
ユカシタ広場の上にある、中型人種が使っていたと思われる小屋。
そこに上がるために作られたそれには、ルカイナ達大工によって、ラットマン用の階段が増設されている。
将来的には、階段の上には物干し台を作る予定であった。
洗濯物などもそうだが、ユカシタ村では刺繍や織物も多く生産する予定である。
染色した糸や布を干す場所も必要になるのだ。
季節にもよるが、階段の上は日当たりも風通しも良い。
申し分のない干場になるだろう。
だが、今はまだ利用されていなかった。
まだ設備も人もそろっておらず、広い干場が必要なほど糸や布の染色が行われていないからだ。
「ここなら、誰の邪魔にもならないね」
「景色もいいし、休むにはちょうどいいかも。けど」
「けど?」
「ちょっと暑いかも」
レチェルの言う通りであった。
なにしろ、日差しを遮るものが何もない。
今はまだいいが、もっと日が高く昇ったら相当な暑さになるだろう。
「ほかにいい場所も思いつかないし。どうしようか?」
「うーん。いっそ、屋根でも作る?」
どうせ、仕事も出来ないのだ。
暇をつぶす為に、その位の事はしてもいいだろう。
幸い、材料には心当たりが有った。
ユカシタ村を目指す旅で使っていた、テントである。
雨風を凌げる丈夫な布を屋根として使えば、暑さをしのげるだろう。
「テントを普通に作るんじゃなくてさ、屋根にだけする感じで建てればいいと思うんだ」
「その方が風も通るだろうし、いい考えだね」
早速、二人は動き始めた。
日が高くなってくると、暑くて作業をするどころではなくなってしまう。
大急ぎで家へ戻り、テントを引っ張り出す。
階段の上に運び上げ、組み上げていく。
本来とは違う形にするのだが、それほど複雑な作業ではない。
あっという間に出来上がり、とりあえず一息つくことに。
「そうだ。せっかくだから、水を入れたタライでも用意しようか」
「じゃあ、私は飲み物でも持ってこようかな」
「それじゃあ、椅子も必要かな」
いざ何かを始めると、夢中になってしまう。
大抵のラットマンが持つ性質と言えるだろう。
あれやこれやと持ち寄って、すっかり居心地のいい場所を作り上げてしまった。
日の光もしっかり避けられるし、風通しも良い。
タライに入った水に足を入れると、思いのほか気持ちが良かった。
「この村は池があるから。水には困らないね」
「多分湧き水なんだろうけど、いつかしっかり調べてみようか」
「そうだね。今は他にやることがいっぱいあるけど」
階段からの眺めは素晴らしく、村人達が働いている姿が見受けられた。
「村に越して来たばかりの時に、二人でここから眺めたよね」
「あの時は誰もいなかったけど」
ずいぶん賑やかになったモノである。
初めてここからの景色を見たときも感動したが、今はまた別の感動が有った。
「本当に、村になったんだね」
「まだまだ大きくなる途中だよ」
「そうだね。もっと大きくなる。そうしたら、池に船とかを浮かべるのもいいかもね」
「船?」
「その方が、どんぐりを運ぶのに便利だと思うんだ」
ドングリ林は池の向こう側にある。
行き来する時は、池を迂回しなければならなかった。
船が有れば、ドングリの輸送は遥かに楽になるだろう。
「船を作るのって、難しいんだろうね。専門の大工さんも居るっていうし」
「うーん、それじゃぁ、難しいかなぁ」
ニワ草原や池、ドングリ林を眺めながら、二人はいつしか真剣に話し始める。
そんな二人の事を少し離れたところから見ていた数名の村人達は、溜息を吐いた。
「アレも仕事してないことになるのかね?」
「村の事も考えるなって言ったら、寝てるしかなくなるだろ。仕方ねぇやな」
苦笑交じりで、そんなことを話し合う。
全く村の仕事から離れるというのは、あの二人にとっては無理難題の類なのだ。
とりあえず体は休めているようだから、問題は無いだろう。
「そうだ。働いてる皆に、おやつを作るのはどうだろう」
「料理なら、働いてることにならないよね」
「村に何人いると思ってるんだ! 止めろ!」
クランスとレチェルは、本日二度目のお叱りを受けることとなったのだった。
引退なんぞしなければよかった。
ここのところ毎日のようにそう考えるイェルズだが、後の祭りである。
少し前まで、イェルズは冒険者ギルドに勤めていた。
永く冒険者として活動し、その功績を認められ、ギルドの幹部として取り立てられたのだ。
冒険者として優秀だったイェルズだが、幸いなことに机仕事にも才があった。
幹部としてそれなりの期間、冒険者ギルドに勤めていたのだが。
「あまり長く一人のものが要職に就き続けるというのも、よろしくない。まして長命種となれば、猶更だ。組織と言うのは、新陳代謝せねばならん」
今となっては何が新陳代謝だ、と思うが、どうしようもない。
かねてから口にしていた「田舎に引っ込んでのんびり過ごす」と言うのをやってみているが。
コレがまぁ、どうしようもないほど退屈でつまらない。
元々、変化のない暮らしに飽き飽きしてエルフの集落を飛び出したイェルズである。
老成したようなことを言って隠居生活に入ったのだが、ものの一か月も経たずに飽き飽きしてしまった。
集落の端に立てた隠居宅で、日がな一日ぼうっとしている。
四季の移ろいを見ているだけで楽しい、などと言うエルフもいるが、とても信じられない。
季節の変化なんぞどこでだって見れるし、街の人々の生活の方が何倍も変化に富んでいる。
「だが、すぐに冒険者に戻るというのもな」
忙しいのにはコリゴリだ。
エルフと言うのは穏やかに暮らすモノ、引退したらのんびりと暮らす。
などと大見得を切った手前、こそこそと冒険者に復帰するのも格好が悪い。
「暇だ」
そんな言葉を、日に何度も繰り返す。
いっそ姿を偽る術でも使って、駆け出し冒険者に戻ってやろうか。
アーヴィアが訪ねてきたのは、まさにそんなことを考えて居た時であった。
冒険者ギルドの元幹部で、今も高い実力を持つ魔法使い。
そんなイェルズを前に、アーヴィアは大変に緊張していた。
何しろアーヴィアが集落を出た頃には、既に「大魔法使い」として名が轟いていた人物である。
そんな人物に、「ラットマンの村で護衛をやってくれないか」と尋ねるというのは、なかなか馬鹿げたことと言えるだろう。
幹部をやっていた頃から、「田舎に戻って静かに暮らしたい」としきりに言っていた、というのは有名な話である。
正直な所、イェルズが護衛を引き受けてくれるとは、微塵も思っていなかった。
顔の広いイェルズならば、都合がいい人物を紹介してくれるかもしれない。
イェルズがギルド幹部を勤めていた時に、何度か顔を合わせたこともある。
同郷のよしみと言うやつで、アレコレ話もさせてもらった。
全く知らない相手ではないし、話位は聞いてくれるはずだ。
そう考えて、たずねてみたのだが。
「今すぐに出る準備をしよう。家や家財道具は、そうだな。君の手配ですべて現金にしておいてくれ。手数料は五割ほど差し上げよう。どうせ大した額にはならないがな。それから」
「ちょちょっ! ちょっと待ってください! 本当に護衛をして下さるおつもりなのですか!? 私はその、正直な所、誰かをご紹介いただこうと思っていた次第でしてっ!」
「いいかね、アーヴィア。太陽条約と言うのはそもそも、ラットマンを保護する目的で作られたと言われている。彼らの神話が一部事実に基づいているモノだというのは知っているね」
「いえ、知りませんけど」
「ん? ああ、そうか。コレは外ではあまり知られていない話か」
アーヴィアは背中に冷たいものが流れるのを感じた。
どうやら、あまり知らない方がいい話だったらしい。
商売柄、聞いた話を忘れるのには慣れている。
アーヴィアはすぐに、今聞いたことを忘れることにした。
「兎に角、ラットマンと言うのは特別な種族だ。新しく村を作るというのであれば、必ず保護しなければならない」
なにより、ラットマンと言うのはとにかく勤勉で、よく働く種族である。
そんな彼らが村作りをするとなれば、驚くほど変化の嵐に違いない。
きっと、眺めて居るだけで退屈しないはずだ。
まさにイェルズが望んでいたものである。
「さぁ、準備を始めなければ。君も早く支度をしたまえ」
言うや否や、イェルズはさっさと荷物をまとめ始めた。
アーヴィアも急かされて、それを手伝う。
せっかちで変わり者、と称されることが多いアーヴィアだが、世の中、上には上がいるようであった。