十四話
どうやらクランスが思っていたよりもずっと、ユカシタ村のことは噂になっていたらしい。
一組から二組の新しい住人が、五日ほど続けて移住してきた。
村は、どんどん賑やかになっていく。
移住者が落ち着くころには、村の人口は四十近くになっていた。
なかなかの大所帯である。
越してくる年齢層は、大きく分けて三つに分かれていた。
子供や弟子に代を譲った、引退間際の初老から老年の世代。
一人立ちしたばかりの、若者達。
そして、その若者達の子供達だ。
新しい環境に飛び込もう、というのは、既に世代交代を終えるか、あるいはまさにこれから一人立ちをしようというものが多いらしい。
多くの経験と技術を持つ老年層も。
村の未来を担う若者達も、何方にも共通しているのは、皆手に職を付けているというところだ。
何か事情がない限り、ラットマンは成人するまでに、必ず何かしらの技術を習得する。
それが、チェケ・リ・ルーが太陽にお仕えするようになる、ずっと以前から続く、ラットマンの習慣であった。
新たな移住者のほとんどは、家族を連れてやってきていた。
多くの場合、新たに作られた村への移住は、複数人で行うことが殆どである。
身内がいたほうが安心できるし、ラットマンは家族単位で仕事をすることが多いという事情もあった。
新天地で仕事をするのに、手伝いが無いというのはなかなか大変なのだ。
なので、ボルボルの様な単身者は、実は案外珍しかったりする。
今回新たにやってきた移住者達の中で、単身者は一人だけ。
クランスが待ち望んでいた職を身に着けた人物であった。
ラットマンは、魔法を操る力が極小さい。
体が小さいから、という事情もあるのだが、実用的な魔法などは使えないものが大半を占める。
かのチェケ・リ・ルーは、太陽にお仕えする以前から、水を操る魔法を扱えたというが、それは特別な才能と言わざるを得ないだろう。
そんなラットマンではあるが、全く魔法が使えないのか、と言えば、そうでもない。
特別な手段を用いれば、相応の魔法は扱うことができた。
その手段というのは、薬を用いる、というものである。
様々な材料を、特別な方法で加工。
それを手順を踏んで用いることで、ラットマンでも魔法を使うことができるのだ。
ただ、それには専用の薬を作る技術と、それを用いる手順を知る知識が必要である。
あまりに複雑で煩雑なそれは、普通のラットマンではとてもとても手出しできるものではなかった。
ところが。
その技術と知識を持ったラットマンが、移住して来てくれたのだ。
薬術師の、レーミーである。
比較的若く、一人立ちしたてであるという彼女は、しかし、中々腕のいい薬術師であった。
「虫や小動物除けの結界で宜しければ、ニ、三日も頂ければ準備できますよ。新しく作る村に行くのならそれだけは覚えておけと、師匠に散々覚えさせられましたからね」
結界を作るのに必要なのは、いくつかの素材を練り合わせて作る匂い玉に、それを入れる特殊な刺繍を入れた小袋。
これを結界を作りたい場所に吊るし、後は呪文を唱えればよい、という。
月に一度は取り換える必要はあるものの、それでムカデやトガリネズミぐらいならば近づかなくなる。
大抵のラットマンの村には、二人から四人、薬術師が居るものであった。
クランスとレチェルの出身村にも何人かいて、村の周りに結界を張ってくれていたものである。
将来的には、どこかの村から招かねばならないとは思っていたのだが、まさか自分からやってきてくれるとは。
全く思いがけない、僥倖であった。
「あれは、難しい術だと聞いたことがありますが。なんでそんなに腕のいい薬術師さんが、こんな新しい村に?」
「実は、この辺りでとれる素材を使った、新しい術を研究していまして。いつかはこの村から取り寄せることもできるのでしょうけれど、どうしてもそれまで我慢が出来ず。それなら一緒に移住してしまえばよかろう、と」
照れ笑いをしながら言うレーミーの言葉に、クランスは唖然としてしまった。
薬術師には変わり者が多いというが、どうやら本当のことらしい。
とにかく、レーミーに匂い玉と小袋を作ってもらえば、当面の虫や獣対策は十分だろう。
既に作ってある柵にそれを吊るし、呪文を唱えてもらえば良いのだ。
「ただ、村長殿。素材がないので、集めて来てもらわないとならないのですが」
「わかりました。最優先で、集めてきます」
レーミーが指定した素材は、どれも採集場所を確認して有るものばかりだった。
これなら、一日あれば集めてくることができる。
ミトトという弟子も居るので、一人でも十分だ。
「村長殿が採集人というのは助かりますね。いや、思い切って越してきたのは、やはり正解でした」
薬術師にとって、腕のいい採集人は必須の存在といっていいだろう。
どうやらクランスは、レーミーのお眼鏡にかなったらしい。
「まだ、期待にこたえられるかわかりませんよ?」
「この村に集められている素材を見れば、採集人の腕は察することができます。村長殿は、いい仕事をしなさるようだ。ただ、あまり無理をなされてはいけませんよ? 少々顔色がお悪いようです」
時に薬術師は、けが人や病人の治療も行った。
レーミーによれば、クランスは少々仕事をしすぎているらしい。
気を付けます、と言って苦笑するクランスだったが、まだまだ村は発展途上。
やることは山のようにあった。
確かに休むのも大切なのだが、それもなかなか難しいのである。
製布をするにも、刺繍をするにも、必ず必要な材料。
それが、糸である。
ホーガンの家は代々、製糸を生業としていた。
織物や刺繍を輸出品とするラットマンにとって、製糸は重要な仕事だ。
なにしろ、布というのは糸を編み上げて作ったモノである。
織物職人や刺繍職人の腕がいくら良くとも、糸が良いものでなければ意味がない。
少しでも良い品を作ること。
それが糸職人の使命であると、ホーガンは教えられて育った。
しかし、ホーガンはそれがどうしても我慢ならなかったのである。
既に作り方の確立したものを、黙々と作っていく。
そういう生き方もあるだろう。
一つの道を究める職人の道というのは、素晴らしいものだ。
だが、ホーガンは自分がその道を進みたいとは、全く、欠片も思わなかった。
進むならば、別の道を。
誰も使ったことのない素材から、全く未知の糸を作り出してみたい。
それがホーガンの目標であり、夢であった。
今ある製糸法を磨くよりも、新たな糸を作ることに注力したい。
若い時分からそういってはばからなかったホーガンに、父親はこんなことを言った。
「そりゃおめぇ、そういうヤツも居なきゃならねぇやな。だがよ、糸作りの腕が悪かったら恥かくぜ」
「新しい糸を作るのに、関係ぇねぇだろ」
「その新しい糸が使い物にならねぇ質だったら、だれも見向きもしねぇだろ。これは新しい素材を使った糸ですっつって、機織りや刺繍の職人のところに、くず糸の塊持ってくのか?」
なるほど、それも一理ある。
いくら新しいものでも、品物が良くなければ使われるはずがない。
若きホーガンはその言に納得し、まずは今ある製糸法で腕を磨かなければならないと決心した。
今にして思えば、あれは父親の方便だったのだろう。
年齢を経て落ち着いてくれば、そのうち夢のような事も言わなくなるはずだ。
家業に身を入れて、しっかりとしてくる。
そんな父親の思いとは裏腹に、ホーガンの思いは歳をおうごとに強くなっていった。
一端の職人として認められるようになり、結婚をし、子供が出来て、弟子が出来て。
それでもやはり、ホーガンの情熱は衰えなかった。
各地から珍しい素材を集めては、様々な方法を試す。
そのほとんどが、失敗であった。
だが、ほんの数例だけ、成功したものもある。
今では多くの村で用いられている、雨緑片石の糸。
水を生み出す魔法陣で使われるこの糸の製法を発見したのが、ホーガンであった。
多くの人が褒めたたえた、いわゆる偉業の類といっていい。
だが、ホーガンが作りたかったのはそういったものではなかった。
誰にでもいつでもたくさん使うことができる、安価で作りやすく、丈夫で使い勝手のいい糸を。
そう思ってはいるものの、村の周辺で採取できる素材は、あらかた試し尽くしてしまっていた。
こうなったら、新天地を目指すしかないのだろうか。
未知の土地へ行き、未知の素材を探す。
そんなことを考えるようになったころには、しかし、ホーガンはずいぶんといい年齢になってしまっていた。
新たな村、新たな土地。
そういったものを目指すのは、もう無理なのだろうか。
諦めかけていたホーガンの元に、新しい村ができるらしい、という話が届いたのは、そんな風に思い始めていた矢先のことであった。
これは、チェケ・リ・ルーのお導きに違いない。
きっと自分の背中を押してくださっているのだ。
そう思ったホーガンは、もはや居てもたってもいられなくなっていた。
噂を聞いてから村を出るまで、わずか十日。
ホーガンはあらゆる反対や手続きを力付くで押し通り、ユカシタ村へやってきた。
結果は、大正解だったといっていい。
この村に来たことで、新たな目標を見つけることができた。
名産となる予定であるドングリの、渋皮や殻の部分。
それを使った、安価で作りやすく、丈夫で使い勝手のいい糸を作る。
成功すれば、村での生活はぐっと良くなるはずだ。
これに成功するまでは、まだまだ元気でいなければならない。
ホーガンは本来、のんびりと余生を過ごしていてもおかしくない年齢である。
なのだが、まだまだ老け込んでいるわけにはいかなかった。
何しろまだまだ、やらなければならないことが山のようにあるのだから。
人手が増えると同時に、村は急ピッチで形を整えられていった。
ルカイナが先頭に立って、新しい家がいくつも組み上がっていく。
新しく越してきたものの中には大工も居たのだが、ルカイナはその中でも一番の腕を持っていた。
体格もよく、腕力もある。
そのうえ、仕事も早く正確で、早くも村の誰もが一目を置く存在になっていた。
彼女が指揮を執って建てられる家はどれも素晴らしく、住民達は皆大満足である。
それでも、まだまだすべての住民に住居はいきわたっていないのだが。
おそらく夏前までには、どうにかなるだろうということであった。
本当なら、材料が足りなくなるほどの建築数である。
どうにかなっているのは、ドングリ林で採れる、枯れ枝のおかげだった。
それまで手付かずだった林の中には、ちょうどよいころ合いに乾いた枝が、沢山転がっているのだ。
土に困らない、というのももちろん大きい。
村に来た時にレチェルが使ったカマドの土は、まだまだたっぷり残っている。
ルカイナはこれらを使って、木材と土壁の家を作っていた。
なかなか珍しい作り方で、クランスもレチェルも見たことがないものである。
ルカイナ曰く。
「この村の材料で、この村に合う形で作る。だから、少し珍しいものになると思う」
新たな土地に合った、新たな建物を模索しているらしい。
つまり、ルカイナが中心になって作られている今の建物は、この村独自のものということである。
これから先、村独自の建物がいくつもできていくのだろう。
それが立ち並ぶ景色は、ユカシタ村だけのものになる。
この村で生まれ育つ子供達にとっては、それが当たり前の景色になるはずだ。
「僕達の代で、そんな景色見れるといいね」
建築中の建物を眺めながら言うクランスに、レチェルは大きくうなずいた。
今はまだ、ユカシタ村は閑散とした景色である。
建物がまばら、どころか、ほとんど建っていない。
いつかは、家が立ち並ぶようになるのだろうか。
「そのためにも、がんばらないと。まずは、機織りと刺繍の準備をしないといけないね」
「あんまり、無理しすぎないでね」
やらなければならないことは、沢山ある。
焦ってやろうとすれば、様々なことができるだろう。
だけど、ゆっくりでいい。
幸い、この村の周りはたくさんの食べ物に恵まれている。
野草も多く、池には水がふんだんにあり。
秋には沢山のドングリが手に入るだろう。
だから、あまり焦って無理をする必要はないのだ。
時が過ぎ、いくつかの建物が出来ていく。
アーヴィアとの取引も安定し、冒険者を探してもらう話し合いも始まった。
一年のうちで、最も動植物が活発に動き出す季節。
もうすぐ、夏がやってくる。
住民も増えて、出来ることも増えてきました
いよいよ、夏が来ます
織物と刺繍、採集や建築と、忙しくなりそうな予感
行商人アーヴィアににとっても、大変な仕事が待っているようです