一話 新天地へ
多くの住民に見送られ、一組の夫婦が村を出た。
祝福や応援の声に背中を押されながら。
住民達が用意してくれた、沢山の品物を荷車に載せて。
夫婦がこれから向かうのは、新しい村を作る予定地だ。
そこで家を建て、生活の場を整えて、他の移住者を迎え入れる。
これから多くの困難が待ち受けているだろうが、この夫婦ならきっと立ち向かえると、誰もが信じていた。
夫婦はそのために、様々な技術を身に着け、知識を蓄えてきたのだ。
いつかこの夫婦が作った村から、使者がやってくることだろう。
生活が安定したことを報告し、交易を求めるために。
それがいつになるかはわからない。
だが、送り出した住民達も、旅立っていく夫婦も、必ずその日が来ると信じている。
鼠人、ラットマンなどと呼ばれる種族は、いわゆるネズミによく似た外見をしている。
一言でその見た目を説明するなら、「二足歩行のネズミ」といったところだろう。
知能はかなり高く、手先は器用。
身長は二足歩行時で、エルフの手首の付け根から指先程度。
体格からわかるように、あまり力が強いとは言えない。
魔法を扱う力もあまりなく、強力とは言い難い種族だ。
だが、彼らは大変に器用であり、工芸品づくりを得意としている。
もし運よく彼らと出会い、交易をすることができれば、大変な富を得ることができるだろう。
ラットマンにしか作ることができない精密極まる品々は、驚くほどの高値で取引される。
ただ、支払いには注意しなければならない。
報酬を適正な金額で支払おうとすると、彼らの身長ほども硬貨を積み上げることになるのだが。
彼らにとってそれは荷物になるだけだからだ。
もし彼らに喜んでもらい、幸運を一度きりのモノではなく、長続きさせたいと思うなら、袋一杯の穀物をお勧めする。
報酬に見合う量を用意すれば、村は大変に潤い、彼らはおおいに感謝してくれることだろう。
夫婦は荷車を押し始めて、五日が経った。
旅は、順調といっていい。
下見していた獣道は、思ったよりも荷車を引くのに不便ではなかった。
雨なども降っておらず、地面がぬかるむといったこともない。
たぶん、ネギリグマ辺りが通った後なのだろう。
丸っこくてぺったりとした毛皮のネギリグマは、穴を掘るのが得意な動物だ。
そのときに木や草の根を切ってしまうので、根切り、と名前がついている。
草食なので、こちらから攻撃しない限り襲ってくることはあまりない。
冬が終わり、草木が茂り始めた今の時期は、彼らにとって繁殖の季節だ。
あちこちに移動しているのだろう。
こういった獣道は、非常に便利だ。
前人未踏、と言われるような地域であっても、必ずそこかしこに張り巡らされている。
踏み固められているので、木々や草花の芽が出てくることもない。
ただ、少しでも獣道から逸れれば、そこにはいっぱいの草木が生茂っていた。
おかげで、食べ物には困らない。
獣道から外れて少し歩けば、山菜の類がたくさん頭を出している。
朝方に収穫すると、朝露などでたっぷりと水分を含んでいて、喉も潤してくれた。
飲み水は貴重なので、水分補給の機会は逃してはならない。
水をためるのは、案外大変な作業だ。
たっぷりと水を吸い上げる種類の草木に、傷をつける。
しばらくすると水が滴り始めるので、そこに水筒を括り付けて溜めるのだ。
寝て起きれば、大体水筒はいっぱいになっている。
とはいえ、水筒自体はそれほど大きなものではないし、あまりたくさんの水を持ち歩くと、余計な荷物になってしまう。
水を多く含んだ山菜はやわらかくておいしく、喉の渇きも癒してくれる。
朝食を取り終えると、再び荷車をひく。
荷車はこの日のために作ってもらった特別製で、大荷物なのに驚くほど軽い。
それでも、流石に一日中ひきどおしだと疲れてしまうので、時々交替しながら進んでいる。
「ねぇ、クランス、見て! あの大きな立て札!」
「ああ、やっと目印が見えて来たね」
妻のレチェルの弾んだ声に、クランスも嬉しげに答えた。
白木の杭に、獣の頭蓋骨。
いくつかの木の枝を、色とりどりの布で括り付けてある。
これは、ゴブリンやオークのシャーマン達が作ったものだ。
木の種類と布の色で、この杭が立っている位置を示している、らしい。
らしいというのは、そういうものだという風に伝聞されているだけだったからだ。
正確な読み方は、正式なシャーマンの教育を受けたものにしかわからないのだという。
残念ながら、クランスとレチェルが暮らしていた村には、シャーマンはいなかったのだ。
それでも、何かの目印としては、十分に役に立つ。
立て札に近づくと、夫婦は用意していたモノを荷車からおろした。
四本の木材に、松ぼっくりの上半分を針金で括り付けたモノだ。
これは、新しい村を作るという印になる。
四本の木材は、家を建てることを。
松ぼっくりの上半分は、食べ物を確保していることを。
針金は、物作りをしようとしていることを意味している。
とはいっても、それは元をたどれば、ということだ。
今ではそういった意味合いは薄くなっていて、これそのもので「新しい村を作り始めた」という意味を持つようになっている。
これを見れば、同じラットマンならすぐに気が付いてくれるはずだ。
新しく作る村の、最初の目印になる。
「まだ村を作ってもいないのに目印を先にたてるなんて、不思議な気分だなぁ」
「ホントだね」
夫婦で笑いあいながら、先を急ぐ。
村の予定地は、ここから一日半ほど進んだところにある。
進む足も、自然に早くなっていた。
村の予定地は、中型人種が放棄した山小屋であった。
丸太で作られた小屋であり、扉や窓などは既に外されている。
狩りなどに使っていたものだったのだろう。
獲物をさばくためと思しき庭は広く、周囲には食料にするためと思われるどんぐりなどの木の実が生る木が植えられている。
何よりもありがたいのは、小さな池が作ってあることだ。
近くに湧水があり、そこから流れた水が小川を作っていた。
それを、地面に穴を掘って貯めたもののようだ。
この辺りは森になっていて、水源も豊富らしい。
そこかしこから湧水が染み出して、小さな流れを作っては、また地中に吸収されて行く。
幅の広い大きな川は、少なくともこの近くにはないようだ。
もっとも、それは村の先遣隊が調べた限りであり、絶対にない、とは言い切れないのだが。
木々の間に、背の高い草原が見えてきた。
夫婦の身の丈の、倍や三倍はあろうかという草が、視界一杯に生えている。
まだ春の初めだというのに、草花は実に元気だ。
身体を伸びあげて、遠くへと視線を向ける。
左右に目をさまよわせると、あった。
丸太で作られた、巨大な建築物。
新しい村の予定地だ。
だが、目的の場所を前に、夫婦は立ち往生してしまう。
草花が邪魔で、荷車を押すことができないのだ。
こうならないように、春のなるべく早い時期に出てきたつもりだったのだが。
好天候が続いたために、一気に育ったらしい。
「いやぁ、参ったなぁ」
「まずは道づくりからだね」
「大仕事だが、草は色々使えるからね。早めに刈り取れてよかったと思おう」
荷車から、鉈を取り出す。
旅装束の腕をまくり、頭にほっかむり。
新しい村での最初の仕事は、草刈りになった。
持ち出した鉈は、片腕の長さほどもある大きなものだ。
重さも厚みもあり、木の枝でもある程度のモノならきることができる。
万が一の時には武器にもなる、便利な道具だ。
片手で茎を押さえ、根本へ鉈を振り下ろす。
とりあえず荷車が通ることができればいいので、根まで掘り返す必要はない。
「食べられる草が、結構あるよ」
「紐の材料になる草もあるね。うーん、広場の草を全部刈っちゃうのはもったいないかな?」
小屋の前の広場は、全て整地する予定であった。
だが、食料や道具の材料が採れるのであれば、少々もったいないかもしれない。
もっとも、そこに手を付けられるのは、当分先のことになる。
焦って考えることもないだろう。
刈った草は、近くにある木の根元に積んでおく。
木の根が広がっているあたりは、草の生え方が少し大人しくなっていて、開けているからだ。
鉈は相当にいい品らしく、さして苦労もなく草を刈り取ることができた。
これも村を出る時に贈られた品で、腕のいい職人が丹精込めて作ってくれたものだ。
新しい村でも、いつかこれと同じぐらいか、それ以上の物を作れるようになりたい。
腕を必死に動かしているうち、ようやく小屋の前へやってきた。
「改めて見ても、大きいねぇ」
「うん。立派な建物だよ」
中型人種にとっては、ちょっとした小屋、といった程度の大きさかもしれない。
だが、ラットマンにしてみれば、驚くほど大きな建物だ。
夫婦はしばらく建物を見上げた後、床下へと視線を移す。
床下は、地面より高い位置に作られている。
太い木の柱を支えにして、地面から離れた位置に床を作っているのだ。
そのため、小屋の下には広い空間が広がっている。
高さは、夫婦の身長の倍以上はあるだろう。
風通しがいいからか、土は十分に乾燥していた。
小屋を建てる時にしっかりと整地したのだろう、地面はよく固められている。
日が差し込んでこないから、草木の芽も生えていない。
少し暗くはあるものの、驚くほどに素晴らしい立地といえる。
そう。
夫婦はここに、村で最初の家を建てるつもりでいたのだ。
村を治める、村長宅である。
「がんばろうね、村長さん」
「お互いにね、村長婦人」
クランスとレチェル。
夫婦はお互いの顔を見て、笑いあった。