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異世界で家を買いました。  作者: 月下美人
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イナコス村


 イナコス村は典型的里山付きの村落だった。

 主な産業は農業。人口は千人を少し上回る程度。

 樹皮を剥いただけの丸太で枠を作り、板を張っただけの木造建築が畑と畑の合間にぽつぽつと建っている。そんな風景が広がっている。

 「あんたら、こんなちんけな村に何の用だ?」

 街道から外れて村に向かうと、近くで草を刈っていた四十代らしい男性に声を掛けられた。村人以外の人間が村に来るのがよほど珍しいらしい。

 「えーっと・・・『レマ・ティコス』からへ・・・」

 「返品か!?」

 最後まで言わせる間もなく、オレの言葉を遮って男が叫んだ。

 「は、はい!?」

 思わず直立不動になって返事をしてしまうオレの肩を、男はがしっと抱えて村の中へと歩き出した。他の者が慌てて後を追う。

 道すがら、その男性から聞いた話によると村はいまかつてない物資不足なのだという。

 『レマ・ティコス』からの注文に応えるため、という名目で業者に根こそぎ買い叩かれてしまい村の備蓄分もなくなってしまったのだ。

 村の者たちは『レマ・ティコス』の注文数が間違っているに違いないから確認するようにと求めたのだが、聞いてもらえなかったそうだ。

 「あの店とは長い付き合いだからな、注文される数量はある程度把握している。絶対余るはずだとは思っていたんだが、返品してくるかどうかはわからなかった。こっちから返せっていうわけにもいかねぇしな」

 村の倉庫だという大きな建物の前で、ようやくオレは解放された。村のほぼ中央に当たるらしい。

 「これが、返品リストと女将さんからの手紙です」

 女将さんから預けられていた手紙を懐から出して手渡す。その間に、ミーレスたちが空間保管庫から返品の山を出した。

 「おう、ご苦労さん」

 機嫌よく握手までしてくる男性に、若干引きながら、オレは次の目的に映った。

 「それとですね、オレは冒険者でして、冒険者ギルドからの冒険依頼の件でも訪ねさせてもらっているんです。村長さんに会わせてもら・・・えますか?」

 これなら話がしやすい、と安心したオレがそう言いだした途端、男の態度は急変した。

 冒険者ギルド、という単語が耳に入ったのと同時に、顔が苦々しげに歪んだのだ。

 「冒険者ギルドだ? あんの役立たずの手先か、そんなもんに用はねぇな。失せろ!!」

 ああ、やっぱりか。

 依頼を出したのは二年前、それ以降何の音沙汰もなし。この二年、ヤキモキがたまっていたとすれば、この反応はむしろ自然だった。

 「ま、待ってください!」

 今度は無理矢理押し出されそうになりながら、アルターリアが懸命に訴えた。

 「村長に、村長のロートスさんにアルターリアが来たと、『紫水の光』が来たと知らせてください!!」

 ミーレスはじめ仲間たちは、すんでのところで手を出すのを自重していた。

 村落の農民などという無力な人間に冒険者が手を出したりしたら、それこそどうなるかわからない。

 周囲で遠巻きに様子を見ることしかできなかった。

 出口のない混乱が広がろうというとき、幸運は意外なところで現れる。

 もしも、『レマ・ティコス』からの返品を携えてきていなければ、村への道で男に声を掛けられた時点で冒険者ギルドという単語を口にしていれば、オレたちの旅はここで終わりとなって帰らなくてはならなくなっていたかもしれない。

 だが、そうはならなかった。

 村の中央部で起こった騒ぎが、アルターリアの叫びが、村長の耳に入ったのだ。

 「紫水の光、こいつぁたまげた。えらくでかくなったなぁ」

 杖をついて現れたのは七十にもなる翁だ。頭には雑に編んだ麦わら帽をかぶり、顎にはヤギ髭が垂れている。

 腰は曲がり、左足を引きずってもいるが、その瞳は少年のように生き生きと輝いていた。

 「ロートスさん・・・。よかった、どうしようかと思いましたよ」

 男の手から逃れることのできたオレを見ながら、アルターリアが、安堵の息を吐いた。

 「ばあさんも喜ぶじゃろう、家に来い。そちらのお仲間もな」

 爆発寸前だったミーレスたちに微笑みかけて、村長は返事を待たずに踵を返した。

 村長の家はそこからさほど離れていなかった。これなら杖をついて歩く年寄りでも、駆けつけられるだろうと思える距離だ。

 「やれやれ、それにしても。紫水の雫や、お前さんが冒険者になるとはのう」

 家に着き、来訪の目的を告げると、村長は感慨深げにアルターリアの頭を撫でた。

 村長ということで来客があることを想定してあるのだろう。食堂らしい広めの部屋に通された。素朴な木のテーブルとイスが用意されているが、椅子は人数分なくオレとアルターリア以外は椅子ではなく木箱や踏み台に腰かけている。

 ちなみに踏み台に腰かけているのはラリスだ。

 「冒険者ではないのですけどね」

 正確には「冒険者ギルドに所属する冒険者のパーティーを構成しているメンバーの一人」、が正しい表現になる。

 「しかも、この依頼を受けてくれるとは」

 「それが・・・少し違うんです」

 誤解がありそうだ、とアルターリアは村長に真摯な瞳を向けた。

 「『彼女』に用ができたので会いに来たかったのですが、ここまで来るための手段がないことに気が付いて、調べたのです。そしたら、冒険依頼が出ているってわかって押し付けられただけなんですよ」

 「理由はこの際、問題ではない。この事態にお前さんがここに来た、それが重要じゃて。わしには会ってもくれなんだからな、あやつは」

 顎髭をしごきながら、村長は嘆息した。

 「いるのは確かなのですか?」

 「確かじゃ、じゃが呼びかけても顔も出さん。誰とも会う気がないということじゃろうな」

 細く長い溜息をついて、村長は自嘲の笑みを浮かべた。

 「こんな爺になっては色男も台無しなのかもしれんのう」

 「・・・そういうことを言うから機嫌を損ねるのだと思いますよ?」

 村長の言い方だと、『彼女』が面食いの男好きということになってしまうじゃありませんか。と、アルターリアが抗議している。

 なんか、楽しそうだ。

 「ともかく、明日の朝早くに出向いてみます。えと、どこかに宿を取りたいのですけど、紹介してもらえますか?」

 「宿? ここに泊まっていけばよかろう、ばあさんが喜ぶ。部屋がないから全員そろっての雑魚寝になるが・・・かまわんじゃろ?」

 女性陣の顔を見渡して村長が確認して、ラリスを含む全員が何の躊躇もなく頷いた。

 ミーレスたちにとってはそれが当然だったし、ラリスにとってはどうでもいいこと、のようだ。

 そうと決まれば、全員が動き出す。

 アルターリアを筆頭に、長老の奥さんを手伝って夕食と寝場所の準備を始めた。

 ミーレスたちに置き去られたラリスが、慌ててあとを追っていく。

 「オレたちは薪でも割ってようか」

 オレの警護としてだろう、そばに残ったシャラーラに声をかけた。

 「んだっすね」

 何もせずにいるのが落ち着かなかったらしいシャラーラが即座に同意してくれた。

 オレとシャラーラで、力仕事を片付けていく。

 そうと知ったアルターリアが恐縮した顔で止めに来たが、他人の家で主人面する気のないオレは、軽く手を振って躱した。

 こうしてイナコス村の夜は更けていったのだった。


 朝日が山の稜線を照らし始める時間。

 群青色の空の下、五人分の影が村長の家を出て村からも離れつつあった。

 服装はいつも迷宮に向かうのと変わらない装備だ。

 違うところがあるとすれば、シャラーラのリュックサックだった。ラリスの鍜治道具が入っていて、出発した時点ですでにパンパンだ。

 万が一、出先で『エザフォス・クスィフォス』の鍛えなおしをすることになったとき、道具がないというわけにはいかない。というので、必要になるかもしれない道具をすべて持ち込んでいるのだ。

 オレの背にも鍛冶の道具と『大地の刃』の入ったリュックが、ミーレスの背には『桃の蜂蜜』が二樽。アルターリアの背には食料と水が背負われている。

 手ぶらなのは、ラリスだけだ。

 明らかに荷物が多い。

 ミーレスが、遠慮がちにオレの空間保管庫を使うことを提案したが、アルターリアとラリスの反対があり、オレはミーレスの提案を却下した。

 ラリスは自分の道具が、自分の目の届かないところに行くのが嫌だったようで、アルターリアは空間保管庫を開けるだけの広さがないかもしれないということだった。

 空間保管庫の使い勝手の悪さには、常々頭を悩ませているので、オレとしてはアルターリアの懸念を無視できなかった。

 「で、その『彼女』とやらのいるところは遠いのか?」

 村が完全に、屋根の端すらも見えなくなるまで歩いたところで、ラリスがやや棘のある声音で疑問を口にした。

 一行が歩いているのは森の中を通る林道、人が一人で歩くのがやっとの幅で森の中ほどは草が生い茂っていないという程度の道。

 もちろん日々迷宮で鍛えている彼女たちにとってはさほど苦でもないのだが、一つだけラリスのみならず女性陣全員が閉口する要素があった。

 虫である。

 迷宮内には絶対いない、小さな羽虫どもが彼女たちの頬や首筋、耳元を我が物顔で飛び交うのにだけは我慢がならなくなりつつあったのだ。

 これなら、魔物が群れで迫ってくる方がずっとまし。と同じ感想を抱いているようだ。

 「この森を抜けるとすぐに湖・・・いえ、池でしょうか? があります、そこまで我慢してください」

 アルターリアが申し訳なさそうに答えた。

 「アルターリア、その『彼女』はなぜ村に住んでいないの?」

 わざわざ村から離れた場所で一人、暮らす意味が分からず訊いてみた。

 「住めなくはないのでしょうけど・・・それじゃ意味がありませんし、逆にいろいろ問題が起きかねない・・・理由はいろいろです」

 意味がない?

 つくづく訳が分からない、と全員が目を見交わす。

 「おっ、森を抜けたんじゃねっすか?」

 最後尾にいたシャラーラが、注意を促した。長身で森に順応する獣人の彼女には最後尾からでも森の切れ目が視認できたらしい。

 「なんですか、これは?」

 森を抜けると、ミーレスが開口一番そう呟いて絶句した。

 ミーレス以外は呟くこともできずに目の前の光景を凝視する。

 穴があった。

 イナコス村の半分がすっぽり入りそうな広さの土地がえぐられていたのだ。

 「あ、ひょっとして」

 あることに気が付いて、オレはアルターリアに顔を向けた。

 「これが冒険依頼にあった『年々水位が減少している湖』か?」

 アルターリアは・・・答えなかった。

 顔面蒼白の見本のような顔で立ち尽くしている。

 「あ、アルターリア!」

 「!・・・す、すみません」

 驚いて思わず叫ぶと、ようやくアルターリアが反応を返して、気を取り直そうというのだろう、深く息を吸った。

 「そうです、ここが目的地です」

 そう言いながら、アルターリアは何かを探すように顔を左右に振った。

 そして・・・、「あれです!」穴の一隅を指差してみせる。

 水位を失った湖、その一隅にわずかに水が残っている場所、アルターリアが指差したのはその水たまりだった。

 「あれがなんなのだ?」

 訝しげに眉を顰めるラリス、オレたちも思いは同じだったが直後、アルターリアが走り出したので慌てて追いかけねばならなかった。

 「ああ、水が湧く場所なのですね」

 近くまで寄ったミーレスが、水面を観察しながら頷いた。

 時折気泡が上がってきているし、水の流れがあるのも見て取れる。

 いわゆる源泉、というものがあるのだ。

 「ここから出る水が減ったせいで水面が下がっているのでしょうか?」

 頬に手を当てたミーレスが首を傾げる。

 「ミーレスさん、荷物を下ろして『桃の蜂蜜』を出してください」

 水面をじっと見つめていたアルターリアが、振り向いて指示を出す。

 こんなところで? と、一瞬疑問符を浮かべたが、ミーレスはすぐに荷物から『桃の蜂蜜』を取り出してアルターリアに手渡した。

 小玉スイカ並みの大きさの小樽を片手で持ちながら、アルターリアはどこかで拾った小枝を泉の水面に触れさせる。そして、その枝に少しずつ蜂蜜を垂らし始めた。

 「お、おい?」

 何をしているのか誰もが疑問に思う中、アルターリアは当たり前のことのように続ける。

 枝に垂れた蜂蜜がゆっくりと枝を伝い、水面に流れ込んでいく。

 水面に落ちた粘液質な金色の液体が溶け合うことなく水の中を落ちていく。

 「え・・・・!?」

 声を出したのが誰だったかはわからない。だが、とにかくアルターリア以外の全員が驚倒した。

 突然、水面が盛り上がったかと思うと、幼さを残す少女が、アルターリアの持つ枝にしゃぶりついて蜂蜜を舐めとり始めたからだ。

 水面に出てきたその少女にもアルターリアは驚く様子を見せず、ゆっくりと枝を水面から離し、上げていく。やがて、少女の全身が水面から出た。

 袖の大きく裾の広い衣に身を包み、足元まである黒髪に角のような金色の飾りを付けている。衣は水を固めて作ったかのような青い色で、瞳は金色だ。

 「はい、ここまで」

 中身が半分くらいになったのを見て、アルターリアが枝を少女に渡すのと同時に小樽に蓋をした。

 少女は、そこで初めてアルターリアを見た。

 もっとよこせ! とでも言いたいのだろう、金色の瞳が鋭い視線を叩きつけていたが、すぐに真ん丸に見開かれ、優しげな細目になった。

 「なんじゃ、アルではないか。久しいな、二十年ぶりくらいか?」

 「八年ぶりですよ、レジングル」

 「そうか、そのくらいか。時間というやつには未だに慣れぬ」

 あははは、と笑いだす少女を前に、誰もが口を開くことをためらった。登場の仕方も、姿も、言動も・・・どこをとっても普通ではない。

 「・・・ロートスに頼まれたか?」

 そう尋ねたレジングルという少女の顔に陰が差した。

 「それもある、けど、私もあなたに訊きたいことがあるのです」

 「ききたいこと?」

 不思議そうな顔になったレジングルが、ここで初めて他の者たちを視界に入れた。

 「ふむ・・・立ち話もなんじゃ。入るがよい」

 尊大に言い放ち、レジングルは泉に飛び込んだ。水柱どころか波一つ立てずに、泉の中へと吸い込まれていく。

 「ちょ、ちょっと、あれ、なに?!」

 姿が見えなくなった途端、耐えきれないとばかりにラリスが素に戻ったユミーの顔で、アルターリアの腕をつかんだ。オレも同じ気持ちだ。

 呆然としすぎていて、出遅れたけど。

 「竜です。遥か昔からこの泉の守護をしています」

 「あ、え? り、りゅう・・・ですか? あの、トカゲのおっきい・・・」

 「ミーレス姉さん、それはドラゴンっす。アルターリア、竜と知り合いになんてどうすたらなれるんすか?」

 ミーレスの誤解を短い言葉で訂正したシャラーラは、瞳をキラキラさせてアルターリアに詰め寄った。

 獣人の彼女に、竜は特別な存在なのかもしれない。聖なる生き物として神とほぼ同格に扱われる存在だったりするのかもな。

 「別に大した逸話はありませんよ。昔、湖畔で遊んでいて落ちただけなのです。『桃の蜂蜜』のついたパンを持ったままね」

 蜂蜜の甘い匂いに釣られて出てきたレジングルは、アルターリアが溺れているのに気がついて岸まで上げてやった。

 上げてもらったアルターリアは混乱してイナコス村まで逃げ、村長のロートスに話をした。そこで初めて相手が竜であることを知り、助けてもらったお礼をしに湖畔まで戻ってきて親交を持ったのだ。

 その時も、手土産に『桃の蜂蜜』の小瓶を持参していた。

 「ロートスさんも若いころにレジングルと遭ったことがあったそうです。その時は葡萄酒が気に入られていたらしいのですけど」

 「神様が存在することが当たり前なんだ、竜を否定するのも妙だよな」

 この世界はかつて、神様が普通に生活していた。

 精霊とか竜とかがいるからって驚くこともない。

 考えてみればそういうことだ。

 オレは、肩をすくめた。

 「で、入るがよい、ってどこにでしょう? まさか私たちにもこの中に入れとでもいうのでしょうか?」

 少女が消えた泉の水面を指差して、そりゃ無茶だ、とミーレスは口を歪めた。

 「あ、いいえ。じきに水がなくなって階段が出てきますよ。この湖は本来地底湖なのです。下にもっと大きな空洞があって、レジングルはそこに住んでいます」

 アルターリアが話している間に、泉の水が減っていき、言葉通りに階段が現れた。

ふと見渡すと、湖の他のところから水が溢れ出ている。

 「降りましょう」

 平然とした足取りで降りていくのを、オレたちは思わず尊敬の目で見つめてしまった。

 階段の先は完全な闇が広がっている。

 「オレたちも、行こう」

 気を取り直して言い、ミーレスたちも多少血の気の失せた顔で頷いた。

 水の音が聞こえる。

 地底湖だというなら当然だろうが、まったく何も見えないので状況がさっぱりつかめない。さすがに不安が湧き上がってくる。

 とりあえず水の音がする方へ進めばいいのだろうというのはわかるので、すり足で少しずつ進んでみる。やがて、行く先に青白い光があるのが見えた。さっきまでいた地表の明るさを思うと、ほとほと頼りない。

 周囲に仲間たちの息遣いを感じなければ、正直後ろを振り返って一目散に逃げ出したくなる。

 ポッ・・・・。

 ポッ・・・ポッ・・・・・。

 明かりが、点いた。

 天井や床・・・建物ではないのだからそう表現するのも妙なものだが、とにかく周囲に青白い灯りがいくつも灯っていった。頭上だけでなく前後左右足元にまで星空が広がっていくような光景だ。

 「すまぬ、人間が闇では物を見えぬことを失念しておった」

 最初に見つけた明りのもとに、レジングルはいた。

 地上にあったのと同じような泉を、囲むように並べられた岩の上に、ちょこんと座ってオレたちが近付くのを待っている。

 横に立ったアルターリアが、なんかすまなそうしている。

 「精霊のおかげで、私は灯りを必要としないものですから・・・申し訳ありません。私が気が付くべきだったのですが、気が付かなくて・・・」

 アルターリアにはこの暗闇でも物が見えらしい。

 なるほど。

 それでは灯りが必要なことに気が付かないということもあるだろう。

 そんなことより・・・。

 「・・・」

 絶句。

 もう、言葉が出なかった。

 レジングルの背後には水の壁があった。

 凍っているわけでもなく、水が壁のようにそびえている。

 レジングルが、この地底を沈めていた水から人間たちを守るため隅に寄せたのだろうとは理解できたが、それを実行してのける力の強さたるや完全に理解の範疇から外れている。

 「さて、訊きたいことがあるのであったな?」

 人間たちが十分に近づいたと判断したレジングルが、あまり乗り気ではない様子で話し出した。

 アルターリアが、大きく頷く。

 「まずは、上の湖の水が減少している理由を聞かせてもらえますか?」

 「うむ・・・あまり言いたくはなかったのだがな・・・」

 逡巡するように呟いて、レジングルは手をアルターリアのほうへと伸ばした。アルターリアもまた手を伸ばす、持ったままだった『桃の蜂蜜』の小樽を持つ手を。

 竜の少女は、その小樽を両手で抱えてゆっくりとあおった。

 ふーっ、と満足げに息を吐いてレジングルは瞳を閉じた。

 「我の死が近いからだ」

 さらりと告げられたことの意味が理解しきれず、人間たちの間に沈黙が広がる。真っ先に我に返ったのはアルターリアだ。

 「え!? なんで、いきなり!!」

 「これこれ、いきなりなどではないぞ。我はすでに二万年を生きてきておる。身体ぐらい衰えもする」

 二万年、と聞いてアルターリアは言うべき言葉を見失ったようだ。

 視線が宙に浮く。

 わからなくもない。

 たかだか16年程度しか生きていないエルフ風情が、二万年もの歳月を生きてきた竜にかけられる言葉などないだろう。

 「わからないんだけど、竜ってそんな長生きするものなの?」

 眉を寄せてオレが聞くと、レジングルは自嘲の陰りが透けて見える笑みを見せた。

 「これでも、かなり短いほうだ。平均すれば五万年くらいが普通だからな。若いころに少々無理をした反動だろう」

 「少々の無理って・・・」

 いったい何をしたのか? と訊きそうになるが、オレは言葉を呑み込んだ。

 それを聞いたからと言って何がどうなるわけでもない、単に自分の好奇心を満足させるだけのことになる。

 そんな質問はできない。

 代わりにミーレスが別の角度から質問をした。

 「レジングルさんが水を供給しているのでしょうか? レジングルさんがいなくなると湖は干上がるということですか?」

 「いや、逆じゃ。死が近付くと喉が乾くらしく、やたら水を飲んでしまうのだ。それで水が減っておる。我が死ねば水は戻るだろう」

 「なんでそんな、平然としていられるんですか?!」

 他人事のように自分の死を言葉にするレジングル。その気楽な様子に、アルターリアが声を高くした。

 「アルターリア・・・」

 気遣わしげに、ミーレスがそっとアルターリアの背中に手を当てている。

 筆頭奴隷として、妹分を気遣おうというのだろう。

 それと、オレをメインの場に押しあげようとの意図もある。

 レジングルもその雰囲気がわかったのだろう、困った顔でアルターリアに顔を向けた。

 「人間の尺度では大変なことなのかもしれぬが、数万年生きる竜にとって、死とは一日の終わりに眠りにつくような自然のことなのだ。寂しく思ってもらえるのはうれしいが、悲しまれるのは心外だぞ」

 そう言われても、アルターリアの表情は晴れなかった。それでも悲しまれるのが心外だというのは理解できたようで、ぎこちなくではあるが頷いた。

 「湖のことはもうよいな? もう一つの訊きたいこととはなんだ?」

 小樽をもう一度あおって、レジングルが問う。

 「この剣を直す方法を訊きたいのです」

 アルターリアをちらりと見て、オレが進み出る。

 『大地の刃』を掲げて見せた。

 もともとこれはオレが訊きたかったことだ。アルターリアが衝撃から覚めきれていないなら、自分が訊くべきと判断したのだ。

 「直す?」

 レジングルが首を傾げて『大地の刃』を見たので、オレはやってしまった無茶を話して聞かせた。

 「ああ、精霊力が枯渇しかかっておるのだな」

 話を聞き終えた竜はさらりと答えを出した。

 「精霊じゃと?!」

 ラリスが目を剥いて叫んだ。

 竜の目が、チラリと動いてラリスを見据えた。

 「うむ。それはラリスの血統により鍛えた武器であろう? 初代ラリスに力を与えた神は精霊を生み出したものの一柱でな。その手により生み出されるものには、精霊がつきものなのだ。そこから火の精霊だけが失われて、精霊力のバランスが崩れたのだろう」

 「な、直せますか?!」

 身を乗り出したミーレスに、竜は難しそうな顔になった。

 「方法はある。だが、我には教えられない。いや、教えようがない」

 「どうしてですか!?」

 ミーレスが噛みつくように声を上げた。

 言い終わるより先に、非礼だと気づいて顔を歪めたがもちろんもう遅い。オレの頼みをあしらわれようとしているのを見逃せなかったのだ。

 まぁ、竜の方は気にもかけずに聞き流したようだが。

 「我は竜だ。精霊ではない、精霊には精霊の流儀がある。竜である我が勝手なことはできぬ。精霊に訊くのが筋というものだ」

 「精霊に聞けと言われても・・・」

 ウンディーネでも聞けばいいのか?

 思わずアルターリアを見てしまった。

 「言っておくが、確固とした意識もないような下級精霊から聞こうなどと思っても無理じゃぞ。古代から存在する大精霊でないとな」

 「ですが、レジングル様。それほどの大精霊を探すこと自体が、すごく難しいことではないかと思うのですが」

 気持ちの切り替えができたらしいアルターリアが遠慮がちにそう口にする、と竜は意外なことを口にした。

 「はん! 古代の精霊なんぞ、探せばどこにでもおるわ。竜と違ってな。知らん顔で街に住んでいる奴もおるだろうし、このすぐ近くにも一人おるぞ?」

 「は?!」

 全員が驚きの声を上げると、竜は肩をすくめてから右腕を水平に伸ばした。指先が地底湖の一角を指し示している。一段と大きな明かりが灯ったそこには、明らかに人工的な横穴が開いていた。

 「あの穴に入って進むと地下神殿に出る。その最上部最奥に転移魔法陣があるからそれに乗れ。その先で精霊が寝ているから、これを叩き起こして訊くがよい」

 「叩き起こすてって・・・怒られねぇすか?」

 シャラーラが不審そうな顔になる。

 普通に考えれば、間違いなく激怒ものの行動だから当然だ。

 「怒りはせぬだろうな、それ以前に驚くはずだし・・・くっくっくっ・・・」

 なにを考えたのかアルターリアを見て意地悪く笑う竜が、手を振って「行った、行った」と人間たちを追い立てる。

 「わ、わかりました、ともかく行ってみます」

 オレたちは疑念を抱きながらも、ともかく示された横穴に向かった。疑問については、アルターリアが何か知っていそうだから、様子を見て聞きだすとしよう。

 「おおっと、そこのチビ」

 「・・・・? 私のことか?」

 気軽な感じに声を掛けられて、ラリスが振り返る。

 一番の年上だが、確かに一番背が低い。

 竜が手招いていた。

 「お前さんは残れ」

 「なにか用なのか?」

 眉を寄せてラリスが訊くと、竜は大きく頷いた。

 「頼みたいことがあるというのが一つ、もう一つはお前さんが行くと精霊が激怒する確率が上がるということだ」

 「私が行くと? なぜだ、私が精霊に・・・」

 なにをした? そう続けかけたラリスは言葉を切り、剣呑な表情で黙り込んだ。

 今回のことは、精霊を剣に宿らせたラリスにも責任はある。

 精霊との間で軋轢が生じる可能性は高い・・・かもしれない。

 その事実に今更ながら気づかされたのだ。

 「わかったようだな。まぁ、その精霊はお主のことには全く関知せぬだろうとも思うが、一応な。悪いことは言わん。ここに残れ」

 「・・・うむ、どうやらそうするのが賢明らしいな。ハルカ殿、すまない。私は先に進めぬようだ」

 オレは仕方がない、という風に頷いた。

 不安がないでもないが、アルターリアが友と慕う相手だ。

 疑う気持ちはない。

 「レジングルのことを頼みます」

 アルターリアが頭を下げる。

 「では、いってきますね」

 ミーレスたちも口々に短く言葉をかけて、背中を向けた。

 シャラーラが、ラリスの荷物を下ろし始める。

 オレも、そうした。

 ただし、『エザフォス・クスィフォス』は残した。

 使い物にならないとしても、やはり相棒は手放せない。




次回更新も来週の、この時間行います。

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