ばれた
そんなこんなで、時刻は5時40分。
もう少しいてもいいが、7時前までにもう一階層上がるのは無理だろう。かといって、時間ぎりぎりまで迷宮にいて明日の朝すぐにゲートキーパーというのは避けたい。
「今日はここまでにしよう」
17階層に出たところで、そう声をかけた。
これでもいつもと比べれば1時間ほど遅いのだ。
無理をする理由もないのだし、馴らしも兼ねている。
この辺が引き時だろう。
いつも同様、移動部屋に出た。
装備を外して棚に入れる。そうすれば、あとでミーレスが装備の手入れをしてくれる。
ここまでが昨日までの手順。
だが、今日からは少し違う。
棚の上に、500ミリリットルペットボトルのような『魔力蓄蔵・供給器』がのっている。ここに、魔力を供給しなくてはならない。
自分の照魔鏡を取り出して、かざしてみる。
反応がない。
近付けただけで吸収することはないことが確認できた。
今度は、魔法を使うときの要領で、魔力を『魔力蓄蔵・供給器』に送り込むのをイメージしてみる。
今度はうまくいった。
流れていく魔力は見えないが、ペットボトルのような透明な器の中に青い液体状のものが湧き出すようにして溜まっていくのは見えた。
元世界の百均の店で売られている、液体の時計のようだ。
照魔鏡内にある魔力の半分ほどを入れたところで、送り込むのをやめる。
「みんなも、入れてくれ。照魔鏡に溜まっているのを半分くらいでいい」
「どうすればいいのですか?」
照魔鏡を手に、ミーレスが首を傾げる。
魔法を使ったことのない人には、やり方がわからないようだ。
「あー、と。そうだな・・・」
どう説明すればいいのだろう?
目が泳いだ。
「照魔鏡を水がいっぱいに入ったコップだと、そうイメージすればいいんです。そのコップを傾けて、この瓶の中に半分だけ注ぎます。その光景を頭の中に描けば、できますよ」
説明するのに詰まったオレを見かねたのだろう。かわりにアルターリアが説明してくれた。さすがに魔導士兼精霊使い。
わかりやすさと説得力が違う。
説明しながら、アルターリアは自分のでやって見せている。
蓄蔵器の中の青い液体の嵩が増えていく。
「どうですか?」
終わると、ミーレスの顔を覗き込むようにして聞く。
ミーレスの眉が、かすかに揺れた。
妹分に気遣われている。
あまり気分のいいことではないだろう。
しかも、そのことをアルターリアが承知の上でやっているとなればなおさらだ。
「大して難しくはなさそうね」
挑むように答えて、ミーレスは軽く息を吸い込むと、明らかにアルターリアではなくオレのやり方をまねる形で実行した。
数秒間は変化がなかった。
それでも、オレがもう一度何か声をかけようかと思い始めたところで、蓄蔵器の中で青い液体が回り始めた。
ミーレスの顔がパッと輝いた。
よかった。
うまくいった。
我がことのようにほっとしていると、アルターリアがオレに視線を向けてくるのに気が付いた。
「?」
なんだろ?
疑問を感じたのと同時に意味に気が付いた。
視線を向けてきたのではない。
目くばせだ。
「ミーレス! それぐらいにしておけ」
「ぁ! は、はい!」
できたことにほっとして、ミーレスは半分以上の魔力を送りそうになっていた。
つまり、ミスをしそうになっていたのだ。
そのことを、アルターリアが指摘したのではミーレスが恥をかく。オレに注意されるなら恥にはならない。
次はシャラーラだが、こっちの方が大変だった。
やり方を理解させるのに結構な時間がかかった。
ようやくできるようになったかと思うと、今度は魔力蓄蔵器が一本。途中で満杯になってしまって、もう一つのほうに切り替えないといけなかったりしたせいだ。
どうやら、四人分で大体一本が満タンになるらしい。
もちろん今日の量から半分ずつで、ということだ。
今夜のうちに、肉体改造でどれだけ魔力を使うかはわからないが、使い切るということはないだろう。そうすると、明日の朝も出がけに入れることができると思う。
照魔鏡を空にしていいわけだから、全部使うとして・・・。
概算だけど、一日の迷宮探索で携帯版『魔力蓄蔵・供給器』を二本、満タンにすることができると考えてよさそうだ。
あとは、明日の朝。リリムとフェリシダに簡易版『魔力蓄蔵・供給器』を持たせて、コニーのところと、公爵のところを回らせて家に帰させてみる。
当面は、この一連の巡回に間に合ってさえくれれば、十分なのだ。
余裕を待って回ってくれれば大成功と言える。
できれば、一本で。
そうすれば、一本はリリムとフェリシダの交易用、一本をマティさんの移動用として使えるわけだ。
それが可能なら、今後は交易もマティさんの送り迎えもしなくていい。
迷宮に専念できる時間が増えるというものだ。
まるで、移動がもっぱら自転車だった生活に、バスを使えることになったような、そんな自由がもたらされる。
素晴らしい!
「ご、ご主人様!」
感涙があふれそうになっていたオレの横で、シャラーラの耳がぐるりと回った。
なにかが聞こえたらしい。
「どうした?」
「治療院で、なんか言い争ってるんじゃねぇっかって思うっす!」
言い争い?
いやな予感がして、オレは移動部屋を飛び出した。
移動部屋から出て玄関に。
玄関で靴を履いて治療院へと向かった。
ミーレスたちには家で待機を命じてある。
夕方5時を回った時間だが、14節も半ば。元世界の言い方に直せば7月の下旬だ。日が長くなっているので、まだまだ明るい。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 治療院が売りに出たってなに!?」
怒声が響いた。
夕暮れが近い、爽やかなひと時を斬り裂くような鋭い怒声。
「お姉ちゃん、治療院を・・・自分を売ったってどういうこと!? 奴隷として自分を売ったって聞いたわよ!? 説明して!!」
治療院からのようだ。声の主は・・・当然クレアだろう。
「誰に聞いたかなんて関係ない!! どうしてそんなことになったの!?」
治療院の玄関前までくると、またクレアの怒声が聞こえた。
二人は診療室にいるらしい。
壁越しで聞き取れなかったが、メティスがなにかを言ったようだ。
「見舞金のことは嘘だったのね! ・・・私、お姉ちゃんにそんなことしてほしくなかった!!」
メティスの声は小さくて聞こえないが、クレアの怒声は続く。
壁の向こうはどうやら修羅場らしい。
これはいけない。
クレアをなだめるべきだろうか。
しかし、メティスを買った立場のオレが顔を出しても余計にこじれるような気がする。
「私、お姉ちゃんのそういうところ、大っ嫌い!!」
中に入るか迷っている間に、バンッと勢い良く目の前のドアが開かれた。
一人、部屋から出てきたクレア。
ドアのすぐ前にいたオレと目が合うが、目元を拭い顔を伏せると、すぐに治療院を出て走り去ってしまった。
・・・今、もしかしなくても泣いていたよな。
まあ、自分の学費が治療院と姉の身を売った金で支払ったものだと初めて知ったのだ。
ショックでないわけがない。
入れ代わるように部屋の中に入ると、そこには診察台に座り込むメティスがいた。
「ばれてしまったな」
オレ自身、かなり気を遣って知られないようにしてきたというのに無駄だったようだ。
「どこから聞きつけたのか・・・」
それほど広く知れ渡るような話ではないはずだ。
公然と買主の募集が出る前に、マクリアの奴隷商人メルカトルの口利きで、直接売り主からオレが買い付けたのだから。
「たぶん、・・・騎士団よ。私の身はともかく、家の売買契約を所管するのは騎士団だから。何かのきっかけで売買契約書か登記書が目に入ったんでしょうね」
ああ。そういえば家の案内をしてくれたのも騎士団の騎士だったっけ。
もしかしたら騎士仲間の噂話を聞き込んだ、とも考えられるか。
朝言っていたオレがお金持ち、という噂は褒賞をもらった話ではなく。三百八十万ダラダ一括払いで、メティスごとこの治療院と家を買ったことだったのかもしれない。
「かなり、怒っていたな」
「クレアに、嘘をついて騙していたから・・・」
メティスがゆっくりと喋りはじめる。
「私の両親が、事故で死んだっていう話はしたわよね」
「ああ、でもそのことはクレアも知っていたよな」
メティスの両親が死んだとき、クレアはすでに帝都の騎士学校にいた。
けれど、メティスとクレアは近況を手紙で報告しあっていた。両親の死自体はクレアにも伝わっていたはずだ。
「ええ、葬儀のために一度戻ってもきているから。・・・でも、そのあとが問題だったの。あなたも知ってる通り、両親が死んだことで私はクレアの学費を捻出できなくなった。クレアもそれを心配したのよ」
騎士学校の学費。小学校すらないこの世界の学校だ、相当に高いだろうことは容易に想像できる。
両親が死ねば学費は止まる、それはクレアにも簡単に想像できただろう。
「・・・でも、私はクレアに、親が死んだからなんて理由で騎士になることを諦めてほしくなくて、両親も私もクレアの夢を本当に応援していたから・・・エレフセリアの叔父様が多額の見舞金を出してくれたから大丈夫だって、誤魔化したの」
両親の遺産がある程度あっただろうが、それだけで足りるようなものではなかった。そのことはクレアも気付いていた。
だから、クレアに大丈夫なんだと「嘘」を言って誤魔化した、と。
「そうなのか・・・」
パーティーの時に言っていたな。
プライベートで親戚みたいに付き合ってもらえてはいるが、公的に何かをしてもらったことはない、と。
当然金銭援助もなかったのだろう。
なかったというか、そもそも相談すらしていなかったらしいからな。
先日のパーティーで、そう聞いている。
相談されたとしても大したことはできなかっただろうとも言っていたし。
「大丈夫なんだ、と信じていたのに実際は家も治療院も売り、それで足りなくて姉が自分の身すらも奴隷に売っていた・・・哀しいし悔しいし・・・怒るのも無理ないか」
「そうね。もう二人だけの家族だし、私だけはクレアに正直でいないといけなかったのに・・・騙していたんだもの。怒るのも当然だわ」
そして、再度俯くメティス。
だけど、この場合の怒るというのは相手を思いやっているからこその裏返し、時間が経てば怒りよりも心配が強くなるだろう。そのときに、上手くフォローできれば何とかまともな話し合いには持ち込めるはずだ。
さすがに、奴隷というのはきついだろうと思わないでもないが。ミーレスやシャラーラ、アルターリアなんかを見ていると、奴隷に落ちるということをオレが元世界の感覚で感じるよりもかなり軽く捉えているように思う。
奴隷が普通に売り買いされている世界では、よくある話なのだろう。
あとは、本人の覚悟と、それを受け入れなくてはならない家族の間に残るしこりの問題ということだ。
メティスとクレアは本来仲のいい姉妹だし、気持ちが落ち着いて話し合うことができれば、和解できるだろう。
・・・オレが悪役になる必要はあるかもしれないが。
クレアもメティスを責めるよりオレを憎むほうが楽だろうからな。
大好きなお姉ちゃんを奴隷にして好き放題する極悪人ハルカ・カワベ、というわけだ。後ろから刺されないかだけが心配だが、まあ気を付ければ大丈夫だろう。
美人を抱えてハーレムを作るのだ。嫉妬や嫌悪、それ以外の理由で刺したいと思われることは覚悟の上だ。
クレアのやりきれない憎悪を向けられる対象となる覚悟を、オレは密かに固めた。
「奴隷でさえなければ、クレアの気持ちも多少は和らぐだろうが・・・」
「・・・そうかもね。でも・・・」
暗く沈んでいた顔に、メティスがほんの少し笑みを浮かべる。
「私、奴隷になるまで無理をしたことには少し後悔もあるけれど、・・・あなたの奴隷になったことには・・・感謝しているわよ?」
頬を紅潮させ、瞳を揺らして。
そんなことを言う。
「そ、そうなのか?」
「ええ・・・。私、あなたがくれた猶予期間中、ずっと考えてたわ。奴隷にならなかったら、どんな人生を送っただろうって・・・」
それは、きっと、奴隷に落ちた人間なら誰でもそうだろう。
ただし、普通はそんなことを考えていられる間も与えられず、働き続けることになるから、自然と考えなくなるだけで。
「奴隷になっていなかったら・・・。私はきっと、クレアが一人前になるまではって、お金を稼ぐために働きづめに働いたと思うの」
うん。それはすごくよくわかる。
ほぼ確定と言っていい予測だ。
「そうして、クレアが騎士学校を卒業して一人前になったら。こんどは、クレアにいい人ができるまで、できた時のための持参金を、結婚費用を、できるなら新居の費用をって考えたでしょう」
これもたぶんその通りだ。
すでにそうなった事実と言われても違和感がない。
「結婚した妹夫婦が幸せに過ごし始めたら。今度はきっと出産費用を、姪か甥の育児の手伝いを・・・って、気付いたら四十か五十ぐらいのおばさんになってて嫁の貰い手がなくなってるわ。よくて、お金持ちの後家さんね。体のいい介護要員よ」
うっ・・・そこまで言うと少し被害妄想の感じがするが、ありえる。
メティスは気の強い頑固な女性だ。頭もいい。
当たって砕けて、砕けて、さらに砕かれて砂になって、それでも言い寄る。
そのくらいの根性がある男に猛アタックを受けて、その男に誠実さがあって家族の応援があって、さらに メティス自身がなにかで精神的に弱ったようなタイミングと男の求愛が見事にマッチした。
なんて奇跡が起きない限り、実際そうなりそうな未来予想だ。
「クレアが心配していた通りの、一人寂しい人生・・・だね」
「・・・ええ。奴隷にならない私って多分そういう人生を送るタイプだったと思う。だけど私は奴隷になった。そして買われた先が、あなた・・・」
じっ、とオレの顔を見詰めたあと、静かな息を吐き出す。
「女に生まれたことの意味を半分くらい知らないまま、人生を歩んだかもしれない私に、そうじゃない人生を送る機会がもらえた」
男を知らないままでおばさんになっていたかもしれないのが、『女』を全うできる。
『人』としての人生であれば、一度もセックスしないまま生きたからと言って「意味がない」とはならないが『女』としてとなると、そう言えなくもない。
『男』ならそれは性行為をしないって意味でしかないが、『女』には妊娠中に胎児にお腹を蹴られるとか、出産とか授乳とか、性行為なしでは経験できないことも多い。
その経験がないからと言って『女』としてダメだなんてことは絶対にないけれど、『女』として生まれた意味は確かに半減するかもしれない。
それを言うなら、男も当然そうなるけどな。
ただ、男の場合は性行為なしでも父親にはなれる。遺伝子をのちに繋げられないだけだ。
「まあ、ね。ちょっと不満もあるけど・・・でも、奴隷にとっては最高に幸運な相手に買ってもらえたんだってことはわかるわ」
「そ、そうかな?」
「ええ、ミーレスさんたちを見ればね。そう思う。とくにフェリシダさんのことを聞いてからは強く、そう思えたわ」
フェリシダのこと。
子供をたくさん産ませてあげる、とか言った話だろうか?
自分の子供を産んで、育ててみたい・・・とか?
たぶんっていうか、それしかないわな。
「だから・・・私は、あなたの奴隷になれたこと、感謝してるわ」
瞳を潤ませて、メティスが囁く。
囁くというのがすごく大事。
耳を這い上がる虫がいるかのような震えが走った。
嫌悪ではなく快感。
こ、これは・・・。
診察台とはすなわちベッドだし。
子供を産みたいってのは、つまりそういうことだし。
お、オッケーサイン、来た――――――?!
これはもう行くしか・・・その、その直後。




