たいだん2
「いくつかっていったな? 他はなんだ?」
「あのな・・・この世界にはコーヒーがないんだ。何とか代用品でいいから見つけられないかと思って・・・」
ぐっ、と拳を握ってうなだれる。
そういえば、翔平はオレ以上のコーヒー党で、正統派のブラック嗜好だ。
飲めないのはつらかろう。
慰めようというのか、グラ―ティアが背後から勇者を抱きしめた。
おいおい。
いきなり所帯染みた悩みだな。
しかも解決済みだし。
「いや、あるぞ」
ニタッ、と笑って言ってやる。
「は?!」
「ぶっ?!」
バッと顔を上げた翔平の顔がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「くっくくくっ・・・」
「わ、笑ってないで教えろよ! どこにあるんだ!?」
立ち上がった翔平がオレの首に手をかけて、ヘッドロックをキメながら聞いてくる。本気で必死らしい。
「たぶん、帝都でも手に入るはずだぞ。ただし、コーヒーと言っても誰もわからんからな。お茶とかと同列に考えると見つからない。消臭剤というカテゴリで探してみろ。結構な安値で手に入る」
「消臭剤?」
「使い終わった豆を使うことがあるのは知ってるだろ? こっちでは飲むって発想にはならなくて、そのまま消臭剤になったらしい」
ああ、なるほど。という顔で、翔平が呆然としている。
「あとで、ブレヒティーにでもオレのとこにとりにこさせろ。あるだけの豆と、ネルドリップでよければ器具もくれてやるよ」
「ネルって・・・器具もあるのか?!」
ふっふっふっ・・・驚嘆せよ。
「実はサイフォンも作らせてな、家にある。現在量産計画が進行中だ」
「おおおお・・・・・・」
慄くように、翔平が声を漏らすのが面白い。
「だ、だったらサイフォンくれよ!」
って、おい!?
「誰がやるかぁ! 開発費いくらかかったと思ってんだ!?」
割り引かせれば人が買える金額だぞ!!
笑えん!
「で、ではお売りください! 開発費の倍で買い上げさせていただきますわ!」
必死な様子を見せる翔平に驚いていたグラ―ティアが、身を乗り出して叫ぶように言ってきた。
勇者様のためなら金に糸目はつけない、とギラギラとした目が声高に主張していた。
この女、本気で勇者様ファーストだな。
必死を通り越して悲壮感すら漂っている。
買いたいというなら売ってもいいが・・・。
「そうですね・・・さっきの話。妹の方の情報をあるだけ全部ください。それに金貨を10枚付けて交換ってことでどうですか?」
オレやマティさんにはない情報網が、きっと貴族にはあるはず。交渉なり戦いなりが有利に展開できるネタを握っているかもしれない。
金では買えないものだ。
サイフォン一つで手に入るなら安い買い物と言える。
「・・・情報ときましたか。さすがは勇者様のご友人。したたかですわね。けっこうですわ。報告用にまとめたものはお渡しできませんけど、そのために使った資料はすべて差し上げます。あとでブレヒティーに持たせますわ」
「交渉成立だな」
資料、つまり殴り書きみたいなメモ紙も含めた紙の束だ。
揃えてあるものもばらばらにしたうえで渡して寄こすとかもありそうだが、それでかまわない。
・・・分析はマティさんに丸投げにすればいいからな。
「これでふたつ。まだ何かあるか?」
聞くと、翔平は黙ったまま足元に目を落とす。
視線の先には、こちらの世界で売っているごく普通の革製の靴。
ああ。
そういうことか。
仕方ないな、と腰を浮かせかけて・・・考え直す。
「グラ―ティアさん。翔平は靴を脱ぎたいらしいよ。脱がせてあげたら?」
オレが自分で翔平の靴を脱がしてもいいが、ここは勇者様の手足となって働くのが使命という人にやらせればいい。
「え? そうなのですか?」
グラ―ティアが翔平を見下ろした。と、思ったら慌てて下がる。
三歩下がって主人の影を踏まず。
上から見下ろすのもだめらしい。
勇者様はほんとに大変だ。
オレなんて、ミーレスから見下ろされるのも大好きだ。
そのままキスとか最高。
だが、翔平がその悦楽を知るのは遥か先だろう。
順番とタイミングを間違えると、即座に血の雨が降るんじゃないかな。
「あー・・・。うん。いや、自分で脱ぐよ。自分で脱ぐから、靴を晴夏に渡してくれ」
翔平が焦ったように言い換えた。が、遅かった。
一度は肯定した。
本当はしてほしいが、遠慮したのだ。
してほしいことを率先して行うのが、私の喜び。
・・・ってことなんだろうなぁ。
グラ―ティアがうれしそうに、翔平の横に膝をついて靴を脱がしにかかる。
剣士だから、貴族令嬢という名詞のイメージにありがちな線の細さはないが、上品な物腰とスレンダーながら出るとこは出た体型の美人がひざまずいて靴を脱がす。
うん。ぜひやってみたいシチュエーションだ。
逆は、アルターリアのときにやっているけど。
「どうぞ?」
靴を渡す意味が分からないのだろう。
翔平の履いていた靴をオレに差し出しつつも、怪訝そうだ。
腰から、例の古びた道具箱を外しローデスクの上に広げる。
出てきた刃物類を目にして、グラ―ティアが一瞬身構えたが、翔平をチラリと盗み見て思いとどまると一歩引いた。
「あー。やっぱりな。左がきついんだろ?」
靴を覗き込むと、右のは何ら問題がないが、左のは少し歪んでいる。
翔平はなぜかいつも左側の靴が小さい。逆に言うと、左足が右足より少しだけ大きいのだ。一時期は、0.5分サイズの違う靴を二足買って、片方ずつ履いたりもしていた。
それでは無駄になるし、あまり意味もないので、いつからかオレがサイズ調整をしてやるようになっていた。
さらにそのあとは、うちで買うようになっていた。
オレが習得したばかりの修繕技術で、ぎこちなく調整しているのを親父が見つけて、オーダーメイドで一足作ってくれたことがある。
それが随分と気に入ったらしい。
オーダーメイドで、ぴったりの靴を作ってやれるから当たり前と言えば当たり前だ。ただし、一足一足手作りだから価格は少し・・・かなり高くなる。
二足買うほどではないにしろ、それに近い。
翔平の親たちにしてみれば市販品ですませたかったのだろうが、本人にしてみれば痛いのを我慢するより少しくらい高くても、足に合う靴を履きたかったというわけだ。
親から一足分の金をもらい、そこに靴用にプールしてあった自分の小遣いを足して注文に来る。親父が作る。そのあとサイズが合わなくなったり汚れるとオレが修繕する。
そんな関係性が出来上がっていたのだ。
元世界にいたころは。
なので、慣れたものだ。
縫い目を緩め、伸ばし、縫い直す。
ついでに軽く洗浄して、艶出しを塗れば終了だ。
ほんの数ミリずらすだけなので、実はそんなに手間ではない。
まぁ、この数ミリを調整する精密さがないと、できないということでもあるのだが。
「完成だ。一応履いてみろ」
「は、早いな」
驚いたように言い。翔平は靴を履いて、試すようにそこいらを歩き始める。
早いのは当然だ。
ミーレスたちのために靴づくりもしている。
日々、技術が向上しているのだ。
「どうだ?」
「ああ。あいかわらずぴったりだ」
満足そうな、ほっとしたような様子で、翔平が笑みを見せた。
「言いたかったことは、以上だ」
まじめ腐った顔で宣言してくる。
殴ってやろうか、とちょっと思うが苦笑しただけで許してやった。
オレって寛大。
「おまえのほうのは? なにかあったんだろ?」
聞いてくるが・・・。
「さっきの騒ぎで充分に伝わったはずだからな。別にいい」
警告という意味では十分すぎる。
それに、こちらが心配しなくても、事前に動いてくれるパーティーメンバーもいるようだしな。報告がいまいち遅くなりがちなようではあるが。
「そうか。俺たちはもうここを去るつもりだが・・・ブレヒティーを行かせるのはいつがいい?」
書類を届けに来るついで・・・逆か。サイフォンを取りに来るついでに書類を運んでくるのだ。
「そうだな。そっちの都合がつくなら夕方には欲しいかな。書類のほうは少しでも早い方がいいからな」
ただ、そうするとオレの夜の一杯がネルドリップになるわけだな。
ちょっとかなしい。
別に不満はないけどな。
「なんなら、オレがいないあいだに届けて、持っていってもいいぞ」
ブレヒティーのことはメティスも知っている。口頭で要件を告げるだけでも構わない。話は通るだろう。
それに、このあとの話がどのくらい時間のかかるものになるかがわからないし、ラーホルンや公爵との話がうまくいけば、フェリシダは家にお持ち帰りするつもりだ。そうなると帰ってからもやることが多い。
そのときにブレヒティーの訪問なんかがあったのでは、正直めんどくさい。
「それでいいならそうさせてもらおう」
話は終わった。
翔平が立ち上がり、オレも立つ。
「じゃあな、勇者様」
「達者でな、一般人」
ハグとか握手とかする趣味はない。
軽く笑みをかわして分かれた。
魔法使いの結界を解いてもらい、部屋を出た。
勇者様パーティーに見送られ、ラーホルンたちのいる部屋・・・。
「館の主人の部屋ってどこだろ?」
知らないことに気が付いて愕然とする。
「貴族の邸宅なんて、装飾の趣味はともかく構造はたいてい同じようなものです。ここもそうでしょう。予想はつきますよ」
ミーレスが先に進んでくれたので、その案内についていく。
後ろ姿も、やっぱり美しい。
抱きしめたくなった。
「・・・・・・」
・・・抱きしめてしまった。
「悪い。進んでくれ」
離してから、囁く。
「いえ。とてもうれしいです」
振り向いて微笑む顔が・・・エンドレスになりそうなので気力を振り絞って耐えた。
右手でシャラーラと手をつないだのもその一環だ。
ミーレスの言うように、大体の構造は同じだったようだ。
そのあとは警備の騎士たちがこちらを見つけて接触してきたので案内させた。
さっきと同じように、シャラーラが扉の外で立哨。
中ではアルターリアが精霊を使って歩哨の役目も負いながら、魔法を使って結界を張る。久々に言うが、・・・アルターリアは優秀だ。
「ご主人様!」
ソファでラーホルンと談笑していたフェリシダが急いで立ち上がる。横でラーホルンが、困惑顔だ。
公爵もさすがに少し顔をしかめている。
「お客様と大事な話がある。別室に控えていてくれ」
『今まで』と同じ口調で場を外すよう要求した。彼女は何も言わずに会釈して部屋を出ていく。
アルターリアの結界は魔法的干渉から守るためなので実体には影響がない。
「リーズンさん。すみませんが、彼女をお願いできますか?」
「私とフェリシダは、10年来の知り合いです。お任せを」
おっと。
そんな仲だったのか。
知らなかったな。
でもそれなら安心だ。
「頼む」
フェリシダとリーズンが出ていき、ソファにはオレ、ラーホルンと公爵が向かい合って座った。ミーレスはもちろんオレの後ろに立っている。
「ご主人様・・・なのですか?」
トーンを抑え、慎重さのにじむ声音で、ラーホルンが口火を切った。
『八年前以前』というのも引っかかっただろうが、やはりそこが気になったようだ。
「まず、男爵の妻だった当時・・・つまりほんの一時間前までのということですが、
フェリシダがどういう立場だったかを説明させていただく必要があります」
「立場、ですか」
もともと気にかかっていた部分なのだろう。ラーホルンは強く頷いた。思い当たることがあったのだ。
「フェリシダは、メイドで・・・奴隷でした」
「奴隷というのは、言い過ぎではありませんか?」
現実に奴隷という存在がいる世界では看過できない言い回しなのだろう、目を怒らせてツッコんでくる。
だけど・・・。
「比喩ではありません。身分として奴隷でした」
「はぁ?!」
驚いたというより、怒った感じに声を上げた。
無理もない。
貴族に嫁いだ従姉が、奴隷に堕ちていました。なんて、考えもしないだろうからな。
「いつも付けている首飾り、あれがいつごろからのものかご存知ですか?」
オレはもちろん知っているが、確認のために聞いてみた。
「・・・『八年前』ですね。結婚する半年前のことです」
怒りそうになりつつも、一応最後まで話は聞こうというのだろう。胸元に手を当てて呼吸を整えながらも答えてくれた。
「そうでしょう。ということは、もしかすると結婚自体がフェリシダの意思ではなかった可能性があります」
「ど、どういうことですか?!」
音がずれて、悲鳴になりかけた。
さすがにショックが大きすぎるだろうか?
怖くなるが、真実をはっきりと伝えないと、あとあと変なしこりになりかねない。隠したり、オブラートに包んだりせず、ありのままを伝える必要があると判断する。
「あの首飾りは『傀儡の首飾り』という奴隷専用の装身具です。相手の意思を操作するという強力な品で、それだけに奴隷以外には機能を発揮しないという類のものなのです」
奴隷にならないままでも、ある程度の強制力は働くが完全ではない。
フェリシダは、結婚の半年前に首飾りをプレゼントされ、少しずつ洗脳されていったのだ。そして結婚式当日、言葉巧みに奴隷となることを承知させられた。
奴隷となって支配が完全になったところで、メイド扱いしてこき使ったのだ。使い潰そうとでもいうように。
「ば、ばかな。そんなことをしたら子供も奴隷として生まれてきます。貴族の子息が奴隷身分なんて!」
「なので、フェリシダは、子供を身籠ることを許されていませんでした。跡継ぎは他の女性に産ませるつもりでいたようです」
「な・・・!?」
目を見開いて、ラーホルンは硬直した。
全身をわなわなと震わせている。
好ましい相手とは思っていなかったが、本人が好いているなら仕方がない。このうえは子供でも産んで幸せになってくれれば、そう思っていたのに、子供すら産ませてもらえない扱いだったとは。
・・・絶句するわな。
妻に迎えておきながら子は作らない。ましてや、貴族の家柄でだ。
ありえんわな。
考えてみれば、男爵自身も愛人の子。
正当な後継とかいうものになにか歪んだ憎しみがあったのかもしれない。
母ともども。
「ちょっと待て、ハルカはそれをなぜ知っておるのだ?」
ジッと夫人を見つめていた公爵が口を挟んできた。
動転している夫人の代わりに、理性を働かせているようだ。
「理屈はオレにもわかりません。ただ、男爵の斬首が行われようという寸前に、フェリシダの首飾りが 奴隷専用装身具』であることに気が付いたことが始まりです。奴隷の装身具は物によっては主の死が、奴隷の命にかかわることがあることを知っていたオレは、何とか助けようと考えたのです」
そう言って、なにをしたのかと何が起きたのかを説明した。
魔力で繋がって、精神体での攻防があったことを。
突拍子もないことと、不信を買うかとも思ったのだが魔法が技術として存在する世界では、受け入れることの可能なものであったようで、二人とも信じてくれた。
「なんとか、男爵から伝わる負の魔力を払うことはできたのですが、それによって男爵の意思に汚染されていた部分がすべて失われるという現象が起きて、フェリシダの精神は穴だらけとなり、今にも消えそうになったのです」
「そうであろうな。依存していたものが無くなると、何であれ崩壊するものだ」
うむうむ、と公爵が頷く。
ラーホルンは血の気が失せて真っ青だ。
「そこに、幸か不幸か、男爵の指輪から男爵自身の記憶がオレに流れ込んできました。精神世界の中で再現されたのです。そこで、オレはその記憶を改ざんすることにしました」
上書き、と言っても理解できないだろうから、改ざんという言葉を使った。
意味は通じるはずだ。
「それで、『ご主人様』なのですか?」
ラーホルンは声まで真っ青になってしまった。
「そうです。オレが男爵、ミーレスが彼の母親、シャラーラとアルターリアはその他。と、それぞれ担当して改ざんを行わねばなりませんでしたし・・・現実として奴隷身分になっている事実は動かしようがありませんので」
「ああ・・・そうですね。それはどうしたところで動きませんものね」
身内が奴隷、という事実を受け入れるのは苦しそうだ。
「そんなわけですので、フェリシダの中にあるこの『八年間の記憶』と皆さんの知っている八年間は違うものになっています。『八年前以前』と話す内容を限らせていただいたのはそういう理由です」
「違うものになっている・・・というとどうなっているのですか? 大まかには理解したつもりですが具体的に教えていただきたいですね」
「基礎となるのが男爵とその母上の無茶な扱いなもので・・・両親と弟の死によって家が存続できなくなり、オレに奴隷に売られた。そのあとは家事の傍ら、性的にも仕える奴隷として使われていたというものになります」
「性奴隷・・・ですか」
ラーホルンは、唇を噛んだ。
同じ女性、従姉妹同士。喜べるものではないだろう。
「男爵との夫婦生活を完全に消すことができませんでしたので、そういうことにしないと整合性が・・・」
「わかっています! ハルカ殿を責めるつもりはございません。むしろ、奴隷の装身具ですか? 自由を奪われていたことに気付いてやれなかった自分の不明が許せません」
思い起こせは思い当たることは多いのだろう。
弟の死。
両親の死。
自分に対する態度の変化。
それらを「結婚して人が違ってしまった」と諦めていたのだが、まさか本当に人格を支配されて変えられてしまっていたとは!
ラーホルンが臍を噛んでいる。
「えーと、ですね。そういうわけですので、フェリシダのことは今後オレに任せていただきたいのですが・・・?」
というか、ほかに選択肢はないですよ、と暗に説明していたのだが。
「もしくは、心を完全に壊して廃人とするか、なのでしょう?」
ラーホルンが皮肉めいた笑みを浮かべた。
それさえなければ、買い戻して最低限『解放奴隷』の身分にすることも考えられたのに、それはできないとなると否とは言えなくなる。
「そうです」
オレは素直に首肯した。
「家事をさせる傍らときどき性奴隷として使ってやる、と。そういうことですわよね」
「そうです」
「ご自分の物にさせろ、と」
「そうなります」
「男爵夫人だった女を、そんな簡単に自分の物にできるとお考えですの?」
「公式には、ファイク男爵夫人は夫ともども死去したと発表されます。男爵夫人フェリシダという人物はこの世に存在しません」
公的に死んだ人間を自分の従姉として取り戻すことはできない。
貴族院の決定に否を突き付け、貴族全体を敵に回す覚悟でもない限り。
「・・・根回しは済んだあとですか」
死んだものとする、というのはさっき聞いていたはずなのだが、耳に入っても脳には届いていなかったようだ。
「必要な手立ては打たせていただきました」
背中に汗が滲んだ。
般若のような顔になったラーホルンから、受ける重圧がすさまじい。
「・・・今後、私が従姉妹として付き合うことは許していただけますか?」
重圧が最高潮に達した。
ここだけは絶対に譲れない、そんな思いがひしひしと感じられる。
だが・・・。
「もちろんですよ。フェリシダのためにもそうしてあげてください」
オレにとっては、なによりも譲歩しやすい・・・じゃなくて! 元からそのつもりでいたことだったから気負うことなく答えを返せた。
ふっ、と。ラーホルンの顔が緩むのが分かった。
安心してくれたようだ。
「わかりました。フェリシダを。従妹をよろしくお願いします」
立ち上がったラーホルンが、深々と頭を下げた。
「一件落着、ということでよいのかな?」
表情を緩めたラーホルンを見てホッとしたのか、公爵が機嫌よく聞いてきた。
「いえ。公爵さんにはもう一つ、頼みたいことがあります」
機嫌のいいところに水を差すようで気が引けるのだが、ここは避けて通れない。
「ん? なんだ? 言ってみろ」
少し身構えて、公爵が聞いてくる。
「男爵の執事と警護の騎士たちを公爵のところで引き取っていただきたい」
秘密を知る人間は監視できるようひとまとめにしておきたかった。殺す必要はないが、他の貴族の下とかに行かれると厄介なことになるかもしれない。
「ああ、なるほどな。そんなことなら、かまわんよ」
納得してくれたようだ。
「さて、では、我々も帰らせてもらおう。おっつけ、貴族院から正式にファイク男爵とその夫人の死を知らせる書簡が届くのだとすれば、わしらにもやらねばならぬことがある。フェリシダの葬儀はわしらのところですることになるからな」
「遺体もなしにですか、なんだか無駄な気もしますけど」
夫人が寂しげに笑った。
形だけと言っても、親族の葬儀なのだから仕方がない。
「フェリシダを呼んできてくれ。別れの挨拶もなしに従姉を帰すわけにはいかないだろうからな」
「わかりました」
ミーレスが呼びに行くあいだ、ラーホルンはオレを見つめ続けていた。オレがフェリシダをどう扱うつもりなのかと危惧しているのかもしれない。
「・・・ふぅ」
と、突然ラーホルンはため息をついてオレに向けた顔に微笑みを浮かべた。
「正直に言いますと。誰であれ、従妹のご主人様などというものは認めたくはないのですけれど」
当然そうだよな。
なにを言われるのかと、内心ハラハラしながら、ラーホルンと相対する。
「あなたが来るまで話をしていて、驚くと同時に嬉しかったのですよ。昔のあの子に戻っていましたわ。とても明るくて、優しく気遣いのできる素敵な女の子に。まるで・・・いえ。実際そうなのですわね。憑き物が落ちた様でした」
うん。男爵たちから受けた精神的な痛手を少しでも減らすようにしたからな。そうなってくれなくては頑張った甲斐がない。
「あなたに、あの子のことを人間として対等に扱う意思がなければ、きっとこれほどはっきりとは変わらなかったでしょう。あなたには、あの子を自分の都合のいい生き物に変えてしまうチャンスがあった。なのに、あなたはそうしなかったのだと信じます。あの子は今、あなたの奴隷であることを気にしていない。むしろ喜んでお仕えしているようです。だから、認めます。・・・・・・い・ま・は!」
おおっ!
そうきたか?!
なるほど。ときどき従姉として会いに来るとはそういうことか。
フェリシダが少しでもオレの奴隷という待遇を嫌がっている素振りがあれば、いつでも連れ戻しに来るぞ! そんな恫喝だったのだ。
さて、なんと答えようか?
考えるまでもないことか。
「・・・・・・。では、オレもラーホルン姉様と呼ばせてもらっていいですか?」
奴隷という身分・立場ではあっても家族ですよ。との思いを込めて言ってみる。
「・・・いいでしょう」
虚を突かれたように目を瞬かせて、ラーホルン。
「い・ま・は、ですね?」
軽く言い返してみるオレ。
「そういうことです」
ツンッとすました顔で答えが返ってきた。
なんとなく、今後もうまくやっていける気がした。
「ラーホルン姉様。お帰りになるのですか?」
「ええ。また、顔を見に来ますからね」
「はい。お待ちしております」
そう言って、頭を下げたフェリシダの姿勢は、メイドのものだったが暗さはなかった。満面の笑顔で見送っていた。




