そうとう
ご主人様の指示は、「続けてろ」。
やるべきことは明確だった。
ついさっきまでやっていたことを引き続き、行えばいいだけのことなのだから。
楽なことに、相手は前進する以外のことに興味を持っていないようだった。
シャラーラが作り出した壁に阻まれながら、その壁を押して進もうとする。
私は、その右側面に出て、不定形の身体が波打つに合わせて、端を切り落とすのが任務。
切り落としたものは、放っておくと本体に戻ってしまうらしいが、家族の一員であるマグルマグルのカロンが食べてくれるから、それは気にしなくてもいい。
難しいことではなかった。
「はっ!」
この体ならばこその身軽さで、宙に飛びあがってはなるべく大きめに相手を切り刻む。
それに合わせて降下してきたカロンが口を大きく開けて、その欠片を吸い込んでは、また上昇していく。
最初に溶かされた甲羅が痛々しいが、元気なようだ。
ご主人様がお戻りになるまでに、どれだけ削っておけるだろうか?
どのぐらい削れば、褒めてくださるだろうか?
どんなふうに褒めてくださるだろう?
頭を撫でてくださるだろうか?
優しく抱きしめてくださるだろうか?
甘い口づけをくださるだろうか?
それとも・・・ベッドで・・・?
期待で胸が高鳴る。
剣が軽い。
それでも、浮ついていてはいけない。
怪我なんてしてはいけないのだ。
私は私のものではないのだから。
髪の毛一本、血の一滴まで、ご主人様のものなのだから。
無心で飛び跳ねては剣を振るう。
いつしか、前面の敵は当初の四割程度の体積にまで減っていた。
中央の丸い部分に剣が届くようになるまで、もう少しだ。
これならきっと、いつお戻りになられても、ご主人様に褒めてもらえる。
うれしい。
ご主人様のお戻りが待ち遠しい。
常になく、軽やかにステップを踏む。
剣先が優雅に弧を描くのを見て、はっとした。
気持ちが浮ついている。地に足がついていない。こういう時、人は普段しないようなミスをする。
いけないっ!
急いで気持ちの引き締めに掛かった。
呼吸を整え、無駄に高鳴っている鼓動を鎮めようとする。
直後。
目前にカロンがいた。
融けかけた甲羅に、なにかが突き刺さっている。
「・・・え?」
意味が分からず、数秒動きが止まった。
目が、突き刺さっているものをなぞるように動いて状況を把握しようとする。
その間に、混乱しかけていた意識が正常に働き始めて、カロンが攻撃を受けたことに気が付いた。
違う。
攻撃を受けたのは私だ。
カロンが身を挺してかばってくれたのだ。
なにから?
その答えを、目が捕らえた。
敵中央にあった丸いものが割れていた。
そこから、蛇が顔を出していた。
卵でもあるまいに!
毒々しい濃い赤紫の長大な蛇。
全長は五十メートルほどもだろうか。胴回りも三メートルはありそう。そのくらい巨大な大蛇だ。
それだけでも、かなりのおぞましさだが、真っ白な目が四つ。
私を見ていた。
頭が二つあるのだ。
丸太のような胴体から、二股に分かれた長い首――蛇に首と呼ぶべきものがあるとしてだが――の先に菱形の蛇の頭がある。
双頭の蛇だ。
バケモノ?!
一瞬の驚愕に、自分のことながら嫌気が差す。
こんな変な場所、自分たちも肉体を持たずにいられるような世界だ。常識とか、自然の摂理とかがまともに働いているわけがなかった。
ご主人様が向かった先にも、巨大な上に透明な女が座っているというのに!
ギリっ!
奥歯を噛みしめた。
なにが起きても、なにが出てきてもおかしくはないのだと、頭に刻み込む。
歯が鳴って、唇が少し切れたようだ。
口の中に鉄の味が広がる。
スーッ、と頭が冷えていく。
戦場での記憶と感覚が蘇ってきた。
どれほどの数の敵に囲まれようと、何人も殺して全身を血の臭気に包まれていようとも、眉一つ動かすことなく闘った。
鉄で作られた人形のようなその姿に、周りの仲間が付けた名が鉄仮面。ペルソーナフェッルムだ。
死をも超越し、勝つためだけに邁進する感情なき鉄の女。
それが、軍人たる矜持も、武門の誇りをも失い。剣を持つことすら否定された奴隷の女。もう、その出番はないと、過去に追いやったはずの感覚。
でも・・・まだ使いどころはあるらしい。
常ではない。
こんな顔を、ご主人様に見せたくはない。
それでも、それが役に立つというのなら使うまで。
顔ではなく、心に鉄の仮面をかぶせて、現状を確認する。
すでにカロンは上空にいた。
傷は深いが、甲羅を貫いただけで内臓には達していなかったようだ。
ほっとした。
あの子は大丈夫だ。
目を敵に戻す。
蛇の頭に、突き出た牙があった。
上の歯が、下顎のさらに下まで伸びている。
カロンに突き刺さっていたのは、右頭の牙だった。
あまりに大きいので、頭を頭として認識できていなかったのだ。
後方に座っている大きな女と同じような大きさ。
まともに戦えるような大きさではない。
狙うとすれば・・・。
冷静になった頭が、活路を導き出した。
「馬上の将を斬りたいなら、馬の脚を切れ!」
背中側に回り込んで、剣先を向けたのは、蛇の胴体だ。接地していて、持ち上げた頭を支えているその一点。他の部位はどうとでも動かせもしようが、ここだけは、すべての支点となるここだけは簡単にはずらすことができない。
腰をかがめて上体を低く、長剣の柄を左手で押さえて走る。
剣先を狙い違わず、蛇の体幹を支える一点に向けて突き出した。
両足でしっかりと足場を踏みしめ、背中と腕を伸ばす。自分のすべてを一本の槍とするかのような、全身のバネを使っての一撃。
ガギィッ!
その一撃が、弾かれた。
体表面がさっきまでの柔らかさから一転。鋼鉄のごとき強度を持つウロコに覆われた、強固なものに変わっている。
腕がしびれた。
ニィィィィ!
口が半月型に歪む。
困難な敵だ。
それが喜ばしい。
あんな簡単な作業で、ご主人様から褒めてもらおうと考えていた私が甘かった。傲慢だった。このくらいの敵と戦って勝つのでなくて、どの面下げてご主人様に我が身の存在する意義を問えるというのか。
有難いことに、そのご主人様が今は傍にいない。
ご主人様を危険に巻き込む心配をすることなく、強敵と渡り合える。
「ククッ」
撃破して見せる。そして、ご主人様にその戦いぶりをご報告する。そうして初めて、私は褒めていただくに値するしもべだと実感できるのだ。
「おおおおっ!!」
力が入る。
気合が入る。
鱗の隙間を狙って、剣先を突き込み続けた。
雨の雫が、岩に穴を穿つがごとく。
こんなことで、この巨大なバケモノを倒せるなどとは考えていない。
狙いは別にある。
頭上にかすかな陰り、濃密な殺意が降り注ぐ。
来た!
私は、これを待っていたのだ。
相手は蛇。
昔から言われていた言葉がなかったか?
蛇を殺すには・・・?
そう!
横に飛びのきながら、右足を軸にして回転。
たった今まで私が立っていた空間と相対する。
菱形のものがあった。
口を大きく開けて降下してきて、勢いよく閉じたばかりのそれに、剣を押し出した。
狙うは、一か所。
先日、ご主人様が強敵と戦った時も攻撃したというあの場所。
そこに剣を突き立てて、中をかき回す。
蛇を殺すなら・・・頭を潰すが最善!
不気味な白い眼に、剣が突き刺さった。
よし!
このまま押し込んで・・・!
「な!?・・・」
押し込もうとした剣が押された。
剣が浮きあがって、身体ごと持っていかれそうになる。柄から手を離して、態勢を整えようとした。そこに、蛇の咢が迫ってきた。
目を突かれてなを、蛇は私を狙っていたのだ。
目に剣を指す隙をうかがっていた私、そうであることを読んでいた蛇。目をついた瞬間、それは蛇にとっては私を丸のみするチャンスだった。
突き刺さった剣を逆に利用して私を宙に投げ上げて、動きに制約を持たせたところで呑み込む。見事な策戦だ。
まんまとはまってしまった。
蛇なんかに!
そう思ったのと同時に、頭についさっき刻んだはずのことが思い出された。「なにが起きても、なにが出てきてもおかしくはないのだ」と。
目の前のバケモノを『蛇』と決めつけたのが敗因か。
見た目はそうでも、中身もそうだと決めつけるべきではなかった。そもそも見た目からして『双頭』ではないか!
死が、目前にある。
「だからどうしたぁ!」
腹の底から叫んだ。
私はもう鉄仮面ではない。
死ぬことなど怖いとも思わなかった軍人では、もうない。
ご主人様にお仕えする奴隷なのだ。
死にたくない。
こんなとこで死ぬわけにはいかない。
ご主人様のもとに戻って、抱きしめてもらうんだから!
蛇の鼻先に蹴りを入れて、反動で地面に飛んだ。地面に着くとそのまま転がって追撃をかわす。蛇の頭が追ってくる。
まだ逃げるつもりだと思っているようだ。
なめんな!
地面を蹴った。
向かう先は・・・。
『?!』
さすがのバケモノも驚いたらしい。一瞬だけ硬直した。
この隙は見逃せない。
鼻先に飛び乗って、がっしりと剣を握る。
「せぇぇぇぇぇいっ!!」
押し込むのではなく。飛び上がった勢いのまま、下に切り下げた。
ザシュ!
液体の迸る音。
「シャァァァァァアアアァァァァッッ!!!!」
目の下をざっくり切り裂かれた蛇が、、涙とも血とも違う何かをぼとぼとと落として喚き散らしながら伸びあがる。
剣を振り、刀身についた液体を落とすミーレス。
「あぶねぇっすよ!」
シャラーラの声。
同時に、巨大なものが頭上を滑るように移動した。
蛇のもう一つの頭だ。
横っ面に、シャラーラの拳がめり込んでいる。
どうやら、もう一方の頭と対峙している間に、もう一つの頭にも狙われていたようだ。頭が二つあっても、ミーレスを敵とする意思はひとつだったということかもしれない。
そうと気付いたシャラーラが、目に見えない壁を放棄して駆けつけてくれた。
「ありがとう。助かりました」
蛇が、態勢を整えようというのか、大きく後退した。
追撃するには、こちらも体勢が悪い。
蛇に変化したことを、ご主人様がどう判断するかもわからない。
とりあえず、放置しておこう。
そう考えながら、妹分に声をかけた。
「礼なんぞ言われるようだごだねぇ。姉さんになぁがあったら、ご主人様に顔向けでぎなぐなっがらなぁ。当然だべ」
照れたシャラーラが真っ赤になって耳を振り回している。訛りも強くなってしまっていて、ちょっとなに 言ってるかわかんなくなったりもするけど。言葉ではなくて、雰囲気で何を言いたいかはわかる。
かわいい。
照れている様子も、訛り具合も。
ご主人様も訛りがお気に入りのようだ。ベッドで意地悪されて訛っているのを見るにつけ、微笑ましくも妬ましく思うときがある。
しかも強い。
妹分として、本当に心強い。
ご主人様の奴隷を、家族を見極める目に間違いはない。
無理やり押し付けられた私は、ご主人様の目にどう映っているのだろう?
大切に思ってもらえていることはわかる。だけど、シャラーラやアルターリアたちほどに、信頼してもらえているのだろうか?
ご主人様を信じてはいるが、そこはどうしても不安をぬぐえていない自分がいる。
だからだろうか。
「シャラーラはすごいわね。強いし、戦闘のセンスも高くて。ご主人様のお役に立てているんだから」
戦闘中なのに、そんな呟きが漏れたのは。
あの目に見えない壁には、心底驚かされたし、羨ましかったのだ。
ご主人様が数秒、シャラーラに見惚れていたことに気が付いていたから。
「んだなごだぁええ。おやぐに立つかどうかは知んねぇ。んだども・・・んでねな。んだがらごそ。オラだぢはオラだぢのできるごだぁなんでもすんだ。それが・・・それが家族って、いぅてもらえているオラだちの務めだぁ」
力むでもなく、サラリと本質を突く。
こういうところも羨ましい。
私のように理屈っぽい女は、かわいくないような気がするのだ。
軍にいたころ、たくさんの男が同僚にも部下にもいた。戦力として当てにされ、指揮官として慕われていた自信がある。だけど、女としてはどうだったろうかと思うと、好かれていたとは思えない。
かなり引かれていたのではなかったか。
「私も、シャラーラみたいになれるといいのに」
冗談めかして言ってみるが、半ば以上本気だ。
「だめだぁ、そんだだごだぁ!」
ムッ、とした顔でシャラーラに睨まれた。
ちょっとびっくりする。
シャラーラに睨まれるなんて初めてだ。
いつもニコニコしている子だと思っていた。
「オラはオラだし、姉さんは姉さんだ。姉さんみたいなオラや、オラみたいな姉さんを、ご主人様は認めねぇべよ。オラにわがんねごどを、姉さんが知ってて、姉さんにねぇものをアルターリアが持ってて、アルターリアにでぎねごどをオラがやる。結果として、それでご主人様が助かる。それが家族っちゅうもんだべぇよ」
いつになく雄弁なシャラーラの言葉が胸に突き刺さった。
胸に痛みが走る。でも、いやな痛みじゃない。
なにか、清々しさすら感じた。
普段、あまり話をしてこないシャラーラ。だけど、その頭には家族への思いと、正しい評価があったのだ。それは群れを大切にする獣人族の、群れの仲間と付き合うための生活の知恵なのかもしれない。




