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異世界で家を買いました。  作者: 月下美人
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くま


 街を出て魔獣退治。

 つくづく血生臭い人生に足を踏み入れてしまったものである。

 今回は森には向かわず、街道を進む。

 オレはただ、クレアの後ろについて歩いていた。

 「どこら辺に出るとか、手掛かりはあるのか?」

 「手掛かりと言いますか、目撃情報が出てるということは街道近くにいるはずです」

 もっともだ。

 露店をやりに来ている商人が森の中を突っ切るとかありえない以上、そうなる。

 「にしても、アルボルウルススってどの程度の強さなんだ? 現地調査っていう話だったが、間違って遭遇したとして二人で勝つ、または逃げ切る算段はしてあるんだろうな?」

 「そうですねー。騎士団にある事案報告からすると、だいたい迷宮の五階層レベルという感じです」

 あー、それなら二人でどうとでもなるな。

 そもそも、迷宮の外の魔獣というのは、そうそう強くないと聞いているし。

 などと楽観していたオレが間抜けだった。

 災害はいつでも人間の予測を超えて起こるという、日本人なら骨身にしみていて当然のことを忘れてい た。

 「まあ、もし多少強くても、ハルカさんのことは私が守ってあげますから。心配ないですよ?」

 気負った様子もなく、素直な微笑を浮かべるクレアに騎士としての自信を見た。

 そのときだ。

 「っ! ・・・クレア!」

 クレアの微笑に気を取られたそのわずかな間。その隙に災害は潜んでいた。

 森の木々と区別がつかず見落としていた黒い影が。

 大木の幹としか認識していなかった影。

 それが動くのを見た。

 クレアの微笑を透かしたすぐそこで。

 「!?」

 オレの声と表情で事態を悟ったのだろう。クレアが急いで振り返る。

 駄目だ。

 目の前で翻ったポニーテールをオレは絶望的な思いで見た。

 振り返るべきじゃなかった。そのままオレの方に走るべきだった。

 振り返って危険と対峙する。背中を見せているという即応不能の状態よりもそちらが最善。鍛えられた騎士の判断がそうさせたのだろう。でも、それはこの時ここにおいては下策だった。

 直後、クレアは消えていた。

 代わりに『熊』がいた。

 二メートルを超える、巨大な体躯。

 ついさっきまでクレアがいた場所を『熊』が、その巨腕で薙ぎ払っていた。

 なにかキラキラしたものが宙を舞う。

 あれは、なんだ。見覚えのある、色。

 あれは・・・クレアの髪だ。ドクン、と心臓が跳ねた。

 薙ぎ払われた、巨腕の先を見る。

 そこには、大きく吹き飛んで、木に叩きつけられたクレアの姿があった。

抱きかかえるほどに太い四肢。二メートルを超える、巨大な体躯。頭から生える、口から覗く長大な牙。 『熊』が、その剛腕を振り切った体勢でそこにいる。

 クレアは数メートル先に吹き飛ばされて、木にもたれかかるようにして、ぐったりとしている。

 そして鬼は、倒れ込むクレアに向かって歩いていく。拳には薙ぎ払ったときに引っかかったのか、クレアの髪が数本絡みついている。

 不味い。駄目だ。

 弱ったクレアに何をするつもりかなんて、わかりきったこと。

 食らいつく気だ。

 その証拠に長い牙からはダラダラと唾液が落ちている。

 確かに、クレアは食いごたえはないにしても柔らかくておいしそうだ。

 ・・・バカなことを言っていられる場合じゃない。

 ちょっと、逃避しかけたようだ。

 クレアは今、立ち上がろうともがきながらも、立ち上がれないでいる。

 不意を打たれたのだ。ガードが間に合わなかったのだろう。相当なダメージを負っているようだ。

 今のクレアには戦うどころか避けることすらままならない。

 次にこいつの攻撃を受ければ、命はない。

 それは駄目だ。絶対だめだ。

 絶対に行かせてはならない。

 剣鉈エザフォス・クスィフォス(大地の刃)を抜き放って鬼に向かって斬りつける。

 がら空きの背中に大地の刃が直撃し―――弾かれた。

 熊の毛皮は固く、すべすべしているから打撃は与えにくいものなのは知っているが、これほど歯が立たないとは!

 剣鉈を手放してしまいそうになるほどに、固い感触。

 まるで金属に斬りつけたような手応え。

 どこが迷宮五階層レベルだよ!

 内心で悪態をつきながら、同時に久しぶりの設定値変更魔法を繰り出した。

 物理攻撃が効かないなら、魔法攻撃を使うしかない。

 「ぐぅおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっ!!」

 酸素と水素で作った火球が見事に顔に当たり、熊が顔を押さえて後退る。

 その隙に。

 クレアのもとへと走った。

 瞬間、熊の拳が背中をかすめた。背中が焼けるような熱を持つ。

 いつもなら、こういう場合。シャラーラが前面に立って相手の注意を引いてくれる。だが、今シャラーラはいない。ミーレスも、アルターリアも。

 一人になるとこんなに弱いのか。

 ギリッ、奥歯を噛み締めてバランスを崩しかけた体を立て直してクレアのもとまで走る。

 すぐにクレアを抱きかかえて治癒魔法をかける――寸前、地面に影がかかるのが見えた。

 いやな予感がした。クレアを抱きかかえて、横へ飛ぶ。

 ついさっきまで、オレとクレアがいた場所を剛腕が潰した。

 地面が弾ける。

 全身に砕けた石と泥を浴びながら、ごろごろと地面を転がった。

 転がりながら、炎の壁を作り出して熊とオレたちの間に壁を張る。迷宮のような閉鎖空間ではない。回り込めば数秒で無意味になる壁。でも、数秒あれば足りる。

 上級治癒魔法のマキシムムサナーレをクレアにかけた。

 「・・・か、ハルカさん? えと、あれって魔法?・・・で、これは治癒魔法・・・?」

 クレアが驚愕に顔を染めた。

 疑問を持てるほどにはまだ冷静らしい。

 いいことだ。

 でも・・・。

 「そんなことはあとだ。話はあれを倒してからにしろ」

 気を引き締め気合を入れさせるためにそう言葉を叩きつけた。

 逃げるのは簡単だが、ここで逃げればクレアの心に深刻なトラウマを植え付けかねない。

 「で、でも・・・」

 やはり、元気で溌溂としていたはずのクレアの口から弱気な声が漏れる。

「メティスが騎士なら、そんな声は出さないだろうな。たぶん、その両親も」

 酷だとは思うが言ってやる。

 両親がどんな人かは知らないが、メティスのことは知っている。こんなところでも・・・違う、こういうピンチの時こそ気丈に立ち向かう。メティスはそういう女性だ。

 そういう人の、お前は妹じゃないのか!?

 口にはしないが、そんな思いをのせてクレアの瞳を覗き込んだ。

 効果は覿面だった。

 クレアは一度、瞳を閉じて大きく息を吸うと、キッと、眦を決して腕に力を込めた。

 「そうですよね。こんなことで潰されるような半端者を作るために、両親やお姉ちゃんは私を騎士学校に通わせてくれたわけじゃない」

 ゆっくりと立ち上がるのに手を貸してやる。

 二人並んで武器を構える。

 それを待っていたかのようなタイミングで、炎の壁が消え、当然のことながら『熊』が姿を現した。

 アルボルウルススは武器を構えたオレたちを見て、突然、両腕を空に突き出した。

 なんだ?

 いったい何を・・・。

 瞬間。

 アルボルウルスの両手の爪が伸びた。

 というか・・・枝?

 「・・・ウンクラウルススですね。アルボルウルスではなく」

 種類が違っていたらしい。

 「強いのか?」

 あはは、と乾いた笑い声を上げるクレアに聞く。

 「迷宮の階層でいうと二十五ぐらいです」

 いきなり五倍とか。

 「そら、強いわな」

 ミーレスたちがいないところで、それは確かにきつい。きついが勝てない敵でもないだろう。

 とりあえず、至近距離なのを逆に利用して設定値変更魔法を撃ち込む。

 避けようはない。

 「ま、また魔法!?」

 クレアも驚いているが、ウンクラウルススの方が驚きと衝撃は大きいだろう。

 なにしろどてっぱらに見事にヒットしたのだから。

 祭りでもあるし、「うぉぉぉぉ!」と両腕を上げて吼えてほしい。

 続けて炎の球を連続で撃ち込んだ。

 「このまま体力を削いでも勝てるとは思うが、もう少し早く片付ける妙案はないか?」

 常ならば、もうミーレスかアルターリアが的確で論理的なアドバイスをくれているだろうが、いないのだから仕方がない。

 「騎士としては卑劣なことこの上ないですけど、魔獣相手だしいいですよね?」

 なにかあるらしい。

 「もちろんだ、どんな手だ?」

 「目か口を狙いましょう。生き物である以上、そこまで鉄なみの防御力ってことはないはずです」

 わお。禁断の急所攻撃。

 残虐非道な手口の提案が来た。

 というか、やはりそれか、ともおもう。

 古今東西、ガタイがデカいとか防御力が高いとかの相手を倒すときの戦法は、たいていこれだ。

 手垢まみれのやり口だが、効果があるのは自明。

 「それ採用!」

 そういうことなら話は早い。

 熊の足元にちょっぴりの沼を作る。

 よけるにしろ攻撃するにしろ、足を踏ん張れなければどうにもなるまい。

 実際、少しだがよろめいている。その隙に。

 クレアが走り出た。

 騎士団支給の鋼鉄の剣を抜いたその姿は実に凛々しく、美しい。

 オレもそのあとに続く。

 二人で交互に熊に斬りかかる。

 初手から目を狙ったりはしない。

 まずは切り結ぶ。確実に急所を狙える勝機を待つ。

 だが、ウンクラウルススもバカではない。自分の防御力を知っている。牽制のための一撃はよけようとすらせず、逆に攻撃してくる。

 こちらの攻撃は、固い皮膚に弾かれて通らない。

 クレアの何度目かの斬撃が、当然のように硬い皮膚に阻まれた。その瞬間。

 なぜかクレアが宙に浮いて、一回転していた。

 熊の腕は、クレアの一撃を受けた位置のまま動いていない。

 動いたのは・・・足。

 熊の足払い。

 魔獣が足払い?

 シャラーラなら難なくかわすだろうその意外性に、クレアが引っかかった。

 もちろん、クレアもそのまま無様に落ちるようなへまはしない。空中で体を捻り、受け身を取ろうとした。直後。

 まずい!

 とっさに足を踏み出して、ダメ元でダッシュ。

 距離さえもう少し近かったら、無理やりにでも片を付けられたかもしれないが、クレアの攻撃に合わせて少し下がっていたのが災いした。間合いが遠い。

 予想通り、渾身の一撃も皮膚に弾かれた。

 そして、熊の腕が振られて・・・。

 宙に浮いて回避できないクレアの左側を通り過ぎる。致命傷だけは避けてくれた。

 しかし・・・・。

 血飛沫が舞った。

 同時に、視界の中で叩き潰される、切り落とされたクレアの左足。

 左腕は、もう一方の腕に殴りつけられてどこかに飛んでいってしまった。

 左足と左腕を切り落とされたクレアが、血の気を失った顔で後退ろうつするが、水に落ちた虫のように為す術もなく自分の血と泥に沈み込み動けない。

 安全な攻撃をしている暇はない。

 次の一撃を許せば、今度斬り飛ばされるのはクレアの首だ。

 大地の刃を叩きつけ、肉薄している今が最後のチャンス。

 動きの遅くなった熊の目を狙う。

 もし、予想に反して目の中も硬く、刺し貫いた剣が脳まで攻撃を通せなければ、オレの動きが止まると同時にオレの体は腰斬されていることになる。

 一か八かの攻撃。

 通れ!

 通ってくれ!

 ぶちゅり、と、なにかが潰れる音。

 その直後、わずかな肉の抵抗を、力で押し込んだ感触。

 剣をそのままに飛びずさる。

 距離を置いたところで、動きを見極める。

 硬直したウンクラウルスス。

 クレアに向かおうとしていた足も止まっている。

 ウンクラウルススの右目を見れば、鍔元まで押し込まれた、大地の刃。

 どうやら、目の奥までは硬くなかったらしい。

 そして、まるで糸が切れたかのように、その巨体が崩れ落ちる。ウンクラウルススが、地面に倒れた。

 「・・・や、やったか?」

 熊は動かない。

 確実に死んだかはわからないが、動かないのならやることがある。

 クレアのもとに駆け寄る。

 大量の血でぬかるむ地面に膝をついて、クレアの上体を起こしてやった。

 「す、すごい動きだった・・・わね。見失ったのか。・・・っ! き、・・・気を失ったのか、わかんなくなりそう・・・でしたよ。い、いがいに・・・つよ、いんですね?」

 とぎれとぎれに言葉を吐き出しつつも、クレアは微笑んだ。

 大量の出血で、体力をほとんど失おうとしているのに、瞳は生気を失っていない。

 「さすがは、メティスの妹だな」

 思わず安心してしまった。

 声をかけながら、マキシムムサナーレをかける。

 「はっ? え、マキシムムサナーレ?!」

 ほとんど一瞬で、腕と足が生え戻る。

 複雑な構造の目よりは、片腕片足の再生の方が簡単らしい。リリムのときと比べて、レベルが10くらい上がっているというのもあるだろうが。

 「・・・腕のいい治癒魔法士って、お姉ちゃんのお惚気じゃなくて・・・ほんとのことだったんですね」

 ・・・ジョブは冒険者だけどね。

 一瞬で完治した左腕と左足に驚くクレア。

 マキシムムサナーレで部分欠損まで治せる人間は多くない、というか少ない。

 一説には二人しかいないとまで言われているくらいだ。

 まあそれはそういう都市伝説で、実際はそこまで少なくはないようだが。

かなり希少というのは確かだろう。

 あまりひけらかすようなつもりはないし、できれば知られずにおきたいところではあるが、目の前に死にかけた人間がいるのに治さないほど、どうしても隠したいわけでもない。

 まして、相手はメティスの妹だ。

 オレにとっては身内である。

 「まあ、秘密にな」

 軽く口止めをして、・・・転移した。

 マキシムムサナーレを見られたのだ、もう一つ秘密を知られたところでかまやしない。

 いつもの癖で移動部屋に出たあと、洗濯場までクレアを運ぶ。

 せっかく昨日綺麗にしたばかりの床が泥と血で汚れるが仕方がない。

 移動部屋に汚れ物を置ける桶か何かを、置いておくことにしよう。

 脳内にある、今後手に入れるべき住環境改善用家具のリスト、に入れた。

 洗濯場までくると、風呂桶の中にクレアを横たわらせて、外の庇状の温水供給塔から、微温湯を風呂桶の中に流し入れる。夏が近付いてくるにしたがって温度も少し上がり、今では30度を超えている。

 泥と血を洗い流すのに適当な温度と言っていいだろう。

 「服は着れそうにないな。メティスから古着をもらってこよう」

 装備を外すのを手伝ってやりながら言う。いくらなんでも、ミーレスたちみたいにオレが体を拭くわけにはいかない。

 「あー、うん。・・・仕方ないか。お願いします」

 自分の体。特に一度完全に失われた左足と左腕に目を向けて、状態を確認したうえで、クレアは了承した。話を聞いて駆けつけてくるかもしれないメティスが、心配するような傷跡がないかを確認したのだろう。

 手足は戻っても、失われた血は完全ではないはずだ。もう一度マキシムムサナーレをかけてから、クレアを洗濯場に残して外に出る。

 「うわっ! なにこれ?!」

 玄関ホールに戻ると、マローネが床の汚れに気付いて素っ頓狂な声を上げていた。

 「あ―、悪い。ちょっと手こずる相手と戦ったものでな」

 オレ自身、身体中泥跳ねだらけだ。さいわい滴るほどではないが。

 「手こずる相手って・・・もう! 仕事増やして! 嫌がらせじゃないよね!?」

 腰に手を当てて憤怒の声をぶつけてくるマローネに、両手を合わせて頭を下げながら、玄関から外に出る。

 外を回って診療所の扉から中に入った。

 「いらっしゃ・・・て、・・・あなたなの。・・・どうしたの?」

 「ちょっとドジってな。クレアが服を駄目にしてしまった。とりあえずでいいから着れそうな古着を出してやってくれ」

 「ドジったって・・・」

 言いかけて、メティスはようやく僕の姿に気付いたようだ。泥跳ねまみれの姿に。

 「・・・怪我、したのね? もう、治してくれたんでしょ?」

 メティスが見ていたのは泥ではなかった。泥と混ざって目立たなくなっているが、紛れもない血を見ている。

 さすがに、何年も治癒魔法士として活動していただけあって、鋭い。

 血の量でどれほどの傷だったかもある程度把握していそうだ。

 「ちょっと待ってて」

 そう言って診療室を出て行ったメティスは、すぐに戻ってきた。手には普通の町娘が来ているような普段着が抱えられている。

 メティスはたいてい、修道服しか着ないので、普段着はあまり持っていないはずだが。

 「いいのか? それ、割と新しそうだけど」

 まあクレアに修道服を着せるわけにもいかないだろうが。

 「・・・なに言ってるの?」

 無表情に、メティスが答える。

 「この服も、あなたのものでしょ?」

 服『も』。

 そうだ、オレはこの家をメティスごと三百八十万ダラダで買い取ったのだ。当然、この服もそこに含まれる。

 どうせ、自分のものではなく。オレのものになるのであれば、この機会に妹に譲ってしまおう。と、そういうことなのだろう。

 「クレアに直接渡さないのか?」

 服をオレの方に差し出してきたので聞いた。

 「・・・いいわ。私があの子なら、会いたくないと思うでしょうし」

 弱いところを見られるのが嫌いだからな、メティスは。

 身内には特に。

 「わかった」

 服だけを受け取り、家に帰る。

 玄関ホールでは、イライラした様子のクレミーがなにかを罵りながら床にたわしをかけていたシェリィとマローネも、移動部屋から洗濯場に続く泥を拭き取っている。

 「あなたね。こんなに汚れてたんなら、玄関の外で脱いで入りなさいよ! 掃除する者の苦労も考えられないの!?」

 おお。正論。

 ぐうの音も出ん。

 慌てていたせいもあるが、癖で移動部屋に出たのは失敗だった。

 家の裏の貯水槽のところに出て、そこで装備を脱がせてから水汲み用のドアを通って洗濯場に出れば、こんなことにはなっていない。

 「あら!? まあまあまあ、あのクレミーからそんな言葉を聞けるなんて!」

 両手で頬を挟んだシェリィが、感激したような声を出して立ち上がった。

 「感慨深いです。あれはそう、クレミーが8歳の時でした・・・・・・」

 「・・・! こ、子供の時の過ちを引き合いに出すのは卑怯よ!」

 なにかやらかしたことがあるようだ。

 っていうか、この二人そんな以前からの付き合いなのか。

 まあだからこそ、クレミーの付き人につけられて、文句も言わずに仕え。そのうえさらに、こんなことにまで付き合えるのだろうが。

 クレミーとシェリィがいつもの言い合いを始めたので、素知らぬふうで洗濯場に向かった。マローネだけがジトッとした目を向けてくる。

 「入ってくれていいです」

 洗濯場の扉をノックすると、クレアが許可をくれたので中に入る。

 下着姿のクレアがいた。

 全裸、ではもちろんないが、ずいぶん大胆だ。

 「あはは。昔なら悲鳴は上げなくても、桶を投げつけてるかもしれないですね。許可なく入られたら」

 驚きが表情に出ていたらしい。

 クレアがちょっとだけ照れ臭そうに笑う。

 「今は平気なのか?」

 実はもう男を知っているとか・・・。

 「騎士学校では男も女もないんですよ。班分けとかでいちいち性別を分けると実戦的でなくなりますからね。演習も混成ですから、入浴とかを性別で変えるとめんどくさいんです。ですから、・・・慣れました」

 慣れました、の前の間は、いろいろあったということだろう。

 「メティスが、この服をくれるそうだ」

 「あ、ありがとうございます。着替えたら、騎士団詰め所にウンクラウルススの討伐報告に行きます。すみませんが、装備を置かせてもらっていいですか?」

 あれだけ汚れたのだ。手入れをしないと装着できないだろう。無理にすれば、もらったばかりの服が汚れてしまう。

 「ああ。かまわん。・・・今から行くと、戻るのは夕方だろう。夕食の用意をしておく。途中で食べてきたりしないように。・・・許可が出るなら泊まるといい」

 言いながら、すでに少し後悔した。

 万が一泊まる上に、メティスと一緒に寝るとか言い出されたら、今夜の寝室は静寂に支配されることになる。

 「あー、はい。泊まるのは無理ですが、夕食くらいなら許可が下りると思います。こちそうになります」

 おお。

 助かった。

 いや、残念・・・いや、やはり助かったというべきなのだろう。

 クレアと入れ代わるように、まずはアルターリアが返ってきた。

 両手に紐で縛った書物を下げて。

 「ただいま帰りました」

 「おお、お帰り。ずいぶんと大荷物だな」

 左右に二十冊ずつ、四十冊というところだろう。

 結構な量だ。

 「はい。意外に安かったので買えるだけ買ってきました。もちろん、内容は吟味してあります」

 そうだろう。アルターリアが手当たり次第に買うなんてことをするはずはない。

 もしかしたら、かつて持っていた本を買ってきているという可能性もある。

 にしても買えるだけ、か。

 千ダラダで四十ということは一冊当たり二十五ダラダ。古書のわりに高い印象を持つが、この世界ではまだまだ紙は貴重品だ。こんなものだろう。

 「まだ、掘り出し物はありそうなのか?」

 「ええっと。はい。古書を買うような人はあまりいないようです」

 それはわからなくもない。

 貴族なら、体面もあるから中古書なんで買わないだろうし、庶民の大部分は本を買う余裕もなく、そんな教養もないだろう。

 買うのは少し余裕の出た豪商などではないだろうか。

 貴族にはなれないが、それに近しいところまで上り詰めた者の贅沢。あとは、そういう家なら、貴族に娘を嫁がせるとかいうこともありそうだ。そのときのために教養を持たせるのに使ったりはあるだろう。

 「あとで、本を見せてくれるか」

 「もちろんです・・・いえ、これもご主人様のもの、なのですが・・・」

 「ん? アルターリアの小遣いでアルターリアが買ったんだから、アルターリアのものだろう?」

 奴隷の持ち物はたいてい、主のものとなるが、例外として奴隷のつけている下着と奴隷が特別な理由で渡された金で買った、または貰ったものは、奴隷本人の財産として認められるはずだ。

 「服とかであればそうですが、本や宝石といった財産価値の高いものは奴隷の私物としては認められません」

 そんな規定があるのか。

 知らなかった。

 「あー・・・そうなのか。だとしたら、あとでもう千ダラダ渡しておこう。アルターリアだけ不公平になってしまうからな」

 「いえ、そんなことをしていただく必要はありません。本を読ませていただければ、それでいいです」

 アルターリアが買ってきた、オレの財産である本を、オレがアルターリアに読んでいいと許可をする。

 何か不思議な感じがする。

 だがまあいい。

 「とりあえずリビングに置いておいてくれ。あとで家具屋から、書架を買ってくるとしよう・・・ああ、いや、掃除したばかりか、玄関ホールの隅にでも置いておいた方がいいな」

 ダイニングとキッチンとリビング、それに級物置部屋の現書斎予定の空き部屋は昨日掃除の範囲だった。掃除を済ませたばかりの部屋にものを置かれるのはあまり気分がよくないかもしれない。

 夕方に怒らせたばかりだし。

 「わかりました」

 アルターリアが本を置き、掃除の仲間に加わる。オレはリビングのソファで日ごろの寝不足解消に努めた。しばらくするとミーレスとシャラーラも帰ってくる。

 「ただいま帰りました。ご主人様」

 「ただいま帰りましたっす」

 「お帰り、どうだった?」

 聞くまでもないとは思うが、聞いてみた。

 「二人とも参加が認められました」

 「牛ってわけにはいがねがったっす」

 意気揚々と答えるミーレス。肩を落とすシャラーラ。

 個性といえばそうだが・・・なんだかなぁ。

 「賞品は牛じゃなかったのか。じゃ、なんなんだ?」

 村の腕相撲大会ではない。牛が出るとは思っていなかったが、だとしたらなにが出るのか。少し興味がある。

 「あ・・・ええっと。牛ではないようです」

 「牛じゃないっす」

 「・・・・・・」

 戦いにしか興味のないミーレス、人間の三大欲求にしか興味のないシャラーラ・・・。

 こんなものか・・・。

 「牛じゃないわけだ、うん」

 それだけはわかった。

 「じゃ、夕食の支度に入ろうか。今夜はメティスの妹のクレアも一緒だから、一人分多くしてな」

 「はい。わかりました」

 「わかったっす」

 こうして、夕食の支度が始まったのだが・・・なぜか、クレアは最後まで姿を見せなかった。連絡もなし、だ。

 報告したあとで、ウンクラウルススの死体の回収とかがあったのかもしれない。

 クレアの装備は、オレのと一緒にミーレスが手入れをしてくれたから、いつ取りに来てもいい状態にしてある。

 夕食をぎりぎりまで待ったことでメティスが何度も謝っていたが、文句を言った者は一人もいない。クレミーですら不機嫌そうな素振りもなく待ち、食べるとなったらおいしそうに食べていた。




次回更新は9月2日とさせていただきます。

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