コーヒーを飲める生活
朝早くに、フェッラの街産業組合の工房を訪ねる。
ちょっとだけ腰のあたりの動きが鈍い。
やりすぎたかもしれない。
コーヒーミルを置く場所を確定するのに、ダイニングでミルやダイニングテーブルを何度も持ち上げたり運んだりをしたのだが。うん。やりすぎたかもしれない。
結局確定はしなかった。
コーヒーだけを淹れるわけではない。
ダイニングは、普通に食事も作る場所なのだ。
そんなに大きなものでもないのだし、コーヒーを淹れる時だけ運び出す方がいい。
大きなキャビネットを買って、飾るとしよう。
手回し式のミルは、インテリアとしても最上だ。
注文したものはできていた。
イブリックとドリップポットだ。
「確かに。もらってくよ」
「ああ。じゃあな」
またクエストを発注されでもしない限り、お互いに用はない。
受け取りだけですぐに帰った。
いよいよ。
オレの生活がオレの生活たる意味を持つための因子が、ひとつ手に入る。
・・・かもしれない。
家に帰ると、速攻でキッチンに陣取った。
まずはミルでコーヒー豆を挽く。
元世界では『豆』と言いつつ実際は種なわけだし、タンポポの根とか大豆、ゴボウ、ドングリ、オオムギでもコーヒーは作られていた。
いつの時代も、人はコーヒーを飲むために努力を続けてきたということだ。
この世界のこれがもともとは何なのかというと、やはり種だった。
実一つ一つの大きさが桃みたいな大きさのブドウだ。
ワインを作るのに絞ったあとに残る種子を処分のために焼くのだが、その時とてもいい香りが出ていたため消臭剤として使うようになった、のだそうだ。
『鑑定』、オブジェクトリーディングによる解読結果によると、だ。
元世界でも、うろ覚えだがブドウの種を焙煎して、代用コーヒーにしていたことがあったはずだ。
つまり、これも代用コーヒーでしかないかもしれないということになる。
味は? 香りは?
どこまでオレがコーヒーと呼ぶものに近いかはわからない。
もしかしたら、最終的には豆の研究までしないといけなくなるのかもしれない。
それでも、たとえ代用でも、ついにコーヒーを飲むことができる。
ほぼ三週間ぶりに。
まずは、ミルに一杯分6か7グラムほど入れて挽く。
極細用の臼歯式ミルで。
目安としては、元世界の上白糖ぐらいにまで細かくする。
立ち上ってくるコーヒーの香りを楽しみつつ、ハンドルを回し続ける。
回し続ける。
ひたすら、回し続ける。
・・・長い。
意外に長い。
疲れはしないが、飽きる。
「ミーレス、変わってくれ。全部粉になって下に落ちきるまで回すんだ」
そばで見ていたミーレスに任せた。
時間がかかるとは本で読んで知っていたが、体感すると長すぎる。
終わるまで、シャラーラをいじくってすごした。
・・・というのは冗談だ。
カップを温めたり、オレはブラックがダメなので牛乳と蜂蜜の用意をしたり、することは多い。
「ご主人様、終わりました」
すべての準備が終わったころ、ミーレスから声がかかった。
いよいよだ。
トルコ式コーヒーまたはターキッシュコーヒーと呼ばれるコーヒーを淹れてみよう。
ついさっき受け取ってきたばかりのイブリックに、微粉状に挽いたコーヒー6から7グラムと水60から70グラムを入れる。
本来の淹れ方では、砂糖を入れる場合にはここで5グラムほど入れておくのだが、オレの好みから言ってそれだと飲めない可能性が高い。
なので、変則的ではあるが、このままコーヒーだけで淹れて、ミルクと砂糖はあとで足すことにする。
イブリックを火にかけ、スプーンで混ぜながら極弱火でゆっくりと温めていく。熱源には先日手に入れたガストーチを使う。
魔力式なので、なんとなく熱が弱い気がしないでもないが、これ用に使うならその方がありがたい。それに熱の温度幅は結構広いようだ。
これは使える。
泡が吹き立ってきたら火からおろし、スプーンで軽くかき混ぜて、再び火にかける。これを三回くらい繰り返して煮出していく。
うん。香りは素晴らしくいい。
三回繰り返したところで、昨日買った蒼天カップ――オレが命名――に注いでしばし待つ。コーヒーの粉が沈んだところで上澄みを飲むのがこのコーヒーの飲み方だ。
これの最大の特徴は、やはりコーヒーの粉が大量に含まれているということになるだろう。カップの底にたまった粉で行うコーヒー占いは、このコーヒーでないとできない。
それはつまり、飲む時も多少は粉があるということ。
一口飲んでみる。
コーヒーだ。
カフェインの存在を感じる。
苦い。
苦いんだけど、飲める。
それほどまでにコーヒーに飢えていたのか。
異世界の苦みは平気なのか。
この世界に来る前とは、オレの体が変わってしまっている影響なのか。
理由はわからないがうまい。
体の奥底からほっとする。
「ふ―――――っ」
長いため息が出た。
二口目、飲める。
三口・・・苦い。
底の方だから?
飢えが満たされたから?
多分両方だ。
ミルクと蜂蜜を足した。
さらっとかき回して、しばし待ち、飲む。
「・・・」
粉っぽい。
わかっていたがむせかけた。
でも、コーヒーだ。
まぎれもなくコーヒー。
オレの人生に、コーヒーのある生活がよみがえった。
確かな一歩を踏み出した。そんな手応えがある。
「次は、ドリップ式だ」
ぐっ、と拳を握った。
そうして一人、満足していると。
「消臭剤ではなかったのですね」
ボソっと呟きが聞こえた。
ミーレスが、少し落ち込んだ顔で、オレとカップを見ている。
「消臭剤というのも間違いじゃないよ。オレの世界では飲んだあとの粉を使うんだけど、こちらでは飲み物にするという考えがなかったために初めから消臭剤として使ってたってだけのことだ」
消臭剤を飲む、か。
そう考えると、なんかひどくいかがわしい行為のような気がしてしまうよな。
リリムにミルの掃除の仕方を教えてから、メティスだけを家に残して四人で買い物に出る。やはり、キャビネットが必要だ。
行き先は帝都。
「きゃー! かーわーいーいー!」
どこの、というかいつの時代の女子高生か!
ツッコみたくなる反応で、冒険者ギルドに出たオレたちをリティアさんが迎えてくれた。
「なに? なにこの子?」
訂正、リリムを迎えていた。
「縁があって引き取った子ですよ。ミーレスやシャラーラたちと同じようにね」
買い取ったとは言わない。
あれ?
リティアさんはミーレスとシャラーラが奴隷だってこと知っていたっけ?
「あ、あんた。いったいどんだけ稼いでるのよ」
呆れた声音で聞いてくる。
あ、わかってたんだ。
「んー、こういうことができるくらい、ですかね」
まったく答えになっていない答えを返す。
むー? とむくれられたが、ここはプライベートな話だ。
いかにリティアさんでもゆずれない。
「で? また来たってことは何か買い物?」
「キャビネットが欲しいんですが、どこか家具屋を紹介してもらえますか?」
「・・・レベルは?」
「れべる?」
「低予算で買える激安店か、中流のアウトレット品か、中流の正規品か・・・高級家具かってことよ」
ああ、なるほど。
「高級店で」
「・・・相当儲けてるわね」
ギロリ、と睨まれた。
「ノーコメントです!」
「まぁいいわ」
リティアさんに、少し高級な家具屋を紹介してもらい、行ってみる。
ついた先は表通りから路地一つ入り込んだ薄暗い場所だった。派手な看板とかはなく、店の扉の前に、古びた傘立てが置いてある。
大丈夫なのか?
ふと不安になった。
ただし、中に入ったとたん不安は吹き消された。
西洋アンティークの博物館かと思える品がずらりと並んでいたのだ。
白家具の繊細なデザインの姫系といわれる家具から、重厚な存在感を放つものまでが適度な空間を置いて展示されている。
陳列しているとかではなく、展示という方がしっくりくるのだ。
『販売はついでで行っております』。そう言われているような気にすらなってくる。
いや、作っている人間は本気でそう思っているのではなかろうか。
『アイテムボックス』に八十万ダラダ近い金が入っていなければ、周り右して帰っていることが確実の迫力だ。
その中で、ひときわ輝いている物があった。
大きさは幅が70センチ、奥行き40、高さは90というところか。
天板には白い大理石が張ってあって、とても明るい雰囲気がある。
少しだけ青味のあるガラスを、濃い茶色に金の網目で縁取りがされた額縁のようなフレームがしっかりと支えているし。内部の棚は三段。正面はもちろん、側面もガラス張りで、中のものがよく見えそうなデザイン。
最上段にミルを、二段と三段にカップとソーサーを、天板の上にはいずれ完成するサイフォンを飾ったら・・・。
いい。
最高にいい!
一目ぼれ、というやつだ。
「お気に召したものがおありですか?」
すっ、と視界に入ってきたマダムが聞いてくる。
「これを」
手で示してみせる。
「14000ダラダとなります。お届費用も含んでの値段ですのでご安心ください」
思っていたより安い。
すぐに支払いを済ませた。
マダムがちょっと驚いた顔をしていたのは、金額で動揺するとでも思っていたのだろう。
残念ながら、オレは気に入ったものを買うときは値段を見ない主義だ。
いくらだろうと気にはしない。
届けると言っていたが、ミーレスとシャラーラの二人に持たせて、即座に引き取らせてもらった。
どうやって運ぶ気か、という顔をされたので壁を借りて『移動のタペストリー』をかけた。
その途端、「なるほど」という顔をしていたのでしっかり騙されてくれたらしい。実際はこれを使わずに転移させる。
昼食の用意を頼んでおいて、二人と買ったばかりの家具を家へと送った。
リリムとはまだ買いたいものがある。
家具屋を出て、オレたちが向かったのは奴隷用の装身具屋だ。
リリムにはまだ何も買ってやっていなかった。
それを言えばメティスもだが、彼女はまだ30日ほどは奴隷として扱えない。
「これはこれは、お客様」
さすがに短期間に三度目となると、顔を覚えられたらしい。丁重に挨拶された。
「今日はこの子ように何か買いたいんだけど」
リリムを指し示す。
「承知いたしました」
「この子は今、治癒魔法士として治療院で働いている。なにかよさげな装身具ってあるかな?」
探るような目が向けられたので、必要な情報を開示した。
「ございますとも・・・お客様の要望に合うかは微妙とは思いますが」
なんだそりゃと思いつつも、言いたいことはわかった。
最初に来た時、いらないといったタイプに通じるものだろう。
「どんなものですか?」
「治癒魔法士は当然ケガや病気を治します。体力回復もできる」
そんなことは常識だ、誰でも知ってる。
「それを少しだけ変えることができる装身具がございます」
「少しだけ、変える?」
「『娼婦の縛鎖』。治癒魔法士と巫女、それに修道女専用装備でございます。魔法力で体力を回復する能力を使い、主の精力を回復させるというもの。かつては多くの奴隷を持つ主には垂涎の品でございました」
精力の回復。
それはつまり、尽きることなく何度でも、と?
いうことか!?
確かにそれは欲しい!
って待て。
「かつては?」
今は違うというのか?
なぜ?
「精力は確かに回復しますが・・・その分、奴隷のほうは体力も魔力も使い果たして死ぬことが多かったそうです。そうなりますと主もまた、同時に命を落とすとか。ですので今ではあまり人気がございません」
ああ。
治癒魔法士本人を抱きながら、精力回復の魔法も使わせていたわけか。
この間の、転移時のダメージと同じだ。
ただでさえ体力使っているときに魔法を使い続ければ、それは死ぬ。
主が死んだというのは、たぶん腹上死だろうしな。
精力を回復できるとしたって、オレはそこまでする気はない。
現に、迷宮に行く前夜はミーレスとシャラーラ、リリム。三人とも一度ずつと決めている。場合によっては、誰か一人は休みにもしているから、そんな事態になることはないはずだ。
でも・・・いや、だから。
「もらおう」
買った。
金無垢の鎖だ。
長さは一メートルあるか、ないかというところ。
両端に指輪がついている。
「一方を奴隷が、もう一方を主がはめた状態で回復魔法を使えば、精力回復になります」
すばらしい。
「ご主人様とつながるのうれしいです!」
キラキラ、ツヤツヤの顔でリリムが微笑んでいる。
悪いことはしてないと思うが、罪悪感が沸き上がるのはなぜだろう?
それとは別に、指輪を二つ買う。
リリムがつける指輪の方には『伝声のジェム(黄)』を付けた。
「42000ダラダでございます」
オレが左手の人差し指にはめる指輪も含んでの値段。
ミーレスたちより少ないことになる。
差はつけたくない。
「もう18000ダラダほどで買える装身具はないかな?」
ないようなら、普通に伝心を買うけど。
迷宮に行くことはないことが前提なので、必要とは思わないがあって困るものでもない。
「もちろん、ございますとも」
店員が嬉しそうに両手を揉む。
揉み手ってやつだ、アニメ以外では初めて見たぞ。やってる人。
「必ずしも奴隷用というわけではない品ですが、『節制の耳飾り』、魔力を使うとき使用量をわずかながら少なく済ませるという品で通常価格21000ダラダのものがございます。これを先ほどのものと合わせまして60000ダラダで、いかがですか?」
黄緑色の木の葉をかたどったイヤリングをつまんで見せてくれる。
意匠もいいし、値段もそろえてもらえた。
うん。ミーレスたちと同じ。
「それももらおう」
リリムの左手薬指に指輪をはめてやった。鎖はそのまま腕に巻きつける。
反対にオレも指輪をはめてもらう、ミーレス、シャラーラとつながる指輪とリリムの指輪。三個の指輪が共鳴するかのように光を放っている気がした。
イヤリングを付けてやる時、リリムはずいぶんとくすぐったそうに身を捻っていた。
もしかするとリリムは耳が弱いタイプかも。
今夜にでも、是非にも、確認しなくては。
昼食後。タキトゥス工房を訪ねる。
シャラーラだけを連れて、だ。
ミーレスとリリムはコーヒー豆を挽いてくれている。
帰ったらすぐに淹れられるように。
親方につかまれば、はかない望みと消えるかもしれない。
オレは内心祈るような気持ちだ。
だが、なにか急ぎの仕事が入っているとかで、親方とは会えなかった。
プールスが応対に出てくれて、ドリッパーとサーバーを渡してくれる。
費用は28000ダラダ。
ドリッパーとサーバーだけにしては破格の値段だ。
試作をいくつか作ったので、その材料費が上乗せされた結果だという。ただし、オレたちの持ち込んだ手土産――ガラス染色の材料。『レアドロップアイテム』は含んでいない上に全数の三割程度――と相殺してくれたので実質はタダだ。
「サイフォン、でしたか。そちらの方は50000を超えるかもしれません。完成したら連絡しますので、よろしくお願いします」
「そのぐらいは覚悟している。こちらこそ、無理な注文をしてすまない。頑張って完成させてくれ」
今回もまた、固く握手を交わして帰宅した。
いよいよ、本城に攻め込む。
まずは外堀を埋めるのだ。
ドリップコーヒーで。
ドリップ式なら豆の質が良くて、フィルターが過不足なく働いてくれれば、安定してコーヒーを楽しめるようになる。
豆の質がどの程度のものなのか。
フィルターは機能するのか。
今回は、この二つを確認する。
ターキッシュコーヒーは飲んだことがないので、豆の質がどうとかの判断はつけようがないが、ドリップ式なら何度も飲んだ経験がある。
比較評価が可能だ。
もっとも、自分で淹れたことがあるのはペーパードリップしかないので、今回のネルドリップとは少し勝手が違う可能性があるけど。それを言っていたら始まらない。
「ネル」手触りが柔らかくて起毛している織物「フランネル」のこと。これをフィルターに使うと目が紙より粗いため、コーヒーの微粒子が抜け落ちやすく、そのため舌触りの滑らかなコーヒーになるのが特徴。
ネルドリップの利点を今一度思い出す。
おいしいコーヒーになってほしい。
「挽き終わりました」
ミーレスが挽き終えたコーヒーを持ってきた。トルコ式と違って粗めなので、手間はそんなにかからない。ただし、その分量は多かった。フィルターを五種類用意したので、六杯分挽かせたからだ。70グラムくらいになる。
「均等に、五つに小分けしておいてくれ」
なぜ、六杯分と言いながら五つなのかといえば。
「こっちも終わったっす。けんど、こんなもん煮てどうすんすか?」
首をかしげながら、一枚一枚に布を乗せた小皿を五枚、お盆で運んできたのはシャラーラだ。最初に挽き終えた一杯分はトルコ式で淹れさせ、そのコーヒーを使って五枚の布を鍋で煮させていた。
初めて使う布フィルターは水洗いし、20分ほどコーヒー液で煮てから使うというのは知っていた。こうすることで布に付着しているかもしれない糊や汚れを落とし、コーヒーとなじみやすくする。
用意しておいた深めの湯呑に、その布フィルターをかぶせて待つ。
「ご主人様! お湯沸きました!」
待っていると、シャラーラとは別のかまどでお湯を沸かしていたリリムが片手に銅製のドリップポット、もう一方に鉄瓶を持ってやってきた。
どちらもたっぷりとお湯が入っている。
そうとう重いのだろう、両手ともブルンブルン震えていた。
あ、危なっかしい!
ミーレスが慌てて受け取りに行っている。
一歩間違えれば大火傷だ。
どちらも熱を外に伝えまくる素材のものなのだから、中のお湯よりも熱いはずだ。持ち手には厚く布を巻いているが、他の所がちょっとした油断で肌に触れるようなことがあれば火傷は免れない。
火傷しても自分で治せる、と思っているのかもしれないが、それを見てハラハラする者の気持ちも考えてほしい。
「鉄瓶の方のお湯を湯呑に注げ、布に触れないところまでな」
見るからに重そうな鉄瓶を受け取ってきたミーレスに指示を出す。
フィルターとして使うものなので、一度お湯を通して目の中のごみを再度落とすわけだ。
言われた通りに、ミーレスがお湯を注いでいく。
「布を取り出して、絞ってくれ」
シャラーラに言って固く絞らせる。
それをオレが受け取って、乾いた布巾で挟んで叩き、さらに水気をとった。
そして、しわを伸ばしてドリッパーにセットする。
五つに小分けされていたコーヒー粉を、フィルターに入れる。
そうしたら、細口ドリップポットで少量のお湯をコーヒー粉全体に含ませるように静かに注いで20秒ほど蒸らす。
この『蒸らし』が、コーヒー粉にお湯をなじませ、コーヒー成分を抽出しやすくする大事な工程なので必ずやらなくてはならない。
以前、ペーパードリップで、20秒程度なら大して変わらないだろうとサボったことがある。それでどうなったか? オレは二度と20秒より短い時間で済ますことはなくなった。
20秒まってから『の』の字を書くように一杯分のお湯を注いでいく。ただし一気にではなく、3回くらいに分けてだ。
このとき、大切なことは表面にできた泡の山が沈まないうちに、次のお湯を注ぐということだ。
もうひとつ、お湯はコーヒー粉の上に注ぐのであって、フィルターそのものにはお湯をかけてはならない。
注いだお湯が、サーバーに落ちきったら抽出終了だ。
これを順次、五杯分繰り返した。
小皿にフィルターとして使った布を乗せ、その前にそれぞれで抽出したコーヒーの入った湯呑を置く。
その時点で、二つについては使えないことがはっきりした。
一つはコーヒー粉が表面に浮いていて、目が粗すぎてフィルターの役を果たしていなかったことがわかる。もう一つはコーヒーの色が濃すぎていた。抽出にもほかのものの倍くらいかかっていたから目が細かすぎたのだと思える。
残り三つ。
順番に飲んでみる。
そこでもう一つも使えないと判断した。
すごく細かなコーヒー粉の残滓が舌に残る感じがあったからだ。
残り二つ。
「この二つは採用でよさそうだ」
残った二つを見て、笑みがこぼれる。
ちゃんと滑らかなコーヒーになっていた。オレ好みでいえば当然ブラックコーヒーの状態なので苦いとは思うが、そんなものはあとでミルクと蜂蜜でも用意すればいい。
とにかく、コーヒーを淹れられた。
それこそが素晴らしい。
一つに絞らなかったのは、粗挽き用と中挽き用にするつもりだからだ。実際に中挽き用で使ったらまた判断が変わるかもしれないが、とりあえず合格としておく。
「シャラーラ、この二枚はまた煮てくれ。今度は普通に水からな」
煮沸してコーヒー成分をとるためだ。
そうしないと布にこびりついたコーヒー成分が空気に触れて酸化、嫌な臭いがついてしまって味も損なうものになるからだ。
「煮終わったら、冷たい水の入った容器に入れて暗くて涼しいところに保管してほしい。水は毎朝毎晩換えてくれ」
冷蔵庫でもあればそこに入れて、水は一日一回の交換でよかったと思うのだが、この世界では気軽に冷蔵庫に、とは言えない。
一応存在はしているそうだが、家が買える値段の上に、使用する魔力が膨大だそうな。
そんなものなくても、この通り何とかなる。
「異世界生活もいいじゃないか」
マイホームで、可愛い家族とコーヒーを飲めるのなら、暮らしていける。
元世界に戻れなくても幸せでいられる。
悪くない。
異世界生活を満喫できると確信して、オレは大きく伸びをした。
次回更新は来週になります。




