ガラス工房
意識が再起動したとき、オレはとりあえず目を閉じたまま時間を確認した。脳内モニターに時間が表示されるのはこういうとき便利だ。目を開けて時計を探さなくてもいい。
探してもあるとは限らないし、あったとしてもあまり意味はないんだけど。
この世界、時計があっても正確かどうかはわからない。というか、標準時間がないから合わせようがないし、そもそも正確な時間という概念が意味をなさない。
うちの時計は、オレの脳内モニターと同期させているが、ほかのところはばらばらだろう。うち以外で時計を見たことはないし。
倒れてから40分ほどが経っていた。
予想外に時間が経過している。
やりすぎたのか。
目をそっと開ける。
ベッドに仰向けで寝かされていた。
ギルドの仮眠室か何かだろう。
狭苦しい部屋だ。
軍艦の下級兵士の寝床のような、二段ベッドが二つあるだけでほぼ埋まるような部屋。
オレは部屋の右側の壁に張り付くように置かれた二段ベッドの下の段に、扉側に頭を向けて寝ている状態。
右側にマティさんがいた。
椅子に座って、なにかすごく落ち込んだ顔をしている。もしかすると泣いていたのかもしれない。
マティさんの後ろにはミーレスが立っていて、オレとマティさんを同時に監視していた。その顔がふっと緩むのが分かった。オレが目覚めたことに気付いたらしい。
ここからは見えないが、扉の前か外にはシャラーラが立哨をしているだろうと思えた。
他には誰もいない。
助かった。
あの叔母様がいたら、まためんどくさいことになりそうだが、それは避けられたわけだ。
「そんな暗い顔しなくていいよ」
よいしょっ、と上体を起こして、オレは声をかけた。
「っ!」
はじかれたように、マティさんが顔を上げる。
目が赤かった。
「申し訳、ございません」
椅子から立ち上がって、深々と頭を下げる。
背中に垂らしていた髪が、床につきそうな勢いだ。
「あー、いいからいいから。椅子に座って、君が悪いわけじゃないんだから」
「いいえ! わたくしのせいなのです、わ、わたくしが――」
「さっきの叔母さんに嫌われているせいだって言いたいんだろ?」
直接は悪くなくても、間接的には自分のせいだ、と。
「! し、知っておられたのですか?」
「いや、なんとなくわかるよ。『異世界人』なのでね」
心が読めるとか、具体的なことは言わない。
『異世界人』だから、というのは実に便利な言い回しだ。
「なんでそんなに嫌われているの?」
「嫌われているのではないのです。祖父に叔母が後継者と定められたいまでも、わたくしの亡き母を慕う声がギルド内に多くて、一部にはわたくしを押す者までいるものですから・・・」
「警戒されている、と」
小さなうなずきで、マティさんは答えた。
かなり落ち込んでいるようだ。
「あっ! わたくしのことはいいのです。それよりも、お身体はいかがですか? 苦しかったり気持ち悪かったりしませんか? すぐに医者を――」
と思ったら突然取り乱したように騒ぎ始めた。
「しーっ! 静かに! 大丈夫、あの場を収めるためにした芝居だから」
慌ててしずめに掛かる。
せっかく人払いに成功したのに、またぞろ集まってこられては困る。
「しばい?」
意味が分からないのか、キョトンとした顔で首をかしげるマティ。
その顔に徐々に理解が広がって・・・ぷくっと膨れた。
おおっ。
小さな女の子ではない、年上の女性のこんな顔は初めて見た。
かわいすぎるっ!!
「――――――っ!」
言葉にならない、声にもならない気炎をあげつつ。ゆるく握られた拳が、オレの頭に降り注いだ。両手でポカポカと殴りつけてきているのだ。
「とっても、しんぱい、したん、ですよ!」
一言いうごとに二つ、頭に拳が降った。
痛くはないし、どちらかというと微笑ましいくらいだ。だが、そうだ。シャラーラがキリギリサイスに突貫をかけた時のオレと同じだ。
心配したから、大切に思っているからこその怒り。
「ごめん、悪かった。心配してくれてありがとう」
殴られるに任せて、頭を下げた。
オレの背中と腰の柔軟性で可能な限りに深く。
「む―――――!」
拳の雨は止まった。
でも、かなり怒っているらしい。
ほほを膨らませたまま、じっと見つめてくる。
その頬がポッと赤くなった。
トマトみたい。
そんな感想を抱いたとたん。
シュッと、頬が戻る。
「ほ、ほんとに。ハルカ様の前だと、子供に戻ってしまいます」
マティさんは恨めしそうにしている。
恥ずかしいのか悔しいのか、頬を染めた顔で。
「子供に戻ってしまうのがダメなのなら、大人の・・・仕事の話に戻りましょうか」
「仕事・・・ああ! そうでしたわね」
忘れてたんかい!
「ですが、ロビーにいた人たちはみんな、先ほどの女性に追い散らされて誰も残っていませんでしたよ」
「ああ、心配いりませんわ。タキトゥス頭領が、工房から離れてこんなとこまで足を運ぶはずありませんもの。先の騒ぎなんて何も知らずに工房にいますわよ」
ミーレスの懸念にさらっと答えて、マティは立ち上がった。オレも、ベッドから降りて服を整えた。
「裏口からでも抜け出しますか?」
さっきの叔母様に見つかるのは得策ではないだろう。
「いいえ」
ニコッと笑ってマティさんは首を横に振った。
見つかってもいいのかな。
それとももういないと確信している?
「窓から逃げましょう」
そっちでしたか!
って、まて。
「その格好でですか?」
夜会服ばりの真っ赤なドレス姿で窓から出るとか。
「いけませんか?」
「い、いや、いけなくはないけど」
うん。本人がいいなら、オレがとやかく言うことではない。
「ではさっそく」
すたすたとマティさんが窓に歩み寄る。その間に、オレはシャラーラを呼んだ。予想通り、扉の外で立哨をしていたのだ。
シャラーラとミーレスを連れて窓に寄る。
言葉を失った。
目の前に階段があった。
飛行機から降りる時のようなタラップが、窓の外に設置されていたのだ。
しかも、そのタラップを運んで来たらしいのは、先ほど汗をダラダラかいていたギルドの男性職員だ。
「あの男!」
さすがに無視できなくて、声を上げて前に出そうになる。だが、それを止められた。止めたのはマティさんだ。
「大丈夫ですよ」
「え? だって・・・」
叔母様側の人間だよ、そう言おうとしたオレに向かってマティさんは首を振った。
「彼は二重スパイなんです。叔母のために働きながら、わたくしと裏ではつながっています。今回は警告が間に合わなかったようですが、それは仕方がありません」
二重スパイ?!
そんなのいるんだ。
っていうか、・・・マティ、恐ろしい子。
なんだかんだ言っても、ギルド長の孫娘。
純情な乙女ではない。
「さぁ、参りましょう」
ドレス姿でタラップに足を乗せたマティさんが、某歌劇団の娘役のような華やかな笑みを浮かべて、手を差し伸べてきた。
窓枠を額縁とした、一幅の絵画のような美しさに、オレは数秒見とれたのだった。
工房へは、馬車で移動した。
赤いドレスのままで歩くのかとハラハラしていたのだが、それはさすがになかった。
ギルドの敷地から出て、路地に曲がるとそこで黒塗りの馬車が待ち構えていたのだ。
尾行を撒くためだろう、何度となく道を変え、方角を変えながら馬車は進む。
「いやがらせです。意味はありませんわ。この街で、叔母様に逆らえるような工房はタキトゥス工房以外ありませんもの。追っ手を付けるまでもなく、わたくしがどなたの助力を借りるかなど、叔母様は承知しておいでですわ」
馬車の動きに注目していたオレに、マティさんは笑い話ででもあるかのように言葉を投げかけてきた。今は四人乗り馬車の車中で向き合って座っている。ミーレスがオレの横でシャラーラがマティの横だ。
意味がないなら、オレの都合を確認してからやれよ。
こっちが時間を惜しんでいたら、オレへの嫌がらせにもなるんだぞ。
別に急ぐ用事はないが、早く終わればそれだけ迷宮に行く時間を増やせる。地味だけど稼ぎの点でいえば確実に目減りする。間違いなく時間を浪費することになる。
こういうところは、この子も『お嬢様』だよな。
0から、一商人として、ギルド職員として下積みを積んだ経験がないから、わずかな日銭を得ることが生活に影響を受ける、そんな底辺階級の苦労を知らないのだ。
「そのタキトゥス工房というのは、商人ギルドの掣肘を受けないの?」
ギルド長代理に盾突くことができるというからには、背後に貴族かなにか、政治的な後ろ盾でもあるのだろうか?
そういうのはオレ的に避けたいのだが。
「やろうと思えばできますわ。ただし、それをやればギルド・・・すくなくともタッルム支部は存続の危機に立たされますわね」
「それほどの権力があるわけだ」
「・・・? いいえ、権力ではありませんわ。技術です。移動のタペストリーの左右に魔力蓄蔵器があるのを見たことがあると思います。あの真ん中をすぼめる技術はタキトゥス工房だけの独自技術なのですわ」
「あれのメインデバイスを作っている工房なのか!?」
あの砂時計みたいな形のガラス器だ。
確かに、あの技術を独占しているというのなら、だれも手出しできなくて当然だ。
電気自動車開発が進んでいる今になって、蓄電器の特許を一社が独占しているようなものなのだ。この一社に何かあれば、自動車メーカーは軒並み生産停止、鉄鋼はじめあらゆる種類の生産・サービス業界に影響が出て世界的な経済危機に―――という事態を招く。
そうなれば、その原因を作った会社が受ける非難は生半可なものではないだろう。
国際問題になる。
もしくは、その一社が無茶な横やりを入れてきた会社に業務を妨げられた。などと相手の会社名を公表し て、実際に生産を止めたら?
世界中の政財界が相手会社に掛ける圧力はすさまじいものになる。
とてもじゃないけど、無理なごり押しなんてできるわけがない。
「そ、それは、手出しできないな」
想像するだけで寒気がする。
「正確にはすぼめる技術自体は他にもあるのです。ただ、圧力への耐久性が著しく劣る。またはガラス壁が厚くなりすぎて魔力効率が落ちる。欠点があって、この技術についていえば現在のところタキトゥス工房がシェアの96パーセントを持っている状態です」
なにかすごく誇らしげに、マティさんは説明を続けた。
「それほどの工房が、オレなんかと取引なんてするのかな?」
話を聞けば聞くほど、ぽっと出の冒険者がかかわりを持てるとは思えなくなるのだが。
「大丈夫ですわ。その技術の開発時、母が多大な支援を行いましたので、多少の無理は聞いていただけます。ただ・・・」
来た!
うまい話には裏がある。
なにかあるのだ。
内心で、警戒レベルを最大に引き上げた。
さあ、なにを言ってくるんだ?
「工房長のタキトゥスさんに質問攻めにあう覚悟はしていただかないといけません」
はい?
「質問、攻め?」
「異世界の技術について聞かれると思います。執拗に」
・・・ああ。
それか。
技術屋ならではの反応というやつだ。
「オレ、ガラス職人じゃないし、聞かれても答えようないんだけど」
「それは伝えてありますわ。ですが、異世界ではどのようなものが作られているのか、それを聞くだけでも職人としては励みになるということですので、教えてあげてくださいな」
「・・・それでいいなら、なんとか思い出してみるけど」
ガラス製のもの・・・なにかあったかな?
ステンドグラスと江戸切子ぐらいしか思い出さないぞ。
あとは・・・エミール・ガレの作品についてでも語ればいいのか?
大して知りもしないのに?
それとも、家のリフォームをしたとき両親と行った店で聞きかじった、複層ガラスの窓とかの話でもすればいいのか?
それぐらいだな。
オレの中から絞り出せる知識なんてそんなものだ。
「無い袖は振れない、と」
自分の知識のなさを嘆いている間に、馬車は目的地に着いた。
正直、さっきの話を聞いてイメージしていたのとは違っていた。
なんというか、田舎の製造工場的な空気が漂っている。
清潔感とか機能性とかではなく、思いつくままに拡張しましたと言わんばかりの建物のあちこちから、煙が吐き出されていた。
その分、活気はある。
半身裸でムキムキのおっさんたちが「ガハハ」と笑っているような、そんな感じ。
「お前ら、伏せろ!」
馬車を降りて、身体を伸ばしていると、野太い声が警告を発した。
反射的に頭を手で押さえてしゃがむ。
なにが起きるかはわからないが、意味は分かる。
「しゃがんで」
横でマティさんが、棒立ちになっていたので手を引いてしゃがませる。
ミーレスとシャラーラも慌てて姿勢を低くした。
顔を上げると、建物の中から数人のおっさんが飛び出してきて、地面に身体を投げるようにして伏せるのが見えた。
「っっっっっっ!?」
音が、全身を震わせて通り過ぎていった。
この感覚は知っている。
すごく近くで打ち上げ花火が上がった時の音だ。
なにか爆発したらしい。
「あーあ」
そっと目を上げると、建物の屋根がなくなっていた。
それはいい。
大した問題じゃない。
それよりも・・・。
「あー、マティさん? 下着が丸見えですよ?」
ドレス姿でしゃがみ、バランスを取ろうと膝を開いたらどうなるか。
スカートの中身が見事に目の前に広がっていた。
「――――?!?!!?」
「ごめんなさい!」
真っ赤な顔で拳を振り上げたので、ともかく謝った。
オレを叩く前にドレスの裾を何とかしてほしい。
にしても・・・。
「青か」
ふと呟く。
赤いドレスだからてっきり・・・。
うむ。
「青と白は清潔感があっていいですよ」
グッジョブ! と親指を立てたが、なぜかポカポカと頭を叩かれた。
なぜだろう。
解せない。
まぁ、それは冗談だが。
「おお。なんじゃ、マーちゃんも元気そうじゃねぇか」
建物からわらわらと出てきたおっさんたちの一人が、オレの頭をポカポカ叩き続けているマティを見つけてそう言った。
元から短い名前だから、呼び捨てしかしてもらえなかったとか言っていたのに。
「マーちゃん」とか呼ばれていたのか。
マティより長くなっているが、元が「マティお嬢ちゃん」だとすれば十分な短縮になる。
「はっはっはっ、マーちゃんが男の頭を叩く姿を拝める日が来るとはなぁ。長生きはしてみるもんだ」
ガハハハハッと笑ってのける。
「――――」
オレを叩く態勢で固まったまま、マティさんが口をパクパクさせ始めた。
これは再起動に時間がかかりそうだと思ったので、オレはさっさと立ち上がった。
「こんにちは。お初にお目にかかります。ハルカ・カワベと言います。マティさんにご紹介していただく予定ですので、以後お見知りおきを」
「ああ。話は聞いとる。なんか偉いとか言われてたんだが、女に頭を叩かれる程度の奴なんだな」
警戒されているのだろうか、なにか声も表情も冷ややかになってしまった。
「そうですよ。マティさんの下着を覗いて喜ぶ程度の、人間です」
程度、という言葉にミーレスが反応しそうになったが、オレが自分でかぶせると引き下がった。
ここは任せておいてほしい。
「・・・見たのか」
おっさんが顔を伏せて、探るような目で見上げてくる。
「ばっちり、と」
答えると、「ほほう」と感心したような声を出す。
「ちなみに何色じゃった?」
「青です。清涼感たっぷり、実はオレの好きな色でして」
「わしも青は好きじゃぞ」
ガシッ、と握手した。
「気が合いそうで、よかったです」
「えらいさんだとか言われたんで、頭の固いくそ真面目が来るかとおもっとったんだが、話せるじゃないか」
「マティさんのパンツに感謝ですね・・・って痛いですよ、マティさーん」
ポカポカが、ボカボカになったのでさすがに泣きが入った。
「ひ、ひと、人のぱ、パンツのわ、話題で盛り上がらないでくださいっ!」
目尻に涙を浮かべて抗議してくる。
これ以上はかわいそうかもしれない。
オレは仕方なく話題を変えることにした。
「それにしても気持ちいいくらい吹っ飛びましたね」
屋根のことだ。半分くらいイッたかもしれない。
「うむ。なに、見た目ほどひどくはないぞ。そもそもが吹っ飛ぶように作ってあるのでな」
「内圧で何もかもが壊れないよう、あえて屋根を吹っ飛ぶような構造に作って、内圧を上に逃がす設計なわけですね」
そうしないと、屋根が少し飛んで、右の壁が半分と左の壁が崩れて奥の壁にはヒビ、ということになりかねない。上を弱くしてあれば、圧力はすべて上に抜けるので屋根が吹っ飛ぶ以外は無傷で済むという理屈だ。
元世界でも、危険物の貯蔵庫はそうなっている。
極端な例だと、天井をあえて作らないということもあるくらいだ。
「わしが長年の経験から編み出したものだが、当たり前のように受け入れるのじゃな?」
「オレの世界ではよく知られた方法ですよ。危険なものを扱う建物はみんなそうなってます」
実際当たり前のことだ。
「ほっほう。『異世界』とやらも見どころがありそうじゃ、向こうでじっくりと聞かせてもらおう」
「おやっさん。仕事はどうすんですか!?」
さっき地面に伏せていた男たちの一人が、慌てたように呼び止めに来る。
「はっ! 屋根が飛んでんだ仕事になんぞなるかい! お前らで片しとけ」
「そんなぁ、オレらだって『異世界』話聞きてぇっすよ?!」
「わしが代わりに聞いとくから問題なし!」
そんなぁー!
と男どもが泣き声を上げる。
聞くに堪えん。
オレはそそくさと「おやっさん」が指し示していた方向に歩き出した。
ミーレスとシャラーラが当然のごとくオレの前後に付き、マティさんもオレの隣を歩く。おっさんが楽しげに笑いながら追いついてきて先行した。
行く手には、プレハブぐらいの大きさの小屋があった。
作業場は物騒だしうるさいから、来客用に別棟を用意しているのだ。
大雑把そうでいても職人、そつがない。
「さてと、まずは仕事の話から片付けるか。作ってほしいものがある、そう聞いたが?」
小屋に入ると、すぐそこに雑多な棚に囲まれて、椅子が四脚とテーブルが一つ置かれている一角があった。中でも一番いびつな椅子にタキトゥス工房の頭領は、どっかりと座り込んで聞いてきた。
よかった。
話を聞いてもらう前に酒でも勧められそうな雰囲気があったので、そうなったら困ると思っていた。だが、仕事は仕事としてちゃんとしてくれるようだ。




